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天孫降臨はニニギ命が日向の高千穂の襲の二上嶽に天降ります。真床覆衾に包まり降臨するわけですが、その他は二つの高千穂があります。一つは日向国風土記の知鋪の件(くだり)にある西臼杵郡であり、他は霧島山系の「襲」です。私はは天孫降臨は霧島の「襲」を取ります。天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命の五伴の緒とそれらを先導する天忍日命と天津大久米命そして思金神、手力男神、天石門別神とかなりの多数の集団で降臨するには、その後、真来通(まきとう)る笠沙に移動するとしたら、西臼杵郡の高千穂は遠すぎるのです。それに、「襲」は私は會於(そお)をあてるのですが、その「襲」は霧島山系に近い曽於郡・大隈(現・国分市)にあります。この大隈周辺には、縄文早期にあたる上野原遺跡が発掘され、大隈一帯には先住民族・會族が定着していたと思われます。この會族は大和朝廷が名つけた、順わぬ「熊襲」に当たります。

風土記には球磨曽於とし、一説には球磨と曽於の二国とするのが、私には本居宣長の「熊襲」の「熊鷹」「熊笹」「熊蜂」のように「熊」は猛々しいの意味で補強の形容詞をとり、勇猛な民族の住む「襲(曽於)」という説をとりたいと思います。

<熊襲と隼人は同一民族であり、五世紀を境にして、大和朝廷に服属しなかった人々が「熊襲」であり、服属したのが隼人と言うように、同一種族の人々が異なる呼び名をした>と上村俊雄は述べていますが、私は上村説を支持したいと思います。

古代南九州の日向・薩摩の地には、古モンゴロイドである曽於族が居住し、上野原遺跡やかこいノ原遺跡に見られるように、少なくとも縄文早期(紀元前9000年)頃より南九州には定住していた。そこに、天(てん・あま)からニニギ命が移動してきたと言うのが天孫降臨の意味でしょう。

「猪甘部考」で滝川政次郎は<漢の武帝が南越を征したあと、飽くなき漢人の誅球を逃れた百越の民は、黒潮に乗って九州西海岸の南と北へ渡って来た。黒潮は屋久島の沖で二つに分かれ、その一つが北上して対馬海峡に向かっているので、南・北九州に着くのはほとんど同時である。その北九州に着いたものが安曇族であり、南九州に着いたのが隼人族ではないか>と述べています。谷川健一も、滝川説は納得できる推論であると「古海人の世界」と表わしています。私も又、この説には賛同しますが、、南九州に着いたのは隼人族と言う主張には若干の錯覚があるのだろうと思います。

隼人は大和朝廷に服属した「熊襲」です。それは大和朝廷が名付けた名称で「熊襲」は元より、南九州に先住した古モンゴロイドの末裔で、先住民族のはずです。決して渡来系族ではありません。敢えて、隼人族と名付けるとしたら、それはニニギ命と同道した」安曇族でしょう。あるいは、久米族だったかも知れません。その安曇族が
隼人と融合して、隼人をなのることがあったかもしれません。しかし、本質的には江南の地からやって来たのは、滝川政次郎が唱えたように、北九州に着いた安曇族と同族の渡来民族なはずです。

もう、お気付きでしょうが、そうするとニニギ命もまた、渡来民族の長なはずです。天は<あま>で海と言う意味があり、天孫降臨の垂直行動を水平行動に置き変えれば、海よりやって来た渡来民族を考えても差し支えないのではないでしょうか。

すると、「襲」の意味が重要になってきます。日向の高千穂の襲に降り、真来通って笠沙に行き着き、阿多鹿葦津姫と笠沙で血縁します。阿多鹿葦津姫の父親は大山祇命と言います。大山祇命の出自がはっきりしませんが、オオヤマツミの名称は大山の命とも、山と海の命とも取れますが、阿多鹿葦津姫の阿多は海の意味であり、隼人族との関係が深いので、大山祇命は山と海の命とした方が合理的です。すると、大山祇は錦江湾と霧島山系に囲まれて居住している曽於(會・そ)・大隈周辺の先住民族の可能性が大きいと思われます。阿多鹿葦津姫が野間半島の笠沙(現・加世田市)にいると言うことは、大いに考えさせることです。加世田市には、かこいノ原遺跡が存在し、この遺跡も上野原遺跡と同様、縄文早期(紀元前9000年)と言われます。奇しくも、上野原と同時期です。偶然なのでしょうか。私は大隈と加世田市に種族的なつながりがあるような気がしてなりません。上村俊雄の説くように曽於族と阿多族は血族であっても不思議ではないのです。私は巷間に言われる「海の隼人」と「山の隼人」の関係が成り立っていると思います。「海の隼人」の先住地である笠沙には、かこいノ原遺跡があると言いましたが、この遺跡の特徴は丸ノミ型石斧が出土していることです。紀元前9000年頃から、この地では丸木舟を製造していた証左に丸ノミ型石斧はなると言えるでしょう。この地は黒潮の関係で沖縄や中国・江南地方からの漂着が多いと思われます。又、南方・ポリネシアからの漂着した事実も在ります。出雲のセグロウミヘビや藤村藤村のヤシの実も、黒潮がもたらす海のしるしです。始めて日本に仏教をもたらした鑑真和上もこの野間半島の秋目に着いています。この事実は野間半島から各地の海人族の交流の場となっている証拠でしょう。そのため、阿多海人族は紀元前9000年から、海の恩恵を受け他国との交流も行い、造船技術をも高めていったと考えてもいいと思います。私が南九州が縄文時代よりかなり高い文化を有していたと考えているのですが、この野間半島はその発信源となっていたと思います。阿多鹿葦津姫の存在はあの文化の頂点に存在していたのであり、それを意図して、海人族からの情報を摂取していたのが大山祇命であると言う事実がニニギ命を先ず、「襲」に天降らせた所以ではないかと考えます。

私は南九州と北九州の文化を分けているのは、国見山系と霧島山系による険しい山並みだと考えています。北九州が朝鮮半島、江南、先住民族の混在で多くの国が存在し、政治的には難しい状況であったと思われます。そこへ行くと、南九州には先住民族と、渡来系民族は江南系中国民族の二種族に絞られ、比較的融和な状況にあったのではないでしょうか。古事記にも」、二つの種族・海人系先住民と江南渡来種族(呉が主であったと思われます)の混血が繰り返され、神武天皇に行き着くわけです。

