上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
橋下大阪市長が短期的に大飯原発を認めた。私は橋下氏の今までの発言は概ね賛成できた。
ただ、彼は大阪府知事に立候補する時200パ~セント立候補しないと言ったことを思い出していた。政治家は嘘は常套手段で信用していなかったが、彼はあの時は我々と同じ目線の人だったはずです。平民の誇りで「嘘」は徳に反すると心にたたんでいたはずである。だから、あの時彼が嘘をついた時、私の心の中では橋下は「目的のためには手段を選ばない」政治家中の政治屋だと決めてしまった。
だから、その後の彼の正当な発言は何か心に架かるものがあったが正当な意見として友人などには賞賛してきた。しかし、今度の「原発解禁の発言」はそれが政治的発言だとしても、眉唾ものとして、容認できない。彼はこうして、周囲を見回しながら、自分の危険な思想を小出しにして行く。彼には「嘘」はなんでもない武器なのである。

私は言いたい、彼を見くびってはいけない。本当は、危険な人物かもしれないのだ。しかし、正論は正論である。ケ~スバイケ~スでお付き合いしようと。
スポンサーサイト
貴州、雲南州辺りの布依族・壮族・タイ族・苗族ら少数民族の伝承について収集していて、「狗耕田・兄弟分家」伝承は日本に伝わる「花咲爺」物語の原型であることを知ると、ますます、江南と日本列島の繋がりが濃厚なのが判る。

これは伊藤清司の「雲貴高原の民間伝承」による判断だが、それによると、朝鮮半島にも同じ伝承が存在している。これは朝鮮もまた、貴・雲省の伝承の影響が窺われる。
私は「倭」と「苗族」との関係を考察した結果なのだが、「倭」の一分野である「苗族」はますます、日本列島の・特に南九州との関係が濃くなったと考えられる。

壮族の「狗耕田」(花咲爺物語の原型)はこうである。
兄弟が分家し、親の遺産を分けた。兄は財産を独占し、弟には一匹の犬と僅かの田圃しか与えない。ある日、弟はその犬に犂(すき)をつけて、田を耕そうとした。牛の群れを追いやった男がそれを見て嘲り笑い「犬が犂を曳いて耕作できるなら、この牛を全部やろう」とからかった。ところが、犬はそれを見事にやってのけ、弟は牛を手にいれた。兄がそれを知って妬み、弟から犬を借り、真似て通りがかりの人と賭けをして負ける。兄は怒って犬を殺す。弟は犬の死骸を貰いうけ、埋葬し、その塚の上に竹を植えた。
竹は、みるみるうちに成長し、その上から金銀が降ってきて、弟は大金持になる。兄はまた真似をし、竹を強く揺すると、犬の糞が降ってくる。怒って竹を切り倒す。弟はそれで鳥かごをつくり、にわとりを飼うと、籠の中はたちまち、卵で一杯になる。兄はまた真似をすると、にわとりは皆、死んでしまう。怒って壊し、籠を燃やしてしまう。弟はその灰を集めて、白菜畑にまく。すると白菜は船ほどの大きさに育つ。弟は町に出かけて、船主にその白菜の話をすると、信じない船主は弟の話に賭けをする。弟は船主を白菜畑に案内し、その賭けに勝ち、得をする。兄がまた残りの灰を自分の畑にまく。すると、、やはり巨大な白菜が育つ。小踊りして喜び、早速町に出かけ、別の船主に賭けを申し込み、その船主を畑に連れてくる。しかし、大きかった白菜はいつの間のかしぼんでしまい、財産を失ってしまう。

花咲爺は老人同士の話だが、木の話は兄弟になっている。しかし構造的には同じで、欲張りな方が財産を失い、正直で欲のないほうが財産を得る。と言う話である。ここでもう一つ大事なのは「犬」がその発端を作ることだ。

江南の「倭族」特に「苗族」には、<犬祖>神話が有り、「犬}が自分たちの祖先だと伝承されている。南九州には「犬」にまつわる伝承が多く、特に隼人の「犬の遠吠え」は宮廷にまで持ち込まれている。
その世俗化が「花咲爺」の話に象徴されたと思われる。日本独特の借りもの話である。
「日刊ゲンダイ」に、小澤裁判の裁判長に東京高裁第四刑事部の小川正持氏(62)を決め、早速、指定弁護士に「控訴趣意書」の提出をはやめるように支持したという。小川氏は嘗て、「推認」をした前科があると言う。

私は裁判官にあってならないのは、状況証拠だけで判決を決めることはあってはならないということである。
裁判の判定は、証拠と自白が原則である。(法の客観性)そこに固執すべきである。裁判の独立性は堅持すべきで、政治的な判断をすべきではないと、説に願うばかりである。

「日刊ゲンダイ」だから少し偏りがあるので、鵜呑みは出来ないが、この裁判官の経歴は、原告よりの判決が目立つが、裁判官の選定はどうしているのだろうか公開して欲しい。
大谷幸市さんは縄文の渦巻き紋の原点を、S字紋と逆S字紋におき、その意味を「同質でありながら、異質な二者の合体による生命の誕生」と考える。それは雄と雌との生殖行為の結果生まれる子供の意味だろう。その図案化で二つが合わさって連続させると渦巻き模様になる。そのバリエションが連続、複合模様であると言う。

「古事記」・イザナミ・イザナギの国産み神話で神々を創生する件(くだり)で天御柱を回る話がありますが、その旋回が大きな着想だそうです。ゆず巻きはその動化だそうです。

もう一つ、私は二年前、上野の国立博物館で行われた「土偶展」で土偶はバラバラされ地中に埋められ、ある者は入墨をいている。また、朱に塗られた者もいた。
入墨の風習は南の習俗で理解できたが、朱は、「血か火」の象徴か理解がつかなかった。「火」は性交の意味もあり、邪気をはらう意味もあって(賽神・道祖神・地蔵は性の神でもある)、「火」もあるとは考えたが、何か納得がいかなかった。
「血」は地母神から出産の印象があり、「血」も考えられるとは思ったが、どうも今ひとつ納得がいかない。
そんな時、大谷説の生命誕生の象徴の図案は朱の象徴化になって、ありえると思った。
慶応大学院教授・岸博幸氏が欧州の格付け会社が日本の国債の格付けを下げたと述べ、私見と断って、財務省は消費税利率を上げるため、介入する可能性はあると解説していた。

