上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2011.09.30 少し嬉しい
鹿児島東京事務所にたずねた時、何も答えられなかった方から電話があった。
自分では答えられなかったので、鹿児島に問い合わせ、鹿児島歴史センタァの担当官を紹介してくれた。今まで、そこまでやってくれた人がいなっかたので、嬉しかった。
早速、歴史館に手紙を書いた。質問の返事(久米氏の出自)が楽しみである。
スポンサーサイト
2011.09.27 俳句を少し
宙を裂く、切れ目に秋を、かいま見ん。

森林に、仄かに灯る、芥子の花。

遠雷の、ふと間をおいて、稲光り。

黄昏の、秋風吹くか、迷い猫。

灼熱に、蝉の亡き骸、狂い死。

露草は、草臥れたのか、舌を出し。
何時も、もう政治の話は控えようと決めるのだが、それを上回る劣悪な政治状況が現れてしまう。
今日は政治状況ではないはずなのに(地裁判決)、結局は政治が背後にある。
9月27日のラジオで江川詔子さんが<大久保・石川他の裁判>を評論しておられる。私は江川さんの客観的な状況報告は信用している。その江川さんの状況報告からの感想は、今度の地裁判決は近代的な裁判傾向に甚だしく逆行している。証拠や自白もなく、想定と思い込みと裁判官の意向だせが先行した中世期の裁判である。本当に恐ろしい裁判である。考えようによっては、創作検察よりひどい判決である。
私はいつも思うのだが、「裁判官審査制度」はないものかと。大体、最高裁裁判長は施政者の任命なのは敗戦時の米国が最終的に結論を行使できるような体制なのである。この風潮がそのまま地裁まで及んだような傾向である。政治的な判断が裁判官の間で操作されているような状況が、推定される横並びの今回の
地裁判決は思想操作の臭いがする。検察が証拠を探しつくす行為は「無駄だ」だ裁判官の判断の方が正しいのだと言っているようだ。こんなことは魔女裁判に近い。少なくとも、今回は証拠と自白の調書が欲しかった。危ない裁判だ。ほとんど、先にある小澤裁判のさきがけを受け持ったような連結裁判だろう。それがわからない人は皆無だと思う。幼稚で国民の知性を馬鹿にした愚かな行いである。
久米氏はどうやら、大伴氏との「記・紀」の差(古事記は大伴氏と久米氏は平等としているが、日本書紀は久米氏は大伴氏の配下とする)がなぜおこったかは、古事記は地方豪族の立場を重んじる性格が強く、書紀は中央集権的性格が強いという、両書はそれぞれの特徴と関係があると思われる。
それはまた、「古事記」は地方豪族の活動が著しかった「壬申の乱」の影響を強く受け、書紀は専制的な律令政治の完成期である奈良朝初期の風潮をより強くうけていることに起因るすると解釈してよかろう。
と、大田亮は述べている。この解釈は正しいと思う。
私は神武東征を調べていて、ニニギ命の天孫降臨に久米氏と大伴氏がニニギ命を守衛したのは平等の立場であると考えている。その理由はニ三あるが、後に神武東征で久米氏は神武天皇に付き添って、軍事を司どり、大和では皇后であるヒメタタライスケヨリヒメを探しだしている。その時、大伴氏の名前は見渡せない。もし、大伴氏が久米氏より上位であったなら、ここでも皇后探しは大伴氏が取り仕切っているはずではなっかたか。こうした観点からしても久米氏は必ずしも大伴氏の配下であった可能性は薄い。
私は初期の天皇王朝において、久米氏は天皇とともに行動した重臣だと解釈している。しかし、大化の改新の時には、久米氏の地位が良好であったかは研究の余地があると思う。(この時、久米氏は大伴氏の後塵を拝したことは考えられる)

それから、もう一つ702年の大和朝廷の薩摩と阿多の隼人征伐に肥君、五十木部氏と大伴氏を肥後から薩摩に移動させ、隼人を馴化させている。大化の改新の前に起こった事件に大伴氏が加担している事実は、政治書としての日本書紀の編者は織り込み済みであろう。私は日本書紀が大伴氏が久米氏の上位にいる根拠はこんなところにもあると思う。

少し話は変わるが、本居宣長だと思ったが、大久米命は「目がくるくるしていた」と言い、「くるくるのみこと」とも言われた。とある。
そこで思い出すのは、その容貌は薩摩の西郷隆盛を思わせる。隆盛は南国系の顔立ちで隼人に近いそれである。多分、隆盛は阿多隼人の系列であろう。そのことは直ちに阿多(現在の加世田市)に居住していた久米氏(笠沙「久米」を刻んだ土器が出土したと言う)と断定することは出来ないが、傍証とはなろう。
ニニギ命が「襲」から「笠沙」へ直行した時、久米氏もまた、「笠沙」へ随伴し、そこへ居住したことは考えられる。私は久米氏が安積氏と同族だと疑っている。
久し振りに中野の図書館へ行く。
久米氏を調べに行ったわけだが、やはり久米氏の資料は出てこない。館員のO氏が丁寧に探してくれたが、やはり見つからない。
一つの収穫は「久米氏は雄略天皇の時まで、久米氏は膳手(かしわで)を賜っていた」と言うことである。これは安積氏もまた膳手として仕えていたのである。これは両氏は同族の可能性が出てきた。海人族・軍人としての資格は十分である。久米氏の居住地は阿多(笠沙・加世田市)であり、阿多は海人族・阿多隼人の占有地である。そしてまた、天孫降臨の時の守護部隊が久米氏と大伴氏であることを思えば、海人族・軍人としての安曇氏と重なる。
しかし、これだけではまだ、十分ではない。もう少し具体的な証左が欲しいのである。なお一層の研鑽が必要であろう。
何時だったか、小学三年生の女の子に言われた。唐突にだ。その子は幼いときから知っていて、癇の強い個性のある子だった。
その子にはヤタノ烏の話やうつぼ船の話をしていた。そんな時、言われたのだ。「詩を創ってくれ」と。その理由を聞いたが答えない。「いいの、創ってくれれば」と言う。もとから少し変わった子であったから、私もそれ以上を尋ねなかったが、創ってやろうという気になったのは私はその子が好きだったからであろう。
しかし、私は「詩」なぞ創ったことがなかった。本を読むことは嫌いではなっかたので、「詩」の雰囲気は知っている。ままよと、私は作り上げた詩である。

