上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
「日本書紀」にこのような記述がある。

磯城邑の八十梟帥(やそたける)・葛城邑の赤銅(あかがね)の八十梟帥を討つために、天香具山の<赤土>を持ちより、平瓦八十枚を造り、天神地祇を祀れ、とある。

また、天照大神に神武天皇を助けるように命じられると、建御雷神は自分が行かなくても<布津御魂>をくだせば十分だと答える。

また、こうも書いている。
ついには、腰に下げた長い剣を抜いて、カグツチ(カグは天香具山の<カグ>とは共通項であろう)を斬って、三つに断つ。又、剣から滴る血が天の安河の畔にある沢山の岩群となった。これは経津主神の先祖である。

私はここに「赤」の主題を見出す。火の神・カグツチの赤や天香具山の<赤土>は明らかに、簸の河の赤い水のように、<鉄>の赤であろう。それが経津主神(布津御魂)との強い関りが天香具山に象徴されている。
天香具山はこの精霊を内蔵した霊山であろう。
スポンサーサイト
「記・紀」において天香具山は重要な意味を占めているので私見を述べてみたい。

天香具山は、通説では、高天原を降(くだ)したとされている。

神武天皇が長脛彦に勝利する前に、磐余邑の兄磯城を降すが、そこは要害の地で難攻不落の要塞であった。そこで神武の夢枕に天神が現れ、天香具山の社(やしろ)の土を取って祀れば、兄磯城を征服できると告げた。また、八十猛・赤銅の八十タケルを征するには、天香具山の赤土をもって来て平瓦を作って天神地祇に祀れば征服できると宣託します。

天香具山が現れるのはもう一箇所あります。それは天岩屋戸神話です。
岩屋戸に隠れた天照大神を顕現させるために、天児屋命・布刀玉命を召して、天香具山の真男鹿の骨や天香具山の朱桜を取って鹿の骨を焼きト占し、天香具山の賢木を根ごともちより、上枝に勾玉、中枝にヤタノ鏡、下枝に楮の白布と麻の青布をかけて祀れと詔し、天宇受売命が天香具山の日陰蔓をたすきにかけ、真木の蔓を髪に刺し、笹の葉を束ねて神がかりして、呪祈すれば天照大神を顕現させることが出来ると記しています。

天香具山の物実(ものざね)は、国の支配権・国魂の象徴とありますが、これは即ち、神話的表現でありましょう。その現実的意味は、天香具山の「香具かぐ」にあります。「かぐ」は「かご」の意で、金属を意味します。(鹿児島の「カゴ」もまた金属を産する地と言う意味で、曾を示していることは意味深長です)

つまり、その山には「金属器」は産する意味と取れるのです。当時、兵力の最先端は青銅器に変わる鉄器であるのは言うまでもありません。
金属の存在こそ国力の命運を決します。それは国権の象徴でもあるのです。その力を霊力とみなし
、天香具山に象徴したのが、天石屋戸や神武東征に顕れたとして間違えはないでしょう。天香具山はフツノミタマであり、金属器の象徴としての霊力を有した霊山でしょう。
私は土偶のハイヌウェレ神話・食物起源論を理解は出来るが、何か漠然として不明な部分を感じる。心底から理解していないもどかしさを覚える。
頭では解るが何故か心にしこりが残るのである。

土偶は特殊な製作方法で、バラバラにされるように創られているが、ハイヌウェレ神話の食物起源説話に続がり、大気津姫や保食神へと伝承される一連の伝承はよく出来る。タロイモやヤムイモの起源が創造主の地母神であるハイヌウェレが女性であり、神から与えられた出産の延長が生命の源である食料神話に転化するのは、それはそれなりに理解に行き着く。

しかし、それは転化以外の何ものではない。転化は転化であり、真理そのものではないのだ。
その溝は深い。その深淵こそ真実だと思うが、その奈落は視ることが不可能であるに違いないだろう。

ただ、私達が日常行っている強壮剤と称して飲食している蛇や蝮の強力な生命力を自分の体内に取り入れようとする根源的な願望を体験している。それはこのハイヌウェレ神話の仮託を通俗的に体験しようとする試みであろう。