勿論、岸氏は可能性を述べたに過ぎないが、私はそれはありえる行動であると推察している。
それ程、財務省は肥大、爛熟していりると思っているので、私は大いにありえると思っている。そして、岸氏はそんな財務省を国民は怒りの抗議をすべきだと主張している。彼も積極的に声を上げると文化放送の朝の番組で報じいた。私も賛成である。今の日本人は事態が進行して、姿を明らかにならないと、動かない。これは昔からの性向で、危険で官僚はそれを舌を出して、計算をしている。私は戦後の占領軍犯罪を通じて、そうした現象に遭遇して何度も臍(ほぞ)噛んだ経験がある。とかく、世論は権力者の思想捜査に左右される。彼等の力は広域で確実に浸透させるノウハウを持っている。そうでしょう彼等は明治時代からそうした操作の専門家でもあるのだから、朝飯前の仕事である。
私達はそのことを深く肝に銘じべきである。残念ながら官僚を改革する直接的なスベはない。だからこそ、民主党の唱える政治指導は重要なのだが、現在の政治屋は完全に官僚、特に財務省に取り込まれている。今、大事なのは強権を駆して、官僚に望める政治家なのである。それが出来なければ、国民が動かなければならないのだ。官僚は政治家のように選挙で選ぶと言う行為が許されていないにだから、仕方がない。だが、それは「岩を赤子が動かす」より難しい。

岸氏が述べるように、陰険な財務省の役人が姑息な手で自分たちの権利をごり押しすると言う行為ありえることだと私も考えます。桑原、かわばら、世も末だ。
国際政治評論家・小西勝也さんはG8の宣言と日本のマスゴミとの表現の差を怒っていた。
G8は各国、経済成長と雇用促進を宣言しているのに、日本の報道人は揃って、緊縮財政を書きたてている。
これはドイツの緊縮論の阻止であると言われている。世界経済は経済成長が肝要でこれ以上の緊縮は経済を破綻させるとといている。

それなのに、マスゴミは明らかに誤報とも思われる緊縮論を垂れ流すのは、野田消費税値上げを後押しする世論誘導に他ならない。多分、財務省の圧力であろう。財務省と言うより、現代の官僚は自分で汗を流して、苦労するより、安易な方法で財源を得ようとする自分本位な気質を押し付けてくる。
今の日本人は多少無謀なことを押し付けても反抗なぞしないと、高を括っている。まあ、そのとおりなのだから、仕方がないと言えば仕方がないのだが、このまま行けば最後には自殺者が増え、人々の焦燥感が高まり、偶発的な犯罪が増えてくるのは目に見えている。
そんなことは、計算高い官僚は百も承知で、他人が死のうと争おうと自分の腹は痛まないと思っているのである。

小西さんの話を聞いていて、彼は本気で怒っているのを感じ、私も小西さんの言う、財務省のリ~クを阻止したいと考えた。早速、抗議文を財務省に送ることにする。
私は以前、制度を多様化するのはその国を衰退させると発言した。
基本的には、裁判員制度も検察審査会制度も反対である。裁判官や検察官の質の低下は素人である庶民に参加させて改革するのではなく、担当官の質を向上させる方法を考えるべきで、素人を選抜してそれらを審査・決定させると言うのは本末転倒である。

政治家と言うものは、現代のようにその本来の役目、社会正義の遂行であるはずです。その本来の意味を忘れた輩(やから)はただ、技術だけが優れてしまい、己の欲望だけが先行して国を傾けてしまう。
如何せん、庶民はどう転んでも、プロの技術には及ばない。素人を騙すのは赤子の手を捻るより容易いものである。今の政治屋はどうせ自分の利権が優先して、国をどう理想に近ずけるかなどと言った、労多くして益の少ない行動など面倒なのである。名誉と財産を同時につかめる手取り早い方法を選ぶことに汲々としているのが現状なのである。
そういうヤカラが人を騙す技術は専門的な知識があるだけに、素人を陥落させるのは容易であるのだ。
私はこういう世の中だけに、素人を専門職に参加させてはならないと考えている。もし、プロを鍛えるなら、彼等の行為を公開して、そのことを審議する諮問機関を設置すればいい。決して素人に大事な裁判に関わる事項を決めさせてはならない。操られるだけである。そして、その責任は、結果として庶民が負うことになるのである。自分で自分の首を絞める必要はないのだ。
「銅鐸の秘密」は臼田篤伸と言う人の著作です。この方は歯医者さんのようで私と同様にお歳を召してから、考古学に興味をもたれたようです。
銅鐸を中心に古代史を論じておられるのですが、大変面白い説もありますが、如何せん青銅器は縄文初期まで及びません。
彼の時代区分と民族区分は、縄文時代、弥生時代、古墳時代に分け、土器・土偶、青銅器や銅鐸・甕棺、古墳に分けて、縄文人、弥生人、天孫人に分けます。ここでは先住民族と朝鮮半島しか視野に入っていません。天孫族までも北九州に限定されます
、少し、正確に「古事記」を読めば、天孫族が朝鮮半島から渡来するには難しい問題が山積しているのがわかるでしょう。九州は険しい山塊が数多く存在して九州南端への移動は地理的に難しかっただろうと想像されます。
日向の高千穂の襲は、やはり宮崎か鹿児島が妥当だと思われます。天孫族が北九州とするのは、考慮が足りません。それに彼は銅鐸が南九州に出土していない事から、彼の頭の中から南九州は除外されています。これは偏狭といわざるを得ません。
私は、以前より述べているように、北九州と南九州と先住民族の確執が古代史を形造ってきたとしています。鳥居龍蔵教授が苗族を南九州の渡来にまで関与させている事実を彼は無視をしているか、知らないで古代史を語っているしか思われないのです。勿論、鳥居教授が正しいと決め付けているわけではありませんが、そこにふれても良いことではあります。

彼はこういいます。
「弥生時代は短かった。おおざぱに言えば、中国の戦国末期~魏・呉・蜀の三国時代に重なります。弥生最盛期に漢帝国の覇権の余波で朝鮮半島から天孫族が北部九州に侵入してきます。最終的には天孫族が弥生人を駆逐し、支配したのです。そこにドラマを感じ、栄枯衰退を見、一つの優れた戦具の「賞味期間」みたいなものを感するのです。探検のご紹介の行間に、それがにじみ出るように、と願っています」

私は天孫族が弥生人を支配したと言う説が理解できません。弥生人もまた、銅鐸を携えて朝鮮から渡来した同族ではなかったか。たとえ、彼等に新羅、百済、高句麗と民種の差異があったとしたらその葛藤を述べなければ為らないでしょう。天孫族の渡来が朝鮮以外と言う発想はなかったのでしょうか。

「古事記」をよく読むと、天孫族の末裔の神武天皇は東征にあたり、北九州から大和へ先に東遷しているニギハヤヒ命(私は弥生人だと解釈しています)の存在を臼田氏はどう解釈しているか聞いてみたいです。そうした細やかな視野がこの説にはかけているような気がします。

銅鐸のみで古代史は語りつくせません。あくまでも、私は谷川健一教授が唱えられているように、時代を総合的に考えるべきだと思います。谷川説は各分に広角的です。私は谷川先生の銅鐸説を支持します。
東京新聞は日本人の米国離れが著しい。極端な個人主義や覇権主義金権主義が排され、穏やかな思考が芽生え始めた。これは東日本大地震や福島原発の経験から、日本人の価値観が変わり始めたと言うものであった。

