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崇神紀の大物主の祟りには、大和だけではなく、蝦夷・佐伯・土蜘蛛・隼人などの先住民への虐殺がその根底にある。
私は歴史には勝者の歴史と敗者のそれがあるのを知ることが重要だと思っている。
兎角、勝者が誇り高ぶった正史を取り上げやすいのは自明な事だが、しかし、歴史はそれらの総合で判断すべきで、大事なのは歴史に埋もれた敗者の状況を掘り起こすのが重要なのだと思っている。
我々の深層心理には、表の歴史が影響されているのはいうまでもないが、敗者が残した深層にある真実が心の裏面に深く影響を与えているのを我々は見落としている子とが多い。それは仕方のないことなのだが、もう一歩住み込んで、それを追求する姿勢があるかないかで社会史の全貌を見極められないのは言うまでもない。
古代史を知って私はその感がした。日本人の「融和精神や妥協的傾向」は元来、和人が持っている重要な深層心理が影響している。
我々はそれを理解した上で、日本人が持つ平和主義や自然崇拝を強調すべきである。どうやら私の結論が曖昧模糊とした状況の中で頂点が見え始めたと思い始めててきたような気がする。
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古事記・崇神紀にこう書かレている。

此の天皇の御世に、役病多いに起こりて、人民死にて尽きなむとしき。ここに天皇愁い嘆きたまひて、神床に坐しし夜、大物主大神、御夢に顕れてのたまわしく、「是は我が御心ぞ。故、意富多多泥古を以ちて、我が御前を祭らしめたまはば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ。」とのりたまひき。ここを以ちて駅使(はゆまずかい)を四方に班(あか)ちて、意富多多泥古と謂ふ人を求めたまいし時、河内の美努(みの)村に其の人を見得て貢進(たてまつ)りき。

この文章はわかったようで理解し難い文章です。大物主大神がどうして祟るのか原因が判らない。そして、意富多多泥古との関係や意富多多泥古の住む美努村はどのような地域なのか。私には理解不明であった。

大物主は大和に居住していた先住民である。それは産土神であろう。
産土とは、女性がお産をする際、敷き詰めた藁や萱の下に敷かれた土である。お産の体液が染み付いた創生の象徴の土である。土は、宇宙創生から存在した固有唯一の土地である。その土地を原住民は敬い大切に抱いて慈しみ、大切にしていたものであろう。原住民にとっては、生存そのものといってよいだろう。大和にとっては、その頂点が大物主神である。それを神武天皇が武力で奪い取ったのである。
その意味では、長髄彦は大和の首長といいっていいと思う。その両者を時の天皇は抹殺してしまったのである。それは遺恨どころの仕業ではないだろう。存在を抹殺された恨みは筆紙に尽くし難い。産霊の大物主の怒りが祟りとなって現れたのは自然の成り行きであろう。

意富多多泥古は大田田根子であろう。三輪山は御和山であろうし、大きな田、つまり産土の使用者そして根子は原住民の意味であろうし、美努は御野(ぬ、又は、の)と言える。大田田根子は大和を守る原住民の呪術者であろう。
産土が取り持つ・神と人の関係が斎き祭らす祭儀の顕れと解釈したい。

2014.02.24 夢・現とは。
夢うつつとは何やら儚い。
私もすでに70歳を超えて、過去とか現時とか未来を区切ることに何故か訝しさを覚える。暗たんたる空間が漂い、その中に全てが包まれて、漠然としてあるかのような気がしている。確かに、視る眼は象(かたち)として捉えて、分別しているのに、心の動きはそれを訝る。つまり、年を取った自分を認めようとしない。時間など存在しないかのように年月が宙に浮く。何と虚しく、愚かな思いであるのだろう。
しかし、当の本人ははっきりと納得しては居らず、その茫漠たる空間を是認しようとしている。平たく言えば、気持ちは若く、肉体は衰えていることを訝っているのである。

私の好きな民謡「五ッ木の子守唄」三番
おどがおち(死)んじゅて誰が泣いてくりょうきゃ、裏の松山ァ蝉が鳴く。

この蝉は蜩でしょう。嘯しょうとして風が裏山吹きぬけ、哀しみを染み入らせて、蜩の啼く音闇を溶かす。その寂しさ、侘しさは人の虚しさの極みでと言える。カナカナカナと啼く蝉は黄泉の使いかもしれない。
私は谷川健一師の「縄文からの意識の連続」を卓言だと思っている。そこで霊夢と集合的無意識に興味を持っている。多氏の巫女を管轄した「大歌所」や古老の「驚異的な記憶」(それも数世紀にわたる口実伝承)そしてユングのDNAに刻まれた記憶の表出(夢や大事故の衝動による表出)、フロイドの夢判断などに興味があって、それらを注意深く詮索していた。その延長上で「古代人と夢」(西郷信綱著)に食指が動いた。

夢について、西郷師は、「万葉集は夢を<伊目・いめ><伊米・いめ>と言った。<イメ>は「寝目」のことである。
<寝目>は「目」の動詞化で<見る目のこと>、「魂の目」であろう。
荘子は夢を象徴して蝶が舞う<ヒラヒラする形>を魂の具現として表わした。