真っ赤な黄昏、笛の音(ね)に、涙一筋風を呼ぶ、小さな冷たい露の珠、ころころころと風を呼ぶ、ころころころと風を呼ぶ

私の幼い子に送る始めての「詩」である。
朝、ラジオを着ていて、おすぎが久し振りに興味ある発言をしていた。
それは二つ、一つはオバマのパレスチナ独立説の拒否である。このことは言わずもがなの事実で、米国はユダヤ人が大きな圧力団体であるのは彼等が金融を握っているのであって、圧力政治が原則で政治家の意向を金で買えるシステムになっている。オバマの意向はごく当たり前の宣言なのである。ユダヤ人の支持がなくして今度の大統領の続行はありえないのである。謂わば、米国の基本的な構造の問題だからである。
もう一つは今度の台風で各地に決壊や土砂崩れが目立つと言う発言である。これは私が恒に発言していることだが、日本が戦後、米国の教えによって培ってきた、もの優先主義の口車に乗り、経済優先主義を貫いた結果なのである。この米国の深慮遠謀に愚かにも乗ってしまった結果であるのだ。
嘗て、田中康夫さんが長野県知事の時、県の役人にかれの政策の一つとして森林の整備を役人にやらせようとしたことがある。勿論、愚かな県の議員の抵抗で実施できなかった。(これは県民が何もしなかったと同じことの現象なのだ)つまり、森林の整備は様々の日本の国土にとって、経済的,教育的、哲学的な大きな意味があることを県民もまた気がついていないのである。
今、日本の国民は悪しき経済主義、教育に乗って、物事を深く考えることをそらされてきたのである。森林の整備の効果は即効性がなく、目に見えて好い状態が見えてこない。短慮な国民は(そう教育されているのに気がついていないから厄介なのだが)この基本的な政策を支持する胆力を備えていないのである。悲しいことだ。だが、仕方がない。絵より、絵を描く過程を見つめる総合的な関わりの重要さに気が付いていないのである。その本質を考える総合性こそが大事なのを理解できなければ、これからも同じことを繰り返すだろう。
一人の農夫がある時、ヒョウタンの種を一粒まいたところが、やがて芽をだしたヒョウタンは、見る見るうちに成長し、到るとところに蔓をのばした。農夫はその場所に来てみて、自分の仕事の結果に満足したが、このヒョウタンには、途方もない実が、たった一つしかならなかった。
ある朝この実を見にきた農夫は、小刀の腹でそれを何度かペタペタ叩きながら、「わたしのヒョウタンは、まだ熟していない」と言った。するとたちまち、ヒョウタンが小刀を彼から取り上げたと思うと、まったく同じしかたで彼を叩き返し、「わたしの男は、まだ熟していない」と言った。びっくりした農夫は、そのまま何も言わずに立ち去ったが、それから一ヶ月後にまた戻ってきて、前とおなじことをすると、ヒョウタンもまた同じことをした。
三度目に農夫がやってきて、同じことをしようとすると、ヒョウタンは今度はたちまち彼を飲み込んだ上で、そのまま村に転がっていって、人間も動物もみな飲み込んでしまった。こうしていくつもの村を荒らしまわった後で、ヒョウタンは一頭の巨大な牡牛に阻止され、その攻撃を受けた。牡牛の角の最初の一突きで、ヒョウタンに少しひびがはいり、次にまた突くと割れ目が広がり、三度目に突くとヒョウタンは真二つに割れた。そして割れたヒョウタンの一方の半分が海に、他方の半分が大陸になり、こうして陸と海が生じたのであると言う。

