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本当は面白い展開を考えているのに、状況展開や性格描写なんかが話の面白さを疎外してしまう。時々、荒筋を話して構成を暴露してしまいたい衝動に駆られる。私は語るほうが性に合っているような気がする。
佐伯警部には古き日本人のよさと反抗精神と柔軟な部下思いを託したいと思っているのですが、小説の筋がそれを邪魔する、それで苛々するのだ。
これからの展開を話すと、絶対に相手を面白がらせる自信はあるが、小説となるとそうはいかない。ディティルがの描写がそれを邪魔をする。うまく行かないものだ。先ずは気長に書き続くしか仕方がないのだろう。気を入れて書こうと思う。

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2011.11.29 創作9
四谷署には捜査本部より協力の依頼が入っていた。四谷署から出向いたのは捜査一課・村上伸夫係長であった。四角いがっしりとした体躯で肩を揺すりながらやってきた。
「署長がお待ちかけです」
「恐縮です。ご案内をお願いします」
鳥居は敬礼をしながら、素早く挙げた手を下ろした。
一階受付を廊下を直進すれば、奥の一室が署長室であった。四谷署署長・橋本潤一警視は40歳半ばであろうか、長身痩躯の男でかぎ鼻の整った顔つきの男である。ゆっくりと立ち上がると、軽く敬礼をした。
「この度は誠にお世話になります。感謝しております」
「お互い様です。当署でもご協力願うこともありましょう」
鳥居はそれには答えられずに口を閉ざしていると、署長は話を続けて言った。
「村上警部が説明します。警部と打ち合わせて下さい」
促すように署長は村上警部に視線を移す、村上はそれに応えた。
「では、会議室にご案内します」
鳥居と若水刑事は敬礼をして、村上の後に従った。
捜査一課係長は二人の刑事を会議室に招じると、二人の前に席を引いて、二人にも席を勧める。
「直ぐに担当の刑事を呼びます。その前に、下高井戸署の山上刑事からお電話です。その電話でお話下さい。ボタンの0を押せば外線に繋がります」
鳥居警部は下高井戸署へ電話をして、山上警部に繋ぐと、案の定、菊池刑事が情報収集のため来署が遅れると言う報告である。勿論、他署の手前、すぐに来署するように叱責するが菊池の常套手段で、彼は捜査の前には必ず情報収集をするのである。大体がインタ~ネットでのものであるが、納得がいかないと資料室で確認作業をするのは常套手段であった。しかし、これは下高井戸署の特殊な事情で他署には理解されない事であった。
下高井戸署の佐伯課長は名物課長で、現場主義を貫き、出世より現場捜査が信念で、そのためには上司の反対も辞さなかった。部下が課長に指示に従っている限りは現場に役立つ行為は最後までかばった。菊池が多少、常識を超えてた捜査に集中できるのは、佐伯警部の後押しがあるからだ。
通常は警察と言うものは、上意下達で上官の命令は絶対服従が原則ある。下高井戸署は特殊なのだが、それを説明しても理解を超えている、仕方なく考え出したのが通常の規範にあわせて納得をしてもらうことだった。
「申し訳がありません。菊池刑事が何らかの情報を掴んだようなので、少々、遅れると言うことです。ご容赦願います」
村上警部は一瞬目を見張ったが「そうですか」と応えた。
停滞している経済情勢は人々を不安にしているのは言うまでもありません。27日の大阪府、知事選挙は大阪維新の会が圧勝しました。とりあえず私は是とします。橋下氏の政策にほぼ賛成はしますが、ただ橋下氏には危険な要素がないわけでもない。彼の強気な、はっきりとした意見が支持されているのだとは思うのだが、人々の深層心理には長く続く停滞感へからの諦め感が彼に英雄的な輝きを幻想しているのだと思う。
私は今の中央政治には期待が出来ないので、地方から政治が変わってくるのは賛成だが大事なのは、自主的な支持であって、他人任せの支持であってはならないのです。自らの判断で確認することが肝腎です。英雄待望の雰囲気は非常に危険です。自分の手で触って確かめるべきです。
大阪府、知事選挙の大まかな感想です。
2011.11.27 古代の言葉1
「盛り塩」
嘗て、スサノオは高天原を追われて、村人の家へ笠と蓑をつけて宿を求めるが断られる。それとは反対に、村人は海からやってくる神・客人(まろうど)を幸を齎すものとして希求する信仰がある。それは、海辺で塩を作る老人が正月に塩を門付けして祝品を貰う風習に転じ、子供が正月に同じく塩をもって行き、祝いものを貰う風習を呼ぶ。(お歳玉の起源であろう)
また、それは商売人が商売繁盛を願って「盛り塩」をする習慣に連なる。

正月にも、日本人の信仰の根がここにもあるが、その精神が失われることは善いことではない。魂の喪失は災いの起源でもあるのだ。風習は形ではなく、精神なのである。いや、信仰と言っていいかもしれない。この喪失の時代に私達は深くそのことの意味を考えてもいいようである。
2011.11.25 古代の言葉
古代史を学ぶ中で中心になる言葉にはいくつかありますが、今日は国(地・くに)について考えてみようと思います。
古代で「国」を決める要素は産土(うぶすな)と戸喫(へぐい)だと思います。
「国」は古代では土地と表現します。「地」が国の意味です。そこで「地」の意味ですが、私は「産土」(うぶすな)が関係していると思います。
産土とは、昔はお産をする時、小屋を立て、そこに先ず、土や砂を撒き、その上に藁しべを置くそして茣蓙(ござ)や筵(むしろ)を重ねて、妊婦は腰に藁の束を巻いて、布団に凭(もた)れて蹲踞し、綱を握りながら子を産みます。そして、産婦が変わるごとに土と藁を入れ替えたと言います。その地(砂)を<うぶすな>と言った。
そのミアレ(出産)は創生を意味し、地(くに)の創世に転化される。地とは生み出すとこの意味も含んでいる。

元々、産小屋は一回終われば小屋には火をかけたと言います。(コノハナサクヤ姫が子供を生むとき、土室(つちむろ)をたて、火を放って子供を生んだと古事記は記しています)

さて、戸喫(へぐい)ですが、イザナミ(妻)をイザナギ(夫)が黄泉から国へ戻ってやり直そうと頼んだ時、妻はこの国の食べ物を口にしたので帰れない。と、答えます。食べ物と国(地)は、人と自然の循環・・・「掟」に拘束されると言っています。地(くに)の食べ物を食べた人こそ原住民なのです。つまりその国の人間と言うわけです。

地(くに)とは子を生むという宇宙原理と自然の摂理が染み付いた逃れられない掟がその根底に横たわっているのです。私はそこに、ユングが言う集合的無意識と社会的DNA(意識の連続性)を感じます。
国(地・くに)とはそう言う意味ではないでしょう。

意識の連続性から言いますと、その作用は縄文時代が一万年の月日を経過していて、弥生時代から現代まで足しても十分お釣りがくるぐらい自然や人間関係との関わりが多い。DNAと環境との作用と反作用を繰り返すDNA形成は縄文時代に日本人のDNAが確立したと言っても過言ではないでしょう。それなのに縄文に関する研究は少なすぎると思う。我々はもう少し縄文時代への関心を持ってもいいような気がしてならない。
地震がまた増えてきた。なにやら、心に漣(さざなみ)が震えてる。
以前にも、書いたと思いますが、大化の改新前夜には、地震が起こり異常気象が続いた。大化の改新とは文化の大きな変革です。世情が大変不安定で人心は拡散しています。つまり、落ち着きがなく、自立性を失い、何かにすがりつこうと思っているのです。社内のリストラかもしれません。いや、もう失業して就職が困難になって将来に不安を実感しているのかもしれません。地震や異常気象で作物の不作に生活設計を失っているのかも知れません。またぞろ、中小企業で仕事量が減少して資金繰りに困窮しているのかもしれません。何か暗い影が背後にまでやって来て、弱きもの達に襲い掛かっているともいえます。

