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大嘗祭の前日には「鎮魂祭」が行なわれる。これは神話的には「天岩戸神話」に比されよう。

天照大神はスサノオウ命が天縫殿に馬の皮を逆さに剥ぎ投げ込む、そこにいた神衣を縫っていた神女は驚き、恐れ織り機のヒでホトをつき死んでしまう。そのため、天照大神は「天岩戸」に隠れて、世の中は暗闇に包まれて見えなくなる。そこでオモイカネ神が中心になり、天宇売女神に舞を舞わせる。胸乳をむき出しホトを晒して踊る様を観て神々は笑い転げる。天照大神は不思議に思い顔を岩戸の隙間から覗かせると、イシコリドメ神が鏡を見せ、天照大神が驚く隙にタジカラオウ神が岩戸をひき開ける。
その宇売女の舞いが「鎮魂」の舞であろう。

その「鎮魂祭」が終わると、翌日、崩御した天皇の代わりの新天皇は「廻立殿」で天の羽衣を着け湯浴み(小斎の御湯)をする。ここでは采女が二人付き添うがひとりは介添えで主には「最姫」と呼ばれる巫女が新天皇を助ける。それが終わると新天皇は大嘗宮(悠紀殿・・天神との朝食、主基殿・・地祇との夕食)を天神は神座、新天皇は御座で食撰する。

天の羽衣は「丹後国風土記」に記述されている。西北(いぬい)の郡家(こおりのみやけ)・比治の里、山の頂の真奈井の井に八人の天女が水浴(みかあみ)をする。その羽衣を一つ和奈佐の老人(おきな)が隠して、天女が天に帰れなくなる。天女は和奈佐の子になり、霊酒を醸み、不老長寿の酒を生み出し売ると老人は金持ちになる。すると、和奈佐夫婦は天女を追い出してしまう。天女は悩みながら流浪して最後に、奈具の里で落ち着いて、その里に留まる。天女の名は「豊受賀能売命」である。
ここの重要な点は、酒と豊受賀能売命であろう。酒は米の象徴であり、豊受賀は伊勢神宮の外宮の守り神で食事の神様である。羽衣はその米の霊を包むものである。つまり、天皇が天の羽衣を纏うのは豊穣の象徴に他ならない。

また、ここでは湯浴みは神話の「禊ぎ」である。
禊ぎは、イザナミが死に黄泉の国へ旅立つがイザナギはまだ現実に国が完成していないから、黄泉から戻るように依頼すると、イザナミ(妻)は黄泉の食物を食べたので帰れないと言う。
この行為は「産土神」を思い起こす。「産土」とは古来、出産は自家では行なわないで、別途「産小屋」を設け、土(砂)を敷きその上に藁を重ねて、立って御産をする。その際、胎液や血が「土」に沁み込む。その土のことを「産土」と言う。(御産の後、小屋は焼かれると言う)
つまり「産土」とは生命の源の象徴であろう。その血を含んだ土地が生んだ野菜や動物の肉は土地の霊が乗り移った神聖なものである。イザナミが黄泉の食べ物を食したと言うのはその食霊が染み込んだものである呪縛がついていると謂える。だからこそ、イザナミは黄泉の大王にその呪縛を説いてもらう必要があるのだ。その待ち時間は短いはずはない。イザナミがイザナミに待つように約束(掟)は必要かくべからざる掟であった。それをイザナギは自らの「櫛」で火を燈し覗いてしまう。そこに顕現したのはイザナミの腐った身体で各箇所から雷鳴が轟き光っていた。「掟」を破ったイザナギは黄泉を追われ、遂に黄泉の穢れを祓うために「禊」をすることになる。
その「穢れ」を祓う行為が「廻立殿」の「小斎の御湯」であろう。

「廻立殿」の禊が終わると、大嘗宮(特に、悠紀殿)に移り、そこに設けられた、神が降臨する「神座」と新天皇が坐す「御座」に入る。新天皇は「神座」に行き、神と共食する。

この神事は「天孫降臨」に比される。神は天照大神であり、新天皇はニニギ命であろう。共食とは、新天皇がニニギの精神を受け継ぎ、天孫の実質的な後継者になることを意味する。(これが天皇が現人神になることなのであろう)

大嘗祭は神話の具現化であると、私は思う。その意味は深く限りない。浅学の私にはまだ解明が不十分であろう。なお一層の研鑽が必要である。
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古代史を読み始めた頃、私は関裕二氏の古代史に関する本を多く読んだ。
関氏の書物は、読み込みが豊富で纏めは優れていると思った。しかし、読み込むに従い、彼のその読書量の弊害がでて、章と章を繋げる想像力に疑問を持つようになった。だが、今でも彼の読解力は評価している。