これはシュウルな印象がある。あのブニュエルが月が雲に隠れようとする時、眼球が現れ、カミソリでそれをきると、訳のわからないものが現れる。超現実主義の映像が思い出される。私も何もない空間をカミソリで切り裂くとそこにはもう一つの空間が顕現する映像を、嘗てシナリオに書いたことがある。次元は、実は重なりあっているのではないかと言う表象が私にはあって、それを映像にしたかったのだった。
民話・伝承にはそういう、思いもよらない想像力に出会う時がある。多分、私が古代史をやっているのは、そうした意外性を期待しているからかもしれない。
今日はどこへ行けばいいのだ。果ても果てしのない旅だ。三週間前なら少しの迷いもなかった。しかし、これほど成果がないと、出かけるのが躊躇われる。台風だしと呟く。一層のこと同好会つくりは諦めようか、戸も思う。それの方が有益なのかもしれないとも思う。老人だ。最早、心の広がりなぞ、年寄りの冷や水なのだろう。自分一人の満足の方が優先されるべくなのかもしれない。それの方が楽だ。今の世の中は目先が重要で未来なぞどうなろうとかまわない。今の大人や老人はそう思う。若者は自分達は若い、楽しみは老人になってからでは得られない。快楽こそ人生だと言う。土台となる原則なぞ変人のやることだ。よくやるよ。やるなら一人でやればと、嘯いている。でも、と急逝主(救世主)は言う。やらなければ、と。しかし、疲れたな。とも思う。出かけたくないな、と。嵐だし、と。いま迷っている急逝主がいる。
だって、やるとなると、土台から始めなければならない。それには、時間と知恵が必要である。と言うことはかなりの労力と体力が必要である。気が遠くなる。それには覚悟が必要で、勇気が初めである。その気力が今は少ししか、点っていない。それが問題だ(ハム君より)ああああ、やんなちゃた。ああああ、驚いた。
今日は永田町にある鹿児島県東京事務所に行く。文化課に窺ったのだが、先ず郷土のことに対して無知であることである。。驚くことには鹿児島県人が古代のことについてほとんど知らなかったことだ。多分、私は尋ねかったが、観光とか一般的な祭りについては答えられたのでしょうが、少し踏み込んだ話題には答えられない。例えば、隼人についての行いを答えられなかったことだ。別に私はそのことを馬鹿にしているわけではない。観光課は鹿児島の古い伝説・伝承について質問されるとは思っていなかったのだろうが、鹿児島の顔として東京で事務所を開いているなら、詳細が解らなくても一定の対応はして欲しかった。当然、県内では、先生や親子での対話に於けるコミュニケイトが断絶しているだろう。話がごく普通に昔話として語られていないのだ。
県人を代表して東京に事務所を構えているなら、少なくとも私が抱いている疑問くらいは答えて欲しかった。海幸と山幸の話もコノハナヤサクヤ姫とニニギ命が野間半島の笠沙が舞台になっている位は、郷土の代表なのだから、私に説明して欲しかった。残念だが、説明したのは私だったのだ。
3月11日以後の日本人庶民の底力を見たような気がした。でも力は普段の行いの中にあるはずなのだ。親と子が、教師と生徒がもっと文化について対話すべきだと思う。鹿児島の代表者はやはり私みたいな他国人に答えられない体制は問題がある。恥ずかしいと思わなくてはならない。
なお一層、私は古代史のサァクル活動の重要性を感じた。しかし、この国の文化状況は貧弱すぎる。三週間歩いて文化より運動や趣味が優先されすぎている。そのことが全て悪いとは思わないが、偏りすぎている。古代史が特化するのも考え物だが、皆無に近いのは又、困ったものである。それに担当している係り人もそれが当然と考えているのだから、道は遠い。不安だが、時間をかけて仲間作りからはじめなければならないだろう。
古代史を学ぶグルゥプ創りに二週間ほど奔走していて、気持ちを入れて「古代史関係」の本を読めなっかた。
昨日、久さし振リに大林太良・「海の道、海の民」を読ませてもらった。
そこで書かれていたことで興味のあることがあった。
それは野間半島の海人の道についてである。<鑑真和上が上陸したのは、薩摩国阿多郡秋妻屋浦(さつまのくにあたぐんあきめやのうら)であったし、フランシスコ・ザビエルの上陸地は鹿児島であった。又、鑑真も秋妻屋浦から坊津(ぼうのつ)に回ったがこの坊津は中世に於ける代表的な貿易港の一つである。そして、薩摩半島の野間岬(鹿児島・川辺郡笠沙町)には中国の女神・馬祖(まそ)、つまり天后が祀られている。さらに、この野間岬において伝えられっていた高麗島型の伝説は唐土から由来したものと言われている。

馬祖伝承は中国・江南の漁師の伝承で、<ある日、漁場に行った父と兄が遭難する。家で機織(このことは重要である)のさいちゅう、疲れて寝入り、神託を受ける。それは遭難中、父は助かり、兄は死ぬだろう>と言うことだった。娘はそのことを苦に思い海に身を投げて死ぬ。その時娘は<大時化の時には私が霊となって、それを救いたいと思う>と述べた。
漁師は娘を哀れみ、祀って神としたのが「馬祖神話」である。
この話は黒潮の塩の流れによる漂着と漁師の祈りの物語である。

少し、私の独断で補足すると、馬祖の馬は本当は、「女」偏が付く。このことは重要なのである。と言うのは「蜀」に於ける「養蚕神話」と関係があるからである。
「蚕神話」は遅い旅(三年)に出た父親を帰宅させることが出来れば彼の嫁になると、娘は馬と約束をする。しかし、約束を守って帰宅した馬を父親は殺してしまい、家の前の木に革にして吊るす。馬は木の前に娘が来ると、娘をさらい天に昇ると言うものである。
それが蚕の神話である。蚕はよく視ると馬の顔に似ているので「馬祖」と言われたと私は解釈している。