私はかつて、D・T・マックスの「眠れない一族」(副題・食人の痕跡と殺人タンパク質の謎)で食人後遺症的遺伝を知ることになる。
かつて、食人の記憶は超人を望み、それを直接的に取り込むマナ行為に行き着いた。それは茫洋として横たわる神秘のカオスを、混沌を混沌のまま取り入れようとする根源的な欲求の現れだと理解する。

ハイヌウェレが、仮託として彼女の死体を地中に埋め、その化身としてのヤムイモやタロイモを人間が食べると言う生きる源を見つめる神話に私は人間的な理性を見るのだが、結局、私達は未だ、その信仰に当たる領域にしか到達していないのを知るばかりである。
深淵はやはり、深淵のまま横たわり、沈黙を守っている。
天孫降臨が日向の高千穂の曾(襲)から笠沙にいたり、そこで吾田鹿葦津姫を事勝国勝長狭(塩土老爺)に教えられて娶る。

私はこの行程が以前から不自然に思えてならなかった。後年、神武天皇が大和へ東征するなら、ニニギ命は志布志湾の付近に居住し、安定的にそこで勢力を温存すればいいのではないかと考えざるを得なかった。志布志湾への進行のほうが多くの配下を抱えて苦労は少なかったと思われる。今と違って当時は先住民や機動力も人力で歩くより方法を持たなかったのだから、近くの海辺の方が選択肢として有力を考えるのが自然だろう。それが天孫降臨ではわざわざ遠くの笠沙を選んでいる。

「古事記」や「日本書紀」の神代の神話が創作に近いものがあると言う説が根強い。だが、そうなるとその創作は二流の書き手が作り上げたと言わざるを得ない。それは初期の神話にはかなりの無理が書かれているからだ。

一方、これらの神話には伝承や史実が横たわっていると言う説も存在する。伝承については、文字を持たなかった和人(倭・縄文人その一部は曾族)は、はっきりとした証拠としての文献を残してはいません。彼等は現代人とは異なり、動物的な記憶力や勘を持ち合わせていたはずです。それは本能に赴く動物達が驚異的な親から子へとの伝達が見えるからです。

私は「古事記」の序文(後世の付会とされています)にある稗田阿礼についての記述に注目します。

「人と為り聡明にして、日に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に払(ふ)れれば心に勒(しる)す。即ち阿礼に勅語して、帝皇の日継と先代の旧辞とを誦み習はしたまひき」

シシリ~の苗族の長で呪術者の資格は、正確な記憶による過去の正確な記憶をあんじなければその資格はないという。それは常人が思い浮かぶ範囲の記憶量ではない。多分、私達が百科事典と呼ぶに匹敵する記憶力と伝達力であったと思われる。
後年、治部省が、姓氏・継嗣・婚姻・葬礼・外交の事務や君主の徳とそれを出現するし祥瑞の管理を行っている。(ここには伝統的な伝承があったはずである)

私はこのような事項を古代の文字を持たない伝承者(巫女・呪術者・先住の古老など)の特殊能力を持った驚異的な百科人種が存在したと想像する。

ここに縄文人が幾万の命を失った火山などの大爆発を考古学が顕示する。
1薩摩大爆発(BO15000年)
2桜島大爆発(BC9500年)
3喜界カルデラ大爆発(BC6400年アカホヤ火山層)
これは南九州を壊滅に陥らせて火山活動の実態である。喜界カルデラは北九州は言うに及ばず、遠く東北地方までその噴煙が降り注いだと言う。

鹿児島の先住民は1、2、の大天災を乗り越えてきたことを証明している。ある学者は喜界カルデラ噴火で薩摩は壊滅したと報じるが、私は人類とはそんなに「やわ」な生き物ではないと理解している。特に、南九州は海人の活躍する地域でもあり、それ相応の火山に対する知恵(祖先からの伝承も含めて)丸木船を有効に使い、火山に対する避難の術を知っていたと思うからである。(長崎県の火山爆発時に飼い犬が生存していた事実があり、その犬が如何して過酷な状況を回避したかは未だ謎です)

私はこのような遠い過去の事件を古代人は生き抜く術として、伝承していたと信じている。(今は証明する文献も伝承、考古資料もないが)