その中での文章を取り上げてみた。

「天孫降臨の謎」の中で、上山春平氏の文章を挿入している。先ず、その文章を紹介しよう。

<アメノミカヌシを頂点に、二つに分かれた「高天原系」と「根国系」の神々が対置され、最後にイワレヒコ(神伊波礼毘古命=神武天皇)でつながり、ヤマト朝廷誕生に結びつけている。・・・・八世紀、藤原不比等の時代に出現した「律令制の原理と氏姓制の原理の矛盾葛藤とその解決に筋書き」(続・神々の体系、中公新書)にほかならない。

そう上山春平氏の著書をまとめている。私はその説を否定するものではないが、その見方は一面的だと考える。


当然「日本書紀」は勝者の書であり、政治的意図があるのは理解できるが、「紀」の編者は思うに、中国の正史や諸書を読み込んでいる。だから、「日本書紀」は八世紀の政治書として、大和朝廷側にたって書かれるのは当然である。「紀」制作の裏で藤原不比等の意図が働いているという説も理解できる。しかし、八世紀の識者も優秀である。「紀・記」を単なる政治書に留めていない。

例えば、中臣鎌足は自分の長子・定恵を幼少から中国・唐に留学させ、不比等も同じく百済の歴史学者・渡来人・田辺史の元で修行させている。つまり、田辺史のところでは中国五書をはじめ、魏志なども熟知していただろうし、朝鮮の正史などはお手の物であっただろう。なおの事、一般の学者などは死に物狂いで勉学に没頭したであろう。現代より制約は強く、集中力は今の比でなく真剣にならざるをえないと言える。


特に「古事記」に至っては、単なる政治書だけでなく、古来の事実や伝承・神話をも包括して記述している。
その点で非常に複雑な記述になり、その底で乱光的な様相を呈している。私はその点を評価したい。主観的な視点が政治史であり、客観的視点では、文化史・哲学を包括する類まれなる書物であると、私は考える。特に「古事記」はその源として評価する。私が古代史にのめり込んでいったのは、その「古事記」の深さ・広さである。
2013.10.28 安曇氏雑感。
安曇氏は天皇の膳手を勤めている。「神武東征」で久米氏もまた、膳手を勤め、軍功に補佐に活躍する。私は安曇氏は久米氏と親密な関係があると考えており、「今昔物語」にもあるように、同族の可能性さえ考えている。その久米氏も初期(四世紀ころ)には衰退し、その勢力を失っていた。それに期をみつにするように、安曇氏もまた、その階位を下げている。それにつれ、大伴氏が台頭してくる。そして、安倍氏もまた勢力を持ってくる。大伴氏も安倍氏も新興勢力である。

安倍の謂われは、「饗(あえ)」で膳手が出自である。だから、その末裔が高橋氏であることは自明なことである。高橋氏が後に安曇氏に代わり膳手の位置を奪うのは自然の成り行きだろう。
「太伯」の説明は、上野武氏のものが適切である。・・・「魏略」の記した太伯伝説は正史っである「晋書」四夷伝・倭人で、文身習俗の記事と共に「自らいう、太伯の後」とされ、その後「梁書」「北史」に受け継がれた。さらに、宗来元初の歴史家・金仁山(1232年~1303年)が「通鑑前編」で「日本いう、呉の太伯の後なりと。けだし呉亡んでその支庶(後裔)海を入って倭となる」と記したように、倭人を太伯の後裔とするのは、中国人にとって常識だったとみてよい。

そう記している。以前も述べたように、現代の学者は「呉」を説話上の人物とみなし、その信憑性を軽視している。しかし、私はその伝承のそこには史実が横たわっていると解釈しているので、「呉」を重要な項目として、古代史のポイントとして評価している。

「呉」は白川静師の<字通>によると、サイ(祝寿器)を持って踊り神を称えると、説明している。これは「八幡愚童訓」によれば、安曇磯良は、住吉大神の神託により、神功皇后の呼び出しで、細男舞に誘き出されて海上より踊りながら浮上してきた。永らく海中に住んでいたために、ヒシや貝・海藻が顔についていたので顔を隠して浮上してきたとされる。
これは「呉」の呪術性と安曇氏の呪術性の類似性による。つまり、江南からの渡来がある程度行なわれていて、その習俗が伝わったことによると思われる。私は何回かの「呉」や越人の渡来や漂流・亡命の結果、野間半島に居住がなされて、先住民族との融合の末、初期南九州王朝を形成したと考え、所謂、「天孫降臨」から「神武東征」の神話の素話となったと考察する。
私が大嘗祭に注目するのは、その祭りが神話に描かれる「天孫降臨」神話の具体的表現だと理解しているからであります。
現実の天皇の死は、日嗣の神事として新しい天皇に継承する神事である。それは神としての「天照大神」の神霊を受け継ぐ行為である。多少の飛躍を承知で言えば、宇宙の創造原理と一体化する神事だともいえます。先ず、新天皇は穢れを祓い、「天照大神」の神霊を受け継ぐ神事だと言えます。