蜀について一言、蜀には「扶桑」伝承や「蜀」の三星堆遺跡によるとその第一の大王は「蚕叢(さんそう)」といい養蚕を推奨したと言われている。「馬祖」との関わりはこの辺にもある。蜀は養蚕の祖と言われている。「扶桑」は日本の象徴でもある。そして、蜀の養蚕神話とほとんど同じ神話が東北地方にある「オシラ信仰」にもあるように、「蜀」と日本・倭の繋がりは深い。長江・黒潮文化の流れはもう少し研究の余地があるように思う。
2011.09.19 戦後史秘話
戦後史の中で、よく吉田茂を戦後史最大の宰相と言う人が多い。彼の功罪は多くあるが、少し罪について少しずつ語って行きたいと思う。先ず、私は彼の独断的な安全保障条約締結を批判したいと思う。講和条約が当時の東京大学総長・南原繁教授らが主張した全面講和を強引に単独講和にと選択したのは、一歩下がって、認めたとしても、彼が講和条約締結後に、安保を吉田単独で調印したのは明らかに越権行為である。そのために日本国民の多くが被害をこうむっているのは事実である。先に、報告した相馬ゲ原事件(ジラァド事件)もそうだが、沖縄が何人そのことで泣いてきたかは周知のことであろう。彼は日本の経済復興を第一の選択基準に選んだと言い。一件、その行為が現在の日本の繁栄を齎した影の功労者と賞賛されている。
しかし、私はそうは考えない。彼は経済の名をとり、日本人としての魂をも売り渡したのである。金融と軍事の国・米国は世界の金融を混乱させ、世界の憲兵と称して多くの人々を殺害してきた。彼等は死の商人として武器を売り一儲けしていたのである。今、米国経済が困窮しているのはそのことが大いに、影響しているのは一目瞭然であろう。
そういう、マッカァサァがのたまった、アングロサクソン的民主主義は金融と人殺し経済のなりの果てではないのか。彼は戦後の思考・いみじくも我々日本人にその民主主義を教え込むことを念願したのである。なんという傲慢さであろうか。吉田茂はその御神託を金儲けの約策と引き換えに了承したのである。
私はドイツやイタリアが一概に正しいとは思わないが、ただ言えることは彼等は自国の魂は売らなっかたと言うことだ。悲しいかなわれわれの施政者は日本の魂を売ってしまったように思う。
今や大人しい日本人ではなく多神教的精神で他国にものを申す、日本人であらなければならないと思う。
その一週間政治に特化して、行き着く結論は日本を衰弱させているのは、金権と欲望の権化・官僚と無能な政治集団・自民党と結託して、改革を潰している本願は仙石由人であるのはほぼ間違いないという結論に達した。小澤一郎を彼が毛嫌いするのは彼が小澤の亜流であるからである。ただ自らの権力の誇示じ全力を傾ける様(さま)は古い自民党体質そのもので、日本国民のことなど少しも考えていない。長妻さんを厚生省の官僚の意向を入れて解職したのは、いい例で、かれの官僚に受け入れられたいという一進からだった。(彼は役人を懐柔するためと言うだろうが、それは言い訳である)本来なら、民主党の主張から判断すべきなのを彼は自分の小さな思惑から大事な本質を切り離す。仙石と言う人はそういう人だ。私は独断的に思っている。民主党を崩壊させる張本人は仙石由人であると。

昨日新宿区役所の教育課へ行き、古代史の生涯学習の確認へ行くと、新宿では扱っていなかった。係員が大久保のレガスへ相談に行くよう指示があったので、今日はレガスへ行ってきたが無駄足だった。レガスもまた、古代史の学集会やってなかった。どうやら、古代史の生涯学習は私自身が起こさなければ、無理であろう。
それにつけても、スポォツ部門はかなり充実しているが、文化部門の古代史は参加者が皆無で、舞踏や俳句、音楽部門は参加者が多かった。この二週間、かなり精力的に古代史の学集会を探したが、結局集会参加者はいないと言うことだ。少しがっかりしている。初めから、集会作りを始めなければならないとなると、気がと浮くなりそうだ。大体、私はリィダァタイプではないので、少々困惑している。
少し費用を使って、大学の講習を受けに行かなければならないかも知れないことを、視野に入れながら、行動するしかないかもしれないな。しんどい、しんどい。気が滅入ってしまう。ガンバだな。
本当は何十倍も「神武東征」について考えていた方が生きがいを感じる。そりゃ一つの項目に悪戦苦闘して苦しむ日が何日もある。暑い、暑いと愚痴を溢(こぼ)しながら、図書館にその資料を探しに通い続ける。しかし、その苦労も苦にはならない。それはその先に、達成感があるからだ。
だが、今の施政者はなにをやっているのか。またぞろ、年金を減らすらしい。財務省は数字合わせで、予算が足りなければ一番取りやすいとこから取る。彼等は僅かな年金で生活する人間にとって千円でも減らされるのは大変なことなのは理解していない。机上の空論(血肉の通わない理論だからそう呼ばせてもらう)なので、そこに痛みが感じられないからだ。例えば、減額するにも、官僚たちが我々の給料も皆、これだけ減額して予算に反映しました。と言えば、少しは(それでも少しである)得心が行く。しかし、自分達は何もせずに、空論のためだけに邁進する。文句も言いたくなるでしょう。あの厚生省が策もなく浪費した年金基金はどうなったのだ。その追求はされたのか、少しでも戻入(れいにゅう)はされたのか。「あれは公共の金なのだぞ」と財務省の税金で生活している連中に言いたくなるではないか。私は以前から、友達には宣言していた。「いいか、絶対に財務省は年金を減額してくる。これは官僚の方程式なのだ」と。
野田政権が財務省の傀儡だと私は当初、話した。これも当たってしまったが、本当は外れて欲しいと祈っていたのだが、方程式はやはり方程式だった。
早く、古代史に集中できる生活がしたい。

