上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
私は敗戦の被害者として直接、占領軍遺族被害者連盟として関わってきた。その戦後史の体験から、大事な事を学んできた。

その中には沢山の教訓を学んだが、その一つに私達は唯一の歴史的原爆被害者であると言うことである。私の母親は長崎の出身なので我が身内には被爆してその後遺症に悩んでいた人もいます。
今日、武田某が原発推進はとして、原発の安全について力説していた。この人の甘言はまやかしである。安全には200年かかると言うのだが、もうその時点でこの人の話にが詭弁であることが分かる。彼は200年生きられるだろうか。彼はその安全になった状態を確認出来ないであろう。その理論的根拠は単なる仮説に過ぎない。
私は帰納的論理の方法論を絶対し出来ない。何故なら、その前提が完全ではないからである。その仮説をあたかも真実のように語るのは科学者として偽者に近いからである。

原子力がいまだ私達が完全に攻略していない分野なのは言うまでもないでしょう。その抑止法を見出さない時点で核兵器を使用した人間達は国際的殺人者なのです。その事実を知っていれば、私達は原子力についてはその利用法を回避せざるを得ないのです。
原爆が齎した各々の弊害は私達子供にまで及んでいます。皆さんは原爆の写真展をごらんになったことがありますか。影のように地面に姿をしみこなせた人、まるで影絵です。肉体の欠片(かけら)もありません。大きく口を開き苦悶の表情のままミイラのように苦痛だけの形骸と化した焼死体、全身ケロイドと化した肉体、木を掴んだまま死に絶えた子供川は焼死体で充満して生き地獄です。私はその写真展を見た時、暫らくは食事は喉を通らなかったのを覚えています。
勿論、私の親類のなかには被爆して一生涯、白血病に悩まされて若死した人がいるのも私の意識の中でそれらの事実と関係があります。

私はそれら経験から原爆については使用してはならないと主張出来る唯一の民族だと思っています。根本的に私達は核を熟慮すべき国民なのです。

それを安易に経済のために利用されてはならないのです。(一部には原子力発電を使用しなければ国際競争力に遅れを取ると説く輩がいます。極論を恐れずに言えばそんな競争力なら負けてしまえばいいとも思います)
私はもう一つ日本は、青山とそれが生み出す清らかな川の流れ、そして豊かな資源に恵まれた海を持つ素晴らしい国なのです。その国土こそ大事な資産なのです。

今、私達は原発事故でその国土と子供達に悪災を及ぼしているのです。最早、我々は眼を覚ますべきなのです。原発は計画的に廃止すべきで、それに変わる電力を考えるべきなのっです。それによって国際競争力に劣るとしたらのその事実は甘受すべきでしょう。金や物質的反映が大事だとは限らないのではないかと私は考えますが、欲望の強い自由主義者がそうは考えないでしょうね。。
スポンサーサイト
橋下さんについては彼の基本的姿勢がはっきりしないので、各論で検討するより方法がない。

彼のバス運転手の賃金減額論は賛成するが、小学生留年論には賛成しかねる。
私の持論は素質優先主義ではなく、努力優先説主義なのでもし、何の努力をしない生徒に関しては検討と生徒と両親の了承が得られれば留年は考えてもいいような気がするが、義務教育の範囲で、上からの画一的な強制は賛成できかねる。

橋下さんは軽い議論が好きな人なので、目が離せないが、こういう煽動的な議論を積み重ねる方法は個から発想する方法なので迅速ではあるが、個人が仕切る場合はかなり危険な部分が生じるので、検討の余地が残る。
ないもの強請(ねだ)りの話になるが、民主主義には多くの議論を重ねるため、何回かの委員会が必要で、そこで独裁や専制を防止するより仕方ガ内のだが、私は慎重にその意見を聞くことが大事だと思っている。

今、我々の意識の底に潜んでいる不満を引き出して煽動する戦略には慎重であるべきなのである。橋下さんがそうした独裁でないことを望む。
若い頃はサウナ好きで週に一回はサウナに行っていた。この頃は、数がすくなっているが、サウナは気持ちが洗われるようで、一種の開放感が得られて爽快である。

開放室でソファで横たわっていたら、隣の若者が袋から煎餅を出して食べ始めた。その横には持ち込み禁止の貼り紙がしてあるのを気がつかないようだと思ったが、係員が巡回に回ってくると、その袋を隠した。その若者は禁止事項を知っていたのだ。