これは出雲の火嗣の神事と類似しており、日本の子孫継承原理の原型だと言えます。

大嘗祭は式の前日に「鎮魂祭」(天宇受女神の天岩戸神事)が行われ、当日には天皇は紫しん殿より午前八時頃、大嘗宮の北に建てられた廻立殿に入り、天の羽衣を着けて沐浴をする。(小斎の御湯・・・禊払い・イザナギ神の禊の継承でしょう)そこで祭服に着替えて、午後九時頃、大嘗宮(悠紀殿)に入り、天皇が悠紀殿の嘗殿(膳屋)に行く。そこから本格的な大嘗祭として儀式が始まるのである。

私はまだ、大嘗祭については浅学で、資料もそれ程読み込んではいません。常識程度だと思います。これからも大嘗祭については、さらに追求が必要だと思っています。
2013.10.22 砂上の楼閣。
秋も深まり、冬が寒気を齎してくる。病院の白壁は真っ赤な夕日が照り換えまるで血を塗られてているようであった。遠くにかすかに唸るようなサイレンが流れてくる。
杉並の倉沼病院の四階の病室には、今、担ぎ込まれた中年の男が苦しみ喘ぐ獣のような呻きを発していた。側には若い妻と小柄な背を丸めた老婆が、泣きはらした真っ赤の目でその男を見つめ、老婆は呟くように「悪しきを祓うて天理教の命」を繰り返し繰り返し唱えていた。妻は嗚咽して、喉の奥から搾り出すような苦悶の呪縛に似た声でのたうつ。小さな子供は事態がわからず、泣きながら母の袖を引いて母を怒らした。

昭和20年12月25日午後9時、縄目和夫は帰宅最中に米兵の二人組みの強盗に至近距離からピストルで撃たれ、永福町にある病院に担ぎ込まれたのであった。
今、「炎の女帝」(持統天皇)について読んでいるが、この作家については納得させられない点が多い。母の出産について五歳の子に一人で出産を立ち会う場面は明らかに印象場面でこのようなことは現実には起こらない。明らかに作者の印象表現である。私は虚と実の間に真実があると言う、近松門左衛門の説に同意するものだが、作家の表現も虚と実の狭間の現実的な表現が正しいと思っている。

観念のままの表現はわかり易いものだが、それは絵そら事となってしまう。厳密に言えば、「色と空」の仏教用語の実と空(気とか霊気であろう)の混沌が真実なのであろうが、今はおくとして、空くまでも実を手がかりに表現するのが最善だと確信している。

三田は想像に走りすぎるきらいがある。五歳の幼女に、間人皇女と中大兄皇子の近親相姦を批難させる場面があるが、多分これは三田の思念であろうが、彼は後の持統の、県犬養三千代と藤原不比等の「不義」を禁忌として考えたであろうか。もし、五歳の持統に禁忌を批難する視点があったら、成長した持統の行動をも想像の片隅に置くべきであった。彼にはその総合性に混乱があるように思う。

しかし、次ぎの文章は素晴らしい。

「むろんあの男(中大兄・父)に恥などというものはないだろう。だが同母妹(間人皇女<はひしとのひめみこ>を人前で親しむことははばからない無道の人物が大王になたのでは、世の中の秩序が乱れる。従わない豪族もでてくるはずだ。そのため中大兄はわざと皇太子のままで、陰の存在として政治を操ろうとしている」と書く。

ここで政事と世の乱れを相関性が語られているが、確かに「乱れ」は総合的である。単に一つの現象が単独になるたっているのではなく、多くの要素が絡み合った緩みが「乱れ」として顕在する。「緩み」こそ「乱れ」を形成しているのだ。
私は「世の乱れは」人心だけに留まっていないと思っている。人災は天災をも呼ぶという真理をもまた、しんじている。「続日本紀」を読むと必ず、政乱の時には「天災」が襲う、不思議なものである。