もし、野田政権が財務省の傀儡を否定するなら、その証をしめして欲しい。官僚が幼いときから、クイズにちかい勉強を応用して、多岐に観念的な操作を弄ぶのは特技であるのは心すべきであろう。施政者は官僚を使うにはその上をいかな書けばならない。本丸を直接落とすのが難しいなら、先ず外堀を埋める方策が野田さん(敢えて、さん)にあるかないかで、傀儡かそうでないかが決まる。(私には小澤一郎はそれがあると、思っている)多分、野田さんにはないだろう。
今日も古代史の集会を訪ねて、新宿・百人町へ行く。国立博物館の分室である。しかし、生憎、古代史部門は廃止だそうだ。どうやら、生涯学習的な集会を求めることは無理がありそうだ。この暑さは秋近いと言うのになんと言う気候なのだ。例年なら、つくつく法師が鳴いていなければならないのに、今年はその蝉はどこへ行ってしまったのだろうか。蝉の季節感でいえば、先ず初蝉(ニイニイ蝉)が鳴き、八月に入ると油蝉やミンミン蝉が鳴く。そして、九月に入ると、つくつく法師が鳴いて夏が終わるのである。それがこの暑さ、蝉は温度を敏感に感じ、自分の持分を主張するのである。つまり、これこそ異常気象なのであろう。自転車をこぎながら私は狂い始めたサイクルを肌で感じ、なにやら胸騒ぎがしてならない。昔から、人の心の緩みは天災の兆しだと言う。古代ならそれを神の怒りと捉えて、祈り鎮魂するだろうなどと考えながら、自転車を走らせている。
四時帰宅したのだが、まだ暑い。部屋の中は蒸し風呂である。例によって、私はなるべく電気を使わないようにしているため、冷房施設はない。しかし、感覚は正直で暑いものは暑い、水をかぶって涼を取るが、何もする気にならないのには、困りものである。早く秋が来ることを祈るしかないのだろう。
早くこいこい秋の風である。
「夕日で病院が真っ赤だった。ひん死の父に、祖母が<生き返ってくれい>と夢中でお経唱えていた」これは昭和51年の朝日新聞の記事の一部分である。
この頃、私は全国占領軍被害者遺族連合会の補償法制定運動を行っていた。今、なぜかその頃の記憶が蘇えってくるのはどうしたわけだろう。はっきり言うと、その頃は良い思いはなかった。赤貧状態で人間関係も不振そのもので、苦(にが)い思いばかりが浮かび上がってくる。本当は忘れたいぐらいである。しかし、なぜか3・11の震災と愚かな政治情勢が私を過去へ引き戻すした。
生きる緊張感が蘇生されたのだ。震災の庶民のひたむきさに対して政治屋の体たらくに苦言を呈したくなったのである。政治屋の不甲斐なさはあの頃とほとんど変わっていない。政治家O氏の言うように、「政治家は国民以上の人物は出ない」と言う名言は確かなのかもしれない。庶民のひたむきさは実感されるとしても、それは自分のテリトリイの範囲では発現されるが、それが少し外れると庶民もまた、無関心を装う。このよそよそしさが弛緩を生むのだろうと思う。私は緩やかな干渉主義を提唱するのはそれが理由なのだが、まだまだ遠い。今、認識としては実現の素地は確認できたので、私は地道に緩やかな干渉主義を唱え続けようと思う。
2011.09.14 マックの野望
敗戦後、様々な事件があったが、マッカァサァ元帥の言葉に私は深く考えさせられた。
彼は私の独断的な印象で言えば、偏執で独裁的な性格だと思っている。「わしは日本人にアングロサクソンの民主主義を教え込む」とのたまった。勿論、敗戦国の日本に選択の余地はないだろう。それに米国は日本人を良く研究しており、日本人の「倭」を深く理解している。本質的に、寄らば大樹の木的な性向と底の底で従順な性格を見抜いている。ただ、もう一枚めくった裸の日本人は縄文時代からの多神教を見くびっている。私から言わせれば、幾らアングロサクソン的民主主義を吹き込もうと、一神教の思考形態は馴染まない。もし、本当に優れた施政者が敗戦の日本に存在していたら、現在の萎えた日本人ばかりではなかっただろう。そう言う意味ではマックの思惑は成功したと言える。黒幕米人支配層は木偶(くぐつ)である日本人は本音では理解していても、その正否に関係なく「お上」に従うことをはっきりと認識しているのである。私はいつも悲しく思うのは、表の潮流に流されて「本当は違うのだ」と考えているのに、決断力が乏しいため気がつくと、相手の思惑に嵌まっている。そう言う優柔不断な性癖が日本人を駄目にしている。敗戦後の教育制度や生活誘導、たとえば三Kや三Sなどの米国の生活モデルや自由さうに見える性や風俗を映画や喧伝に載せられて模倣しているうちに形だけの人間に育って行く。そうしたマックの目論見は多分、ほぼ成功していたといえる。残念ながら、私達はマックにしてやられたのである。
アングロサクソン的民主主義なぞ糞喰らえだ。私達は太古から染み付いている融和の精神こそ大切に主張すべきなのである。過度な競争意識や優越性は超えなければならないのだ。それらを巻き込む曖昧さこそ我々の本願なのではなかろうか。

追伸を書かなくてはならない。
アングロサクソン的民主主義の行く末は金貸し(金融)と人殺し(軍事)の国に成り代わってしまった。もう、マックの言うことを聞くことは出来ないだろう。
もう、一つ我々は唯一の被爆国である。軽々しく核融合に関する事柄については慎重、いな、拒否の態度を貫かなければならないのに、守銭奴や死の商人たちが寄って集(たか)って、利己的で無責任な行為(自分の身に降りかからないのだから、痛くも痒くもない他人が死のうが生きようが関知しないといった非人間的な態度)がそこには視られる。これは心から許すことが出来ないではないか。念を押して言っておきたい。