2013.02.19 神話と史実。
天孫降臨は日向の高千穂の曾(襲)から塩土老爺の示唆もあって笠沙へ行き、吾田鹿葦津姫と出会い。皇孫の端緒を開く。大変、重要な説話である。しかし、何故この行程を取ったのかの疑問を抱かざるを得ない。「記・紀」は偽書であるとの説もある。創作であると言う。そうだろうか、創作にしては二流と言わざるをえない。神武東征を考えると、曾(襲)からなら大和を目指すとすると、志布志湾の方が賢明であろう。継ぎの漂着地の宇佐にも近いし、野間半島へ行くより近道であろう。大隅や曽於の地を完全制覇する力のロスもすくなあくてすむ。それをわざわざ遠回りして笠沙に行っている。

私は、この曾の地と笠沙の行程が、遺跡の上野原遺跡とかこいノ原遺跡の共通性が単なる偶然なのだとは思われないのである。かと言って、それを証明する根拠も持たない。時間も確かに、隔たりすぎている。だからこそ、大歌所の巫女の伝承に期待をするのだが、それも中々、煙を見ることも出来ないでいる。

それでも、私は気になるのである。考古学もない八世紀である。上野原を知らない方が、当然だとは思う。だが、気になるのだ。
「蛇の宇宙誌」の中に興味ある一節がある。次のような文章です。

「出雲では、神々が集まるからといって、神無月を神在月と呼び、神在月の行事がある。それを「お忌み」という」
「十月になって日本海が荒れるのを、「お忌み荒れ」と呼ぶ。お忌みの期間に、近くの海辺に漂着した海蛇を「龍蛇」と称して拝み、それぞれ、佐太神社、日御碕神社、出雲大社に納めた。「龍蛇」は、竜宮からの使者といい、一般では、これをも「お忌みさん」と呼ぶ。佐太神社には、龍蛇の漂着を見張り、神社に納めとした社人もいた。どうも出雲の神集いの行事には、蛇の神の意識が強く現れているようである」

出雲(杵築)と大和(三輪・御倭)は、海蛇と大物主は海のかなたからやって来る。それは「まろうど」でその魂は第二の我(alter.ego)といわれている。

先ず、神在月に意味である。そして「龍蛇」とその蛇が漂流してきたことである。
神在月については少々、検討が必要である。「龍蛇」はあきらかに、セグロウミヘビであろう。この蛇は黒潮に乗った南洋性の蛇である。折口信夫の云う「まろうど信仰」であると思う。

蛇には二つの特質がある。
1、縄文からの再生と宇宙を司る混沌の神である。
2、弥生以後の水の神の要素である。

出雲には海のかなたから齎された幸を祈る先住民の思いが「海蛇」信仰に現れている。
出雲は、南方、中国江南、朝鮮半島、それに高志に至まで多くの種族の交流があり、北九州にも通じていた。
それが神在月の儀式に通じている。出雲はかなり高度の文化を有した先住民族であった思われます。
私はその権力が杵築大社を築いたのであろうと考えている。古代において、出雲こそが日本海沿岸諸国をまとめていたと思われます。しかし、弥生時代の稲作文化がその生産力で出雲を越えたのであろう。
古事記には、山の神の大山津見の後に、野の神・鹿屋野比売の神(日本書紀では草野神)、またの名を野椎(のずち)の神とある。そして、二柱は野と山を受け持って、八人の神を生んでいる。鹿屋野比売は大地を支配する神々の母であった。とある。

野椎(のずち)は蛇のことで、また「野つ霊」でもある。それは蛇が野の精霊でもあると言うことです。草野姫は蛇の精霊でもあり、大地の母、つまり地母神でもあると言うことになる。(夫が大山祇でもあると言うことも考えさせられる)

「古事記・日本書紀」において「蛇」は重要な地位を占めています。ここで「蛇」を自然・大地の象徴と考えてもそれ程の誤りはないと思います。
「蛇」については少し掘り下げたいとは思いますが、長文になりそうなので後日にするとして、「蛇」もまた、日本人にとっては根源的な動物(小島はカオスといい、エリア~デを引用し、形なきものの象徴とする)で宗教的な意味合いがあると説きます。一考を要すると思います。
三重・志摩地方・浜島・越賀・波切・国崎には、一月三・四日の正月行事として、「マナ箸」神事が伝えられている。この神事は二匹のボラを料理し、共食するものだが、共食の前に弓射の行事があることから、「弓祭」と言っている。何故魚を取って食べる行事に弓射の行事があるのか。昔は鹿や猪を弓で射て生贄にし、それを食べるのが「マナ箸」の行事だったのであろう。なお、「マナ箸」を使って生贄(魚)を食べる前に、浜島では「屠人放」の行事がある。男が女装して、童子の形の藁人形を入れた桶を頭にのせて、浜に行き、「今年の屠人は目出度き屠よ」と言って、藁人形の入った桶を海に流した。この行事を浜島の人々は人身御供の形を伝えているが、そのことは「屠人」と言うことからも解る。「屠」とは体をバラバラにして殺すの意味で本来は「人」であったものを人形にしたのであろう。この「屠人放」の後に、「マナ箸」の行事がある。このことから見て、箸は生贄に関わるものであることだった。