宗教・思想的にも、北九州種族は儒教的なのに比べ、南九州系種族は道教的で、江南の習俗や思考を反映しています。例えば、文身や鵜飼の習俗、末子相続など江南の呉族の影響が顕著です。一方、北九州はどちらかと言えば(八世紀には大和に於いて、北九州系種族が王朝を勝ち取るのですが、多分に儒教的で朝鮮思想の影響が濃厚です)、儒教的で長子相続で文身も鵜飼の習俗も極めて少ない。天忍穂耳命(英彦山神社の際神)やニギハヒ命(高良山大社の際神)は朝鮮系のミコトでしょう。
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狭い部屋は本だらけ、掃除といったて本を片付けるしか何もない。自慢じゃないがテレビも洗濯機もチクオン器もないあるのは照明とラジオだけ、片付けようにも片付け様もない。埃を払い一寸拭き少し移動させる。おもいきって捨てようとは思うが自分でも文章を書き始めてから、一応本を読み漁り、苦しんで読みこなし悪戦苦闘すると薄情にも切り捨てることも出来なくなる。すると、嘗ては、つまらない本だと思っていた著作も何かいとおしくなり捨てられない。大掃除をするつもりが、ただ、移動して積み上げるだけで、終わってしまった。

三時間はかからなかっただろう。腰の痛さだけが残って終了した。今、腰の鈍痛を感じながらこのブログを打っている。
ふと、子供の頃、一日かけて大掃除をしたのを記憶しているが、新聞紙を水につけて細かくちぎり、たたきを掛けて、箒で掃く。汚れた畳をきれいな雑巾で汚れをふき取る。ガスコンロは油を落としてからきれいに水荒いをして、乾拭きする。障子があると処は和紙を破り糊をるって紙を張り、霧吹きをして乾かす。トイレ、床掃除など色々あったと思う。
まあ、便利になって細かい仕事がなくなったのかも知れないが、釈然としない気がしないでもない。

私も気がつかなったのだが、こうして振り返ると、便利になっただけ、私も精神的には怠け者になったのかもしれない、それだけ人の苦労も軽くなったのかも知れないな。その底では、企業もこれでもかこれでもかと怠け症を知らず知らずに煽って行く。その繰り返しが少しずつ精神が腐敗して行くことになって行くのかもしれない。

欲望を刺激して生活を便利にして、それで企業は肥え太って行く、その最先端が金融資本家による利息稼ぎ、それも情報戦とやらで偏って資本を移動させ、高値を作って、安く買った株やそれに類する商品を売って鞘を稼ぐ。昔、講といってささやかに騙しあいをしていた頃はかわい気があったが、大資本で鞘を稼ぐと、これぞもう、罪悪というしかない。(キリスト教では利息を取ってはならないことになっているはずがが、やはり金融資本家は相手が、異教徒なのでいいのかな)

私は、大きく言って、資本主義はもう限界に来たのではないかと思った。個人が神さまの教えで、能力を絞り取に絞って悪知恵をかき集め、よからぬ商売を許しているのは教義に適っているのだろうな。
私は、ある哲学者の能力は自分のものではなく、空気(天かもしれない)のもので、努力こそ自分のものだといったことが、どうも正しいような気がする。神のものは神へ、人のものは人へだろうと思う。

今日は、一年を振り返って、大きく出てしまった。まあ、年越しだ。許してもらおう。
年賀状を書いていたら無性に魚が見たくなった。直ぐに大久保の金魚店に行き三匹の金魚を買った。嘗て、金魚とメダカと一緒に飼って、メダカが金魚に食べられてしまった失敗談があったので、今度は金魚だけにした。

水槽に入れた金魚は誠に美しい、なよやかな身のこなし、うつろな目付き、鮮やかな赤い斑点はなんと言う華やかさだろう。こ一時間は金魚の舞に見とれていた。

今年は震災や原発と嫌なことばかりで重苦しい気分であった。人間関係も少しギクシャクして、一時はどこかに身を隠したい気持ちで郊外をさまよったものである。そんな心理が年賀状を書いていて、自然な思いが私に舞い降りたのでしょう。素直に安らぎを覚えました。来年は仲間ずくりを本気で始めようと思います。人と人の触れ合いこそ大切なことです。震災後の数週間は私は本当に感動しました。しかし、二ヶ月もたたずに日本人の悪い性癖で感動を忘れます。私は他山の石で今でもささやかな献金を続けていますが、もっと自然にあらゆる行為を自然に行いたいと願い、来年はそれを実行したいと念じました。煩悩とは本当に煩しいも0のです。
2011.12.23 裁判競演
大久保・佐賀裁判と小澤裁判が並行して行われている。
質的にはどちらが国民にとって重要なのかを思うと、私は前者の方が遙かに国民にとっては直接影響がある事件であると思っている。検察に証拠を改竄されたら、犯罪は当事者に不利な状況を作ってしまう。それなのに、どちらかと言うとマスゴミは小澤事件に注目度を傾き勝ちで、国民の判断を狂われようとしているかに思える。こういうときこそ、私心を抜きにして、マスコミは法の前の正義を知らせえるべきで、中立を保ってもらいたい。それが私が戦後に米軍の犯罪をに関わって裁判を経験した当事者の感想である。


追伸、この項目とは関係ないのだが、忘れないうちに書いておきたいと思う。
敗戦前夜、広島と長崎に落とされた原爆は異なった種類の原爆です。それはウランとプルトニウムです。戦争を終わらせるだけだったら一種類でよかったはずである。こういう書き方は不謹慎のそしりであるが、あえて言えば、別々な爆弾にしたのは人体実験のなにものでない。私の母は長崎で親類に白血病を発病して苦労していました。いきどうりを覚えます。
大嘗祭において、悠紀殿(東・大和)主基殿(西・出雲)を造る前段階に禊ぎ祓いをした稲実ト部と禰宜ト部が全国の采女(うぬめ)の中から酒造童女を選ぶ、酒造童女は全ての造化の初めを司る。稲を刈り、酒を造り、木を伐り、草を刈るにもまず、酒造童女が手を下す。これは全て国作りの始め、天照大神とそれを補佐する高産霊神・神産霊神の具現であろう。