私はこういう表層主義には反発がないわけではないが、少なくとも、我々日本人が戦後の呪縛から離れる契機になっているかもしれない。
米国はその大多数がそうだとは思わないが、一部の権力を持った金権主義者たちが政治を動かしている。軍産複合体や拝金主義が主流の世界で、具体敵意にはキリスト原理主義とユダヤ金融資本が権力を握っている。そういった選民思想が世界から忌避され始めたのである。
沖縄の米軍在留もまた、そうした米国の独りよがりの思想から生まれたものである。戦略的にも倫理的にも、最早在留の意味を失っている。それを維持しようとすれば、歪んだ行動しかできえない。イラクの庶民虐殺の延長線に沖縄があるので、私は予言できるが、イラク並みの犯罪が起きます。彼等の思想は良かれ悪しかれ庶民に反映していて、その底流では危険な衝動が渦巻いていると言える。
我々庶民は潜在的にその臭いを嗅ぎ取っているのだ。元々、我々日本人は事なかれ主義を好む。よく言えば平和主義者なのである。
今、私は我々が自分の手を動かし、自分の頭で考えるそのことが大切なのである。一考を促したい。
「青銅の神の足跡」の項目の中で、比較的知識の浅い「銅鐸」について、もう少し調べてみようと考えた。
銅鐸研究の所期の研究者の中で「鳥居龍蔵」の研究結果に私は大変、興味を抱いたのです。

鳥居は銅鐸の起源を、「苗族(みゃおぞく)」の銅鼓においている。銅鼓は祭祀・特に葬式の際の祭具で、首にかけて鳴らしている。その音は厳かで胸に染み入ると言う。銅鼓は、白川静教授の「字通」によれば、「南」ともいい、南はまた、江南の苗族のことも「南」と呼んでいると述べている。どうやら彼等は呪術を使う「山の民」らしい。
その彼等の祭具「銅鼓」は日本の「銅鐸」と同様に、地中に埋められていて、楽器であったと鳥居教授は語ります。

鳥居教授はこう述べています。
「銅鼓の古い形式のものは背が高く区郭のなかに各々、図画があります。今、東京で発掘のそれについて見ると、区郭内の図画は人物が長い木杵と臼とで穀物を搗く所、床の高い倉庫、家屋もあります。両端の上に舟もあり、楯を持っているものもいます。なかんずく、舟の近くに水鳥がいて、この鳥は「鷺」であります。鹿もいます。文様は(銅鐸と)良く似ていて、幾何学紋様と渦巻紋があります」と具体的に語り、これは著しく「銅鐸」と共通すると力説します。そして「南シナと我が国と地理的に最も近い、一衣帯水であります。もしも二者の間に船と言うものを以て連綴(れんてい)せば、全く橋梁のようなもので、往来は最も便利であります。かかる南シナと我が国との交通往来の道があるとせば、昔から人種学的の関係もないとは言えない」と述べます。

私は鳥居教授のこの説に痛く興味を覚えました。
そこで少し銅鐸を調べてみたいとの志向が芽生えたというわけです。
2012.05.20 銅鐸について
銅鐸のことを「さなぎ」と言う。それは「蛹」が再生動物であることから名ずけられた名称である。
例えば、蝶は成虫から葉に卵を産み、幼虫となり蛹になって、冬を越す。そして、春に脱皮して蝶となるのである。つまり、再生の象徴として、「銅鐸」を「さなぎ」となずけたのであろう。

「苗族(みゃおぞく)」の祭器として使用する、「銅鼓」は日本の「倭の銅鐸」のように土の中に埋められ、なんらかの祭祀に使用されたと思われる。
銅鼓には四個の蛙が刻まれ(同数の小鳥がその間に記するときもある)、しかし、蛙が主な書き込みと言える。その蛙が鼓面にあるのは、掘り出される時に、まず蛙が地上に現れる。蛙は冬に冬眠から、春に生き返る。恐らく、鼓面に蛙を表現する意図は農耕儀礼と関係があるだろう。稲が再生して豊かに稔ることを祈る構図であろう。

銅鐸の「さなぎ」はそれと同様の構図がある。<再生>と<豊穣>の祈りが、「苗族」と「倭」の間にはある共通点が窺われる。これは、単に偶然とは言えない様に思われる。

また、「苗族」には犬祖伝説や入墨の風習があり、「倭」にもそれらの習俗が見られる。特に、南九州の隼人には犬祖や入墨の習俗があり、民族の共通性が窺われる。。
谷川健一さんの著作はかなりの資料を要求している。正確に読み進めるには、その引用文を確かめなければならないのだが、余りの数の多さに追いつけない。だから、消化不良のまま読み進むことになる。

この主題の一つに「銅鐸」があり、以前から私も「銅鐸」に興味を持ってはいた。しかし、「銅鐸」はそれを知る文献が少ない。形式やそこに描かれた象形文字かと思われる絵画も解明されていない。「銅鐸」は多分その始めは「銅鼓」であると、私は考えているので、その辺の勉強もしてみたが、文献が少ないために消化不良である。

「銅鐸」はその形から、「釣鐘」を思わし、私は直感的に葬送に関した祭器ではないかと、あたりをつけて、その辺の資料を探したことがある。
そこで行き着いた先に、「苗族(みゃおぞく)」の銅鼓があった。銅鼓を彼等は「南」と言う。そして古代中国人は「苗族」をも「南」と呼んでいた。「南」はどうやら、彼等の葬儀の神器であり、首に架け祈りと共に供したと言う。その音は荘厳で魂をも貫く神秘さに満ちていると述べられている。「南」即ち、「苗族」は葬送を司る祭司であっただろう。

苗は、草かんむりに田である。農耕に従事した文字であろう。それが、畑作か稲作かははっきりしないが、穀物に関わる文字なのはわかる。「苗族」は農耕に従事した民俗でその祭祀に関わる種族であろうと思う。

「苗族」の出自は、黄河流域で、黄帝にそこを追われ、長江流域に移動したと言う伝承がある。そこでいくつかの種族に分かれて、連合国を形成し、伝承では「三苗(さんびょう)族」として栄えたと言う。かなり高度の文化を持ち、金属文化や優れた城壁技術を有していた。それは灌漑技術も含み、もう農業生産の多くあったと推定される。私達が考えるより高度の国の形成がなされていたようである。

良渚遺跡は彼等の文化の集積が見られると、言われています。その「苗族」の首長が神話で言われる<しゆう>です。この優れてた首長の<しゆう>は紀元前2000年の大洪水で長江を追われ、比較的被害の少なかった黄河中流域に生活の地を求めて移動します
。しかし、そこには先に黄帝が君臨していて、有名な神話「琢鹿の争い」になり、初めは<しゆう>軍が優勢でしたが、黄帝は天の西王母の応援で「跋女神」を応援に下して<しゆう>を破ります。