私は今まで世の中が緩んでいると唱えてきた。大上段に政治批判もして来た。しかし、何も世の中が緩むのは、政治家だけが悪いわけではない。政治かも悪いのである。直ぐに、学校の先生を些細な事で直接校長に談判する親たち、また、学校の揉め事を直ぐに警察に通牒する関係者達。何事も安易な行動が目に付く。

サウナの若者をもいていて、この過程がどのような躾をしていたか想像がついて嫌な気分になった。勿論、私は若者に注意したが、「そんなことお前に言われる筋合いではない」と居直られた。その先は容易に想像がつく。悪くすれば、喧嘩であろう。最悪の事態は殺されるかもしれないのだ。こんな人間関係は間違っているのは誰でも解るだろう。しかし、本当は解っていないのである。周囲が消極的なので、いとも簡単に状況は過ぎ去ってしまうのである。つまり、今の政治状況が悪いのは政治家だけが悪いのではなく。こうした一人一人の自覚の欠如こそが原因なのである。約束事を注意して何事もなくなるのは、周囲が協賛し手こそ出来ることなのである。

電車の席でも平気で老人や妊婦の優先席に大またを広げて座る中年や若者達が絶えることがない。このような状況で世の中が良くなるわけがないのである。
驚きと身につまされる思いで行き場を失う思いである。

この文化国家日本で、少なくとも私の子供の頃は、貧しく私自身、二日も水だけで過ごした経験を持つ。あの苦しさ、虚脱感は今でも忘れられない。私は道端に落ちていたガムを拾いドロを吐き出して噛み、飢えを凌ごうとしたが、飢えは去らない。そこで神社の賽銭を盗みこっペパンを貪り食った経験がある。
それは周囲もまた、それ程豊かではなかった。(昭和26,7年の頃)ただ、それに気がついた隣人がいて私は激しく叱責を受けた。しかし、その後でその人々は私の家庭を見守ってくれ、あまり物を差し入れてくれたものです。

現代では餓死をしても遺体が発見されるまで放置されている。発見されてから報道されても遅いのだ。隣人も何をしていたのだ。福祉事務所は機能していたのだろうか。餓死なのである。当の本人達はどんなに苦しく、哀しかったであろうか。

この状況は歪んだ個人主義と市場原理主義(貧富の差)の結果なのではないだろうか。
私達日本人は、古来から多神教の洗礼を受け骨身に染み付いている。。戦後、私に言わせれば、愚かなアングルサクソン民主主義の押し付けによる教育の弊害だと私は思っている。残念ながら浅い思想の押し付けは浅い行動の結果しか呼ばない。古来からのアニミズム的思考法は私達の潜在意識の中で凝縮されているのである。誤解をそそれずに言うならば、私達の根源的な思考法は集団的行動思考、それも家族と言おうか仲間意識の濃い民族制なのである。(白川郷集団がその象徴であろう)
日頃、私は戦後民主主義を勘案に入れて、緩やかな干渉主義を主張するのはそのことなのだが、何せアメリカ的個人主義、アメリカ的民主主義の浅薄な蔓延が個人の尊厳の尊重の美名の下に、施行されている現実は、遺憾ともしがたい。