そこから、大嘗祭の神儀が始まる。まずは、次期天皇は廻立殿で湯浴みを行う。これは産湯にあたるが、そこでは天皇は天羽衣と称する「褌(ふんどし)」を身にまとう。この行為は天孫降臨に際してニニギ命が真床追衾に包まって、日向の高千穂の襲に降り立つ状態を形造ったからに外ならない。大嘗祭の端初は真床追衾から始まる。

「仁和記」と「西宮紀」によると、廻立殿において、東方の小床に御し、天の羽衣を着け、御湯を供し、終わりて中央の御帖(おんたたみ)に御し、次いで西にて御装束(おんしょうぞく)を供奉して、「斎服」を身に付け、大嘗祭に向かう。大嘗祭には、東の悠紀殿と西の主基殿に二つが建物も祭儀も同じでも「延喜式」では両殿は柴の垣根に椎の枝をさした。「屏離(へいり・外の囲い)」の中にある皮付きの「黒木」を囲い、「青草(あおかや)」を葺き、天井には「檜竿(ひかん)」を用い、「蓆(むしろ)」で「壁蔀(かべしとみ)」の裏表にも蓆を付ける。他面には「束草(あつかや」を敷き、その上に「竹すのこ」、又その上に蓆。更に、その上に「白端御帖(しらべりおんたたみ)」を敷き、その「帖」の南の端に「衾(ふすま」と「単(ひとえ)」をおいた。

この内陣に入れる巫女は酒造童女ではなく、「紅家次第」によると「最姫(もひめ)」と呼ばれる采女(うねめ)である。
最姫が短帖(みじかたたみ・神座)の右上に「神の食薦(けこも)を敷き、色々の「御食(みけ)」「八葉盤(やへらで)・柏の葉などを重ねて作った皿状の食器)」を添える。続いて、最姫はその八葉盤を天皇に渡し、てんのうはその上に「御飯(みい)」その他を盛り、それを最姫が神の「食薦(けこも)」の上に乗せる。これを十回行う。次に最姫は八葉盤に酒を「御食」の上に注ぎ、更にその御食の上に柏の葉を置く。これを四回行う。その間は最姫が「先に挟み給うべきもの後に挟み給い、又諸々の咎(とが)あるとも神直比大直比(かんならひおおならひ)に受け給え」と呪言を唱え、神事の奉仕に過誤ある場合の許しを神に乞う。次いで最姫が「箸」を御飯の上に加えると、天皇は「すこぶる頭を下げ、手を打ち、<唯(おう)>といって、それを執り、飯をすすめることの常の如し」という行為を行う。

これは天照大神に神霊をいただく儀式であろう。それは前天皇が受け継いだ天照大神の霊威を天皇が受け継ぐ儀式でもある。

大嘗祭は黒木で新造された悠紀・主基殿からなり、各々同じように「神座」「御衾」「坂枕」などが設けられて、悠紀殿に次いで主基殿の順で天皇による深更、徹宵の秘儀が行われた。
天皇はそこに降臨している天照大神と初穂を供食し、かつ祖霊と合体して再生する所作を行ったと思われる。聖別された稲を食することは国土の豊穣を保証する穀霊と化して、さらに天照大神として生まれ変わり新たな資格を身に付ける大嘗祭の儀式は新天皇の即位が7月ならその年に、8月なら翌年に行う。これは稲の育成、収穫に時をあわせている。つまり、<記・紀の神話>に言う豊葦原瑞穂国の豊饒霊である天皇自ら行う死と復活の儀式が大嘗祭であり、それは村落レベルの稲の収穫祭の宮廷的、政治的集約であった。

もう一つ私が付言するとすれば、この大嘗祭に儀式は天孫降臨の状態に帰ることを意味していることを表わしていると思う。それでこそニニギ命の神話(史実に続く)と続くと私は考えたいと思っている。
今日はあの有名な出師の表についてです。先生は馬稷に思し召しで、かなりの時間を割いていました。画一的な講義なので少々、食傷気味で申し訳がないのですが、今日も別の書籍を読んでしまいました。

今、調べている大嘗祭です。多分、ニニギ命の真床追衾に代々の天皇が引き継ぐ神霊の儀式の原点なので、重要事項に相違ないのです。そこでは酒造童女(さかつこ)と湯浴み、天の羽衣、ト定(ぼくじょう)稲実ト部<いなみうらべ>・禰宜ト部<ねぎうらべ>などが語られるのですが、「延喜式」や「紅家次第」「神今食」が文献ですので、講義の際中読み耽っていました。でも、講義も聴き耳はたてていましたので、その内容は記憶しています。