何やら、神武東征の神武天皇への天照大神の助力を思い興します。

「三苗(さんびょう)」軍は撤退を余儀なくされ、やむなく長江中流域の洞庭湖周辺に退きます。
この伝承は「三苗族」が「倭の種族」のさきがけのような気がします。その後、「倭」は百越といわれ、「越」が「倭」の代表のように語られますが、私は「苗族」こそ「倭」の始原だと思っています。詳しいことは後日に廻すとして、ここでは「苗族」が「倭」の始まりだと言うことを述べるに留めたいと思います。

「苗族」は犬祖伝説をもち、入墨の習俗や銅鼓を土に埋める習慣など日本の「倭族」との共通点が多いのです。
銅鐸の扱いも、「苗族」の銅鼓の祭祀としての扱いも酷似していて、その習俗は共通しています。
(私は、苗族も「呉」をそのカテゴリィの中に入ると思っています。「呉」もまた、「日本の倭」との接点が多いので大いに関連を予測しています)








そこで
やはり、検察(官僚側)のり~クが始まった。勿論、それを理解していて、マスゴミは言論統制的な報道を垂れ流す。
この所、田代政弘検事の不起訴が報道され始めた。それにマスゴミは正当とするような論壇を張る。

私はこれこそ、検察審議会の議題だと思うが、多分、それも俎上に載ることはないだろう。庶民への言論操作と言う政治的な誘導だからである。

考えても見てくれ。「記憶の混同」などと言う子供騙しを誰が信じるだろうか、しかし、何回にも渡り「記憶の混同」を流すことにより、我々は条件反射的にちらりと、そうかも知れないなと思わせるように漂わせて行く。すると、「お忙しい余り物事を正確に掴まないで過ごしてしまう、寛容なおばさん方」は「そうなんだ」と刷り込まれてしまう。直接、生活に響かないものだから、「まあ、いいか」となる。

マスゴミはそれを良く理解しているものだから、「いそいそ」と報道記事や映像を垂れ流す。

だからこそ、私は小澤起訴を取り上げるのだ。田代リ~クに比べれば、小澤報道は政治的な悪意に満ちている。その基盤を理解して反対なさるなら、それは一つの見解なのだから私は正当と理解するが、今の状態はとても、許すことは出来ない。

我々は、はっきりとこの違いを理解した上で自主的に行動をするべきなのである。
もう一度、言っておくが、私は小澤氏を全面的に支持しているわけではない。小澤の政策が、少なくとも他の政治家より正当性があると思うから、ONEOFTHEMEとして支持するのです。
十歳頃の話です。私は浜田山に住んでいました。小さな町で一面畑が連なり、鎌倉街道を南へ下ると、神田川に行き着きます。そこは盆地状でその周囲は水田が川を挟むように整然と並んでいました。秋ともなると、稲穂は黄金色に輝き、まるで神田川の頂(いただき)、八幡神社から眺める光景は絨毯を敷き詰めたやうな見事な眺望でした。
神田川は澄み切って、川底がはっきり見えてウグイがその流麗な姿を現しています。水温はあくまで低く。暫らく川の中にいると唇が紫色になったものです。
神田川の水源である井の頭公園の池は沸き水をたたえて、そこから今にも竜が飛び出してくるかのような美しさでした。春ともなれば、桜が満開で池の水面に映える光景は一福の絢爛たるパステル画を思わせました。

しかし、今はどうでしょう。水は濁り、水源である湧き水は完全に涸れてしまっています。吉祥寺のビル建設による造成が地下水脈を涸らしてしまったのです。私が十六歳頃には、浜田山も宅地造成が続き、排水を神田川に流したため、水は濁り、醜いヘドロで灰色の川藻が底を覆って悪臭さえ漂っていました。

現在は少しは改良されて川に生物は戻ってきたようですが、昔の清冽な川は望みべくもありません。一度、壊した自然の体系は元には戻らないのです。勿論、子供の頃、あんなに楽しみにしていた八幡神社の秋祭りは行われることもなく、今では苔むした古い神社でしかありません。隣には幼稚園が建てられ、にぎやかな子供の空騒ぎが聞こえます。聞くところによりますと、神社の経営だそうです。

私は八幡神社が好きでした。神社のウラの林はブナや楢、樫が生い茂り、クワガタムシやカブトムシ、それ木の樹液を吸いにアカタテハ蝶やヒョウモン蝶、マダラ蝶は群がります。それらの虫を採取することが私の貧乏生活を癒してくれたものです。
それらの想い出はもう帰ってはこないでしょう。哀しくもありますが仕方がないことです。
そんなことを思い描いていると、今の世の中が虚しく思われ、いたたまれない気持ちにさせます。多分、その原点が、私に様々な行為の衝動を掻き立たせているのではないかと思います。

だからこそ「東に美き地あり、青山四周らす」の故事が胸にしみるのではないかと、つらつら考えます。それは日本の国の本心ではないかと認識します。
私が小澤裁判に執拗なのは、曲りなりも戦後の米国占領軍被害者遺族連盟の補償法制定運動の一環で、犯罪裁判を起こして行く過程で悉く政治的横槍で挫折してきた。その経験で、自民党・司法、防衛官僚・米国の捻じ曲がった思想で敗訴してきた。

一部の社会党(その代表は北川愛郎氏など)や共産党の代議士は強力に応援してくれたのだが、如何せんその当時は彼等は少数派で正論が通じなかった。それに引き換え自民党の諸氏は哲学より経済学に熱心で、何かにつけ言い訳に終始して廃案や敗訴に追い込んだ。

日本の保守議員は米国や財界、官僚に顔が向いていて、我々選挙票の少ない弱者には救いの手を差し伸べようとはしなかった。自分たちの保守のために正義より経済を優先させたのである。

この構図は現代でも生きていて、何やら奇怪な権力欲のために、庶民を助ける勢力をそぎ落とそうと懸命になる。

私が知るところでは小澤イデオロギィは地方分権にせよ、米国からの自立にせよ、教育制度改革にせよ、私達に不利益になる思想は見当たらない。ただ、田中角栄流の金権体質は少なからず過去はあったし、自説を通すために権謀術数を駆使してきた嫌いはある。そのため小澤の周囲には分身が育っていない。政治家としては大いなる欠点である。政治家に人脈、知的ブレインの集団は必須の条件である。それを小澤は軽視してきた。その影響が今、出ている。それだけでなく、戦ってきた敵に恨みだけを残してしまった。敵は結束して小澤を追い落としにかかるのは、小澤の改革的な理論が、その恨みと、既成保守派にそぐわない力があるからである。小澤が孤立するのは自業自得といえば言えるが、私は感情を抑えて考えると、小澤支持に行き着かざるを得ない。

今回の検察審査会の控訴を私が反対するのは、このシステムが未熟なのと(三人の弁護士だけに裁量権を与えるのは民主主義の原則に反する)、明らかに主流の弁護士に資金の汚れではなく、思想の汚れを感じるからである。この控訴には、司法の視線より政治的な偏りを感じるからである。

そんな時に「日刊ゲンダイ」に検察審査会の三人の略歴を見出したのである。「日刊ゲンダイ」だから少々頼りないが、まあ、意見として窺うとしてここにご披露しておこうと思う。

