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2012.11.28 平和とは
平和がただ、安楽な平穏な状態などあるはずがない。平和を維持する為には、平和を脅かす敵にどう対処するかと言う問題がある。徹底的に命を捨て、無抵抗に終始するか、焼身自殺で抗議するか様々な方法がある。しかし、その方法で本質が変わった事実はない。

昨今、石原某が舐められないためには核を保有しなければならないとほざいている。私も北朝鮮の拉致事件を考えると、所謂「力」に対抗するには「力」が必要だと考えざるを得ないと思っていた。それが石原謀の愚かな核保有論である。

だが、そうだろうか。そこで私が行き着いたのが、孫子やマキュアべりが推奨する謀略機関の有効性である。悪は悪を持って対抗する。厳密、正確な情報による暗殺こそ、核に匹敵する大手術が可能なのではあるまいか。私はイスラエルを支持する者ではないが、かの諜報機関の優秀さは中近東を完全に制している。あの暗殺の有効性は脅威だ。彼等は贅沢にも(皮肉だよ)核をも所有しているが、私は完全に諜報に特化して多くの情報を基に正確な事実を把握して、その癌細胞を除去する組織を構築するのは平和を維持するには必要なことなのだ。

必殺仕掛人は物語りの出来事だと考えていたが、多分、世界の優秀な諜報機関は闇の中で暗殺を繰り返して板に違いない。「必殺仕掛け人・中村水主」は存在するのだ。
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宇摩志麻遅命は神武天皇の大和制覇の有力な協力者である。それなのに大和では厚遇されていない。最終的には出雲の岩見の流されている。(岩見一宮・物部神社の祭神が宇摩志麻遅命である)

宇摩志麻遅命は日本書紀では義理の父である長脛彦を殺害して神武天皇を勝利させている。それなのに大和武命さながらに天香具山命と共に大和を追放されている。日本書紀ではその理由を明らかにしてはいない。しかし、戦いの功労者としては納得の行かない表現である。

考えるに、景行天皇が熊襲タケルの娘・姉の市乾鹿文(いちふかや)と妹の市鹿文(いちかや)を抱き込み、姉に父を殺させ、不思議にもその姉を処罰している。神武天皇もそれに習って、義理の父を謀殺した罰として、宇摩志麻遅をまた、自らの元を追放して出雲に流したのかも知れない。

物部氏に大山祇命(櫛稲田姫の祖父)と建御名方命が出雲と関わりを見せているが、遠因として宇摩志麻遅命と関わりがあるのかも知れない。
出雲には築杵に出雲大社があるが、交流がない。と言うよりも、仲が悪いと聞く。考察に値する。
2012.11.22 塩土老爺
私は「古事記」「日本書紀」を読み、古代史の究極の言葉に会う。

神武天皇が南九州から遷都するために、塩土老爺にその行き先を尋ねます。そこで、老爺が示唆した地(くに)は「東(ひんがし)に美(よ)き地(くに)あり、青山四周(よもをめぐ)らす」です。青山とは、緑為す山々です。雨が降り、樹木はそれを吸収して、落ち葉を敷き詰めた大地で浄化して、栄養分を含む水として、河口へ運びます。それは海へと流れ込み、栄養豊かな水を求めて魚が集まり豊かな漁場を形成します。
森は鹿、猪、野うさぎを育て、河の周辺は肥沃な平野を形作って、豊穣な土地、それが「美き地」なのです。

因みに、この示唆に富む呪術者・塩土老爺はをシオ・ツチ・のオジと読みます。「シオ」は<潮、海>を象徴し、「ツ」は古語では所有格の「の」の意味です。「チ」はあらゆる生命の起源の基です。「チ」は<霊・血>を意味しています。「乳」は<チチ>と命の源の意です。「オジ」は古老・知者賢者のことでしょう。

賢者は知識と経験を必要とします。古代においては、知識の因(もと)の収集は海人が交易によって各地の文化・風習・国情を行います。その頂点が海人の首長・塩土老爺だと思われます。

塩土老爺は現在で言え、各省庁の頂点・内閣総理大臣と言ったところでしょう。塩土老爺は各地の情報を精査し、判断して、神武天皇に伝えたと言う訳です。
神武東征に重要な項目は北九州王朝と南九州王朝であろう。しかし、出雲もまた、微妙に絡み合っている。

天忍穂耳命は中途半端の命で出雲降臨にも注文を付ける。天照大神の御事にケチを付ける。<豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、いたくさやぎてありなり」と降臨を止めてしまう。そこで天照大神は思兼神に銘じて善後策を命ずる。思兼神は神々と相談して、天菩日命を出雲に降臨させる。しかし、天菩日命は大国主命に取り込まれ、三年戻ることがなかった。