いつも思うのですが、聴講生は大人しく、質問もおろか咳一つせずに聞いていて、講義が終わると波が引くようにさっと帰ってしまいます。彼等と話したいのですが、取り止めがありません。養成科はもう少し活気があったような気がしますが、講義の経験が少ないので判断がつきにくいです。こんなもんなのでしょうか。だとすれば、何か違うような気がします。
2011.12.20 創作11
浜田山は数年前、町名改名で高井戸に改名した。神田川北側の台地に位置している。神田川に行き着くには、舗装もされていない道を下る。川の周辺は両側、二百米に渡り水田が広がって、神田川から網の目のような水路が引かれ、秋ともなれば、稲穂がそよ風にまるで、黄金の絨毯のようにたなびいている。その美しさは田園そのものの美しさである。
南側の高台は武蔵野の原生林が黄土室の道を覆い尽くし、陽の目さえ見せない。上から神田川を見渡すと、川は大きくうねり、遙か永福町の高台まで連なる。川のうねる所は広い中州を形成し、その曲がりきった所でに橋を掛けて、氷川神社へと繋ぐ。
神社の裏鳥居を潜ると、楢やブナ、傍らには赤松が見られ、右に急ぐと、神社の拝殿に行き着く。拝殿の前は広々とした空間が施され、周囲には神輿を格納する蔵が並べられている。その右側に石座が数個置かれていた。佐伯警部はその一つに座り込み、神社の清らかな静寂を浴びながら、一人黙考する。
神社の南側は雑木林と畑が連なり、ひと一人見ることは出来ない。夕方になると、街頭も疎らで、神として荘厳な気がする。夜の帳は闇が遣ってくると、深い沈黙が赤い咆哮を発するやうな無気味さを醸し出す。神社は沈黙の大王さながらに闇の中で沈思黙考している。一日中、神社の周囲は沈黙に包まれ、人を寄せ付けないと言える。
佐伯警部は石の台に腰を下ろして、この目撃者が見込めない犯行現場に前途多難な捜査をめぐらしていた。多分、通り魔的犯行が予想されるので、お蔵入りの可能性が頭の中に掠めて、臍を咬む思いに患った。
大伴雄三が人間的に欠陥がある人なら、どこかで齟齬が生じて、犯罪の糸が見えてくるはずである。しかし、大伴の省内の評判はすこぶる良好である。利権の温床である業者に至っても、きめ細かい配慮がなされていて、それなりの均衡が保たれている。辣腕と言うより彼は鈍重な雰囲気を醸し出し、妙に安心感を与えて知らず知らずに彼のぺ~スに引き込まれていった。部下に言わせると、大友は根回しが尋常ではなく、蟻を倒すライオンさながらに推理を尽くすと言う。それだけに彼の人脈は甚大で信頼も厚い。そこに彼を憎む要素は生じることが少ないのである。
そんな時、佐伯警部の取るべき方針は捜査の基本である情報収集である。それも原始的な対面捜査であって、過去の記録や情報に捉われることもなく、足で稼ぐことであった。そのために、警部の片腕である鳥居彰浩を四谷署に派遣したのである。合理的な方法で言えば、夜の商売であるスナックを聴取するのには夕方から始めればいいのに、敢えて昼から始めたのにはいくつもの意味が込められているのである。意外性や粘着力、初歩的な捜査の確認を身をもって感じさせることを無言で教えたかったのである。
当然、若い世代はその無駄な捜査に不満を抱く。もっと、インタ~ネットを効果的に使用すべきであり、個々の犯罪の形態を資料室で徹底的にあぶりだして、比較研究してから効率よく捜査に従事すべきだと主張する。特に、菊池刑事はその方法で今まで成果を挙げてきたので、その主張は激しかった。しかし、今回の捜査方針は菊池の意向も退けている。鳥居警部は菊池刑事の顔を時、素早く佐伯警部の並々ならぬ難しい犯罪を感じ取ったのである。
捜査に状況は雲を掴むような状況である。大伴が事件に追う原因が極めて薄いのだ。佐伯警部の経験から推し量ると、通り魔事件を思わせる。しかも、犯人が初犯である可能性が濃かった。大体、事件は有機的なつながりが濃く、通常なら規制の情報を集めることによって、事件の道筋が現れるものだが今回は煙がなさ過ぎるのである。謂わば、佐伯警部の勘なのだが、現在の科学捜査全盛の中で、勘などと話そうものなら、人格が疑われかねないばかりか、部長刑事としての能力さえも軽視されかねない。ここは情報よりは、地道な事実を重ねて行くよりは方法がないのである。
日本書紀の記述によると、安康天皇(穴穂皇子・あんこうてんのう)と木梨軽皇子(きなしのみこ)の後継争いで、穴穂皇子は現代と同様、スキャンダルで木梨軽皇子を追い落とす。
木梨軽皇子は自分の妹・軽大娘皇女(かるおおいらつめのみこ)を愛してしまい、彼女を抱いてしまう。相思相愛で二人はのめり込んでしまう。それを穴穂皇子は利用して、死へと追い込み、皇女は伊予に流してしまう。皇女はその地で亡くなるが、木梨軽皇子は逃げ込んだ物部大前宿祢(もののべおおまいのすくね)の前で自殺する。近親相姦は厳罰だと言うわけである。
しかし、「古事記・日本書紀」では万物の始まりは、イザナミ・イザナギの近親相姦から始まり、天照大神とスサノオウ命も近親相姦である。そのことを思うと、本質的にも事の始まりは近親相姦から始まったと言える。これは、定説ではないのですが、中国・江南思想では許される行いである。反対に、朝鮮半島は儒教精神で近親相姦は禁忌である。(中国・黄河流域の遊牧民族も孔子がそうであるように、近親相姦は禁止である)

この矛盾は、私の仮説では北九州系王朝と南九州系王朝の違いであると思います。八世紀には大和朝廷は北九州系王朝が成立しているので、それ以後は儒教的精神が主流になったのだが、その分岐点になったのが、大化の改新だと私は考えます。

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野田首相さんの福島原発冷却何やら宣言の記者会見を聞いていて、ほっとした。これで、原子炉に従業員が修理に入ることが出来て、コンクリ~トの壁やら原子炉の修理の補強できると、さすが民主党の優秀な棟梁だと感心して聞いていた。
その時、私は雑煮が食べたくて、雑煮を作っていたので、出汁は昆布を沸騰寸前に出しをとり、二番だしのかつお出汁に鶏肉と椎茸、ねぎを入れて、醤油と塩、酒と酢を少々隠して煮込んだ。それに別茹での人参と里芋を加える。
そっちの方が気になっていたので、上の空だったが、安全宣言らしかったのとりあえず良かったと聞いていた。
雑煮つくりの方に意識が言っていたので、野田さんの宣言に等閑だったのは仕方ないが、先ずは、安全はいいことだと呟きながら、先のことを考えていた。
原子炉が安全なら、また、修理に膨大な費用がかかり、利権のための裏取引が始まり、野田さんもお忍びで現地に入って、そろばんを弾くだろうなと考えていた。いや、ひょとすると先々を考えて、土地を購入して、家族を済ませて老後に備える手があるだろうな等と、流石、野田さんは先が見通せる優秀な政治家だと感心していた。それでこそ一石二鳥である。身を挺して国民に実証出来るし、利権も確保できる。流石だと考えながら、雑煮が煮たったので、台所へ走った。
大変な雑煮のでき前で、吾ながら悦にいっていた。美味い雑煮である。二度とこんな上手い雑煮は作れないだろう。良かった、良かったと、胸をなでおろす。
新聞は検察捜査報告書(田代政弘検事)の虚偽が掲載されている。小澤被告公判の証人尋問の際である。珍しく読売新聞が署名入り(田中史生)で報道していた。