先ず、驚いたことに、この構成員は「第二東京弁護士会・全友会」であったということである。そこに仙石由人が顔を出していたことである。仙石が「人権派」とは片腹痛いが、明らかに大室弁護士とは話が出来ていたと考えるのが自然ろう。
この記事を読む前に、大室が聞かれもしないのに、「誰にも圧力はなかった」と語った時、私は他律の臭いを感じた。それがこの記事で得心がいったのだ。

私は今までの経過を読み、自らの経験に照らし合わせて、一つに邪まな集団の圧力を許さない。それは国を傾ける要因になるからである。
このような検察審議会は反対だし、小澤控訴は税金の無駄使いで、(馬鹿を承知で言わせてもらえるなら、敗訴の場合彼等に裁判費用を払ってもらいたい)敗訴の場合は何らかの責任を取ってもらいたい。安全の衣で助けられてやりたい放題の垂れ流しはやめて欲しい。戦後、間違った民主主義思想でどれほど国が歪んきたか、私は身をもって学んできたからである。
木花開那姫(このはなやさくやひめ)は、大山祇(おおやまつみ)の娘であり、国生みや神々を生んだイザナミ女神の系譜でもあります。イザナミは縄文時代の土偶・地母神の延長上にあります。
二年前、私は東京国立博物館で開催された「土偶展」を見ました。土偶は明らかに、出産を表している女神です。中には朱を施すものもあり、顔に入墨をしている土偶もありました。

土偶の入墨については学者の間ではあまり注目がされていませんが、私は縄文時代から南方の習俗がそこに見られると感じています。特に、中国の江南との交流は想像できるのではないかと考えます。滝川政次郎博士の説く南九州と江南の交流はあったのではないかと、その「土偶展」で感じました。

いずれにせよ。イザナギやコノハナヤサクヤ姫と土偶(地母女神)は繋がっていると確信しました。それは南九州(野間半島・加世田市)と中国・江南(または南方諸島)との関連もまた色濃く反映されているような気がします。

天孫降臨のニニギ命が日向の高千穂の襲(會・そ)<鹿児島県・大隈地方>に降り立ち、笠沙<野間半島・加世田市>に行き、コノハナヤサクヤ姫(吾田鹿葦津姫・あたかしつひめ)と遭遇するわけです。

この襲(會・そ)は甑(こしき)とも通じ、甑には蒸し器・大壺の意味があると、白川静教授は「字通」で述べています。奇しくも、會の地(大隈地方)には縄文草創期(約一万年前)に上野原遺跡が発掘されていて、そこには蒸し器や大壺などが発掘されています。これは単なる偶然だとは思えないのです。
ことによると、「古事記・日本書紀」の編者達は「風土記」等の収集を通じて古老からの「語りべ」として認識していたと考えられるのは強ち、妄想とはいえないと思います。

ニニギ命が會(襲)から笠沙で大山祇の娘・コノハナヤサクヤ姫(吾田鹿葦津姫)と遭遇して血縁するわけですが、吾田姫はまた、その背景に遺跡を担っています。

吾田は隼人の別称で、この地には、やはり縄文草創期(一万年前)にかこいノ原遺跡が、加世田市で発掘されていて、そこには丸ノミ式石斧が出土しています。それは丸木舟を作る道具でもあります。丸木舟は遺跡として発掘していませんが、縄文時代から丸木舟が作られ、航海がされていたことは大いに考えられます。事実、薩南諸島にはこの石斧が出土していて、かこいノ原石斧文化圏を形成しています。

つまり、吾田姫はこの文化の象徴的存在として考えても間違えはないでしょう。

天孫降臨のニニギ命が、江南(私はそれは呉国だと考えています)からの渡来したと仮説して、吾田姫は野間半島(加世田市)の先住民の女性でそこで融和した考えると辻褄は合います。

天孫降臨神話は襲(會・そ)から笠沙へ移動する時、ニニギ命を天忍日命(あめのおしひのみこと・大伴氏の祖先)と天津大久米命が笠沙へ先導したと「古事記」では語っています。(「日本書紀」では天忍日命が久米氏を部下として使っていたと述べていますが、これは「日本書紀」の政治的な創作でしょう)

ここで加世田市から、縄文時代の発掘で興味ある土器片があります。それは上加世田博物館で展示されている、「久米」の文字を刻んだ土器片が存在していることです。
この野間半島の「久米を刻んだ土器」は久米氏が笠沙(加世田市)に居住していた事実を証明しています。ニニギ命を先導した「久米氏」は史実として存在していたと言うことがいえると思います。
但し、「久米氏」の存在はそこで途切れてしまいます。だが、私は土器を製作するほどの事実を尊重します。それは一般的な行為とは思われません。やはり、意味がある事実だと思うのです。だからこそ、私はこの遺跡の周囲を検討しようと思っているのです。

いずれにせよ、吾田姫と大山祇との関係は、南九州の先住民族の問題を含んでいるので重要な課題であります。追求するのが楽しみでもあります。
天目一箇神を頂く伊福部(いおりべ)の物語。金属にまつわる伝承が主題である。谷川健一教授の著作であるが、難解といえば難解な本である。大著であるので気合をつけないと読みこなせない。
金属の民は山の民でもあるので、今、私が取り組んでいる大山祇神との接点があるかもしれないと思い、読み進んだのだが、少し焦点がずれていたようだ。

谷川先生としては、少し苦労されているようで、判りずらい所が多く、リズムが乱れ勝ちである。読みずらい。しかし、注目に値する内容であることは事実である。読破するつもりだ。
歴史的には法律は簡素化されている時代こそ世の中は活気がある。

それは各部署が正確に法律を施行しているからである。倫理観が浸透していれば、人は充実した人生が送れるものである。しかし、誠実が後退している時代は、自主性が希薄になり、他人任せになって、強力に主張する人間に引きずられて行く。つまり、自分で物事を確かめる意欲が後退するからである。

裁判審査会制度や検察審査会制度がそれであろう。裁判官や検察官の倫理観が充実していれば、おかしな判例などは生まれるはずはないのである。
私は両制度の設置の反対派である。特に裁判員制度は反対である。特に量刑の判断なぞ出来るはずはない。それより基本的に人が人を裁くことが原罪に触れるようなきがする。私はご免だ。断る。

裁判は極力簡素化するほうが望ましいが、こう世の中が濁りきってしまうとちと迷ってしまう。どうなることやら憂鬱である。
2012.05.11 大山祇神
大山祇神はイザナミ・イザナギの子で山の神とされている。

