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2011.03.31 禊その5
天とは、あくまで地と対応していて、聖なるもの、清きものと言うところでしょう。そして、天の最も意義のある性格は死のない永遠の地であると言うことです。地が汚れた死のある地域であるのと反対の世界です。天の聖なるもの、永遠の象徴が天女であり、その<証>が羽衣なのです。
天女の編む織物は絹であったと思います。それは絹が再生のシンボルであり、霊力を秘めた呪具であるからです。
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2011.03.27 禊その5
禊には他に、天女の沐浴と大嘗祭の湯浴みについての儀礼や伝承があります。


井上辰雄は「大嘗祭において、大斎(おおいき)の御湯、子斎の御湯として、前後三回も沐浴されているのは大嘗祭においてかかる行事が重要な地位をゆうしていた。また、天皇が小斎の湯に入る時、縫司(ぬいのつかさ)より献上せられた天羽衣を着用して、御槽(おふね)に入る。」と述べています。
「丹後国風土記逸文」に里の比冶の山の頂には、真名井という井があった。あるとき、その井に天女八人が舞い降り、木の枝にかけて、沐浴をしていた。それを見ていた和名佐の老夫婦がひそかに天女の一人の羽衣を隠します。羽衣を盗まれた天女は天に帰ることができず、老夫婦の子となり、そこで数年過ごすことになります。その間は酒を醸(か)み、その酒は万病に効き、老夫婦は大金持ちになったと、記しています。
ここでは天羽衣が重要な意味を果たします。もとより、羽衣は着衣で織姫の縫う絹の織物なのです。
織物にまつわる神話・伝承は多くありますっが、「古事記」のスサノオウの荒行によりホトをついて死んだのも織姫が布を縫っていた際中です。また、牽牛と織女の伝承も天の川で年に一度、逢う話です。棚織(七夕)も天女の機織りの物語です。七夕の織女は天女つまり、宇宙の中での絹の布を織る巫女(霊能者)であったわけです。


2011.03.25
古事記や日本書紀でも、イザナミが国生みの際、神々を創生する時、先に夫に声をかけます。

ここも女性優位の文化を見ます。
しかし、(記・紀)を編集した識者達は、漢文化、朝鮮文化の影響のある男社会の知者であって、その母権社会を否定するところから出発したのではないでしょうか。

印象として聖と俗、天津神と国津神、弱者と強者と支配者的な発想がします。
つまり、縄文社会・母権社会から、父権社会への移行が水蛭子や淡島を誕生させ、それを葬り去るところから歩みを始めます。(私は記・紀の優れたところは、その歴史状態を完全否定しないところに見ます。
蛭子やスサノオウ等の混沌した者の存在を持続しているところあります。)

2011.03.23
混沌(カオス)について、古代では不可思議な闇と考えたと思われます。

夜が その源を生むと考え、その夜こそが黄泉との発想に繋がります。
私は縄文文化が日本文化の底流に流れていると言えます。
それにつけても思い出すことは、縄文の出土品~土偶や土器~等の図案がどちらかといえば、天国的なものより地獄的な印象が強いことです。

控えめに見ても、ハレの文化より不条理な、それも醜悪な画想が多いのに驚かされます。
特長的なのは遮光式土偶は宇宙人を思わせますし、飾りたてた呪術師といったほうがあったっています。

そして、火焔式土器などは醜悪でエネルギッシュな暗黒の世界を想い描かせます。
しかも、それが女性~地母神の創造物であることをおもえば、黄泉の国のイザナミを思わせます。
縄文時代には稲があったとは思われませんが、穀物や堅果植物の採取・狩猟などは行はれていたはずで、縄文文化の継続性を思えば、かなりの創意工夫がなされていたはずです。(三内丸山遺跡や鹿児島・上野原遺跡,かかいの原遺跡はかなり高い文化です)

その糧としての生活行為の強敵は自然の猛威でしょう。
時々に縄文人はその対策はあらゆる知恵をつかって対抗したはずです。
しかし、自然の脅威は遥かに強力で、なすことなしに人間が造り上げた成果を破壊し尽くします。
そこに祈りがなされ、呪術が生まれます。(私はその一にマナ行為を見ます、そのことは後で語りたいとおもいます)時には、予知力に優れた、現代人が及びも点かない鋭い感性の呪術者があらわれ、人々の命を救ったことでしょう。
多分、それは女性だったはずです。
土偶や顔面把手付土器の形相はその抽象化した創造者の精神の表現だた言ってもいいと思います。
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