これもまた、「ハイヌェレ神話」の変形である。それは言うまでもなく、土偶信仰の系列に属するものであろう。

土偶の端緒を私は縄文草創期(12000年前)に見ます。例えば、上野原遺跡には既に土偶が出土されていて、それは地母神信仰の現れと思われます。そして、縄文中期には、女体を形作り、バラバラにされて地中に埋められいます。
私はこの変化を東南アジアの海洋民族の文化の伝達があったのではないかと推察しています。日本列島に地母神信仰が先行し、海洋民族が「ハイヌェレ神話」を齎し、交流し先住民族と血縁したと想定されます。(縄文時代は一万年を超えた時間的経過があるのです)

そして、この信仰形態は「古事記」・「日本書紀」の保食神、大気津比売神話として伝わり、「屠人放」神事に反映されたと思います。
私はその核に「マナ信仰」があると考えます。この宗教観・宇宙観こそ太古からの思想形態として形成されたと考えます。

結局、「マナ行為」は神道の「直会(なおらい)に行くつき、供物は生贄であり、共食は「マナ」であろう。それは神と一体になることであり、自らに永遠を取り入れることだと考えます。道教で云う神仙思想、つまり不老不死の観念がその基底にある。それこそが「直会」の本来の意味であろう。
私は色即是空、空即是色という言葉に真如を視ます。それこそ私の心ではないかと思います。その世界にマナの真髄が存在しているのではないでしょうか。

マナとは、神や超自然的な力を自らの中に取り入れることだと言えます。ニュウギニアの食肉人種は殺した勇者を食すると言います。つまり、マナ行為でしょう。私はキリスト教の信者ではないので、皮相な知識しかありませんが、キリスト教の洗礼でぶどう酒とパンを食べますが、考えてみれば奇妙な儀式で、キリストの血と肉を食べることになります。この統一感がマナの極みなのでしょう。

沖縄の民族学者・伊波普ゆうは「琉球の民俗」でこう述べています。

「昔は死人があると、親類縁者が集まって、その肉を食った。後になって、この風習を改めて、人肉の代わりに豚肉を食うようになったのが、今日でも近い親類のことを真肉親類といい、遠い親類を脂肪親類と云うのはこう云う処からきた。」

また、礫川全次は「人食いの民俗学」の記述は次のようなものである。

「隋の時代では、部落全体のものが死人の肉を食する風習、即ち「部落肉食人俗」が行われていたのが、後世になって、親類だけが死人を食するように制限され、更にその後に到りて、人肉の代わりに豚肉を食することに改たまったのである。
死者に対する神聖の義務的任務・・・・死人が冷たい地中に埋めたり、猛獣の餌になるより、自らの暖かい腹に納める方が死人に良いとする心からである。

これは明らかにマナ行為である。

ニュウギニア・アリンド・アニム族のマヨ儀式はもう少し残酷で儀式的である。

マヨ儀式の最後は、「殺人者としての父」の登場により最高潮に達する。「殺人者の父」を演ずる者は、特有な武器を持っている。これは祭儀の用具として使われるが、また、マヨの娘として指定された少女を殺すために使われる。犠牲者の少女、マヨの娘は藪の中に連れて行かれ、祭りに参加した全ての男達によって生殖行為をされた後に殺される。そして、その体は食べられてしまう。少女の骨はココヤシの傍に埋められ、少女の血はココヤシの樹に赤く塗られる。生殖の力を得た少女の血はココヤシの果樹の豊かな実りを齎すとされており、この大規模なマヨの祭りの間に神話のあらゆる細目が演劇的に実行される。
これも「ハイヌウェレ型神話」の実例だろう。