しかし、その本願は伊予大三島・大山祇神社の社伝では山と海の神であるとする。祭神は大山祇神と磐長姫である。木花開那姫(吾田鹿葦津姫)は摂社であるのだ。(摂社とは関係神社で脇役である)
「古事記」ではニニギ命が襲(會・ソ)の地から笠沙(能登半島・加世田市)へ下り、血縁するのだが、その時の主題の女は吾田鹿葦津姫である。<ニニギの問いに姫は大山祇神が父だと答えている)四国の大山祇神社の祭神には疑問がある。
吾田は野間半島の海人族の名称であり、この地には一万年前のかこいノ原遺跡がある。そこには丸ノミ式石斧が出土し、太古より丸木舟の存在が予測され、古代の航行が他国との交流があったとされる。その吾田の象徴的存在が吾田姫であろう。ニニギ命が渡来的貴人と仮説すれば、黒潮交流の文化的結果ともいえる。

これらは、古代の文化的象徴の神話と私は理解している。確かに、四国も黒潮文化圏内ではあるが、笠沙との距離が遠過ぎる。それに、「伊予国風土記逸文」によると、仁徳天皇の代に大山祇神は百済から渡来した。と、している。これも私には疑問がある。笠沙と伊予は繋がりにくい。人は「古事記」のほうが問題があると言うが、本居宣長ほど「古事記」が正しいとは思わないが、基本的にはそこから出発する。正偽は個々に質そうとするのが私の精神である。

その伝で行くと、「古事記」の神話の方が史実に近い。吾田姫・大山祇神とニニギの関係は南九州の會(襲・ソ)が主要舞台だと考えるが、文献は少ないし、伝承もまた、語られていない。本当は国分市へ実際に行き、見聞するのが得策なのだが、如何せん経済的な余裕がない残念だが先ずは、図書館から駆逐しようと思っている。

余分だが、大山祇神・「八俣大蛇神話」の手名椎・足名椎もまた、その親は大山祇神である。随分とかけ離れた神話ではあるが、いずれはこの神話をも探求しようとも思っている。

また「日本書紀」では木花開那媛が彦火火出見尊を生んだので、父神・大山祇神は喜んで、狭名田(さなだ)の茂穂で天酒(あまのたむけざけ)を造り、天地の神々に供したと言う。これを穀物から酒を造った始まりとし、大山祇神を酒解神(さけどきのかみ)、木花開那媛を酒解子神と呼んで、酒造の祖としている。

「出雲神話」は以前述べたことがあるが、鉄争いのような気がする。スサノオウは高天原と葦原中国との架け橋の役目をになっている。国譲りとの関係があるかもしれない。
天酒造りは稲文化・弥生時代以後の話で、酒の君・秦氏との関係にも言及しなければならないのだろう。

今まで調べた文献はそのくらいだが、まだ物足りな感が残っている。大きく俯瞰すれば、山の民と海の民の相克の
物語であろうが、もっと具体的な伝承や遺跡が欲しいと思う。



法律とは本質論ではなかろうか。
私達が法律どうり生活をしているだろうか。多分、法律の核を意識しながら、その周辺を強弱を持って生活をしている。

例えば、私は経理を担当している時、節税と称して、脱税すれすれの行為をしていた。黒字枠を減らすために、ありもしない会議をでっち上げ、領収書を集め、議事録を作成して経費を捻出して、黒字を減額する。
これは勿論、法律違反だ。卑近な例だが、不法投棄も一度や二度ではない。つまり、私の過去を顧みれば、灰色に満ちていた。そこを根堀り端堀りほじくれば、罪は出てくるのは当然であろう。なにやら、カミュの「異邦人」を読んでいるような感覚に陥る。

私は小澤一郎が白などと考えてはいない。しかし、時代が田中角栄を生んだと言うように、小澤も生しめてしまった。だから、この当時の政治家はほとんど、小澤と同じ行いをしている。一歩踏み込めば、これは私達の誤りでもあるのである。議員は国民が選んだ代表者なのである。

それを認めつつ前に進むのは、認識して未来の行為を考えるしかないのである。私は贖罪として小澤を許し(と言うことは他の議員をも許して苦渋の自己反省をしなければならにないのであろう)、新たな生活を築くための前進をするより仕方がないだろう。
自省をすることなく、他人を排除する欺瞞的行為こそ罪であることを自覚しよう。未来が大切なのだ。
政治資金規正法違反に問われた小澤一郎氏は検察審査会の強制起訴を退けた。無罪判決である。
検察が起訴できない案件を、捜査権もない検察審査会が判決以上の結論を出せるわけがないと、素人の私でも判断が付く。識者も審査会が無罪決定を覆すことは常識的には考えられないと話している。これも私には理解が出来る。

それなのに、検察審議会の弁護人は控訴だそうだ。私には理解が出来ないのである。勘ぐってしまえば、司法以外の判断が操作しているとしか考えられないのだ。

判決の中には検察を非難するような文面もあり、それは「田代検事の取調べ調書」に対する件であろうと私は思うが、皮肉を込めて言えば、こちらの方が検察審査としての重要性があるように思う。そのことには弁護側にも国会議員にも一言も触れることがない。私に言わせれば、審査会の弁護士もそのレベルの頭脳の持ち主だと考える。本当の正義と言うよりは、職業としての損得勘定で動いているようにしか思えないのである。否、太鼓もちののかもしれない。

もう一皮剥いて、もしこの訴訟が小澤ではなく、「私、個人」に置き換えてみると、身の毛が立つほど恐ろしい。つまり、微罪で起訴をされ、根堀り葉ほり罪を穿り出そうとする卑しさが垣間見られてこんな弁護士には私は弁護を頼みたくはないと考えてしまう。ここにも、野田氏のように他人に操られた傀儡(くぐつ)の存在を見る。
私が最も大事にするものは「自立」である。ここには他律の雰囲気がぷんぷんとする。

後記・(5・12)
やはり検察審査会の控訴は作為的なものであった。
三人の弁護士は、大室俊三氏、山本健一氏、村本道夫氏である。彼等の談話には温度差がある。
村本氏は、三人だけで控訴を決めるのは気が重いと述べている。
山本氏は、控訴で裁判を無用に長引かせると言う考慮がある。と言う。
大室氏だけが自信満々で三人が一致して控訴したと述べる。その談話から推測すると、大室氏が強引に控訴を主張して、控訴に持ち込んだと思われる。
私は山本・村本氏には苦悩した弁護士の姿を感じる。これは玄人の悩みであろう。それに比べ、大室氏はど素人か頭でかっちの職業人か、傀儡者であろう。どう言う経歴の先生か知らないが、官僚に似た人間なのだろう。私も裁判を仕掛けた人間として、濁った感覚がする。制度や世の中を濁らすのはこういう人間なのだ。もっと弁護士としての自覚を促したい。
テレビで狼信仰が、三崎神社、釜石神社、山津美神社で行われていると言うことである。
釜石神社では、一ヶ月に一度、米を炊き込み深山の谷へ供すると言う。その際、米には決して人の手が触れないようにするのだそうだ。米を供える様子は人には見せない。秘密裏に行動する。
三神社は山岳信仰の延長上にあるのだるう、山の中に建立されている。