私は3月11日の大震災の日に日本人の真の姿を見たような気がしたが、あれは幻だったのだろうか。まだ、真剣に被災活動を続けている活動家には頭が下がる思いがするが、もっと私達は身の周り、足元のことに気を配ることを考えなければならないのであろう。
自責の念をこめて、今回の餓死事件を思う。
2012.02.17 創作15
週に一度、佐伯捜査一課長は土曜日に早朝、一時間、個別に打ち合わせを持っていた。
その打ち合わせに、佐伯警部は鳥居を呼んだ。刑事は思惑で語ることをしない。事実を組み合わせて捜査を進める。そのことは、佐伯警部の戒めることであった。その結果、公式の会議では確証のあることしか討議しない。それを補う形で佐伯警部は個別な討議を行う。そこではある程度、想定を含んだ話も許される。
「私は」と、鳥居班長は話始めた。
「害者は人格者として伝わっています。まあ、私達の大伴像もそれと大差はありません。しかし、堀木さんの見解のうち、本人も気がついているかどうか疑問なのですが、面白い話をしてくれたのです」
堀木は多少、ためらっていたが、私的な話でも聴取者が拒めば公表はしないと謂う言葉に誘われて、あくまで「個人の妄想」と言うことでと前置きしてから話し出した。
「この店の人は気がついていたでしょうが、大伴さんは無類のイチゴ好きで、店に顔を出せば、必ずと言っていいほどそれを注文します。それは季節を問いません。私達は季節外れの果物は敬遠します。店長が仕入れが大変なあのが解ってますからね。何せこの店は良心的とはいえ、やはりはなりの高価なものであることはわかっていますからね。けれども、あの高級官僚は我々とは次元が違うのでしょうね。価格は関係ないのです」
堀木龍一は高級官僚ではなかったが、それでも大手商社の社員であった。潜在的に堀木は官僚に対するコンプレックスがあったに違いない。じっと大伴の所作を見つめていたのである。
「あの人はイチゴをホ~クでくちゃぐちゃに潰します。私達も子供の頃は遣っていましたが、成人するとはた目を気にするのか止めますよね」
そうなのである。子供の頃潰していたイチゴにミルクをかけ砂糖をまぶして食べた記憶はある。確かに成人してからは他人の目を気にしのかその行為はやらなくなる。
「力を入れ、なにやら思いを込めて一生懸命するのです。そして、そこに練乳をかけて美味しそうに食べるのです」
鳥居刑事はそれを聞いていて、堀木は大伴に対して、敵愾心とか嫉妬を感じていたのではないかと感じた。堀木はエリ~トとは言え、当時としては最高の就職先は官庁で、その頂点は大蔵省であったはずである。
「私もそうなんですが、蝶の収集というのは、心に耽美主義的志向があったように思います。独占欲とか非情な残虐性が根底にあったのですね。大伴さんがそうだとは思いませんが、私にはそうした潜在意識があったと思われます。それに気ずいたのは、映画「コレクタ~」を見てからです。あの主人公は蝶の美しさに憧れて蝶の収集を始めるのですが、そのうち美しい女にそれと同様の嗜好を感じ、女狩りをし始めると言う物語です」
勿論、スタッテックで体育会系の鳥居にはそんな映画を見たことはない。その当時は勧善懲悪の時代劇か英雄物語しか興味がなかった。後で、参考のためと思って、ビデオで確かめたのであるが、そこには鳥居の理解を超えた、主人公の耽美的なサディズムが描かれていた。
鳥居警部は堀木の考えは異次元の視点で理解は及ばなかった。勿論、堀木は単なる知的な戯れとして、語っているに過ぎないのであり、大伴個人をどうのこうの言う意味はないのであろう。自己分析から、単に非現実的な解釈をしたに過ぎないのだったと思われる。
2012.02.15 振り返れば
創作を書いた動機は単に文章になれる程度の感覚であった。六十の手習いで、苦肉の策だった。
だから、そう大きな構想があったわけではなかった。思いつきで出発しただけである。ただ、古代史と推理構想は前提としてはあった。
そうした経過で、佐伯とか大伴の命名が出来たわけです。三ヶ月経た今、図書館で「今昔物語」を読み、久米の仙人に行き当たったのである。私も久米の仙人については、スケベ親父が女の行水を天から見ていて、俗界へ転落して、女と暮らす。といった物語を記憶していた程度である。
しかし、「今昔物語」では、意外に書き始めた筋書きの佐伯・大伴の登場人物と関係があることが分かった。
久米の仙人は仙人修行をして天に昇るのだが、修行にはもう一人いた。安曇仙人がいたのである。これは私が考えていた天孫降臨の話題に符合してくる。