<この日の証人尋問で、小澤被告の弁護側は、田代検事が作成した同日付の捜査報告書には、石川被告の発言として「検事から、有識者から選ばれた国会議員なのに、ヤクザの手下が親分をかばうようだと言われたことが効いた」などと記載されていると指摘。一方、石川被告が再聴取を隠しどりした録音記録にはそのやり取りがないとして、田代検事を追及した。
これに対し、田代検事は「数日をかけて、思い出しながら報告書をまとめる際、拘留中のやり取りなどと記憶が混同した。虚偽ではない」と釈明した。>・・・・これは記事の主要部分である。

それに対し、元東京地検捜部長・宗像紀夫弁護士は、書類を書くにあたって、不正確な内容を載せるはずはないと語り、検察審査員を経験した委員が、判断の材料は検察が用意した資料を基にするしかないと、話している。

私はこの記事を読んで、身が震えるのを感じた。この検察審査会に大きな作為を感じるからである。私は小澤援護のためだけに言っているのではない。もし、私が同じ立場にいたら、こうして犯罪が成立することになったら、裁判はどう言う意味があるのかと考えてしまう。

小澤さんの裁判に戻すと、資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる収支報告書虚偽違反事件はかつて、政治の主要な人物をこれほど軽い罪状で拘束することはなかった。元より、検察にも、民主主義の根幹である議院内閣制には一定の見識があって、慎重に考慮されていた。それは、彼等に民主主義を哲学する認識があったからです。
しかし、今の検察にそうした配慮はない。一節には、検察幹部は「小澤を捕るか小澤に取られるか、これは戦争だ」と言ったと言う。
そこには腐敗した官僚制度の温存とある意図的な政治主導、それを超した利権者たちへの阿り(おもねり)を感じる。飛躍的にものを言うとしたら、米国の新市場主義者に加担する偏った日本主義者の臭いさえ覚える。
その根拠は、大店法や日本の20年前からの財政赤字の根幹である内需推進政策(公共投資による不正支出・利権構図の根幹)。これらは米国が要求する「年次要望書」による結果である。(今回のTPPも考慮の余地がある)
私は官僚と一部の新市場主義を推奨する政治家とそれを影で支援をしている米国軍産複合体制者や金融資本家の後ろ立てを見るのは、私が戦後占領軍被害者遺族連合の理事として味わった苦汁の経験による僻みだからだろうか。私はそれには「否(いな)」と胸を張っていえる。それらの経験から味わった苦汁の結果から学んだ認識なのです。

いつも、国を傾ける事件の前には、国の流れを変えようとする大きなウネリを政策として表わしてくる。そして、赤子(せきし・丸裸のあかんぼう)である国民はその巧妙な創作にうまく乗せられてしまう。相手は一枚も二枚も狡猾なプロである。自らに有利なエリアに国民を引きずり込むのは朝飯前なのである。
それに対抗するのは、我々が、自立して、自分の立場を落ち仕込むような罠を見抜くことなのです。自らをしっかり見つめて、マスゴミなどの雑音に紛らされることなく、素直に自分の利益を考えて行動することなのです。もっと、自分を大切に目を見開くことなのです。

私は、今度の震災で愛すべき庶民の姿を見ている。愛すべき庶民は愛されるべきなのです。
独りよがりの老人は身包み剥がれると、何か見えないものがおぼろげながら見えてくる。

私は政治家で嫌いな政治家に、小澤一郎や鈴木宗雄さん達だった。ひも付きの政治屋壕腕・壊しやすく小澤だったし、鬼の顔した薄情な政治家(中川一郎を殺したのは鈴木さんだと思っていました。マスゴミへの傾注の弊害の一つです)と私には映りました。
しかし、今、二人は罪人になってマスゴミはあることない事を書き立てる。何か袖の下の何がしかを感じるが、私も毎日まいにち、ありそうな悪徳を語られると、そうかなと思い始めたことを思い出す。

今、民主党の執行部・野田首相や仙石・前原・枝野の各氏は我々ではなく、あらぬ方向に顔を向けているような気がする。まだ、小澤・鈴木の両氏のほうが真実を感じるのです。勿論、鈴木さんもかつては犯罪まがいのことは行っただろうし、小澤さんだって金にまつわる犯罪まがいの行為はしたはずである。そんなことを言えば、自民党の連中や今、のうのうと省庁で指揮を執っている偉い官僚さまでさえ脛に傷の十や二十はあるはずであるう。

私自体、過去を振り返れば、悪い行いは数限りない忸怩たる思いがする。現在、状況は困難な極致であると思う、過去の悪徳はひとまず括弧に入れて、今この時に最善を尽くすことに視野を持つことが大切なのではないかと考えます。(法は一つの抽象であり、その施行は「人」が使行するもので「人」が決めるものである)

3月11日の震災は、我々国民は太古から沁みこんだ融和精神を発揮したと私は思っていますが、外国人はそれを脅威の賞賛を持って語っています。それは我々を本当に理解していないのです。この行為はごく自然な綿々と続く意識の堆積、歴史の集積なのです。我々日本人が持ち続けたごく当たり前の深層意識なのです。(戦前はそれをうまくされただけです。そうならないために<意識の連続性を我々は強く認識すべきなのです>
国難(あまり善い言葉とも思いませんが、やはり内外ともに国難でしょう)に先駆けて私達はこの先人が残した融和の精神を行使して正悪あわせ飲んで機を一(いつ)にすることが大事なのであると思うのです。

それには自分の尺度で考えるべきなのです。決して、マスゴミやひも付きの邪まな人間の甘言を見抜くことです。自分にやって欲しくはない事は他人に及ぼさない。至極簡単な事から始めることです。融和こそ我々日本人が誇れる性格です。
2011.12.13 古代の出産
つらつら思うに、やはり我々にとって現代は住みにくい時代なのでしょう。人々の意識が消極的で力が萎えています。そのため、子供を作るという行為が後ろ向きになるのも仕方がないのだとは思います。しかし、子供を生むという行為がなくては地(くに)は衰退します。馬鹿になって、がむしゃらに突き進むのがいいのですが、頭にいい人が多すぎる世の中ではこれも仕方がないのでしょう。

古代の出産は興味深い現象だともいます。
「古事記」に吾田鹿葦津姫(コノハナヤサクヤ姫)がニニギ命に自分の生む子を疑われて、吾田姫は土室(つちむろ)に火をかけて、自らの真実を占います。この行為は占いのほか、火で自らを清める意味も含んでいます。