多分、蘇我入鹿の首が宙に飛んだ時、暗雲が立ち上ったのです。私見ですが、蘇我氏は政治の正道を歩んでいたのだと思います。律令制度は聖徳太子と蘇我氏との連携で順調に改革が進んでいた。しかし、中臣鎌足と中大兄皇子(多分、鎌足・30歳代、皇子20歳を考えると鎌足が謀略に皇子を乗せたのでしょう。天皇・皇極天皇はその改革は知らなかった)は論理ではなく、暴力で(ごり押し)で入鹿暗殺を実行したのです。ですから、中王兄は新羅侵攻が失敗して3年しか政権を維持することなく終えています。
なぜか、その状態に今は似ています。その後も政情不安は続きますが、そこに現れたのが藤原不比等です。彼の謀略政治と外戚(天皇に同族の女を嫁がせて権力を握ること)、犬養三千代(文武天皇の養育係)を久農王から寝取って妾にして権力を拡大した。それらは密かに裏で着々と行われ表面化するときは既に後戻りできない基盤を作っていたのです。

何やら、現代の風潮に似ているではありませんか。我々はそこの処を見抜かなければなりません。悪代官は着々と蜘蛛の糸を張り巡らせています。藤原時代を阻止するためにも我々は賢くならなければならないのです。

私は3月11日以来、何やら胸騒ぎがしてならないのです。それが再度の災害なのか傾国の兆しなのかは解りません。でも、明らかにマルスが天から降りてくるような予感がしてならないのです。
文化放送の大竹・東国原対談を聞いていて、興味ある事柄があったので感想ともども話してみたいと思います。
一つはオバマ・野田会談が終わった後、オバマは野田に「日本は中国に付くのか、米国に付くのか」と囁いたそうです。
もう一つは、20年前、米国の年次改革要望書で内需拡大を求め、そのため公共事業が開始され、つもり積もった赤字が1000兆円に膨れ上がったという談話が語られた。
これで解ることは、日本の施政者は国民より米国の年次要望が先で、国策としての主体性は皆無だったと言えるのです。今年の米国議会を見ていると、米国は財政赤字を解消するより、大統領選挙にしか目が向いていないように見える。国防費も改革する様子も見えないので、このまま米国経済は変わることなく進むでしょう。
オバマは250万の雇用を確保すると宣言してます。今の国内経済を向上させる要素が見つからないのだから、海外へそれを求めるでしょう。韓国がその煽りを食らって苦しんでいるように、雇用市場を開放すれば、日本にもその波は押し寄せるでしょう。そして、保険も日本の市場を荒らすでしょう。(ガン保険がそうで、今は規制があるのでこの程度で済んでいますが、あの大資本をバックに日本の皆保険はどうなるのでしょう。なし崩しに制度改悪に傾かないとは誰が言えましょう)
日本の財政赤字も多少は米国にも責任があると思いますが、蛙の面にしょんべんで知らぬ顔の反米(しゃれです)です。どうやら、TPPもきな臭いにおいがしないでもありまん。心して、熟慮が必要です。
対談を聞きながら、暗い気持ちになったのは思い過ごしでしょうか。

そうだもう一つ思い出しました。あの「大店法」は地方の商店を圧迫して、商店の火を消してしまったのも忘れてはなりません。あの国の要望を聞いていると碌なことがないような気がしまう。
公園で椅子に座っていたら、三歳位の女の子が近ずいてきた。しきりに草花を指差す。そこには露草が鮮やかな青い花弁を開いていた。私がそれを取って渡すと、笑った顔が五、六年前に可愛いがっていたアズ(梓希)に似ていたので懐かしさがこみ上げてきた。
アズは癇の強い子だったが、不思議と私には懐いて、よく公園に連れて行ったものである。今時の子は人にも自然にもあまり興味を示さない。アズもブランコとか滑り台しか遊ばない子でした。私はタンポポの綿を取り上げ、吹き飛ばしたり、アゲハチョウを山椒の木の側で待ち受けたり(アゲハの幼虫は柑橘類の葉しか食べない)自然の営みを実感させたのが、面白かったのか、私に催促して公園に誘ってきた。その後、目白や鶯、アオジ、ホオジロなどの野鳥を教えると珍しいのかそれらの姿を追うようになった。勿論、鳥はその鳴く声は違うが、アズも聞き分けられるようになった。そうすると、図鑑などを紐解き、野鳥の自然色が気に入ったのかしきりに細かい観察眼が出てきて私との会話も深くなったような気がする。
そんなアズが私は可愛く思い、駄菓子やでママに内緒の無駄使いをしたものである。見つかればひどく叱られるのだが、子供はそんなスリルがたまらないのか、ママに隠れてよく駄菓子やに行ったものである。余程楽しいのか、アズは嬉々として振舞うのが私も嬉しく、つい秘密の買い食いを続けたものだった。
公園でその子を眺めながら、私はアズの顔を思い出して懐かしく思った。もうアズも小学生になったと思う。
まだ学生の頃、学級委員で嫌な奴がいた。自分の意見が通らないので、教員室に行って先生に自分の主張を披瀝する。そこには権威を笠に来て自分の意見を通そうと思惑があるのだが、それが教員にとって都合のいいものだと、教員は、児童の自主性を尊ぶ精神の促進といったお題目があるため、表立って学級委員のために動けないので、陰に回って画策してしまう。その嫌な奴はそこが狙いだったので、快哉を叫ぶ。

当然、我々はそいつを信用なんかしないが、大人の画策には負けてしまい、嫌な奴の施策に従わざるを得なくなる。つまり、彼は生徒同志の信頼感を壊しただけでなく、自分の意見をごり押ししたことになる。そのことは、教員はきちんと認識していて、事ある時には、その代表者をうまく使おうと腹の中にしまう。
こんなクラスがうまく行くわけがなく。他人から観れば平穏に見えても、中は脆いため困難な事件が起これば容易に崩壊してしまう。狐はそんな時うまく立ち回り、安全な所に逃げ込んでしまう。損をするのはいつも弱い立場のアホナ我々なのである。そんな経験を私も、また何度かくり返していた。
その時、仲間同志の結束がいかに大切か思い知らされるのだが、結束とはそれ程容易な行為ではなく、結局うやむやになって元に戻ってしまう。
狡賢い奴等はそのことを十分に認識していて、ほくそ笑みながら、物事を決めてゆく。

冬の日の、温もり檸檬、破裂さす。・・・・偽、梶井基次郎
俳句を一句。

人恋し、待つ身の秋(とき)は、胸騒ぎ

陽が暮れて、冷気が西の端からやって来て少々感傷的になってきた。ふと、雑誌を手に取ると、バベルの塔の記事が載っていました。もう、30年前ユングの神話についての著作を読んでいて、ギリシャや中国、新・旧聖書を読んだものです。不思議とその時は、「古事記」「日本書紀」は眼中にありませんでした。記憶を辿れば、山姥伝承やお伽草子などには興味を示したと思います。
聖書は面白く、「アダムとイブ」「ソドムとゴムラ」「ノアの箱船」「黙示録」などを記憶しています。勿論、聖書を宗教書として読んだのではなく、あくまで神話として理解していたようです。その後、マヤやインデアン、アフリカの神話にも手を出したはずですが、あまり覚えてはいません。
今考えると、その時の知識が現在の遺産として残っていたのかもしれません。はっきり言えることは、ユングの「元型」や「集合的無意識」は私の考え方の原点の一つだと思っています。