直、「今昔物語」と同じように「扶桑略記」などがあり、そこには大伴仙人も修行をしていたと言う説もあるのである。

まるで意識したわけでもなかったが、期せずして共通の内容が存在していたのである。これは単なる偶然なのだろうか。この事実を文章修行に反映させたいと考えている。
2012.02.14 腹が立つ
税金の取立てに来た。
義務だから払うものは払いたい。しかし、昨今の施政者のやり方を見ていると、我々は義務を果たしているのに、口先だけで責任を取らない輩にいは本当に腹が立つ。
消費税分捕り亡者は官僚に対しては口先だけで、改革するとのたまっているが、ポ~ズだけだから、官僚と血を見るまで戦う気配は見えない。本気で国民の負担を軽減する姿勢が見えれば、国民だって税金で援助するのはやぶさかではないのだ。タバコをふかせながら、官僚と話し合いをしているようでは、文句の一つや二つも言いたくくもなるだろう。
そういいたくなる。
2012.02.13 創作」14
鳥居警部が素直に聴取をやめたのは、それなりに理由があったからである。
大山鹿子の尋問を控えたのは、予め店の様子を聞き取りをしていて、鹿子の聴取にあった蝶の採取の趣味のある客、堀木龍一が看板あけから遣ってくることが解っていたからである。前回の聴取は店の中での尋問だったので、彼も多分に他人を意識しただろうとの読みで、他人の目を意識しない話を聞きたかったのである。店へ行く数十米の曲がり角で堀木を待った。
六時半に堀木はやって来た。鳥居警部が声を掛けると、一瞬びっくりしたようだったが、直ぐに冷静さを取り戻して、「何か」と応えた。
「少し、そこの喫茶店でお話を聞きたいのですが」
そう聞くと、堀木は素直に「いいですよ」と答えた。
喫茶店はそれ程、客が入っていない。一番奥の席を選んで警部は話し始めた。
「あの時」
というのは事情聴取の時、堀木が言葉を選びながら、話していたのが少し気になっていたのである。
「いいえ、一寸、あなたが言いよどんだのが気になりましてね」
単刀直入に切り出すと、堀木は警部から目を逸らした。
「あることをお思い浮かべたんですが、事件とは関係ないと思い話すのをやめたのです

「そうですか。しかし、何とはない事が真実を含んでいることもあるのです。どういうことです」
堀木は暫らく考えているようだった。
「本当に関係のない話です。私は大伴さんとは店の中だけのお付き合いですが、温和な本当に人格者だと思っています。ただ・・・・」
「ただ何ですか」
「だから関係ないことなんですが、あの人は苺が本当に好きなのか、旬を越えても注文するんですよ。根本さんも苦労されていました。つまり切らさないように工夫していたのを知っていたので覚えているのですが、それを大伴さんはスプ~ンで潰すんです。まるで、仇に会ったように力を入れて潰すんです。それが大伴さんの普段とは落差があったので話そうかと思ったのですが、よく考えるとまるで関係がないし、印象の良くないことなので止めた。それだけのことです」
「確かに、直接そのことは関係はないと思いますが、犯罪は捜査とはひょんなところから、犯行にたどりつくこともあるのですよ。このお話も犯行に関わるかどうか解りませんが、お話し願ったことには感謝いたします。処で、堀木さんは蝶の採集がご趣味とか」
「ああ、お恥ずかしい。子供の頃に夢中で蝶を追ったことがあり、定年で遣ることがないので、健康を考えて再開したと言う訳です」
「そこで大伴さんと話があった」
「そうです。しかし、あの人には知識のせんでは適いません。店の客であらゆる話題も大伴さんに適う人はいないのではないかな。何から何まであの人は人並み以上です。人格と言い、知識と言い全部我々より優れています。羨ましい。嫉妬を覚えます」
上野原遺跡を調べていて、縄文時代が舟でかなりの距離を移動しているのがわかる。5000キロは航行していただろう。

彼等は星座や星、太陽、月などを頼りに海図を使用していたし、雲と風、海鳥、潮の流れ、魚の種類、漂流物、島の山並みあらゆる現象を心得ていて緻密に航行の行方や気象の状況を把握していた。多分、間違って漂流してもその経験は確実に記憶して航行に反映しただろう。その吸収力は現代人の甘さはない。彼等は命を賭けた真剣な行為であったろう。

そこで考えられることは我々が考えている以上に高度の知識を備えていただろうし、数倍の決断力を有していたと言える。だから、上野原遺跡やかこいノ原遺跡が南の種子島から沖縄までしきりに交流をしていたし、北は東北まで東は四国や近畿、関東まで九州産の土器が出土し、黒曜石や翡翠は各地で見つかっているのは、彼等の勇気と経験、高度の判断力の賜物であろう。