私はこの天忍穂耳命の二度の降臨中止が腑に落ちない。何かその底にあると思っている。これも解明しなければならないと思っている。もう一つは天菩日命(天照大神の子・天忍穂耳命と兄弟)が何故、大国主命に取り込まれた理由は何であったかも解明しなければならないだろう。

北九州、南九州それに出雲は大和の朝廷成立に重要な関わりを持っている。じっくり解明を必要とすると思われる。又、苦しむことになるのだろうな。
省みると、野田氏が業績は先ず、自からの選挙演説の真反対のこと行ったこと、海外でTPP宣言をしたこと、消費税を談合で引き上げたこと、尖閣島の問題で中国の面子を無視してこじらせた事等などであろう。

ここから浮かび上がる思考の過程はどう考えても、自からで熟慮したとは思えない。思いつきではなかろうかと思わせるほど観念的で熟慮の形跡が見られない。いな、彼の行動で全て最悪な方向に向かっている。とりわけ、消費税と尖閣島問題は取り返しが付かない。財務省と外務省の言いなりで自分の頭で考えもしていない。国内問題はそれでも最悪国内ですむ、しかし対外的な尖閣島問題はそうはいかない、取り返しがつかないからだ。愚かな首相である。
今度の解散も技術だけが先行して、事の後先を考えているようにも思われない。どうせ松下政経塾の観念的議論の結果であろう。そこには血も肉も感じられず、骨だけで構成しているとしか思えない。
愚かな集団である。
見つけました。「ピ・トング・ルアング」の言葉。五年前と言いましたが、よく考えると既に養成科を終了してから二年が経ている。と言うことは少なくとも、七、八年は経っているかもしれない。
ここにその文章を記してみる。

ピ・トング・ルアング族の最も目立つ特徴は確かに彼等の極端な臆病さ、小心さである。彼等の寡欲さはほとんど考えられぬほどだが、彼等は空腹や寒さには非常に敏感である。苗族が何の苦痛も示さぬ時でも、彼等は度々身体に不快を感じたり、寒さに震えたりした。

彼等の人柄の良さやことに調和的な性格はここに強調しておくべきであろう。彼等は不誠実さとか嘘をつくことなどは見ることが出来なかった。事実、嘘は厳禁されているし、子供が叱られる数少ない「咎め」の一つである。約束は常に守られる。
と、ベルナツィ~クは記している。以って規範とすべきである。
私は混濁した政治を思った時、ふと五年前だったか、その時ユングを読み返していて、神話について考えベルッナ~クの「黄色い葉の精霊」に魅かれ読んでみた本です。

この本はモンゴロイドの起源を追った作品で「ピ・ツング・ルアング族」を書いた本です。その中で、確か「ルアング族の掟は嘘をつかない」といった一文章を確かめたかったからです。
呆れて物も言えない。どうやら、12月に選挙になりそうだ。この忙しい時に行う形振り構わない態度は、野田氏いや、松下政経塾集団は生徒会の選挙をしているのではないぞ。と勧告を促したい。年末のドサクサにかこつけて、投票率の低さを利用しようと言うはらだろう。又、TPPなぞを持ち出し党内を解体して、自民・公明と合体して連立を図ろうとする腹だろうが、こうなると戦略を通り越して猿芝居である。こんな政党を維持させた仙石・輿石の似非左翼陣営も大いに罪があると言うものだ。我々はもう、騙されてはいけない。第三勢力も同じ穴の狢(むじな)で選択が難しいが、今度は色眼鏡で見ないで、我々の利益を優先してくれる政党を選ぶべきである。
八俣大蛇伝説は巷間伝えられている伝承とは異なり、史実にあわせて分析すると、島根県簸の川鳥上峰の畔の伝承である。

毎年、大蛇がやって来て住民の娘を生贄に食する。今年は、奇稲田媛が生贄になる。これは名称から言って、稲の穀神であろう。大蛇は奇稲田から推察して、洪水神とするのが順当であろう。毎年押し寄せる洪水が稲を襲い、壊滅させたと言える。

その時、渡来のスサノオウがやって来て、中国神話の「ウ」さながら、灌漑に従事し防災に成功する。その作業の過程で、簸の川に砂鉄が出るのを発見して、金属器の鋳鉄に成功する。それが、象徴としての草薙剣になったと思われる。この渡来の神は「客人神」であろう。

出雲は古来より、新羅との交流があり、スサノオウが新羅からの渡来人とされるのは納得させられる。

手名椎・足名椎は大山祇神の後裔で、奇稲田姫の親である。両親は蛇の化身で農耕の象徴でしょう。
八俣大蛇伝承は農耕と洪水神の葛藤である。
宇摩志麻遅命はニギハヤヒ命の子で母は長髄彦の妹(三炊屋姫・みかしきやひめ)である。長髄彦は大和の先住民で各豪族をまとめている首領である。神武天皇はその長髄彦に手こずり苦戦する。終盤で神武天皇は宇摩志麻遅命を抱きこみ、根が入りを打たせて戦いに勝つ。