歳なのでしょうね。回顧が日々駆け回ってきて、本当に走馬灯のようです。自分でも驚くほど次々に過去の記憶が蘇(よみが)へってきます。歳をとると、記憶が減退すると言うのは、多分、俗説のような気がします。それほど頭の中は意気軒高です。
私はパソコンを設定してもらった時から、なるべく一日に一度パソコンに向かおうと決めていた。このところ、久米氏の資料を中野中央図書館に依頼した関係から、お勉強に支障をきたしています。そこで、昔、読んだ大化の改新の周辺を読み返しています。意識的に読んだわけではないのですが、再読すると、目が覚めたように物事の理解が深まって行くことが解る。勿論、神武東征の主題に添っているつもりです。八世紀の初旬は「古事記」「日本書紀」の編纂の前後なので、後々詳しく読もうとは思っていました。読み返すと、やはり、古代史を言えども現代と連なっているのが解ります。
また、一段と内容が膨らんで行くようで、嬉しくなります。勿論、専門家になるには遅すぎ、好事家の域をでないでしょうが、愚かな老人の生きがいは出来たようです。今、藤原氏の四摂家(南家、北家、式家、京家)のうち北家が残り、近衛、一条、二条、九条、鷹司が北家を継続して現代に連なる。藤原家がこうして、外戚を手段として現代まで影響を与えているのは理解を超えていました。くどいようですが、谷川健一教授に言う「縄文からの意識の連続性」は綿々として歴史に生きてるのを目のあたりにして、なぜか意欲が益々燃え上がります。

正直に言うと、神武東征を手がけた時は、戦後史の参考領域の域を出ていなかったし、多少のためらいがありました。私は遠まわりしているような気がしたからです。しかし、今は、「意識の連続性」を実感しています。老人の新たな嬉しい発見です。いつ命が尽きるかはわかりませんが、行き着くとこまで行くつもりです。
40年へて、物を書こうなどとは愚かしい行為と思いますが、今や世間の目を気にしている余裕はありません。突き進みます。
リハビリ宣言ですね。
2011.11.20 官僚制の続編
「扶桑略記」「日本書紀」(斎明紀より)
<空中に竜を乗るものがいた。その姿は「唐人」に似て青い笠をかぶり、葛城山から生駒山に飛び、さらに住吉の松の木の上から西へ向かって去っていった。人々はこれを見て蘇我豊浦大臣だと噂した>

乙巳の変で古人大兄皇子が蘇我入鹿の暗殺を見て「韓人が入鹿を殺した」と言った。「日本書紀」

この二つの記述から、蘇我入鹿は「唐人」と述べられ、巳乙の変の暗殺者は「韓人」と表現されている。
「韓人」はそこには中大兄皇子と中臣鎌足しかいない。概ね、鎌足は百済系渡来人とされる。しかし、入鹿の首をはねたのは中大兄と言われているから、「韓人」は皇子を指していると思われる。と、すると皇子もまた、百済系の渡来人と言えるだろう。
問題は入鹿が「唐人」と記されていることである。蘇我氏は従来から、先住民族ではないかといわれているのだが、これによると、入鹿は中国人との疑いも出てきた。(私は江南族だと思う)
これらの説を正しいと仮定すると、大化の改新が「韓」と「唐」の勢力争いで百済系が江南系に打ち勝ったと言う説も成り立つ。これは考えようによっては、思想争いであると言える。極端に言えば儒教精神が道鏡精神を駆逐したと言う仮説も成り立つ。神武天皇が江南族でその中国思想が大化の改新で韓国思想に改宗されたとして、その頂点が天智天皇であると言うのも、強(あなが)ち穿(うが)った説とも言えないであろう。

江南思想とは、末子相続、文身、鵜飼の習俗、近親相姦の受容など。朝鮮思想は、長子相続、文身・鵜飼は少ない、近親相姦は禁忌。、であり考え方に相当の隔たりがある。
関裕二の「藤原氏の正体」を読みました。
私は彼の作品は何冊か読みました。その印象はエピソ~ドは面白く、多様性に飛んで考えさせることも多いが、結論は一人よがりで、創作に近いと映りました。
しかし、「藤原氏の正体」は作家と素材に真実性があって、緊張感が感じられた。
藤原氏と先住地方豪族との葛藤は、百済・独裁渡来民族と縄文系多神教民族の戦いの歴史として捕らえる。
藤原鎌足に始まり、不比等、藤原北家(近衛、一条、九条、鷹司家に分家)の官僚制、天皇への外戚から、摂政・関白政治を語り、それが明治の官僚制に繋がったと結論ずける。私は久し振りに「関作品」に快哉を叫んだ。
私は谷川健一の「縄文からの意識の連続性」が日本文化の基低であると考えてきました。そこにアニミズムを見ます。それは島国の偏狭さと言われていますが、私はそれこそ偏狭な見解だと思います。私は縄文人の宇宙観、謂わば仏教感に近い発想であると思います。恵まれた国土(地・つち・くに)から発想される豊かさの思想がと断定してもいいと思います。
それが大陸からやって来た、戦いを背負った民族、多分、その始原は遊牧民族の食料(生命)をかけた戦いを余儀なくされた弱肉強食民族と縄文融和民族との闘争の歴史であったと考えられます。
喧嘩に明け暮れた民族が融和で協調を掟とした民族を征服するのは時間の問題でした。しかし、先住民族は地(くに)を守るために命を懸けますそれは渡来民族が考えた異常な抵抗力であったのです。
藤原氏が百済系渡来民族であったのはほぼ確実でしょう。その藤原氏が武力に限界を感じたのはこれらの先住民族のしぶとい抵抗からの戦略転換であったはずです。
彼等が考えた日本的に対する戦略は、外戚(天皇への閨閥)と謀略です。「日本書紀」にはその謀略の数々が書かれています。
関裕二はそれが日本の官僚制の根底にあると論破します。私は関理論に何時も疑問視をつけていたのですが、この考えには賛成票を一票投じたいと考えます。卓見だと思うからです。

何とはなしに図書館からかりて読んだのですが、手元において読む保存本としたいと思っています。
神田川の清流の両岸には、黄金の絨毯が敷き詰められ、風のそよぎは心地よい。
川の堤の頂上は八幡神社が顕現し、そこから眺められる光景は田園そのもので、なぜか遠い昔思い出されて、懐かしさがこみ上げてくる。優しい気持ちになりながら、そこに佇むと祭囃子の笛や太鼓が聞こえてくよような感じになって、無性に涙が流れてとめどもない。
神田川の源は井の頭公園の池で、今、水は濁り、ブラックバスが繁殖して異様だが、かつては澄水(せいすい)にウグイやハヤが泳ぎ、夏には蛍が怪しげな光りを振りまいていた。
その頃、私は(13歳)新聞配達をしていて、日曜には神田川で遊びまくり、小川の畦を壊して百姓さんに追い掛け回されたものです。夏はフルチン(全裸)で神社のしたの溜まり(川が大きく蛇行する曲がり角)に唇を紫にして泳ぎまくったものです。秋、稲の収穫祭である祭りの笛や太鼓に誘われて、神社の境内まで走っていったことをはっきりと思い出します。
境内の両側には、夜店の屋台が林立し、香具師のだみ声が響き渡ります。烏賊や甘酸っぱい杏の香りが立ち込める屋台はなぜか心を浮き立たせて駆け出したくなったのを思い出します。拝殿の横にしつけられた舞台には神楽や演芸が華やかに興じられ、あの雑踏は日本人の血を沸きたてます。
今、祭りは去勢されてしまい、大人しいと言おうか、形式的な振る舞いといおうか真に味気ない。祭りはもっと荒あらしく友いいのではないか、と思う.