嘗て、古代の出産は、家族から離れ(ヨゴレの忌き)産屋を造り、40日をその小屋で過ごします。室内には砂(土)を入れ、藁を敷き筵を置きます。そして一本の力綱を頼りに子供を生みます。(去年、土偶展を見たとき土偶の姿は立ち出産でしたのを思い出します)出産が終わりますと、砂や藁を取り去り、その小屋は焼かれます。
その血が沁みた砂(地)を産土と言います。
その出産の証こそ、この世に豊穣を齎す力であるのです。産土神とはその土地の守り神を言いますが、女性が持つ創生の呪力がたの邪まな鬼神をも祓う役目を務めているのです。

古代においての出産のもう一つの特徴は、子供は母から離れて、乳母に育てられることにもあります。乳母からは母乳を貰い、人生の様々な知恵をも教えられます。
私はその制度は太古の縄文時代からの継承ではないかと思っています。あの一万年をも続いた平安な縄文文化の根底には、この共同精神があったのではないかと推察しています。

それは飛騨の白川郷にある大家族制にその痕跡を残しています。
一つの家に幼児を抱えた複数の女たちが住むが彼女達は野良仕事から帰ると、一番先に帰った女が縁先で乳を欲しがってなく幼児に乳を吸わせます。それは自分の子であろうと他人の子であろうと関係がないのです。その次に残った乳があれば自分の子に乳を与えます。そこで足りない分は二番目に帰ってきた女がそれを補うのです。
そのようにして、白川大家族制をたも立たせているのです。それはまた、主婦権を持った女が家族に飯を分配する時にも見られる。共同の精神が定着しているからこそなし遂げられることで、だからこそ、家長も主婦の配分を見守っていられるのです。
産屋と乳母制度こそ、日本の出産に関わる根源的な営みだと思います。もう少し、掘り下げてみると日本人の深層意識にあるアミズム意識がこれらの意識を突き上げていると考えます。
今、私達はそのことの意味を再考してもいいような気がします。

古代出産雑話

出産についての話題では、やはりイザナミ・イザナギのマグワイでしょう。
国生み神話で神々を誕生させる際、この近親相姦の出産はどうでしたでしょう。

先ず、「吾と汝とこの天の御柱(みはしら)を行き廻り逢いて、ミトのまぐあいをせむ」と言います。そこで女神・イザナミが「汝は右より廻(めぐ)り逢へ。吾は左より廻り逢はむ」と言い、女神は「あなによし、え男を」と言います。(あなに、とは大変にと言う意味です。え男は、多分見た目のハンサム男でしょう)
すると、生まれたのは「淡路」です。これは流産と言っていいでしょう。そしてつぎには「ヒルコ」です。奇形児といえます。その変事を二人の神達は天に伺いを立てます。天の神々は占って、男神から声を掛けさせ、正常な出産に戻ります。

ここで、気になる用語は「天の御柱」「母権制の否定」「出産を占う行為」「異常出産」でしょう。
伊勢神宮や出雲大社にある「天の御柱」です。柱は色々な意味を示します。石の神形(多分、古来は男根でしょう。これは、邪悪を防ぐ道祖神・石神(ミシャクジイ・荒巾脛)に通じて行きます)、もう一つの意味は神柱(巨木信仰)で、これは私の推察では、雷で、天と地を繋ぐのは雷(神なり)です。神木はここでは重要な役目をします。
つまり、依り代です。神木は外に、櫛や玉串(たまぐし)にもつうじて行きます。
つまり、「天の御柱」とは天と地を結ぶ真如なのです。(真如とは宇宙の大原則と表現してもいいでしょう)

「母権の否定」は縄文依頼続いた地母神神の否定、弥生族の儒教的な家父長制の宣言なのです。地母神信仰は歪んだ思想で凶事しかうまないといった所でしょう。しかし、面白いことにその後、「ヒルコ」は流され、海人族の守り神として「恵比寿信仰」へと結実して行くのです。

「出産の占い」は古くはコノハナヤサクヤ姫の火にまつわる神話に受け継がれます。火といえば、火具土に因るイザナミの黄泉(死の国)行きでしょう。ここに生と死の創生神話の根があります。出産とは多分、運命が齎(もたら)す占い事なのでしょう。暗黒の中のイナズマの印象が濃厚です。出産とは天と地を繋ぐ神事(かみごと)なのです。

イザナミ・イザナギ神話の根底にはこうした創生神話の哲学が横たわっているといえます。
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2011.12.11 創作10
鳥居警部は村上刑事に打ち合わせ会議を申し出て、時間を引き延ばすより仕方がないと考えた。菊池の性格を考えると、三、四時間の待機は覚悟しなければならなかった。引き伸ばしはお手の物ではあるが、他署での見え透いた時間稼ぎは礼を失することになる。適当なところで打ち切らざるを得なければ、見切り発車をも考慮に入れるしかなかった。
しかし、意外なことだが、一時間もしないうちに二人はやって来たのだった。
菊池の顔を見た時、鳥居は躊躇いと驚きで、一瞬、反応することが出来ずに一呼吸置くことになる。
「どうした」
「課長が今回は情報収集は足でやれとのご命令です」
不満そうに菊池は答える。
下高井戸署あざであったでは、佐伯警部がパソコンに向かう菊池を途中で止めさせることは滅多にない。菊池のパソコンによる収集能力はその速さや正確さで他に引けを取らない。彼の情報収集で明確になった事件は少なくない。古くお蔵に入った事件をも光りを与えたのは、彼の分析力と情報能力の高さがなせる業であった。そういう実績があるからこそ、佐伯警部は菊池の遣りたいとうりに遣らせていた。他の署員もその点では苦情をはさんだ事はない。
あの頑固一徹の警部が菊池にパソコンの使用を遮ったのは、それなりの理由があるはずであった。上層部は警部を気まぐれものとか情緒的な思いつきに過ぎないと陰口を叩くが、永年伴に捜査を戦ってきた鳥居には、培った勘は伊達ではないことが解っている。佐伯警部はこの事件が一筋縄ではいかないことを感じているのだ。筋道を立てた論理が障害になるかもしれないと考えているのかも知れない。
「珍しいな。警部がそういったのか」
「そうです」
菊池のことだから、その命令にも食い下がって分析を要求したのだろう。
「それで」
「自分は時々、警部が解らなくなる。自分の分析や情報収集能力を信用してくれていると思っているのですが、今度のように理由も説明もなしに一方的に命令しかしない。変ですよ。説明ぐらい欲しいですね」
鳥居は笑いながら、「警部らしいな」と言った。
「何が可笑しいのです。冗談じゃないですよ」
「まあ今回は言われたとおりにしろ」
「・・・・・」
菊池は無言で鳥居を睨んだ。
今回の一川、山岡大臣の辞任問題は奇しくも、二つの問題が含まれている。
一つは、小澤派、輿石派と野田派の融和問題。もう一つは小澤派の人材不足である。
これは小澤の政治家としての大いなる欠点で、小澤が自分の政見を支持する度量がなく、育成が出来なかったことにあろう。
政治はパ~ティである。一人ではどんな優れた意見を持っていても成り立たないのである。私が支持できる田中康夫議員もまた同じことが言えるのだが、清水(せいすい)には魚は棲まないのである。