ダニエル・T・マックスの「眠れぬ一族」の概要を伝えなければならないが、この本は医学書に近いもので、確実に理解できたとは思えないが、その内容はこうだ。

イタリア北東部ベネツァの近くべネト州で、恐ろしい病気の遺伝子の保有者・致死性家族不眠症と呼ばれる遺伝性のプリオン病に苦しめられてきた。大体、50代で発症し、眠りを奪われる。通常発症から一年三ヶ月ほどで訪れる末期には患者は昏睡状態に陥り死に至る。

この致死性家族不眠症状は容赦がない。概して、中年期に異常な発汗から始まる。瞳孔が極端に収縮し、首から上がこわばって、不自然な姿勢になる。便秘が良く視られ、女性は突如更年期に入り、男性は性的不能に陥る。患者は思うように眠れなくなり、午後の転寝で埋め合わせしようとするものの、不可能である。血圧が上がり、脈が速まって、体が過活動状態になる。その後、何ヶ月間も必死で眠ろうとするが、患者は不眠と言う病魔に蝕まれ、のたうちまわって、死に至る。

この病状の始まりは、遙か昔の祖先の食人の経験が遺伝子に伝わり、現代にまでその症状が遺伝していると言うものである。

これは直感でしかありませんが、ユングの集合的無意識とキリスト教の洗礼ぶどう酒とパンの飲食を思い出させます。それは「マナ行為」なのでしょうが、非常に興味ある項目です。



これはまだ直感でしかないが、ユングの集合的無意識とマナ行為を思い浮かべた。

マナとは、神や超自然的な力を自らの中に取り入れ、それと一体化しようとする志向であります。それが食肉人種の首狩り・勇者を称へ、それと一体化する行為を推察します。
私が予てから主張したように、我々の根底には多神教の思考性がある。全てのものに精霊が宿ると言った信仰は縄文からの我日本哲学である。

古代史が混血の歴史であり、それを支配者は巧く操縦して大和を統治してきた。
その根拠に先住民族が母系で繋いできた。皇孫に皇后を配することで日本は統治を続けてきた。

その仕組みを巧く操作した元凶は藤原不比等である。この天才は母系を使って国を牛耳ってきた。私はこの統治の基本は官僚制の起源であると考えている。裏で政治を操る方法は先住民族の手法であるが、不比等はそれを手法として確立した。
それは日本列島が南方民族、江南中国、朝鮮民族の文化(まれびと思想)を取り入れるための知恵で自らの娘を渡来人と血縁させて自らの「血」を保ってきたと言える。
日本を「倭」と言うが洒落で「和」とも言う。聖徳太子が「和をもって貴(とうと)しとする」とは、けだし日本民族を透徹した名言であろう。詰まり、「大いなる妥協」こそ我、日本人の生きる道と言うわけである。

最後に、私の好きな言葉「東に美き地あり、青山四周らす」これこそ日本なのである。この原点を私は深く考えるべきだと考えます。

原点は結果として、産土・大和です。この地を再考することこそ課題であります。
私は古代史の考察に行き詰まり、現在の政治状況に落胆していて、精神的には衰退していたと言えます。

古代史は広く、深い。先人の考察の軌跡も深く広きに渡っている。そこで、遅れすぎた老人が大海の中に小船を漕ぎ出した感のある無謀な企みは行為である。諦めて余生を送り、異なった視点で、例えば戦後史は私の家庭史でもあるのだから、具体的な主張を書き連ねていればそうは、苦労はしないだろう。

しかし、私はどちらかと言うと、愚かな性格で気にかかることがあると無謀にも避けて通ることが出来ない。愚かを承知でせめて、「神武東征」を私なりに解明しようと歩みだしたわけである。

その五年間の蓄積が漸く、大まかな構成が見えてきた。

新天皇の継承儀式は「大嘗祭」出雲国造就任儀式は「火継ぎの神事」であろう。
この神事の形態は、どちらかと言うと「火継ぎの神事」の方が古式を伝えていると言える。縄文文化の始まりは、やはり土器な発明であろう。「火」との関わりが定住を促したことは疑う余地はないだろう。文化の発生はそこから出発する。