都庁の教育課に生涯学習係へ出かける。大体、運動部門が多く。文化と言えば華道とか習字、太極拳と言ったごく平凡な講座しかなかった。係員も古代の見識は皆無で古事記など眼中にないようだ。話していても絶えず視線をそらし落ち着きがない。私が小澤一郎の仁徳天皇の「国見」の話をしても、「国見」とは何ですかと、聞き返すのだが、ニ三分過ぎると忘れていた。
話しているうちに、古代史なぞ学習の範疇に入っていないのであろう。会話に進展がない。仕方がないので早々に引き上げてきたが、感じることは関係講座は、簡単な身体を使う学習には金は出すが、知的な文化には需要がないのか、資金援助はもとより組織創りにも関心がなかったように思えた。
明日はどうしようか、気持ちが萎えてしまう。
鉢呂発言の続報。本当は、前原政調会長の米国での発言、小宮山のタバコ税発言、一川防衛相の素人発言にも辞任要素が多分にあると思っている。しかしそれにはマスゴミは苦言の追及は鈍い。なのに、鉢呂発言については揚げ足取りとも思える執拗な攻撃と鉢呂さんの涙との落差は何なのだろう。何故、鉢呂さんはもっと、留任に固執しないのであろうか。私にはそのほうに関心がある。
私の想像でしかないが、かなり鉢呂攻勢が激しかったのではなかったのではなかったか。特に、表ではなく裏での攻勢のほうが激しかったと思う。マスゴミは其処(そのところ)をも報道すべきなのではないだろうか。報道の仁義から言えば、ぶら下がりでの会話は現場での両人の掲載についての確認が行われるのだそうだ。それが暗黙の掟とされている。それも無視をされている。何か謎めいていて、胡散くさい。
つまり、原子炉発電の停止がその底にあるのは言うまでもありません。多分(マスゴミは明らかにしてくれないのであれ想像でしかないが)Y新聞やS新聞は相当に激しく抗議したのではないだろうか。特にY新聞は日頃から新聞社の根本理論より営業戦略の方が優先する姿勢が濃厚なので、裏では相当活躍したのではないだろうか。
原発停止については、東電の見解には三つの追求しなければならない点があります。①供給に於ける過少評価②需要に於ける過大評価③他の施設による供給の実態などを詳細に報道しなければならない使命があるはずです。しかし、そんなことより自らの陣営の欲望の方が優先されるようです。しきりに、揚げ足取りに虎視眈々として力を注ぎます。なんと醜い姿のでしょう。そして、それを諭す(さとす)有識者の存在もありません。なんと言うバランスの悪い世の中なのでしょうか。
歴史を学ぶ私としましては、これは国が衰退する初めなのだと思うのです。崩壊は少しずつ音もなくやって来て、現実となった時にはもう手遅れなのです。まるで、土砂災害の時間差と似ています。気をつけなくてはいけません。
まあ、暗い話はこれまでとして、以前、「昨日の夢」で短編の練習(書きかけですが)をしていますが、次に習作として考えている創作の一つに少壮議員があります。その創作の構想の中に政(まんどころ)を絡ませようと思っています。それは女性の分野です。古代では政(まんどころ)は占いが大きな要素の一つでした。これは奇を衒(てら)っているのではなく、もっと心の深層に関わる重要な要素です。その女性を具体的にはどういう人を参考にするか、難しいのですが、その印象創りも始めています。そして、少壮議員のモデルもあてがありますが、その資料集めも少々苦労しています。ですが焦ると碌なことがないのは、経験で解っているので、慎重に期すほうが得策と考えています。
暫らくは、戦後史についてブログを書かなかったので、その報告をしようと思います。
1957年(昭和32年)ジラァド事件(群馬県・相馬ヶ原の演習場上の事件)について報告します。全くもって残酷で非情な事件である。
被害者は坂井なかさん(46歳)、加害者はウイリアム・エス・ジラァド三等特技官である。
小野英次さんの証言、「朝、八時頃、家を出た。演習場では女・子供をまじえた八・九十人が、弾(たま)拾いをしていた。米軍は午前中ライフル銃と機関銃の実弾演習をやり、午後一時から空砲射撃に移った。私は二・三人で物見塚の中腹にへばりつき、兵隊に近ずいていた。射撃が終わって、休みになったので、飛び出してゆくと、一人の兵隊が私の前方、七・八米の所に薬莢をばら撒いた。手招きをするので走りよると、横合いから坂井なかさんが飛び出してきました。この時、「ママさん、ママさん」と言ってその兵隊四米ほど前にある壕を指した。私も、壕の方へ行こうとして、ふと兵隊を見ると、銃口が私の方へ向いている。<危ない>と言う思いが一瞬頭を掠めた。慌てて二・三歩駆け出した途端、ブスッと弾が足元を掠めた。振り返ると、兵隊は二発目をこめながら、坂井さんに「壕を出ろ、壕をでろ」と怒鳴った。二・三歩這い出した時、坂井さんは「キヤッ」と言う悲鳴をあげて、動かなくなった。足をやられたのか、気絶したのかと、近寄ってゆすってみたが起きない。背中に少し血がにじんでおり、脈はなかった。兵隊が「負ぶって家へ帰れ」と言うので「もう駄目だ」と手招きをすると、青くなって
衛生兵を呼びに行った。隊長がやってきて、私に時計を見せて「十時半だったか」聞くので「演習中ではない。今やられたのだ」と手招きをすると、慌ててMPを呼びに行った。その時に時計は二時二十分をさしていたから、坂井さんがやられたのは、一時五十分頃だったと思う。麻袋には薬夾が30本程入っていた。」(週刊朝日)

これがジラァド事件の全貌である。
<経過>
地元議員、茜久保重光(社会党)中曽根康弘(自民党)が動く。
事件後、二月五日、第一騎兵師団長エドウイン・カゥズン少将「調査中だが、事故死と断定する」と声明する。

ジラァドの直属上官・モゥホン少尉は「事故が起こったのは実弾演習の行われていた午前中で、実際、自分が被害者の倒れている現場に行ったとき、日本人農夫が被害者の死亡時刻を午前中にするか、午後にするかを相談していた」と事件を歪め始めていた。

二月七日群馬知事あての書簡、カァズン少将は「事件は明らかに自分の安全を無視して、立ち入り禁止区域に入ったために起きた。安全規則を無視した場合、重症、死亡が起こることを県民に徹底させて欲しい」と延べ、問題のすり替えをしている。

米国側の勇気ある証言(林逸夫主任弁護士担当、ニクル三等特技兵の証言
「距離は七・八米から十二米」「薬莢は撒いて呼び寄せている」「立ち撃ちの姿勢で銃を肩に当て坂井なかさんを狙って撃った」「犯行後は距離を長く見せるため、発砲地点近くにあった機関銃を遠くに移した」と坂井さんに有利な証言をしている。(余計な心配かも知れませんが、私はニクルさんはその後、不利な立場に陥らなかったか心配でした。しかし、その後の消息はつかめなかった)