私は神武東征がそうした海人族の情報収集力が関与していたと確信しているし、その象徴として塩土老爺が表現されていたのは少しも不思議ではない彼等は少なくとも近畿や少なくとも関東・東北辺りまで情報は収集していたであろう。その結果が群雄割拠する九州より近畿ののほうが将来性があることを、戦略的、経済的に有益と考えた結果だろう。
縄文人恐るべしである。。
2月15日年金受給の日である。政府は(本当は財務省はといったほうが言いだろしている頃だろう。保険金が国庫にざくざくと入ってくる。その積み金は様々の資金運用が出来たはずだ。その無計画或いは心浮かれた資金運用が厚生労働省の無責任な無駄使いを呼ぶ。
一方、政府はその無能な政策で人口少子化を生む。つまり、状況の読み違いで保険料の減少を呼ぶことになる。明らかに、政府・官僚の甘い目先だけの施策が齎した愚かな政策の結果である。
我が優秀な国民はそのことはすっかり忘れている。狡猾な政府・官僚はその淡白な国民性は折込済みで、どんな愚作も時がたてば、国民は忘れることを、いや、責任を追及しない事を百も承知なのだ。

つい、数年前も保険制度を変える時、百年の計と言ったのはどこへ行ったのだろう。言い訳は分かっている。商況が変わったと言うのだ。その読み違いは自己の責任だとは決して思わない。恒に他人の責任に転化する。世界情勢が変わったと。そんな政府・官僚を私は信用が出来ないのです。

ここきて、彼等は最低年金受給制を提唱する。その細項は決して公表しない。つまり、帳尻を合わせるために一番多く支払う階層の支給額を減らすことを格差しているのである。奴等は恒に金、金、金である。しかも、自分達の懐は痛むことのないように上手く遣るのである。

一年前だろうか、年金の手取りが6000円も少なかったことがある。奴等は、勝手に介護保険を年金から差し引いてきたのである。(私はこれを決めた議員諸君に大変敬意を払う。彼等は人口問題に配慮してのことなのだ。誠に人情を無視した客観的な施策である)
本音を言うと私は政府の行う介護保険には加入したくない。保険金を払いたくないのである。そうでしょう、先々でどう変えられるか分からない制度に参加するほど私達は余裕はないのです。それなら、つき好きの小額資金の方が身につくのです。

私は今、政治を握っているのは官僚(特に米国の息がかかっている財務省)をまったく信用していない。彼等は自分達の利害を先にか考えて計画を練る。そんな頭脳に操られている議員に何を託そうと言ったらいいのです。
TPPにしても、米国の狙いは彼等の国益を優先なのは目に見えている。多分、私の偏見による意見は米国の真の狙いは、保険の自由化だろう。米国は金で政治が変えるシステムである。議員会館に圧力団体が札束にモノをいわし、個人献金と称して(米国は一割の金持ちと九割の貧乏人の国である)自らに有利な政策を買うことが出来る国です。今、その支柱にいるのは金融関係者と武器製造者です。そんな国に操られては日本はどうなるか分かったののではありません。
多分、現実的には彼等金融資本が狙っているのは郵貯でしょう。勿論、米国の雇用率を上げるために様々な輸出をかくさくするはずです。そこで影響があるのは日本の労働者です。

多くの日本国民は米国に蝕まれ、なお貧しくなるに違いないのです。そうすれば、介護保険もまた、変更を余儀なくされるのです。そんな制度に乗れますか。官僚は資金の収支を考えていれば安泰なのでしょうが、操られる庶民は先細りなのです。
そんな制度をどこで信用すればいいと言うのです。もう一度、言います介護保険を払いたくありません。
小澤一郎が彼の政治信条は仁徳天皇の「国見」の思想だと言う。それを信じてここに少し長くなるが掲載してみようと思う。(本当にそうであって欲しいが)

「古事記」
<ここに天皇、高山に登りて、四方(よも)の国を見たまいて、「国の中にけむり発たず。国、皆貧窮(まず)し。故、今より三年(みとせ)に至まで、悉(ここ)に人民(たみ)の課(みつぎ)、役(えだち)を徐(ゆる)せ。」とのりたまいき。ここをもちて大殿、破れて壊れて、悉に雨漏れども、かつて脩(おさ)め理(つく・造)ることなく、ウツワモノ(建物)をもちてその漏れる雨を受けて、漏らざる処に遷り避けもしき。(雨を避ける)後に国の中を見たまえば、国にけむり満てり。故、人民(たみ)、富めりと為(おも・思)ほして、今、課(みつぎ)、役(えだち)を科せたまいき。ここをもちて百姓(おおみたから)栄えて、役使(えだち)に苦るしまさりき。故、その御世をたたえて、聖帝(ひじりのみかど)の世と謂(い)うなり。>