ニギハヤヒ命はニニギ命の兄・天火明命(あまのほあかり)と言われています。天照大神の系譜です。神武も同族ですが、私見ですがニギハヤヒ命は北九州系で神武天皇は南九州系です。ここにこの神話の興味ある視点があります。

先ず、神武天皇の先駆けて、ニギハヤヒ命が大和へ降臨します。その後で神武が東征します。一般的には侵略です。日本書紀では、神武天皇が東征したとき、ニギハヤヒ命は三炊屋姫に宇摩志麻遅を産ませてこの世を去ります。この話は長髄彦のニギハヤヒの暗殺を案じさせます。軍事や政略のためにニギハヤヒを暗殺したとしても戦略的にはありえることです。多分、宇摩志麻遅命がその事実を知って、神武天皇に寝返りを打ったとすれば現実性があります。

ただ、その後、この功労者は疎まれ、まるでヤマトタケルノミコトのように、大和周辺の土蜘蛛を征服され、
共に戦いに出た天香具山命と同様に左遷されます。天香具山命は新潟(弥彦神社)へ、宇摩志麻遅命は島根の岩見(物部神社)へと流されます。

この事実は様々な分析を派生させ、非常に興味ある説話です。機会があれば又、語りたいと思いますが、今日はこの辺で筆を置きます。

物部神社(島根県・岩見、いっくうさん・通称)の社伝。

神武天皇御東征のとき、忠誠を尽くしたので、天皇より神剣・フツノミタマ剣を賜わる。また、神武天皇御即位のとき、お祭神は五十串を樹て、フツノミタマ剣、十種神宝を奉斎して、天皇のために鎮魂宝寿を祈願された。その後、お祭神は天香具山命とともに、物部の兵を率いて、尾張、美濃、越国を平定され、天香具山命は新潟・弥彦神社に鎮座されました。御祭神はさらに、播磨、丹波を経て、岩見国に入り、都留夫、忍原、鬼、會保利の凶族を平定し、厳瓦を据え、天神を奉斎されて、安の国とされた。次いで、御祭神は鶴に乗り、鶴降山に降りられ国見をされ、八百山(やおやま)が大和の天香具山に似ていることから、この八百山の麓に宮居を築かれた。





塩土老爺(事勝国勝長狭・ことかつくにかつながさ)の名称のいわれでありますが、まず塩土老爺は明らかに「潮」に携わる古老と思われます。海のことなら万能の知恵者と言っていいでしょう。問題は「事勝国勝長狭」です。事勝国勝は天忍穂耳命のように正勝吾勝、つまり命(みこと)の名を付強した修辞でしょう。「事勝国勝長狭」の「長狭」がこの名称の本質なのです。

この古老は全体から想像して、海人族の神霊であろうと、私は想像します。すると、海水や水に関する神霊なのではないかと言うことなのです。

「渚・なぎさ」は「なぎ」と「さ」の合字であろうと仮説して、「凪・なぎ」は穏やかな「さ」と言うことではないかと考えました。すると、「渚」の「さ」は<州・す>の意味にも解釈できると思ったのです。
「州・す」は「嶋・しま」とも「国・地・くに」とも解釈が可能で、「水が作った堆積物」なのが思い浮かびます。「おのごろしま」「おおやしま」の「しま」が「さ」に当たると、私は塩土老爺は「海」に関する「嶋の神」(嶋は海にアホウドリが群がる島の情景から出来た文字といいます)と理解します。

なにやら、大山祇(おおやまつみ)神を彷彿とさせるではありませんか。この両神は同族なのではないかと思わせます。吾田姫が大山祇神の娘なのは合理性さえ感じます。やはり、この神々は一つの種族から出自した神々なのだと私は考えます。
イザナギの神は様々な神を禊で生み、終盤で綿津見の神(安曇氏の祖)、筒男の神(住吉の神、津守氏の祖)を生み出し、最後に天照大神、スサノオウの命、月読命を生む。

その天照大神は、天忍穂耳命・天火明命を生む。これらの神は、北九州に鎮座まします神である。天忍穂耳は英彦山神社の祭神で、天火明(仮説ではあるが、ニギハヤヒ命がそれに当たる)は高良山の高良大社の祭神であろう。そして、天忍穂耳命の子が南九州と思われる天孫降臨を果たしたニニギ命である。
北九州の特徴は儒教的な文化で、長子相続であり、文身や鵜飼の習俗は少ない。一方、南九州は道教的、江南思想の影響が濃く、末子相続で海人的習俗の文身や鵜飼の習俗が濃厚である。
私は北九州が朝鮮半島の影響が強く、南九州は南島・江南の文化を持ち続けていると考えている。