浜田山は私の生まれ故郷です。歌の文句ではないですが、「良いことのなかった町です」
しかし、大変懐かしい故郷であることには違いありません。私の思い出の中の浜田山は美しい町でした。特に、神社の高台から神田川を眺める景観は素晴らしいものです。
今度、小説を書こうと思ったのにはニ三のきっかけがありましたが、その一つは浜田山の美しさを消し去った何者かへの怨念があったと思います。多分、創作のテ~マのそこにはそうした深層意識が働いたのではないでしょうか。勿論、この推理小説は書くことの練習のために思いついたのですが、書き始めると、これを書き終わったら、もう一度、推敲して本格的に書き直そうとは考え始めました。
浜田山の八幡神社はその意味で「氷川神社」に変えて見たのは「怨念」が主題にあるからです。出雲の大和に対する「怨念」は国津神の天津神に対する「怨念」でしょう。その象徴がスサノウ命なのですが、スサノウは中途半端な神で宿命を背負った神でもあります。苦悩の神とも言え、「氷川神社」がスサノウを祭神にしているのは神々への「根源的な恨み」シジオスのように永久に到達にない目的を背負わされているのかもしれません。
スサノウが天から最初に地へ降りたところが出雲の川上で、そこが「簸の川(氷の川)」です。八俣のオロチ退治はここで行われたのです。氷川神社の由来はその出雲から出ています。
「簸の川」は砂鉄が取れる川で水の色は赤い。多分、そこにはタタラ場があるはずです。

出雲は先住民族の源郷かもしれません。大和が渡来民族の開拓地であるとしたら、産土神の集まる出雲は「怨念」の霊気が充満して出雲大社に集約多分、気がつかないうちに私はスサノウの苦悩に触れていたのでしょう。今、書き始めてからそのことに気がついて、一度書き終えてから、もう一度そのテ~マを考え直して見ようと思っています。それには失われた神田川の美しさをこの小説できちんと書かなければならない。そのための習作でもあります。

世の中とは面白い物で、水道橋へ行かなければ、これまで思い到らなかったでしょうし、パソコンも一度放棄して使用することもなく、歳を重ねたでありましょう。少し生きがいも出来、多分、長生きが少し出来るでしょう。

一期一会、良い言葉です。



劉備玄徳が夷陵の争いで死して、諸葛孔明が遺志を受け継ぎ、魏との交戦を決意する。先ず、南の蛮族を制圧して魏と向かい合う。
講習はそこで終わった。あまり興味の湧かない講習であった。しかし、講習とは関係はないが、「呉・蜀・魏」の文字を見ていて、文字の意味が日本と関係があることに気がついた。
「呉」は、祝寿器を戴いて、神を祝して踊る様。私はこれを安曇磯良の呪術性に比している。そして、日本の太夫が中国に朝献した際、自らを「呉」の太伯の末を述べている。

「蜀」は蚕叢(さんそう)が始祖なように、養蚕が主たる産業である。そして、「扶桑(ふそう)」の始原でもある。ご存知のように、日本のことの別称は「扶桑」とも言う。<因みに、蜀は蚕を形にした文字である>

ここで薀蓄を一つ。日本にオシラ信仰と言うものがある。馬と娘が通婚して養蚕を生むという逸話である。これは「蜀」が発祥です。<蚕はよく見ると、蚕の頭が馬に似ていることから起きた話です>
そして、養蚕を可能にする桑の木ですが、「蜀」にはニ三の伝承があります。・・・蜀犬、陽に吠える。これは「蜀」は日照時間が短く、太陽が出ると、驚いて犬が吠えると言う諺からきます。
朝日が昇る時、蜀では霧がかかってまるで太陽の樹のように見れることから、それを「太陽樹」と言います。それは見事で美しいものだそうです。その「太陽樹」信仰が「扶桑」になったと言われています。その底には豊穣の願いがこっもているに違いがありません。
異獣聖婚神話と「扶桑(ふそう)」伝承は日本でも語られている説話です。精神的に何らかの共通性がなければ語り継がれることはないはずです。私は黒潮文化圏と呼ばせてもらっていますが、「蜀」と「倭」は同じ種族にDNAが流れているような気がしてならないのです。

「魏」は委へんに鬼である。私も気がつかなかったのだが、「倭」と関わりが出来ている。そういえば、「魏」は黄河と長江の間に位置している。麦か稲かどちらかの精霊と言う意味がそこにはあるのではないかと思われる。「倭族」の多くが稲や呪術との関係が深いことを思うと、「魏」もまた「倭(か、とも読む)」との関係が現れる。