前橋地裁・事件が結審。十一月五日。裁判長・河内雄三。(私はこの人を軽蔑している)
懲役三年執行猶予四年。
これは日米行政協定17条による不平等裁判の典型である。
確かに、鉢呂大臣の暴言は精懲りもなく子供じゃないとも思うが、さて、何やらきな臭い思いも臭ってくる。それは原子炉電力の廃止発言が関係しているのは間違いないだろう。大臣は廃止論者なのだから、発言に注意して欲しかった。報官謀略機関は虎視眈々と鉢呂大臣の辞職を狙っていたに違いないのだ。問題は利権なのだ。それ程、この組織は利権のしがらみが強いと言うことでしょう。全く、守銭奴の集合団体としては腐りきっている。要するに、我々を愚弄しているのだ。大体、この手の知識人と言う人種は想像力も痛みも持ち合わせていない、身体を傷つけても少しも痛みを感じない無感覚症なのだ。
この大変な不況の時期に、自分達のお利害だけに終始しているマスゴミは、ご主人様の言いつけに忠実に従っている知性の欠片(かけら)もない木偶(でく)の坊集団と言えるのだが、もうそろそろ眼を覚まして対極観にたってものを申して欲しいものである。無理か。これを克服するのはかなり重層的な力が必要なので、緩みきった世の中を変えることのほうが先なのだが、これも堂々巡りで打つ手なしと言うことかもしれない。やけっぱちにもうどうにもなれ、といった心境である。私はもう、生きている期間が少ない、マスゴミに習って自分の利益に終始するのが得策なのだろう。本当は、若い人が若さに任せて無謀に行動して欲しい。極度に出過ぎれば、それこそ老人の出番で忠告の一つもたれようと言うものだ。
私は言いたい。「くたばってしまえ、お利口な若者達」贈る言葉だ。
2011.09.12 意外な協力
私に仕事の協力を依頼していた宮部さんから電話があって、私が今、奔走している古代史の学習会の設立の営業部分の助力を申し出てくれた。まだ、不況で仕事の受注が少なく収入も減収となっているはずだから、私への協力も厳しいはずなのに本当にあり難いことである。
その申し出に奮起して、なお一層の努力をしなければと思った。あり難い事だ。
北新宿の鎧神社のお祭りです。早速行ってまいりました。小さな神社で幅十米程で奥行きも五十米あるだろうか、出店も十軒を数えられるくらいである。祭神は日本尊命、大国主命、少御彦名命等で出雲系の神社である。
お神楽の笛の音につられて、御お参りに行って来ましたが、縁日にしては人影もまばらで寂しい縁日です。
嘗て、私は浜田山の八幡神社(祭神は神功皇后、応神天皇それに大姫を祭っていました)の秋祭りを経験していますが、それは勇壮で神輿(みこし)なぞはお布施の少ない家の垣根などはぶち壊して行ったものです。縁日も出店は二十軒はくだらなかったと思います。それに比べればまるで去勢された猫のようにおとなしい神輿で、祭りと言うよりお祭りのサンプルと言った風情です。
私は何時も思うのですが、いつから日本人は去勢されたように大人しくなってしまったのでしょうか。勿論、諏訪の御柱祭のように死人が出ると、考えてしまいますが、多少の乱暴狼藉は許せないものではないでしょうか。何かよそよそしく、他人の顔色を窺っている訴訟世界の臭いがして、日本人らしくないと思われるのですが、もっと思い切って暴れ回ったらどうでしょうか。後は法律ではなく道徳で判断して欲しいくらいです。近所付き合や緩やかな干渉主義がぎすぎすした争いを緩和する方が楽しい生活環境が生まれるような気がします。
生き生きとしたお祭りの雰囲気が懐かしく、少し愚痴をこぼして見ました。
2011.09.11 予想外の展開
先週は古代史の懇談会つくりに奔走しました。これが歴史ブウムとは裏腹に公共の集会も団体も思ったほど少ないのに驚いた。一日中は走り回って、それらしい集会にあったのは一二件である。まして、私が考えていた神武東征なり国生みから神武天皇に興味を持っている人の少ないことは予想を遙かに超えました。いささか疲れました。今週もそのことで行動しなければならないと思うと暗い気持ちになります。
それを理由にしてはいけないのでしょうが、図書館通いが止まってしまいました。一日中、徒労な会話をつずけて帰宅すると、何もする気が起こらず、暫し、ぼううっとしています。
そんな時、励ましのコメントを戴くと、大変、励みになります。私は数年以内に研究(と言えるか疑問ですが)の成果を公にすると、公言してしまいました。この三十年間、そうですシナリオを書いていた頃、挫折して全てを放棄してから、意識して「書く」と言う行為をも放棄してしまった愚行を冒してしまったので、大変です。そこで考え付いたのが、このブログを利用して、「書く」練習をすることです。怠け者の私は何かそれに付いての足かせが必要なので、思い付いたのが「公言」です。他人に表立って宣言してしまえば、遣らざるをえない環境が出来ます。皆さんには大変、失礼とは思いましたが、その手を使わせてもらったのです。今のところ、うまく行っているようです。意志薄弱な私なので、時々声をかけてやってください。お願いします。
本当に、六十の手習いは大変です。
政治の流れが少し変わりつつあるのと、この暑さで主題である「神武東征」に集中することが出来ないでいる。そして、もう一つ古代史の生涯学習の教室を開拓しようと走れ回っていることもあって、自宅に着くと複雑な思考にスイッチが入らないでいる。
そこで何故、私はこんなに神話に付いて興味が沸き起こるのか考えてみた。それの方が楽に思考回路が回るようにおもえたからである。
元から、映画を志向していた時からブニュエルやベルイマン(特に、野いちごの冒頭の場面_イサクが棺おけに入れられて無人の町に投げ出されるところ)アラン・レネ、河辺和夫の冒頭部分_不良少年達がビルの屋上で戯れている場面を望遠で俯瞰する非常に不安定な場面。勅使河原宏(特に、砂の女)や安倍公房の作品が好きであったこともある。勿論、カフカや島尾敏雄も加えなければならない。新劇ではピランデルロウ、イヨネスコ、オウルビイそしてベケット_ゴドゥを待ちながらは、さながら、カフカの「城」を思わせます_。絵画もムンクの少女期や叫び、ダリの諸作品、ゴウガン、レンブラントなどを好んで見ていたから、シュゥルレアリスムに興味があったことも原因の一つであったのでしょう。だから、フロイドの夢判断なんかも読んだような気がする。その延長でユングに出会い、ユングの神話漁りに影響を受けていたようにも思う。同時に、何でか解らないが、シュリィマンの「神話は史実が根底にある」と言う革命的な証言を読んで、何処か心の片隅に仕舞い込んでいたのだと思う。
それが友達の助言で戦後史から古代史に移行する段階で嵌まったと言える。そう考えてみると、強ち(あながち)、私が古代神話に傾注するのは理由のないことではないのかもしれない。だからこそ、集中できるのだとしたら、今までやって来たこともそれ程無駄ではなかったのだろうとも思う。
今更、自己分析もないだろうが、余興に少し考えてみた。
「阿蘇山は約百万年前に大爆発を起こして、現在の九州をつくったといわれているの。このときにできた山は富士山よりも高かったと考えられているわよ。それから、約三十万年前から八万年前あたりまでに、合計四回の大爆発を起こし、阿蘇山の山頂を吹き飛ばしてしまったの。そして、その間、小噴火は数知れず、約一万年前ぐらいにげんざいの中岳やカルデラがつくられたと地質学者たちはかんがえているわ。その後も休むことなく噴煙を上げ続け、記録に残っていない小爆発は数知れずおこっているとおもわれているの
久し振りに、倫理講座などを聞いたが、大変興味深く聞きました。今回の主題は「神仏習合」であった。新しい文化を古い文化が受け入れる素地をアニミズムに置いていた。神信仰と仏教、能と狂言、新劇と歌舞伎など見事に新旧の文化が融合されていると説いている。これは世界宗教(キリスト教、回教、仏教)の一神教と異なり、多神教がその根底にあるとする。民俗宗教とも自然宗教とも言われるアニミズムは、あらゆる存在に霊魂が宿っているとする宗教は一神教から言わせると下級宗教とされるが、その傲慢さが今の世界を行き詰まらせているのではないか。アニミズムには対話と平等意識が根底にあり、生産性は少し落ちるが、話し合いの平和主義がある。私はそこに素晴らしい思想を見る。既に、過当な競争主義は終わりを告げ、足元を踏み固める内向きの思想が必要になっている。私は倫理講座を聞きながら、そんなことを考えていた。
その小説の主人公は少壮国会議員である。小利口で弁も立つおまけに気取ったタレントに似ている。ただ、精神年齢が多少低い。多分、小学校高年齢か、高校生といったところだろう。彼は背が高く、何時も白いスウツに咥えタバコ、賭け事にも、喧嘩にも強い青春やくざに憧れている。カッコいいのだ。競馬や競輪何でもこなすが、彼が凄いのは花札賭博である。賭場に出入りしているが、負けたことがない。所謂、何時も勝ち逃げなのだ。それが許されるのは、彼の後ろには巨大なやくざ組織の親分が付いていて、謂わば虎の威を借る狐なのだ。だが、彼はその組の若頭白いスウツの組長に憧れているのだ。理由なぞない、ただカッコいいのだ。
彼には自分が生まれた国が青山、澄み切った清流に恵まれ太古より続いた民俗の素晴らしさなぞ見向きもせず、西洋の他人ことの考え方に恋焦がれている、まあ言ってみれば非常に幼い思想の持ち主なのだが、悲しいかなその取り巻きも誇りも伝統も失った空っぽな人間たちなので、彼等の関係はうまく言っている。しかし、うまく言っているのは今のうちで、想像力のない彼はいつも現実しか見ない。彼等の口癖は今がよければそれでいいのだ。と言う。恐慌だって地震だって怖くない。だって、今、実際にそれらは来ていないのだからと嘯く。キリギリスはやはり、キリギリスなのだ。
やくざが賭博と言うあぶく銭と暴力と言う腕力にものを言わせて、組を繁栄させているのに、その繁栄だけに眼が行って、自分の行く末を本当に考えていない哀れな人間の生き方を作者は思い浮かべながら今筆を執っている最中である。
多分面白くない物語が出来あがるだろうな。そう思う。