魂は、「心」が<群肝・むらぎも>といい、人の内臓にあり、知意情を司ると、荘子は述べる。そして、「魂」は人の外から去来していると説く。
「魂」は神に属するとでも言うのだろうか。その神は宇宙の混沌(カオス)とでも言うのだろうか。宇宙の創生が現代科学では「ビッグバン」だといわれ、万物の始原はそこにあると、言われる。つまり、銀河系の膨張が始まる始原だという。時間が生じるのはこの膨張があるからだと言われるが、さて凡人の私には理解を超える。

ただ、「魂」が蝶のように漂い、人間の生の誕生とともにやって来て棲みつき、死とともに去る、その表象は解り易い。

私が今、夢について、この「魂」がある契機で「心」の中に飛び込み、太古の記憶を齎す起因になったとしたら、ユングに唱える無意識の世界がそれを実現する可能性は無ではないと考える。

ベルナツィ一クがインドシナの苗族の首長の資格に太古伝承を脅威的な記憶で語ったという事実は、南九州の数回にわたる大噴火の記憶を「古老」や「神語りや天語りの巫女」が語った可能性はゼロではないような気がする。勿論、現在では憶測に過ぎないのだが、私は人間の可能性に期待している。
「古代人と夢」(西郷信綱著)を読み、「心」を<群肝むらぎも>をして内蔵から出る。それは知意情を司るとする。{魂」は外からやって来て、人の死とともに他へ去る、とする。
「心」が体内の生物学的機能に属し、そこから発生して「知意情」を生成する。しかし「魂」は他、多分これは「宇宙」の始原に鍵があり、あの混沌(カオス)と関わりがあって、その中核からやってくるのではないかと思う。
科学者が「生命の起源」を追って、ビッグバンに辿り着き、そこから万物の発生を語る。初めは原子から、いまだ不明の生命の起源を探究し、進化論を導き出した。
「心」はそのビッグバンに属し、「魂」はそれを包む宇宙の空間を意味するのだろう。

<淮南子>・・・道の元始たるや虚カクが生まれた。その虚カクに宇宙(時空)が生まれ、その宇宙には元気が生じ、その元気の重層に境目がたった。澄み輝けるものは、高くたなびいて天空となり、濁って沈めるものは、凝り滞って大地となった。
天と地との精気は団集して四時(春夏秋冬)を創り、四時はそれぞれの精気が散じて万物を創った。とある。

折口信夫師の「つぎ」を読み、少々思いついたことを書きとめようと思う。

海人族には二つの傾向がある。先住民的海人族と渡来人的海人族である。元来、先住民的海人族は解放的、柔軟な気風の気風である。それは移民種との交流が培った柔軟性で数多くの経験値が生きる選択の柔軟性を育んできたと言える。
ここに「万葉集」山上億良の安曇荒男と宗像津麻呂の交感の記述がある。

津麻呂は朝廷の意向で海運輸送を命じられたが老齢で職務遂行が困難なので、荒男に代行を依頼する。ここで面白いのは、津麻呂は公式つまり、官権の輸送職者であり、荒男は私的な運送職種なのである。当時は海の運搬は危険で命がけの仕事である。それを荒男は私企業なのに関わらず引き受ける。その理由が「血は繋がっていないが仕事の過酷さは非情で兄弟以上の心意気が繋がっている」と言う理由であった。
考えるに、朝鮮系の宗像族は初め先住民系の海人族より勢力は弱かったのは考えられる。当初、薩摩半島の阿多族が各地の交流を行い先住海人族の地位にあったのは考えられることである。その後、朝鮮半島からの海人族・宗像海人族が進行してきて、二つの海人族が並び立つ。本来なら争いが起こるのは必定であろうが、7・8世紀には完全に棲み分けがなされている。その過程に何が起こったかは今、不明と言うしかないが、大和朝廷が成立した当時は朝鮮系の宗像族が朝廷のお墨付きを貰っていたことは事実として、この「万葉集」の記述は物語っている。

ここで折口師の「つぎ」の論理であるが、その根拠は先住民の生活にあり、集団の首長の発祥と権威の引継ぎとしての過程が語られている。その経験の積み重ねは歴史形成であって、非情に重層的であり、有機的な結束を生み出しいた。そのエネルギ一は強固であるのは言わずと知れよう。その過程が種族の存在の形なのであろう。それを崩すのは並大抵のエネルギ一ではあるまい。争いの激しさの根拠とはその辺にあるのだろう。
なのにである。津麻呂と荒男の友情はその困難を経験した人々の思いやりは常軌を越えていた証左であろう。
私は、この生きるための生活の闘争と融和の物語をもう少し、詳細に点検しなければならないと思う。