講習を受けながらこんなことを考えながら、聴講していた。それなりに収穫があった講習でした。(講師に「魏」の意味や文字と「倭」の関わりを質問しましたが、回答はえられませんでした)
2011.11.16 創作8
若水雷人は支給さたパトカ~に乗り込み、鳥居刑事を待つ。
「棟梁、遅いですよ」
助手席に座った鳥居は「その棟梁はよせと言っているだろう」と咎めたものの、本当はそれほど悪い気はしてはいない。他人の目が気になっているだけである。
「捜査の名人じゃあないですか。警部とか係長より何ぼかいいでしょう」
パトカ~は井の頭街道を東上し、甲州街道へと入り、四谷へと向かう。
「・・・・・」
「棟梁、四谷署でしょう」
「お前は相変わらず、耳が早いな」
「聞き込みは棟梁仕込みですよ。伊達に総務の女のケツを追い回していないですよ」
鳥居刑事は渋顔を作り
「少しは菊池を見習ったらどうだ」と皮肉を言う。
「ご免こうむりたいですね。あんな振る舞いでは女には持てないですよ」鳥居の若い頃は、女性関係には厳しく、雷人のような態度は訓戒もので、厳重注意を食らう。大体は先輩刑事が見合いの相手を紹介したり、身内が選んだものだ。恋愛にも慎重で身元の確かな娘を選んだ。その点では、多少、雷人のような自由な行動も羨ましくもあったが、刑事という職業を考えれば仕方がないとこもある。しかし、現実には鳥居の時代の警官の意識は現代の警察では大きな差異がある。その現象を初めに許容したのは鳥居と同じ世代のキャリア族であったのは不可解と言えば不可解である。
「そうか。聞き込みの対象が歓楽街なのも聞き込んでいるのだろうな」
「勿論ですよ」
「お前が意欲を示しているのはホステスだろう」
「さすが棟梁、ご推察のとうり。こ汚い男よりは綺麗な若い子の方が楽しいでしょう」
「解りやすい男だな、君は。しかし、自分達は刑事だぞ、一般人とは違うのだぞ」
「そんなことは解っていますよ。間違いがなければ文句がないでしょう。きちんと仕事はこなしますよ」
「何がきちんとだ」
「それをいちゃあおしまいですよ。これでも今まで賞罰規程にひっかったことはありませんよ」
そうだ、そう言うことには要領がいい。天才的といっていい。
「困った奴だ」
「勉強、勉強」「着きましたよ。四谷署です」
野田首相の一国の総理としての混迷は一体なんなのだ。TPP参加の国会答弁でも、なにやら不正確で頼りないもどかしさを感じる。
第一、この人は海外での発言は国会で決議をされない事項(消費税の値上げやTPP参加の態度など)を威勢良く主張する。しかし、国会の答弁ではISD条項を本当に理解していないのではないかと、自民党の山本議員に追及されて、しどろもどろで正確な答弁が出来ていない。車検廃止や郵政の保険・預貯金の問題、農産物や雇用の問題をきちんとセイフティされているのだろうか。自由化すれば、それら弱い部分には米国経済原理主義のあおりをまともに受けてしまう。それは国益にそぐわないことぐらい子供でも解る。
野田さんは、そういった国益にそぐわない事項は限定して話し合うと言う。しかし、米国の報道は全ての条項についてテ~ブルに乗せるとア~ネスト報道官は述べ、オバマと野田会談、野田首相の過去の談話、外務省の発言に照らして訂正の余地はないと発表している。明らかに米国と野田発言とは差異が見られる。それならば、国際的常識に照らして、米国の報道を訂正するように公式に抗議すべきである。抗告しないことは国際的には米国の報道が正しいと認められてしまう。
ここは外務省を通じて断固、訂正を申し込むべきである。
今、確実に言えることは日本は大恐慌の入り口に居ることは間違いないことであるからです。
私は占領軍遺族被害者連盟の仕事を通じて、米国の非情さ、強かさ(したたか)については骨身に沁みて知っているつもりである。米国はべネディクトの「菊と刀」のように戦中から日本民族の研究は国を挙げて研究している。彼等は日本人の弱みを徹底的に、あの時研究し尽くしたのです。戦争とは恐ろしいもので、武器や科学だけでなく人の心の中までも解明してしまうものです。それが、平時の学問などと言う生易しいエネルギ~ではない。命を懸けた真剣さの中から生まれる本物なのです。その知的遺産が今の米国の日本の中枢にある官僚や政治家に対する恫喝や懐柔に役に立っているのです。だらしのないことに日本の頂点は、それに対して抵抗のひとかけらも持ち合わせていないのです。その一つが戦後民主主義です。マッカ~サ~がそのことについて「日本人にアングロサクソンの民主主義を徹底的に教えてやる」と、豪語したことです。私達は聖書が教える思想には対極に居る多神教(融和思想)の民族です。数千年にかけて培ってきたこの思想をどう変えればいいと言うのです。甘いと言われようが、愚か(彼等は多神教を一段低い思想と言っています)であろうが、この融和の思想こそが私達が綿々として形創ってきたものです。誇れる考え方ではないでしょうか。
私は今、戦後の被害者連盟の仕事を通じて体験してきた悔恨と限界をかみ締めています。米国は日本人の弱みを逆手にとって、日本の中枢にある政治家を完全に洗脳してきました。そして、民衆を幻想で騙し続けたのです。
私達は娯楽のない時、「映画」でそれを解消しました。私達は米国映画の理想とも言える「楽しく便利な中産階級の映画」をいやというまで見続けさせられました。あの映画は今、解っていることですが米国国務省の政策だったのです。国ぐるみ米国の戦略に乗せられて、一時は彼等を「平和を齎した神様」とも信じていました。あの共産党も解放軍と持てはやしたのです。
確かに、財閥からの開放、農地解放、女性の政治参加など有益とも思われる政策も施されました。しかし、私達は米国兵士の犯罪の被害者として体験した事は、それら浮き足立った民衆の影で米国の非情で自分勝手な論理をまともに受け、泣き続けきたのです。被害者(全国四万人)は完全に無視されました。
勿論、ハ~グの国際陸戦条約は徹底的に無視されました。つまり、日本の弱みを私達は一進に受ける形で戦後を通過してきたのです。四万人は米国の日本戦略の犠牲者になったと言えます。
それがからこそ、今、私達は、はっきり米国の意図が見えるのです。米国の国情は、とてつもない財政赤字を抱え死体(しにたい)状態です。当たり前なのです。私が以前から言っているように、軍産複合体は国内企業を抱え、多くの労働者をその中で雇用してきました。軍事は純粋消費でしかありません。その財源は税金でしょう。いくら世界の石油資産を食い潰しても、限界はやってきます。何せ、馬鹿な消費を続けきた報いなのですから。その苦境を彼等は他国に押し付けようというのです。
そこで思いついたのが日本です。米国は日本の官僚や政治家を骨抜きにしてきました。どうせあの悪名高い・CIAが忍者のように活躍したのでしょう。日本の官僚や政治家は恫喝しさえすればどうにでもなるように飼育してきたのです。(田中角栄は米国に逆らって中国と手を結んだ時、米国発で徹底的に葬り去られました。考えすぎでしょうか。一連の小澤一郎倒しは影で米国が操っているのではないかと思うのです。とすれば、小澤は私たちのキイポイントかもしれません)
私は戦後に私達が受けた仕打ちの体験や客観的に戦後の動向を見ていて解ったのは、またぞろ米国は日本を犠牲に強(し)いると画策しているように見えるのです。(黄色い猿の真珠湾攻撃の憎悪が、またぞろ、鎌首をもたげてきたのでしょううか。私達が考えている以上に彼等はあの行為は忘れていないのです。原爆投下の恨みや戦後の屈辱を忘れたのは何を隠そう日本人なのです。哀しいことです)
何も私はまた、軍備を持ち、復讐の火種を起こそうと言うのではありません。私達はもっと強(したた)かで賢くなければならないと思うからです。このごろ世界情勢を見聞していて、私達は絵空ごとだと思っているように見えます。そうではないと私は思うからこそ、執拗になるのです。身近なことと自覚するのが、今は大切なような気がしてなりません。

最後に言えることは、日本(無理でしょうが)は自主性を持たなければならないということなのです。日本人の多くの人々の利益を考えて行動することこそ今、日本に与えられた正論なのです。中立とは本当に覚悟が必要な態度なのです。しかし、敢えて私は中立こそ今の日本に必要なのではないでしょうか。机上の空論ではないことを祈りたい。

ああ、我思う、親のない子の哀しさよ、一つ大地が裂ければと思う。(新しいマグマは沸き起こるだろうか)
2011.11.14 創作7
捜査会議は引き続き、害者の自宅周辺と省庁関係の聞き込みを続行し、新たに四谷繁華街の飲食店を中心に聞き込みを開始した。投入人数は四人である。
その責任者が鳥居彰浩刑事で、若水雷人(26歳)、佐藤勝(45歳)とパソコンお宅と言われる菊池大輔(29歳)が担当した。
「おい、雷人刑事、行くぞ。用意はいいか」
鳥居刑事は若水雷人とは下高井戸署で何度となくコンビを組んでいる。勿論、菊池大輔とも一緒に組んだこともあるが、雷人との方が捜査はやりやすかった。同じ若者でも菊池刑事は腰が重く、行動するより先ずは情報収集とかで器械に向かう。慎重に情報を固めてた末に漸く腰を上げる。信頼が置けると言う意味では菊池に凱歌が上がるのだが、じっと座っても文字盤を打ち付ける根気のよさは鳥居には出来ない相談である。一時間も器械の前で座っていると、集中力が減退して、尻がむずむずしてくる。現場に飛び出した方が十分に情報が取れると言う気になってくる。じっくり座って動かない菊池よりも腰の軽い雷人のほうが居心地がいい。
若い頃よりベテラン刑事の下で仕事を叩きこまれ、現場を足で捜査する方法が常識と仕込まれた鳥居には現場で直に聞き込みをする方法が身についている。時代の流れは思ったより速く、インタ~ネットが割り込んでくるが、鳥居には世の中の思考形態に就いて行けず、迷った末に、現場主義を貫くことにした。
「いつでも、行けますよ」
「害者の写真は持ったか」
「それは棟梁がお持ちでしょう」
<お持ち>はないだろう、と小言の一言も言いたいのだが、そんなことにお構いなく、さっさと歩いて行く。当初はかなり真剣に叱り飛ばしたが、糠に釘であまり応えない。昔なら平手で数発は自明のことだった。今の、民主警察とやらは、そんなことをしたら、訓戒どころでなく、下手をすれば免職に追いこまれかねない。
鳥居刑事は雷人の後ろ姿を眺めながら、<ふう>と息を吐(つ)いた。
大化の改新を雑誌で読み、「日本書紀・皇極紀」を読み直した。