もう一つは、野田さんの狡猾さ、いや、財務官僚の狡猾さである。この人事のもう一面は、明らかに消費税とTPPが絡んでいる。
野田氏は消費税に命を懸けていると発言している。私は、予言してもいい。この二人の人事と引き換えに消費税を可決させるための布石として考えている。
最近、国民は愚かにも消費税導入を支持している。(福祉目的税として賛成しているようだが、現実的に狡猾な財務官僚が素直にそれを実行しないのは今までを振り返れば答えは出る)
今日の報道で、消費税の内訳に防衛費、公共事業費、地方対消費税対策費などが含まれている。こんなことは、今までの政治屋や官僚の常套手段である。初め甘い言葉でつっておき、あれやこれやと屁理屈をこねて、自分達の思いどおりに引きずり込んでしまう。この方法は、嘗て米国諜報機関が研究した日本人の諦めのよさと言う特質の行使である。

私は思う、日本は平和なのだ。日本は、もう一度、負ける戦争を仕掛けるべきだと皮肉りたくなる。
確かに、他人の仕事を見抜くのは難しい。当事者はあらゆる事態を想定しいて画策ができる。しかし、部外者はその企みを見抜くことは至難の業であろう。しかし、我々はそれを防ぐ方法を考えなくては自らの首を絞めることになるのだから、細心の注意をしなくてはならないな野田。
真紅の夕陽、まるで血に染められた夕陽が白亜の病院に照り映え、迫り来る闇の黒き影と対をなしていた。父親はベットに横たわり、獣の呻きにも似た苦し気な声を発し、その側では骨ばかりの小さな祖母が神を振り乱して、「悪しきを祓うて助けたまえ天理教の尊」と、呪文のように唱える。それはまるで魔女のように怪しく揺れ動いて怪しい。
傍らでは、母はおろおろ嘆き、二人の弟は火が点いたように泣き続叫んでいる。
それは私が三歳の時の体験であった。後に、祖母に話すと、その情景は真実なので驚いていた。
それはそれから始まる生き地獄の始まりである。

私の家族は父母と祖母そして二人の弟の六人家族であった。父は30歳で日本無線を辞し、建築業・中央建設を起こし、順調に業績を伸ばしていた。
事件はその仕事の帰りに起こった。

それは三年前に書いたブログです。少し頼りない文章ですが、核心は語っています。私の原点であり、考え方の始まりでもあります。遅ればせながら、命が続くまで語り継ごうと思います。
私は嘗て、新聞配達で作っていた野球集団で投手をしていました。そんな関係で、プロ野球には多少興味があります。
最早、その興味も薄れはしましたが、全然、没交渉ではありません。今回の読売の乱も馬鹿な内輪もめですが、私の今度の話題は、横浜DeNAベイスタ~ズの監督問題です。どうやら高田GMと工藤監督候補の意見の相違であったように伝えられています。

これも魚や植物の外来種と国産種と同じで、米国志向のGMと日本的志向の監督の確執であろう。またぞろ外国種の優勢のようだが、いずれにせよ、野球は外来種で根本的には日本の古来からある志向にはそぐわないのです。米国の大野球(メジャ~アという用語は避けてみる)のシステムを無批判的に導入する新市場主義はどうやら、選民主義の延長上にあって、トップを選びそこから球団を運営すると言う考え方であろう。私はこの外国種の国内制覇を見るようで不快である。今、私は日本人の自主性を主張したのである。
馬鹿の一つ覚えみたいで恐縮だが、太古から私達は多神教の指向で物事を考えてきた。しかし、その弁証法的対話の論理、つまり融和の誇り高い妥協主義が外来思想を取り込むと言うややこしい混同が、一件外来種を取り込んでいるように錯覚して、愚かな識者はその根底を見過ごしている。

私は工藤派で「和・倭」をその根底に置く思考法を推奨する。その方が日本人的であると思うからである。流行(はやり)は高田的、いやDeNAの経営手段的なのであろうが、気取って言えばもう資本主義的個人主義の拡大瀬策は曲がり角に来ているのです。欲望を刺激して商品主義を拡大すれば行き詰まるのは目に見えている。ここは本質的な反省が必要なのです。
内需を喚起して和をもって尊しとすべしです。
何でこんな夢を見たのでしょう。私にも理解が付きません。

設定は会社です。不景気で倒産寸前の状態で私達は職務に励んでいます。四面の机が向かい合っていて、私は激しい仕事に疲れたのか、新聞紙をかぶり睡眠を取っていました。その新聞紙の中に、かなり弱った雀の子がソウセイジの切れ端を飲み込もうとしています。体力が減退した雀はそれを飲み込むことが出来ません。それを見て私は唾を溜め雀の嘴の方へ差し出します。すると雀はその唾を飲んだのです。
通常、野生の鳥は飼育が難しいのです。私も嘗て、三羽の雀を飼育したことがあります。一羽目は成鳥でこれは余程、運が良くないと餌をとりません。大体が飢え死にます。私も死なせてしまいました。ニ羽め幼鳥でこれは無理やり餌を食べさして、飼いならしましたが、最後まで私に懐くこともなく早世しました。最後は、羽毛の生えていない幼鳥でカラスに巣から落とされ、運良く叢(くさむら)に落ちて私に拾われました。
この飼育は大変でした。幼鳥は絶えず餌を補給しなければなりません。昼といい夜といいのべつ餌を求めます。体温もかなり高く、巣の温度を冷やしては死にます。ですから、夜中にはニ時間置きに餌と温度を確かめなければならないのです。その時は、冬で薬用カイロを二時間おきに取り替えました。人間の母親の苦労がこの時には身に沁みて理解をしたと言うわけです。仕事もしていたので、泣きたいほど苦労しました。
その先ではまだたくさんの課題があります。餌離れや巣立ち、母鳥は子に学習させるのですが、私はその時も非常に苦労しましたが、ここでは省略します。