三田誠広はそれを半ば感じてはいるようだが、顕在的に意識まで到達してはいないようだ。この混乱から抜け出せば、さらに素晴らしい作家になると思う。
2013.10.20 視田
山崎さんと触れ合ったのは「白い巨塔」である。そして、山本薩夫監督の「華麗なる一族」にたどりつく。組織の悪と言うより患部・癌を暴いた作家である。私にとって松本清張と対比される作家である。共に戦後の反省から首発している訳だが、私も少々考えさせられた。今、作家達はそうした国家的な問題を取り上げてない。いや、出版社が個人の卑小な問題に方向を展開されようとしている。状況は組合は口を閉ざされ、若者は不満を抑制察せられている。平和と言えば聞こえはいいが、実は巧妙に牙を抜かれているのである。少々の政治的爆発は事前に抑えられてしまう。私は若者がエネルギィを抑制される世の中は衰退に向う危険な国家だと思っている。
若者の純粋性や不満を閉じ込めてしまえば、所謂オタクとか犯罪に充満してゆく。陰湿で凶暴な世の中になって行く。淀んだ充血した世の中はそういう世の中である。

これは施政者が戦後の総括をはっきりさせず、有耶無耶に施政をやりやすくする舵取りにほかならない。山崎さんや松本氏が目指した精神はその総括を彼等なりの手段で追求していたと言える。

山崎豊子の死は、それらの「死」を意味する。そこで私は立ち止まらざるを得ない。誰からかその遺産を引き継がなければならない。そして、私の私なりの方法でそれを表現しようと。私にとってそれらに応えられるとしたら、全国占領軍遺族被害者連盟の軌跡であろう。現実的な運動は最早、終結している。今、私ができることは、それを残すことだが、諦めて私は末弟にその運動を譲った手前、資料は殆ど残っていない。その末弟も挫折して、過労と挫折による退廃で酒と不節制で野垂れ死にしてしまい、資料はかなり少なくなってしまった。

全国占領軍遺族被害者連盟の軌跡を黄泉返らすには、再び取材をやり直すより方法はない。かなりの決心が必要である。今の私にそのエネルギィが残っているだろうか疑問だが、出来うる限りの取材を行なおうと考え始めた。困難を承知で歩み出そうと決心する。「古代史」と「戦後の連盟史」は両立するだろうか。
ある報道紙が六割近くが消費税の率を上げるのに賛成していると報じた。こう言う誘導的な報道に私は腹が立つ。少子化に伴い、福祉の財源が枯渇すると言うのが理由だそうだ。私は政策的な責任を問いたいが、それを棚に上げて認めるにしても、それを楯に多に利用してしまう(復興税のよう、になし崩しに他に使用してしまう)政府<どうせ財務省主導だろう。今の政党に官僚を動かす力はない)あの姑息な姿勢は喉もと過ぎれば文句も言わないと官僚は高をくくっている、と言おうか舐めている。しかし、彼等は自分達の既得権とやらは腹にしっかりしまいこんで、死んでも放そうとしない。その歪んだ志向を当然だとして疑わない。国民が疲弊しようと、栄養過多の身体で省みる余地さえ見せない。通常の企業が、赤字で倒産寸前であるなら、経費を削減し、給料は減額するのは常識であろう。そこに痛みを感じない人間は正常な神経を持たない病人だといえる。この腐った精神が、今の日本の舵を取っているのだ。

今、経費を削減し、報酬を減らしても財政の赤字をなくすべきなのだ。取り易い素直な国民からむしりとる歪んだ精神は是正すべきである。浅慮な政党人は大手財閥を優遇するより、真に国民の生活を優先するべきだ。あの国民が唾棄すべき政治家を排除した小澤一郎は、仁徳天皇の国見の条(くだり)を引き合いに出して政治信条を述べている。お題目とは言え、私は他の西欧かぶれの浅薄な政治家よりましだと思っている。
今は、膨大な赤字を出した政治家や官僚は自省して身を糺すべきなのだ。この国は、米国でも英国、仏国でもない。日本国なのだ。「和」をもって貴としとする崇高な哲学を内包する伝統ある国民なのだ。それを蔑(ないがしろ)にして進行すれば歪が出来るのは自明のことである。

わが同胞に言いたい、正確に持論を言おう。邪まな報道には反論をしよう。腹の黒い政治家や官僚には、はっきりと異論を表現しよう。財政の赤字は国民にもあるが、施政者に直接的な責任があると声を上げよう。

謙譲の美徳は吾等・日本人の美徳ではあるが、行過ぎた忍耐は悪徳にも変わるのです。きちんと自己主張はしよう。
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