何と奇妙なことに気象状況が現在と酷似しているのに驚いている。五世紀半ばには地震が頻発し、寒い日が続いくと思えば、暖かい日がやってくる。頻りに、雷が鳴り、雹(ひょう)が降る。天候がくるくると変わるのです。
人心も怪しく、政情も不安定で(蘇我氏と中大兄皇子との確執・つまり大化の改新の前夜)、新興宗教が蔓延り(はびこり)人民から財産を巻き上げている。<橘の木につく幼虫・アゲハチョウの幼虫を神とする再生の象徴>世の中が爛熟して、崩壊に向かっている。

なにやら現在の日本の状況をみているようで、気持ちが悪い。しかし、歴史は繰り返すではないが、私は今、「久米氏」に取り掛かり、佳境にあるが、小休止で「日本書紀」の皇極紀の周辺を読み返してみようと思う。

「皇極紀」では蘇我入鹿が大兄王皇子と中臣鎌足に打たれた時、古人大兄皇子が「韓人が入鹿を殺した」と言い、結局は仏門に入ってしまう。
この叫びは非常に興味が沸き起こる。「韓人」とはその場の首謀者は二人なのだから、中大兄皇子か鎌足であろう。直接、刃を振るったのは中大兄皇子であるから「韓人」は皇子とも言える。しかし、古人大兄が見たのは鎌足かも知れないのだ。いずれにせよ、韓国系の皇族が蘇我入鹿を誅殺したのは間違えない。鎌足は百済系の渡来人とされているから、「韓人」は鎌足だったかもしれない。すると、中兄王皇子はどうであったのか興味のあるところである。私も皇子は百済系の皇族のような気がする。

ある小説家は、天智天皇は百済系の皇族であると述べている。しかし、小説家は学者のように考証をしっかりとするより想像力に頼る嫌いがある。だからといって空想とはいえない。私は小説家の直感力もすてたもんでもないと、思っている。その伝で行くと、天武天皇は新羅系だという説も論拠が、もう少し欲しいような気もしないわけでもないが、面白い説だと思う。
私は前から、大化の改新は思想改革だと考えているのだが、それには論拠が乏しい。もう少し考慮が必要だと思う。
電気、水道、ガス工事が十一月に入って頻繁に行われている。管轄がどこだがはっきりしないが、一頃は自粛なのかめっきり減ったと思ったが、またぞろ連発している。
役人の締め付けが緩んだのだろう。私は不景気な時代に景気を喚起するために公共事業を施工するのは強ち反対ではない。しかし、そこに私心があってはならない。どこの指令か今の私にははっきり言えないが、野田政権になって、官僚が息を吹き返してきた印象は拭いきれない。一時は私もこの政権に期待の端くれを持っていたが、今、私は歪んだ官僚達と愚かで狡猾な一部政治家による利権の温床を感じる。これは自民党全盛を思わせる。
今は、経済情勢の危険な曲がり角である。舵取りを間違えれば、とんでもない所に行き着く。それが私には気がかりなのである。先ずは、印象まで。
2011.11.11 苛々するのは
やはり、思ったように野田首相はTPPへの参加の意志を表明した。あの記者会見の後、どういう行動をとったか。何を隠そう米国・キッシンジャア(共和党)やアミティジィ(共和党)とあっています。(文化放送・武田記者の取材)
この事実は米国がいかに日本を市場原理の地獄へ引きずり込もうとしているかの表れです。あの韓国が今、米国とのニ国間協議で苦戦をして、市場を荒らされているというのに、今の民主党(仙石、前原、枝野などの親米派)は我々をどこに引っ張って行こうと言うのか、本当なら、米国の議会制を理解しているなら、これから来年の三月まで続く議会に圧力をかけに事前協議に日本の国益を訴えに行かなければならない。(今、キッシンジャが官邸にいるように)ふと、講和条約締結の時、吉田茂が個人で安保条約を結んでしまったことを思い出す。つまり、吉田のように政治家は議会制民主主義を無視する行為を平気でやってしまう破廉恥漢が多いのである。野田にそんな根性があるはずがないのだから、そこには黒幕がいるはずだ。それが官僚なのか、愚かで狡賢い政治家なのか、はたまた米国の謀略家なのか、いずれにしても我々に有益なことでないことは解っている。

今、我々は世界の大恐慌の入り口に立たされている。今なら間に合うが、ことが進んでしまえば、抜き差しならない状況になってしまうのだ。選民思想の米国は獰猛な国なのである。その象徴が日本への原爆投下である。(私はあれはソ連に対する脅しと殺人実験である。彼等は終戦のためと言うがあの時、戦況は決していて原爆投下<しかもニ種類の異なった種類である>は必要なかったのだ)

その仮面の下にある非情な心を見抜かなければならない。日本はニの次なのだ、自分達の国益を優先するには手段を選ばない。それが米国である。
この頃、何となく不安で頭の中が靄がかかり、なぜか落ち着いた状況になれない。むしゃくしゃしていて、落ち着かないんで夜日は外をうろつくようになった。昨日は急に、酒が飲みたくなって居酒屋に一人で入った。この十年ぐらい一人で酒を飲みたいと思ったことはなかった。
案の定、悪酔いをして二日酔いである。本当は、創作7を書きたいと思っているのだ。四谷捜索隊が頭の中に描かれているのに、二人の若い刑事(一人はお調子者、一人はパソコンお宅が設定されている)が次の展開を用意するはずなのだ。それが書こうという意欲が湧いてこない。細かい状況が蒸気にかすんで、浮かばない。ただ、焦るだけで、具体的な状況にたどり着かない。スランプとは違うことだけは解るが、なんかのきっかけが必要なのだ。すかし神社回りでもしてこようかとも思う。本当に、苛々する。
久米氏の起源と軌跡を辿ってもう数ヶ月経ますが、読めば読むほど古事記が優れた書であることが解る。日本書紀は支配者側のレンズを通して見るようになっている。
久米氏は「古事記」ではニニギ命の笠沙への移住に先導役が天忍日命(大伴氏の祖)と天津久米命(久米氏の祖)が同等の資格で守護している。しかし、「日本書紀}は天忍日命が天クシ津大久米を率いて笠沙に移行する事になっている。
私は久米氏が他に従属していない種族がと考えている。その訳は、まず、笠沙に上加世田遺跡があり、そこから久米を刻んだ土器片が出土している。(古墳時代のもの)そして神武東征では神武天皇に従って久米氏も東上している。(記・紀)、大和では久米氏が神武天皇の后(きさき)であるヒメタタライスケヨリヒメを娶わせてもいる。大嘗祭の久米舞が奏せられるが、その演者は大伴氏と佐伯氏である。(何故この舞が大伴舞でなく久米舞なのか。一目瞭然であろう。最初に久米舞があったからである)