その「火」は火山の溶岩か神鳴り(雷)の落雷が直接的な体験が底にあるのは言うまでもありません。「日」はその後の派生(抽象化)だと考えられます。
そう考えると、縄文時代からの伝承は、出雲の方が古いような気がします。神在祭もそうだが、出雲こそがその統括の拠点として先住民族が君臨していたと考えられます。対馬海流(黒潮の分流)や地域的な特性から、種々な種族の坩堝にあったのがその大きな要因でしょう。

天孫降臨神話はよく考えられた(いや、伝承の結果・史実か)伝承であると言えます。天孫族は南九州(ニニギ)、北九州(ニギハヤヒ)、出雲(天穂日命)と高天原から天降らせています。それが結実したのが神日本磐余彦天皇(神武帝)で、覇権が確実に成ったのが天智天皇である。

私は本格的に古代史に参入したのは五年足らずですから、浅学の謗りを免れませんが、大まかな構成は出来たと考えています。後は、それを考証する根拠が必要でしょう。江南の倭、朝鮮南部の倭、南北九州の倭、吉備・出雲そして、大和(倭)の考証こそ、古代日本の形成に核となる要素であるといえるでしょう。

気の遠くなる旅ですが、素描は出来上がりました。後はつき進めるより仕方がないでしょう。
私は今、蛇の説話を追っています。

八俣大蛇神話は「蛇」同士の争いと言った想像を逞しくしています。
谷川健一さんは足名椎・手名椎を蛇の夫婦だと述べています。娘の奇稲田媛は明らかに農耕に従事する巫女神であろうと考えると、簸の川流域に農耕で生活をしていた先住民族が、強力な力を持った海人民族がやって来て侵略した構図が見られます。八俣大蛇は高志からやってきた海人系民族で強力な金属器を携え、出雲・簸の川流域の先住民族を侵略してきた。

そこに天孫族の傍流・スサノオウ(やはり新羅系金属氏族)が出雲先住民族に援護の手を差し伸べ、その連合軍が八俣部族を排除した。

そう考えるのも又、面白い着想だと思います。

注、速吸之門の漁夫は「珍彦うずひこ」で、神武は椎の木を手渡して「珍彦」を水先案内人とした。とある。谷川氏はこの「うず」を蛇であると言う。(ナゴ・ナギ・ナガもまた蛇の古称)
ここで思い出すのは、出雲の足名椎である。神武の椎の竿と「足名椎」の「椎」は無関係だとは思えない。共に谷川氏は蛇だと説いている。すると「椎」の木を手渡すと言うこの「椎」と足名椎の「椎」は何らかの思惑があったと思われる。単なる偶然ではないだろう。
又、天宇受女媛の「うず」は簪と言う意味であり「蛇」と言う意味でもある。すると「ヒカゲノカズラ」にも蛇の意味を被せてもいいだろう。もともと、「ヒカゲカズラ」を<ウズ>と称し、それを頭に抱いた巫女が天宇受女命である。
蛇についての玲さんのブログは残念ながら、確実に書くことは出来ない。私は、今、神武東征の出だしでニニギ命について勉強中で「蛇」について責任持って書き出せない。

多分、古代史の「蛇」について語れば、「八俣の大蛇」からであろうが、この神話が「越」や「新羅」または谷川健一さんの「白鳥伝説」などを取り上げなければならないだろうが、私はその源流は縄文にあると思っている。確か吉野裕子さんがそれに触れていたように思うが、吝かでない。又、大物主の三輪神話にも触れなければならず、課題は多い。

ただ、神武東征の関連で、今私が具体的に取り組んでいるのは、「久米氏」と「安曇氏」そして「隼人」についての考察です。それには、中国江南、「倭」の起源(古来、日本の倭人は<呉>との関わりが強く、江南の長江沿岸を視野に入れなければ語ることは出来ない)について、「苗族」「呉」「越」などは視野に入れなければならないと思う。河母渡遺跡、良渚遺跡、三星堆遺跡やら確認しなければならないのは言うまでもない。

私は、戦後(昭和20年から26年の講和条約締結まで)の米国兵の犯罪の研究から天皇制の検討を始めたのが5年前なので、70才の老人にはもう時間がない。
しかし、玲さんの「蛇」のテイマの提示に喚起され、神武東征を棚見上げ、少し「蛇」についての認識を深めたいと思い始めた。少し、図書館に通って見たいと考え始めた。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。