仁徳天皇は山に登って、「国見」をして、煙が見られないのを見て、税金や使役を三年免除し、自らも住居の修繕や食事を倹約し(一説には、ぼろをまとい粗末な食事であったと言う)、三年後に、「国見」で村に煙を確かめてから、税金を納めるよう指示をしたと謂う。

官僚と政府の輩はこれをかみ締めて欲しい。
黄泉戸喫(よもつへぐ)いとは、イザナミ命の黄泉での発言である。つまり、黄泉の食べ物を口にしたため葦原中国に帰れないと言う意味である。

この一説を私も良く考えずに見過ごしていた。しかし、日本放送(ラジオ)でア~サ~・ビナ~ドが原爆と原発について話していて、米国・ペンタゴン(彼はペテンタゴンと言う)が日本の軍事防衛について指揮権を発動していると、話しているのを聞いていて、ふと、米国が武器と金貸しでなりたっている国だという私の持論を思いついた。

多分その主柱にいるのは、ユダヤ系の米国人ではないかと想像した。感覚的に言えば、シェ~クスピアのベニスの商人である。根無し草のユダヤ人が金融で世界を席捲しているのは周知の事実である。
これは私もそれ程深く考えなかったが、一歩踏み込むと、色々な問題を含んでいることに気つかされる。

キリスト教では同胞に金を貸したとき、利息を取ってはならないと諭している。ただし、異邦人には別であるそうだ。この選民思想は恐ろしい。ふと、日本に原爆を落としたのはそんな思想からではなかったからではなかったかと、思いついたからである。

根無し草と選民思想が異邦人なら何をしても構わないといった考えが垣間見られたからである。何だか分からないがその時、イスラエルは何であんなに財政的に豊かなのだろうと考え、それは世界各国に散らばっている資金のせいではないかと思った。
そこで中近東に戦争が起こり、核を使うのはイスラエルではないかと空想してしまったのである。どうかそんな危険な行為は自重して欲しいと、ふと、黄泉戸喫いから連想してしまった。

白日夢である。どちらかといえば、連想ゲ~ム見たいな物だが、現実にならないことを願う。

黄泉戸喫いは深い。
私はもう、どの位の古代史に関する書籍を読んだろうか。かなりの量である。

読んだ感想を言えば、悪し様に言ったり、無視をしたりするところに真実があるような気がしてならない。
例えば、「古事記」や「日本書紀」で<襲>とか<空国(むなくに)>と述べる。つまり、たいした国ではないと言うことだろう。「熊襲」なぞとるにたらない蛮族だろう。それなのに大和からわざわざ蛮国へ軍隊を率いて遠征をすることはないと、常識的に思う。リスクが多すぎるではないか。

私は「襲」は「會」に比定するのですが、大体の学者は「襲」を明記する。そうした表現を見るにつけ、南九州は重要な何かを秘めていると想像する。つまり本質的な問題を抱えていると言うことである。学者の学派があって思い切った事がいえないのであろうが、そのことがものの本質の解明を遅らせているのを解るべきである。古代の書籍を読めば読むほどそう思う。

「會(熊襲)」の地である大隈周辺には上野原遺跡がある。ここではBC9000年の縄文・早期のもので、そこから集石遺構や連結坑(蒸し器と燻製器)それに道筋が湧き水場所に通じ、52基の竪穴住居が建てられている。そのほか、貝殻文円筒平底土器・耳飾り・土偶・異型石器など各地の縄文遺跡に先駆けて高度の文化遺跡である。
この地は三回の大噴火に見舞われていて、それにめげずに再生を繰り返している。

會族は生命力豊かな民族で、かなりの知恵を持った民族である。「記・紀」から受ける印象とは違って優秀な地方豪族の印象が私にはある。
八世紀に大和王権は「熊襲」征伐にてこずっているのは、「會族」が優秀な証左である。

初期南九州系王朝はかなりの勢力があったと私は推察している。ただ、八世紀にはその権勢は、結果として衰退しており、その史実が不明であるが、そのことは今後の課題であろう。
縄文時代に、九州本土から薩南諸島(種子島・屋久島・トカラ列島・沖縄列島など)に行くには、九州の東側、大隈側を通って行く道と西側、薩摩の方から進む経路があり、外に琉球列島から北上する道もあった。
薩南諸島への道で、九州東海岸、大隈半島から向かう道は、先史時代から拓かれていた。