私が注目したのは、そのうちの神社では山津美神社である。
山津美の山はそのままの状態であろう。津美の「津」は接続詞で「美」は霊(み)の意味で精霊の意味である。山の神様を祀る神社であろう。そこに狼信仰が加わったと言えよう。
但し、山と海の神であるという説もある。山は山である、津美は「ツム」とも解釈され、「舟」の意味もある。それは山の民と海の民の融合が根底にあると言うのが識者の見解である。

確かに、日本の神話・伝承には、例えば、ニニギ命と吾田鹿葦津姫の融合や山幸彦・海幸彦、神武天皇と塩土老爺(塩は潮である。土の「つち」は「つ」が接続詞で「ち」は<霊・ち>の意味である)神武天皇は江南の渡来人と南九州の先住民族との混血の末裔だと言う説もあり、どちらかと言うと海の民族とも言える。

このように日本列島の住民は海人族と山の民の混血で構成されている。
狼信仰が現在でも存在すると言う。
その本意は私にも結論は出せない。ただ、その記録映像の中で、3・11震災に及び自然を我々は傷つけた。その報いを受けている。と報じ、新宿だろうか若者達がお祭り騒ぎをしている映像を見て私は、ある著書を思い出した。

エリア~デの「神話と夢及び神秘」(地母と宇宙的聖婚・1957年)である。

我々は皆の母を農作によって、傷つけたり、伐ったり、引き裂いたり、引っ掛けたりするのは罪だ。私に地面を耕せと言うのか。刃物を取り上げて、私を生んだ母の胎に突き立てることが、私に出来だろうか。もしそんなことをすれば、わたしが死んだ時に、彼女はもう私を二度と自分の胎内に受け容れてくれはしないだろう。鋤で掘り起こし、石を取り除けと、私に言うのか。母の肉を害して、骨をむき出巣コトが私に出来ようか。もしそんなことをすれば、私はまた、再び、生まれてくるために、彼女の体内に入る事が出来なくなってしまうだろう。私に干草にする草を刈り取り、それを売って、白人のように金持ちになれと言うのか。自分の母の髪を切り取るような大それたことが、どうして私に出来ようか。

これは北米・原住民ウマティラ族の予言者の言葉である。

大地の自然状態を何らかの仕方で破壊することで、そこから人為的に食物とか、その他のものを発生させたり、獲得する人間の文化的生産の営為は、それゆえに全てが地母の身体を容赦なく傷つけて、切り刻む殺傷の上に成り立っていることになる。
と、エリア~デは述べている。
私はこの指摘は、人間の根源に関わる深い意味を伝えているように思える。
眼に見えぬ大きな求心力と遠心力がお互いに絡み合い、因縁で包まれて作用した結果、抜き差しならない宿業が私達を暗黒の闇に引きずり込もうとしているのかもしれない。その救いは何なんだろう。
直ぐそこまで救罪に遣ってきているようにも思えるが、そ知らぬ振りして通り過ぎて行くような気配も感じられる。光明はあるようで届かぬ奇妙な雲行きが私には苛立たしいし、不安でもある。
図書館で、岩松了の戯曲が目に付き、通読する。
かれこれ三十年前だろうか。岩松が江本明の「東京乾電池」で本を書いていた時分、二三の戯曲を読み、芝居も見に行ったことがある。まだマイナ~もいいとこで、観客も少なかった。しかし、奇妙な雰囲気があり、私は立て続けに三本ほど見た記憶がある。その時は、イヨネスコやらピランデルロ、ベケット、鶴屋南北、清水邦夫などに傾注しており(多分、私がカフカの変身に衝撃を受けていた時分だったと思う。映画ではベルイマンの野いちご、冒頭のイサクの棺おけと無人の町並みが頭にこびり付いて離れなかった、ブニュエルのアンダルシアの犬もまた痺れていた)その延長上に岩松了がいたのだった。
岩松は、淡々とした日常にまるで出来物のようにふと、非日常性が顔をのぞかせる。超現実主義、一般的だが、ダリの描く夢の瞬間、現実と非現実の割れ目からのぞく奇妙な異物、サルトルが言う嘔吐の意識、その虚実皮膜の世界が実像化する瞬間が想像されていることに私は感激したに違いなかった。

その後、馬鹿な私は、酒に溺れて、現実の酒場で管を巻き、フラストレィションを発散されいい気になっていた。つまり、様々の現実世界の苦難から逃げていたに過ぎないのだったが、一応、生き続けていたのである。

そのときには、私は過去の様々な経験を全て捨てたようなものであった。

そんな自堕落な生活を五年前に気がつき、また、戦後史を通して古代史に余生を過ごす縁(よすが)を見て、古代史に私を埋めてみたいと、今日に到ったと言うわけである。
すると、過去の幻影が脳裏から引き出されてきて、私を楽しませる結果になったのである。こう言っては何だが、記憶というものは馬鹿にならないもので、この歳でも覚えているものである。キッカケさえあれば、鮮明に蘇えってくる。それが、先日の図書館で見つけた「水の戯れ}である。

そして今日、古いアニメを見ていて、宮崎駿の映像にある古代の意識を感じた次第である。
私の古代の空想は、青々とした山と渓流、海である。塩土老爺と先住民族(勿論多神教が根底にある)、入墨をした渡来人が心に浮かんでくる。私がもし、アニメのシナリオを書くとしたら、そこに幾重にも重なる次元の膜を設定して、それらの古代の人々を描くだろうと思う。小道具は鋭いナイフで、次元の膜をナイフで切り裂き、次元を自由に表して展開するのも面白いと想像した。

この歳で若返るのもまた、楽しからずや、である。
私この所、三年前に書き残した記録を解読している。数えていないので何冊かは解らないが、かなりの数になっていると思う。

今日はその中で、平家物語の八俣大蛇伝説を考え直して見たいと思う。
正直、私もこんな記録が記憶に残っていなかった。読み直していると、考えさせられることが多いのだ。それは私自身、知識も判断力も進化している証なのである。先ず、その文章を紹介しておこう。

昔、スサノオウが出雲国・簸の川の川上に下って行かれた時、国の神、アシナズチ・テナズチの夫婦の神がおられた。その娘に容姿端麗の娘がいて、稲田姫と呼ばれていた。その親子三人が泣いている。それを見て命(スサノオウ)が「どうしたのだ」とお尋ねになると、彼等は答えて言うには「私達には八人の娘がいました。それが、みんな大蛇のために飲み込まれてしまいました。もう、一人しか残っていませんが、それも飲み込まれようとしているのです」と告げる。八俣大蛇は頭・尾が八つあり、それぞれ八つの峰、八つの谷に這いつくばっています。霊樹や奇妙な木々が背中に生えている。幾千年たったか解らないくらいのものである。眼は日月のように光り輝き、毎年人を呑む。犠牲に為るものの親は哀しみ、村の南北は哀しみで浸りきっている。それを聞き、命は哀れに思われ、この娘を湯津の爪櫛にして、髪に刺して隠した。そして、八つの酒樽に酒を注ぎ美女の人形を作って高い丘に立てた。その美女の影が酒に映っている。大蛇はそれを人がと思って、飲み込み、酔いつぶれた所を命は剣で(十握の剣)で大蛇をずたずたに切り殺した。しかし、尾の部分はいくら切ろうとしても、切れなかった。命は不思議に思い横からでなく、縦から斬るとそこからは「霊剣」が出てきた。これを取り出し、その後、命が天照大神に献上すると、「これは昔、私が高間の原で落としたものだ」といわれた。大蛇の尾の中にあった時は、群雲(むらくも)が覆っていたので、「天群雲剣」と申した。