「古事記」は序盤では、南九州を中心で神話を進めてゆく。
予てからの持論で、降臨したニニギ命は「襲・會(ソ)」から笠沙(野間半島)へと移動する。ニニギ命を祭る神社は川内市にある新田神社である。「襲・會」から野間半島へニニギの郡勢を先導したのが、天忍日命(大伴氏の祖)と天津久米命(久米直の祖)である。
私は「襲」を「會」に充てる。會の字は昔とも読むが、甑(こしき)の意味もあり、紀元前10000年に大隅(會の地)に存在した上野原遺跡には縄文草創期に定住がなされ、かなり高度の文化が形成されていた。蒸し器や堅果物の加工もされ、貯蔵・祭祀用の大甕が出土し、呪術用の耳飾、土偶さえ発見されている。高台にある住居は道路はあり、そのは排水溝にも応用され、泉にまで引かれていた。
そして、そこに特徴的な「甑」が出土している。それはどうやら、祭祀用に使用された形跡があることである。
私はその事実が偶然だとは思えない。「古事記」や「日本書紀」を編集した者たちは、古老の伝承や巫女の「天語り」や「神語り」の中で、「會」の状況を知っていたと考えている。
それは、所謂「襲」から「笠沙」へ移動したと言う伝承が、また、奇妙に「吾田姫」とをニニギが血縁していることである。この地はやはり、紀元前10000年のかこいノ原遺跡を顕現していて、海人族の中心的な地域でもある。つまり、そこからは、丸ノミ型石斧が出土していて、どうやらそれを使って丸木船を使用していた形跡があるのだ。なんという、神話と史実の符合であろう。

私は特に、「日本書紀」は藤原不比等が大きな役割を占めていたと考えるので、直さらその感が強い。
不比等は十代で父・藤原鎌足の元を離れ、百済の歴史学者の田辺史(たなべふひと)の元に預けられて
いる。当然、朝鮮の歴史書、思想書はさながら、中国の重要文献は読みこなしていたはずである。「史記」は元より「魏志倭人伝」はお手の物であったろう。その造詣の深さは「史記」をも見習い、故実の追求はなされていたと、考えるのが自然であろう。古老や巫女の伝承を基に地方の古い歴史はきちんと把握していたと認識する。

神話が南九州から始まるのは合目的であると思う。
天孫降臨は日向の高千穂の襲に降り立つ。私は「襲」を「會」にあてる。「古事記」に書かれた「熊會」の「會」に正当性があると考える。
「會」には昔の意味があるが、「甑」と言う意味もまたあるのだ。
紀元前一万年、會の地、大隅周辺に上野原遺跡が発掘されている。この遺跡はかなり高度な文化を示していて、高台に定住をしている。蒸し器や堅果物を粉にして大きな壺に蓄えている。土偶・祭祀用の大壺・耳飾なども出土し、道路は通行用に排水溝を兼ねていて、泉に導かれている。その特徴とも言える「甑」が出土していて、それが「會」の名称になったと思われる。
それはニニギ命が「會」から、「笠沙」へ移動すると言う神話に通じるのだが、「笠沙」はそこも紀元前一万年に出現したかこいノ原遺跡があり、丸ノミ式石斧が出土した。この石斧は丸木舟を製造したと思われて、大隅、種子島、トカラ諸島、沖縄にいたる海人文化圏を分布させている。
ニニギ命が笠沙で吾田姫と血縁していることは、単なる偶然とはいえないであろう。
そして、それを先導したのが、天忍日命(大伴氏の祖)と天津久米命(久米直の祖)である。久米氏は神武東征まで神武天皇の側近として活躍するが、それ以後は、衰退してしまう。定説によれば、久米氏は四世紀には衰退したとする。
その久米氏は上加世田遺跡に「久米」を刻んだ土器片が出て、そのまま立ち消えになっている。
滝川政次郎は江南から野間半島に上陸したのが、「隼人族」であるという。しかし、私は「隼人」は熊會の後裔と考えるので、滝川教授の言うように、北九州に江南から着くのが、安曇族だと唱える。つまり、南九州に漂着したのも、安曇氏だと考えます。
ただ、安曇氏は野間半島にはその名は存在していない。私は「今昔物語」の久米寺の件(くだり)で久米氏と安曇氏が共に仙人修行をして天に昇るという記述を見て、その両者は同族か親しい種族だと考える。つまり、久米氏は安曇氏と重なるといった仮説の成り立つ。また、その地で先住民族の隼人と血縁して隼人姓に吸収されたという説もなりたつ。












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