もう説明の余地はないだろう。しかし、世の中は面白くて、例えば京大出身の直木孝次郎は「日本書紀」の方が「古事記」より記述が古いといって憚らない。理屈はあれこれとつけるが、私には説得力がない。第一、AD702年、大和朝廷は肥後国より隼人(その時は熊襲であったろう)を馴化、啓蒙するために200戸を移住させている。その種族は、肥君、五百木部、大伴氏である。当然、このことは「日本書紀」編纂に反映したのは既成の事実であろう。直木氏はそのことにも触れていない。
上田正昭は「古事記」を正論とするが、(私はこの説に賛意を表する)久米氏は大和の山人と説く。狩や山菜の収穫によって武力を蓄える(このことは野間半島がシラス台地で狩猟と漁猟が主体であることと共通する)と説明するが、「狩と山菜の収穫」では説得力が薄い。それに上加世田遺跡にも触れず、安曇目(タタラ姫と会ったとき、姫に如何して目が鋭いのかと問われる)のくだりも無視している。タタラ姫が安曇目に興味を引くくだりは南九州と神武帝、大和を繋ぐ重要な逸話である。少しでも触れて欲しかった。
私の結論は久米氏こそ神武天皇と大和へ東征し、大和を制覇した種族であると確信している。しかし、大和に着くと、久米氏は忽然と姿を消すのです。その理由が皆目解らない。

「記・紀」特に「日本書紀」は都合の悪い事項に沈黙をする習性がある。「卑弥呼」「蘇我氏」「久米氏」「土蜘蛛」数えればまだまだあるが、私はこの沈黙に古代日本史を説く鍵があると思っている。だからこそ、神武東征に関し、「久米氏」の存在の解明が必要なのである。

天忍日命は大伴氏の祖と言われているが、その系譜は甚だ抽象的なものである。多分、7・8世紀に大伴氏が台頭してきて、大和朝廷の中枢に位置していたため、作り挙げられた氏姓であったと思われる。つまり氏姓が抽象的なのがそれを証明している。
一方、天津久米命は久米氏と直結する具体的な氏姓である。それをかんみすると、ニニギ命を笠沙に先導したのは天津久米命一人で天忍日命は後からの付会であった可能性が濃い。「日本書紀」作製時に有力氏族であった大伴氏が付会されたと考えられるのである。
当初は久米氏が勢力が強くニニギの重臣だったのである。

滝川政次郎は江南から九州に漂着した者のうち、北九州についたのが安曇氏で南九州に着いたのが隼人と説いたが、今、私は南九州に着いたのは「久米氏」だと仮説したい。久米氏は笠沙で定着し阿多隼人族と融和したと考えます。それが神武東征の久米氏に繋がり、大和に一つの勢力を持ったのである。しかし、大和定住依頼、主だった功労が上げられずに衰退して行ったのが予測されます。




2011.11.09 胃薬は苦い
今日、中野中央図書館に行きました。予てから予約(少数資料なため取り寄せです)しておいた書籍が届いたと言うことで、取りに行きました。久米氏関係の資料です。久米歌がその内容なのですが、興味が募ります。

しかし、このニ三日不快な気分が続いているのは、TPPの政府の対応がこの人たちは本当に、日本人なのか疑問を持ちつずけていたからです。外務官僚が、元よりアメリカ派が体制を占め、抵抗派は(日本派といっていいかも知れません)アメリカの恫喝と懐柔によって左遷や転向させられ、今や抵抗派は皆無だといわれています。それがアメリカの政治戦略なのです。戦後よりこの戦略は綿々として続き、教育や政治家の洗脳が功を奏したと言うわけです。以前にも話したように、今のアメリカの国力は殺人(軍事)と金貸し(金融)<本当は聖書では金を貸しても利息は取ってはならないとかかれています。しかし、異教徒は例外です。シェイクスピアもそれを戯曲に書いています>です。その原則が世界の恐慌で崩れ始めたのです。そのしわ寄せを他国に押し付けるのです。多分、間違いないと思いますが、米国は未開発国に開発と称してアフリカなどに進出するでしょう。彼等はそうして国の経済を推進して行くのです。危険なのは、先は孤立化で、武力行使といった状況に追い込まれることです。今、そうした状況を考えると、日本は自主性をもって、行動すべきです。でも、現在の外務省は無理です。米国の思想洗脳で骨抜きです。我々一人一人が自覚を持たない限り、施政者や官僚に期待が出来ないからです。
大変な世の中になりました。我々は心して行動しなければならないのです。