これが「平家物語」の文章である。

嘗て私はただ、漠然と読み流していたようだ。しかし、今、思うと、この文章には多くの類型が見られる。
一つは娘が八人で大蛇(おろち)の首が八つである。また、アシナズチ・テナズチはこれも蛇で当然だが、大蛇もまた蛇なのだ。つまり大と小がウラとオモテの関係になっているのである。多分、小は簸の川の自然であり、大は自然の猛威(暴風雨や洪水、旱魃)であろう。その生贄がこの説話に取りいれられたと思われる。それに簸の川の砂鉄の生産が加わり、一つの権力争いが加わったと見られる。

スサノオウは一説には、新羅との関係が伝承され、鉄製産の技術は新羅から出雲に齎されたと言う説もある。これはその反映なのかもしれない。

いずれにせよ、色々な角度からの検証を私に与えてくれると言う意味では興味深い文章ではある。


確か、サンカの伝承、サンカは口伝(コトツと言っただろうか)で文字として残っていないが、「神武東征」にサンカが出雲の砂鉄で造った剣を贈ったと伝えられている。
これは創作の可能性がなくはないが、サンカと出雲、鉄との関係、更に正史「古事記」や「日本書紀」との出典の関係など興味ある事項である。火のないところには煙は立たない例え通り検討の余地はある。

サンカはの山民である。「古事記」では山の始祖は山幸彦であろう。サンカ伝承がそれに触れていないのは不自然だと思い、少し調べてみたが、田中勝也の「倭とサンカ」に司祭として(田中は上記<うえつふみ>とサンカの関係を俎上に載せている)、箕や陶器を献上しているとあり、「古語拾遺」や「先代旧事本紀」にも関連があるそうで興味はあるが、今それに踏み込む余裕がないので先の課題として保留しておく。

2012.05.04 古代史の雑記
「日本書紀」の主張では、天皇家は九州から敵地の大和に乗り込んだということになる、大和の先住の王権が平和裡に王権を禅譲したとは言え、長脛彦は反抗している。
葛城山系には、先住民でまつろわぬ「土蜘蛛」も出没していた。自然な心理として、天皇が城郭に籠もって不思議ではない。それをしなかったのは、何かしらの根拠があったからだろう。さらに、律令制度が整い、中央集権国家が誕生したとされる平城京においても、天皇は、中国にあるような「城壁」を採用していない。八世紀に天皇家を傀儡にした「藤原氏」は平城京の一等地、東の高台を占拠するかのように春日神社を祀り、興福寺を建立している。これは、将に平和裡に事が進んでいた証拠であろう。謀略か禅譲に他ならない。
野田首相は如何して海外では元気で国内では覇気がない(国内では、記者会見は少なめで、外国では溌剌として見解を述べる臆病者である)のだろうか。こんな人間に信用は置けない。勇気とは苦難を恐れぬ誠実さのことである。大体、「松下政経塾」出身者はこうも破廉恥なのだろう。自分の行った事は棚に上げ、他人だけは厳しく非難する。こんな政治家を私は信用しない。

ここに「政界地獄耳」の記事を紹介しよう。

「また野党が小澤の証人喚問を求めていることについて、前原は<政治家たるもの、自分自身がどう判断するかだ>と格好のいいことを言うが、自分の外国人献金問題は発覚後も、ポロポロと断片的に記載ミスが表沙汰になったことは棚に上げての発言はどうなのかといいたい。確か、野田も脱税企業からの献金などが発覚しても<返したから問題ない>という対応で乗り切っただけで、民主党が抱える政治とカネについて「政治家たるもの」などといえるほど、この問題は解決済みとは言い難い。結局、党内けん制ばかりで、政治とカネとは小澤を指す代名詞のように語る前原や野田の対応には、国民は不信感を抱いているのではないか。<人の振り見て我が振り直せ>なのか、<同じ穴のむじな>なのか」

と報じている。私も同感だ。前原などは小澤落としだけに終始しているように思え、まるで民主党なのか自民党なのか解らない。その癖に、都合のいい時には、党員なのだからと仲間意識を強要する。支離滅裂なのだ。こんな連中に政治を任せることなど出来ないではないか。いや、身内をかばう事の出来ない狭量さを私は人間として理解できない。それ程、考え方が合わないのなら、袂を別てばいいのではないか。あほらしい。
小澤はこれまで人を育てていない。小澤の発言から、多少橋下に似たとこがあり、政治家と言うよりアジテイタ~に近いのだが、政治家はシンクタンク的な人材が必要である。彼が地方の人材が根底にあるはずで、その土台を中央にまで波及させて、大きな政治集団にして欲しい。

報道の誤った伝達もあるのだろうが、小澤の周囲は不連続な軌跡を続けおり、頭脳集団を結実させていない。是非とも、民主党の初期政見を現実に近ずけるために、大いなる戦略を立てて欲しい。最早、破壊集団で終わって欲しくない。

私は今、日本が米国一辺当なのは問題があると思っている。現実的に米国と袂を分かつことは無理があるが、日本の国益を踏まえて自主的な行動は、苦難が多いだろうがとれるはずである。国民に痛みを要求することはこういう行為ではないだろうか。

私の現実離れの理想から言えば、「東に美(よ)き地(くに)あり、青山四周(せいざんよもをめぐ)らす」である。この自然の豊かな多神教の国土こそ、日本の持ち味である。大国意識ではなく、こじんまりとした清潔な国であって欲しい。私の願いはそんなとこである。

この宣言は、神武天皇に塩土老爺が答えた言葉である。

つまり、神武四兄弟と海人族の首領・塩土老爺の合議が南九州から大和への遷都を決めたのである。一人の英雄の独断が遷都を促したのではありません。

塩土老爺は当時の最新の情報を握っていた海人族(安曇氏と宗像氏の頂点であったと思われる。その長は安曇氏であった)が航海の実権を握っており、交易の情報を齎し、他国の文化にも精通していたのであろう。その情報長官の塩土老爺が初期南九州王朝の神武に助言したのが、大和朝廷の起源であったと思われる。

南九州は「會・襲または曽於」の縄文からの土着民族と新しい思想と技術を齎した渡来民族との混血ではなかったかと思われます。土着民族の思想は明らかに多神教哲学があり、それは現在でも綿々として我が日本の思考の根底に流れていて、我々の心の根底に潜在している。
私はこの日本特有の「和」の思考を大切にしたいと思います。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。