その経験がふとした事で夢に結実したのでしょう。雀と私の生活が始まるわけです。しかし、現実とは異なり、夢では会社の上司に見つかってしまい。グタグタといやがらせの末、解雇されます。
そこで夢は覚めます。実に奇妙な夢です。その後、雀はどうしたか解りません。もし、雀を放したとしたら、完全にその雀は死にます。自分ひとりで餌を取る術を知らないからです。
多分、夢はその先を暗示しているのでしょう。夢の解釈は伏しておきましょう。
2011.12.03 思いつき馬鹿
私は友人と話をしていて「おはよう」といってから、その意味についてに考え込んでしまった。普段、何とはなしに使っていたいるが、状況を考えて理解は出来る。しかし、その本当の意味を考えると、私は今まで無批判的に使っていたから「そう」なのだと思っていたに過ぎないことに気がついた。
谷川健一さんは、歴史を「意識の連続性」と唱えた。日本における縄文文化は一万年以上も続いていて、その文化的影響力は甚大なものだろう。その後、弥生文化が大陸からやって来て、文字を伝えたわけだが、基層となる縄文文化を根底から破壊できわしない。縄文人特有の融和精神が表面的にそれを受け入れたに違いないのだ。日本人の底力は今度の大天災に見るまでもなく、究極的な状況で発揮される。文字の侵食もその根まで侵食は出来ないのです。

私は谷川説「意識の連続性」を思うに付け、ユングの集合的無意識を考えるに付け、民族的DNAは確実に現代に受け継がれていると直感しました。そこでまた、一つの生き甲斐を見つけることになります。

英語やドイツ語にも「おはよう」はあります。しかし、意味は解るにしても、明らかにその表現形態は異なります。日本語の「おはよう」は異なります。これは日本独特の表現です。いや、縄文語ではないかの疑問さえわきます。神武東征がこんな所まで波及するとは思いませんでしたが、私の好奇心はもう一つ生き甲斐を用意したようです。何時になるかは解りませんが、「おはよう」の追求も頭の片隅に入れておこうと思います。

追伸(思いつき)
「おはよう」はもしかすると、弥生以後の農耕会話かもしれない。するとその意味は農業に関わる挨拶用語かもしれないが、その原語(元の意味)は縄文語であろう。
これも今は思いつきに過ぎない。極めたいと思う。
前にも書いたと思うが、今年の夏は秋の始まりを告げるつくつく法師が鳴かなかった。私は今年の夏は古代史の推進のために走り回っていました。その私は自然の移り変わりには敏感なつもりです。坂道を自転車をこぎながら、鳴くべき蝉が鳴かないのが不安でした。
昨日は17℃でした。それが今日は7℃です。寒暖の差がありすぎます。これは地球温暖化の現象ではないでしょう。近年、一年置きに東北では大きな地震が起きています。こんなことは70年生きてきて、経験したことがありません。何か胸騒ぎがしてなりません。
日本人はこれまで自然を破壊して来ました。自然は超合理的なリズムで動いています。雨が降り、山がそれを吸収して地面にて貯え、渓流を作り川となって海に注ぎます。底に様々な営みが存在するのです。

南島の伝承で、ジュウゴンは「幸福を呼ぶ神獣」で冒してはならないと伝えています。ある漁師がそれを無視して人面魚・ジュゴンを食べてしまいました。たちどころに災いが降りかかりその男は疫病に罹り死んだそうです。
勿論、これは神話です。迷信を言ってもいいと思います。しかし、語り継がれた話は単なるお話ではないのです。大きな目に見えない力が左右しているのも事実です。祟りとはそのリズムに逆らった時に興っています。邪まな力が正常な心を強制する時に変動は起こっているのです。

昨日、田中某が「アセスメント」(環境影響評価)に付いての暴言で役職を更迭されました。
その発端の少女強姦事件が絡んでいるのも影響していますが、あの美しいジュゴンがすむと言う辺野古の海が軍事戦略のために埋め立てられようとしていることも多きに問題なのでしょう。多分、心の中の精霊が怒りを発しているのではないのでしょうか。
私は歴史の歪んだ意識の滴りがまるでヘドロで汚れた河底のように怒りの声を発しているような気がします。日本の国土(産土)は我々のものです。米国の戦略のものではありません。もう、いい加減に私達のことは私達で決めるべきです。

多分、近年のドロ沼の原因は20年前の内需拡大にあったと思います。我々の利益に兆した政策ならば我々も不平をいわなにでしょうが、他国からの要望で始めて、それを利用して国民の血と肉を貪った官僚や政治屋、悪徳業者が生き栄える要望など認めることが出来ません。その総括、責任追及をしてから始めるべきで、消費税の値上げやTTP加入はその後から出てくる施策です。
私は野田首相に挙党一到は一定の評価をしました。そして首相の給料返上も良い事だと書きました。しかし、日本の外で政策を叫んだり、消費税の値上げを反省なしに強行しようとする姿勢を見ていると、僅かな給料返上などは茶番です。
やはり、初めに憂慮した野田さんは財務省の傀儡だと言われても仕方がないでしょう。
彼のこれまでの軌跡を追っていると、彼は完全に元自民党はやってきた施策を踏襲しようとしています。これは時代への逆行です。その象徴が辺野古の破壊行為でしょう。
私はそこに邪(よこしま)な営みを見ます。これは天罰ものです。ジュゴンの怒りが聞こえてきます。


私の好きな言葉。
「東に美(よ)き地(くに)あり、青山四周(せいざんよもをめぐ)らす」
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