そればかりではない。海人族は、多分小さな丸木舟でかなり遠洋まで出かけている。
私が驚いたのは、黒潮や対馬海流に乗って北上するのは、困難ではあるが、ありえることだとは思っていた。しかし、その反対に北国から南に航行をするのは、縄文時代では不可能に近いと考えていた。

ここに考えられない縄文時代の遺跡がある。薩南諸島・種子島中種子町・熊毛郡納棺・大園遺跡では、東北地方の縄文・晩期の大洞(おおぼら)式土器が出土している。上原俊雄は、大洞式土器が「2000数年前に海を越えて薩南諸島に齎されたとしても不思議ではない」と述べている。

いやはや、素人にはこの発言は脅威に値する。常識的に対馬海流の流れに逆らって(いくら海流には反流があると言っても、それは本流に比べれば非常に短いはずだ)、東北から薩南諸島へ航行するのは至難の業であろう。私達が考えている以上に、縄文時代の海人族は、舟による航行はよく行われていたのかもしれない。

そのことは海人族の他国との交流・交易は行われていて、かなりの情報が掴めていたことも考えられるのである。
種子島の大園遺跡はそのことを認識させるよい例であろう。
私達が考えている以上に縄文時代の文化は高かったのではないだろうか。私は完全に縄文時代に対する視点を変えなければならないと考え始めている。
久米の仙人は天上から女性の洗濯をして、白い脛を見ていて雲間から落ち俗界で生活するようになった。

私はこの説話をどこか聞いたうような気がしていたが、思い出せなかった。ふと、昨日、天孫降臨を検討していて、はたと手を打った。

天から降りて、女性に出会う、そして女を娶る。この構成が久米の仙人の構成が似ていることだ。つまり、久米の物語は天孫降臨の俗化であったのである。少しこのことを考えてみたいと思う。

そこで久米仙人について調べると、今昔物語に久米仙人について書かれていた。
「寺には二人の仙人が修行していた。その名は一人を安曇といい、一人を久米といった。安曇は先に修行が成就し、天に昇ったが、その後で久米も仙人になって空に上ったが、川で洗濯をしている女のはぎの白さに欲情し、墜落して女の前に落ち、その女と住むようになった」と言う。

ここでも安曇と久米は同僚として書かれている。「扶桑略記」「元亨釈書」を紐解いてみたが、やはり同様な内容であった。(漢文なので、苦労しました。若い頃もっと勉強しておけばよかったと思う)
私はこの古事記や今昔物語の符合は天孫降臨や久米、安曇が同じ土俵にいることは同じ元本があったということだと思います。・・・・また勇気が湧いてきました。
八世紀に「古事記」「日本書紀」が編まれるわけだが、太安万呂にしても舎人親王、そしてそれを支える八世紀の頭脳である「記・紀」の編纂者にしても、「襲」の地に上野原遺跡(BC9000年)があり、笠沙には、かこいノ原遺跡(BC9000年)が存在していたことなぞ知るよしもなかったろう。

それにつけても、天孫降臨の行程にそれらの遺跡が存在し、神と人の血縁(ニニギ尊とコノハナヤサクヤ姫・吾田鹿葦津姫)がそれらの地で行われたといたのは単なる偶然だろうか。
私は「記・紀」の編纂者は現代の最高頭脳を集めている様なもので、いやそれ以上に真剣に編纂に取り組んでいただろう。(命がかかっていたかもしれない。現代より罰則は強かったであろう)その伝で言えば、資料の収集も命がけだと言える。「襲」の地の情報も地元の伝承も確実入手していたはずだ。大隈や笠沙の太古の伝承(現代で言う遺跡の伝承・・・・そう言えば、「記・紀」や「風土記」には古老の語り部が目立つ、塩土老爺もその部類だろう))も伝え聞いていたとしても不思議ではない。

天孫降臨神話もまた、その伝承が土台にあったと言うのが私の推定である。だから、神話は結果として、地元の遺跡を取り込んでいたのが「襲」(私は「襲う」は「會」であると思い、「會」には蒸し器や大釜の意味があると言う<白川静・字通より>)偶然ではないと判断したのである。

考えれば考えると、「記・紀」はあらゆる条項は包含されている。まったく、「記・紀」は素晴らしい古書であると私は考える。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。