政治の政はまつりごとと読みます。つまり、太古から「まつりごと」は占いと一体であったのです。現代でも政治家が占いでその指針を決めることがあるのですが、おおぴらには其のことが表に出ることはありません。しかし、政治家が占いに頼ることが無きにしも非ずと、言うことも視野に入れるのも考えておいた方がいいかもしれません。
基地問題で言うと。アメリカが一番恐れているのは、基地問題で住民運動が拡大するのを恐れているのは過去を見ればはっきりしている。しかし、アメリカは日本が倭であることを見切っている。「倭」とは従順でお上に弱い単純な国民で大切なことでも行動は起こさないアホは民族ばと考えているからだ。その点では戦後の占領政策でうまく利用している。そして、執拗なアングロサクソンは様々な法律を日本議員に作らせて、完璧にお馬鹿な日本人を作ってしまった。それも平和主義と言った詭弁で隠しおおせた。本質的には暴力は抵抗権として、のこさなければならない、ぎりぎりの権利なはずです。それを平和主義の美辞麗句で騙しおおせたの天晴れと言いたい。戦後の日本の政治屋は経済主義をお題目のように誇っているが、反対に失ったことも多いとは考えていない。いや、はじめにそのことも頭の片隅で考え、対策をこうじていなければならなかったのだ。日本の政治家の限界はそこにあったのだ。その伝統は今も引き継がれていて、愚かな日本人をますます増やして行くのにノンノンとしている。いやはや。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。