創作はこの二日ばかり文章が湧き上がって来ません。何とか振り絞って進行しなければ進みません。煩わしさは程ほどにして欲しいものです。
友人の名人(宮部)の内務を手伝い帰宅してから、「歴史のミステリ~」を何となく目を通していたら、大化の改新をテ~マに掲げていた。(面白いのは、「日本書紀」と「藤氏家伝」では蘇我入鹿の評価が正反対である)
読み進むうち、蘇我氏についての疑問が湧いてきた。後の課題が出来たと考えつつ一夜明けると、なぜか解らないが、ふと、日本人の原点はモンゴロイドだと言う思いがちらつき、飛躍しているが、私は白人になれないと、考えていた。日本人には、モンゴロイドは古モンゴロイドと新モンゴロイドが混在している。
ありていに言えば、「古」は氷河期以前の中国渡来の縄文先住民で「新」は弥生時代にやって来た朝鮮民族と少数の江南族、南海人の混血である。その混血が今の日本人を形成しているといえる。
私の仮説ではあるが、日本人には元々、豊かな環境に恵まれた縄文族が一万数宣千年かけて育んだ融和の精神が築き上げられ、後に弥生族がそこに混入してきて、紆余曲折はあるが「和」の精神を築き上げた。
日本列島は「東に美き地(くに)あり、青山四周(せいざんよもをめぐ)らす」と塩土老爺が示唆したと、あるように日本列島は贅沢者が言う戯言(たわごと)を無視すれば、豊かな地(くに)なのである。
よく考えて欲しい。縄文時代は一万年以上続いたのである。我々はそのことを絵空ごとと真面目に考えたことはないだろう。しかし、立ち止まって考えてみると、その持続の思想は自然に(物心とも)逆らわずに融和したからである。隣人との真摯な対話と思いやりが一つの集団を豊かにしている。男と女、老人と成人・子供、健康な人と脆弱な人などあらゆる階層が融和して、緑の山、そこから染み出す濫觴(物事の始まり・一滴の泉の源)の水系、そこには鮭・鱒・鯉・鮒が集まり、その周囲には猪や鹿、栗や椎の実、堅果植物が取り囲む、日本列島とは原則的にはそういう国なのです。そこで融和の精神が培われるのは当然の帰結でしょう。それはまた、DNAとして受け継がれた来たのです。胸に手を当てて考えてください。無意識に相手を考えながら行動する癖に気がつくはずです。
それが日本人のお人よし日本人の姿なのです。それは誇るべき姿ではないでしょうか。
今こそ、隣人と心ある会話を始めようではないでしょううか。緩やかな干渉主義、言ってみれば、嘗て日本人がやっていた。下町精神、隣との親しげな会話、他人の子供にも叱り付ける他人愛、法律でなく、先ずは当事者同士で話し合い、仲介者がしゃしゃり出る。そうした気楽な日常生活を取り戻そうではありませんか。それこそ、日本に内需が喚起され、小さくはあるが柔らかな以前のある国が出来上がるのではないでしょうか。
他人が押し付けた甘いケ~キはその人にお返ししましょう。我々は地道に蕎麦でも稗でも米でも食して痩せようではないでしょうか。
地道な主体性こそ今、必要なのです。
今こそ、日本人が持つ骨まで沁みた融和精神が生きる時代です。ただ、我々は急時にはとてつもない力を発揮する。しかし、日常は頭で先々異状事態が予測されても、まだ時間的な余裕があると行動を控えてしまう。本当はそのときが大事で下流の水はその時安泰でも、時間が経てば洪水となるのです。その時、賢明な対策を打たなければ取り返しがつかなくなることを肝に銘じるべきなのです。
今は、大恐慌の入り口なのです。世界を見てください。過剰消費と生産財の軽視的傾向、一部民族の狡猾な個人的欲望の渦巻く時代です。(貧富の格差の拡大の時代)それらが我々の眼に見えない処で八俣大蛇のようにとぐろを巻いているのです。これは今、退治しなけけばなりません。今なのです。悪しき愚かな政治家(誠意と主体性が欠如した人間達)と狡猾な自分の欲望だけに凝り固まった官僚が蔓延(はびこ)る日本は、ギリシャ状態なのを知らなければならないのです。(日本の財政赤字率はギリシャが150%なのに、日本は220%です。ただ観光立国と生産力が高い日本との差はありますが)
今、姑息さは罪です。正攻法こそ今行わなければならない時なのです。施政者は我々が多少の苦難を抱えても死にはしないと多寡を括っています。それは自分達は安泰だからです。そういう視点で考える人間達は歴史を紐解くと、没落の前兆で必ず現れます。
今こそ、我々は無責任で個人的な欲望を衣の下で燃やしつずける輩(やから)に対して、対策を立てなければならないと深く感じます。
今、本当に重要な時なのです。
ギリシャについては、私も認識不足でした。ここでもマスゴミが正確に状況を伝えていない。
ギリシャは国の性格上怠け者の集団だと思っていた。しかし、正確にはそれは正しく状況を伝えていない。
ここもまた政治家と官僚の悪政が原因なのだ。官僚は、どこかの国と同じで独立法人を造り、天下り高級官僚は自分の保全を図って政治家とつるみ、国民に増税と緊縮政策で経済を衰退させ、中小企業や小規模店舗を倒産させ、雇用を喪失させていると言う。なにやらどこかの国と似ていて、どこかの国の行く末を見ているようだ。ギリシャ危機は他国の問題ではなく、本当は日本の問題なのではないかと、ラジオの放送でギリシャ在住のジャ~ナリストの報告で判明したのである。
私もうすうすギリシャ問題は本当なのだろうかと思ってはいた。しかし、あまりにも報道が一方的なので私も思い違いをしていた。ギリシャ在住の報道を聞いて、そのほうが現実感がある。ただし、基本的にはギリシャに落度があるのは言うまでもない。政治家が姿勢をただし、官僚の縮小をしなければならないだろう。生産性のない観光立国なのだから、その点の根本的な施策がなければまた、同じ誤りを繰り返すだろう。
私はこのブログを通じて、様々なことを語ってきた。書くことにも挑戦しようと言う意欲も湧いてきた。だが、もう一つ封印して話さなかったことがある。今、私はそのことを話してみようという気になっている。
それは母のことです。母は49歳で鬼籍に入っている。くも膜下出血である。この病気は一週間ごとに症状が重くなる。幸い母は一週間で症状が回復したのです。主治医の判断は一周間での意識の回復は予断は許さないが、軽い右半身の麻痺と言語障害が残るが命に別状はないと話してくれた。ただし、絶体安静と頭部を動かすことは、遣ってはならない必須条件だと付け足した。
私は意識の回復した母を見舞い、右半身に麻痺のある右手を動かす母が「動かないの」と呟くのを聞き、母が父親の左半身に続いて、自分も身体に障害を持つことを苦にしているのが解っているので、「二人で一人前、似たもの夫婦」と冗談を言って慰めると、幽かに笑顔を見せ目を閉じた。
私は映画会社に勤めていたので、仲間との約束があったから、三男の宣興(のぶおき)に看病を頼み、会社へ行き友人達と酒を飲んでいた。夜の11時ごろだっただろうか。店へ三男から電話がかかった。宣興は泣き避けんで声にならない。勿論、直ぐに母のいる病院へ駆けつけた。
弟は泣くばかりでものが言えない。側にいた看護婦に尋ねると、母は亡くなられて、地下室の霊暗室に安置してあるという。
私は地下へ行き、母に会った。安らかな落ち着いた顔つきであった。取り乱したり、苦痛に歪んだ顔出なかったのが私を安堵させたが、この急変は腑に落ちなかった。なにがあったのだろう。私は宣興を慰め、すかして漸く母の最期を聞きだした。
宣興が言うのには、彼が水を飲ませ、母が「すまない」と話し、目を閉じると、底にうっすらと涙が滲んだと思うまま、急に首を動かしたというのである。それは自殺行為なのである。弟は震えて何も出来ずに母の右手をさすっていたという。医者が来た時はくも膜が出血して、応急処置も及ばず息を引き取ったそうである。
後で弟が語るところによると、母は自分の右半身不随を嘆いていたと言う。母は父親との苦しい日々を繰り返し弟に話したという。私も彼も、母は私達を思いやって自殺したと思ったのである。その日から弟は酒びたりになって、それが原因で命を落とした。
これで心がすさまなかったら、おかしい。我々の家族は何かに呪われているのだと本気で私も思った。数年は私も酒に逃げ込んだのは今も私は後悔していないが、恨み辛みは深く私の胸の底に沈殿して言ったのはやむ終えない、と私は自負している。
時が流れれば、本当に絵巻物のようで、なんだか奇妙な気持ちになってくる。母にも、父にも弟にさえも鎮魂の祈りを捧げたい。今は、私も落ち着いた心境でこのことを話せるようになっている。

母の名は菊池みな子です。父の名は堀本稲夫です。
2011.11.07 創作6
まずは捜査会議の前に、鳥居刑事は佐伯警部へ報告に行った。
「どうだったかな」
「いやはや、ああいったエリ~トは鼻持ちならないですね。相手を見て、ちゃんとこちらの弱みをついてくる。彼等は公人と言うより、中身は私人ですな。頭がいいので、物事が見えているから、自分の都合のいいように使い分ける。利益にならなければ、本気にならないですね」
「そりゃ、我々にたいな日本人が戦後民主主義なるコカコ~ラを飲まされたからな。味噌汁派は味噌汁派なんだ。ご苦労さんだな」
「そのコカコ~ラが漸くヒントをくれましたよ」
「ほう、それはよかった」
「数年前、大伴は四谷のスナックに通っていたようですよ」
「店名は解っているのかい」
「それが、四谷の駅周辺で、花の名前のようだったと言っています」
「それだけでは雲を掴むような話だな」
「警部もご存知のように、この手の話はいい加減で花とは特定できないでしょう。多分、総ざらいしなくてはならないでしょうね」
「確かに、そうだな。虱潰しにあたるしか方法がないだろうな」
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