私は当時の海人部の友好さが表現されていると推測する。
海人族は古代史においては重要な要素である。

大きく分ければ、安曇族と宗像族に分けられる。宗像族は北九州を本願とする。また、安曇族は南九州と北九州を本願とする。
安曇族は江南と南方諸島が関わる南九州の海の隼人との融合が初期古代史を形成する。私は日本の海人族は野間半島が基点として大隅諸島から沖縄までの文化圏を形成してかこいノ原文化圏として丸木船で交流を図ったと思われる。特に中国江南・長江流域を中心に「倭族」が先住民と融合して広大な海人族集団を作り上げた。文身や断髪、鵜飼の習俗を伝え、末子相続を要(かなめ)に種族を形成した。
南九州に置いては、先ず薩摩と南方諸島との混血による「曾族」(後の山の隼人)が先行し、江南の「倭族」(犬伝承と道教を携え)との交流が薩摩半島を中心に黒潮文化圏を作り上げる。
一方、宗像族は朝鮮半島の文化を持ち込み、長子相続と儒教的精神を基本に北九州の先住民との混血を重ね多数の集団種族を形成した。そこには分身も鵜飼の習俗も少なく江南の「倭族」の習俗より黄河周辺の遊牧民族の風習を受け継いでいる。地域的に海を中心には発達するのは困難で海洋技術は江南の文化には劣るのは自然せ成り行きであろう。江南や南の海人族の海を中心にした生活に比べれば、その技術や経験に格差が出来るのは仕方のない事実で安曇と宗像の決定的な差である。(但し、万葉集の宗像津麻呂(官位)と安曇荒雄(私企業)の伝承は大和朝廷が朝鮮系の結果であろう)


もう一つ「禊」と「誓約」を挙げたい。
「禊」はイザナギ神が黄泉からの穢れをおとすために行う神事である。終盤にイザナギは綿津見神と筒男神を産み、最後に天照大神・月読神・スサノオウを生む。その天照とスサノオウが誓約で生むのが宗像三女神つまり、宗像海人族の祖である。
時間的にはワタツミの末・安曇が先行し、その後で宗像三女神が誕生する。
少し穿ってはいると思うが、中国江南文化が先行し、それを受けて朝鮮海人族がそれを引き継いだと言う解釈も成り立つ。
アニメ・「かぐや姫」を見逃してしまった。そこで嘗て読んだ関裕二氏の「おとぎ話に隠された古代史の謎」を再読した。そこで「竹取物語」についての解釈を披瀝しているのを思い出した。

書き出しは「源氏物語」の作者紫式部は、八世紀に成立した正史「日本書紀」を酷評する一方で、平安初期の「竹取物語」を、「物語の出で来はじめの祖」と絶賛している。と書き出している。彼はその作者を紀貫之と比定して、藤原氏への批判書だとする。彼は天女伝説の豊受大神とのかかわりを説く。

丹後国風土記には、奈具社の伝承があり、天女が比治の里の井(泉)・真奈井に天女が沐浴する為に羽衣を脱ぐ。それを和奈佐の翁が盗み、天女を天に帰れなくさせて、自分の娘にしてしまう。娘は天に帰して欲しいと懇願するが、翁は認めずに、仕方なく天女はこの地へ止まりる。天女は噛み酒を造り翁に孝行する。この酒は霊酒で不老長寿の酒で翁はそれで一財産を築く。すると驕り高ぶった翁は天女を見放し、家から放逐する。天女は放浪の末、竹野(たかの)郡・舟木の里、奈具の村に落ち着く。その天女は豊受大神である。と言う。

「竹取物語」はその伝承から引用して作られたものであろう。
関氏の述べるように、藤原批判の物語りを比喩的に描いたという事は面白くはあるが、この構造は伝統的な手法で「風土記」が根底にある。風土記は朝廷の発想で出来上がったものである。それは単純に藤原批判の書と言うより、もう少し根が深いような気がする。それをもう少し考慮してみたい。

風土記で気になる項目を抜き出してみる。
まず、沐浴、これは禊であろう。八人の天女、天女は何故八人なのか。三でも五でもいいと思うが八は「延喜式」にみられる「神魂、高御魂、生玉、足玉、玉留魂、大宮乃売、大御膳津神、辞代主」(祈年<としごい>祭の祝詞)八人の魂との関係は。何よりここに大御膳津神は豊受大神<宇迦之御魂神>との関りは。また、天の羽衣は「天孫降臨」の真床覆衾なのではないか。噛み酒と稲の問題は。霊酒が不老不死の妙薬で翁が富み栄える。放浪の先で安楽をえる豊受大神の存在。何より、羽衣を盗み、傲慢にも富み栄えると天女をおいだしす翁の非情さに対する「罰」が語られないのは何故か。様々な疑問がこの風土記と「竹取物語」はある。多分、大嘗祭との関りがあるように思うがその点も追求しらければならないだろう。これは時間をかけて調べる価値があると言える。
私達は何気なく文字を書いているが、元より日本には文字が存在しなかった。会話が意思疎通の表現手段であった。勿論、文章などなく、あるとすれば目印や手振り、印に類するものであったろう。日常は会話「音」が表現手段であった。

例えば「ソ」と話す。何やら意味が解らない。日本書紀では「襲」と言い、古事記では「曾」と言う。また風土記では「曽於」とする。皆、漢字にあてたものだろう。
漢字には意味がある。その言葉には「言霊」が存在するのだ。矢鱈に文字を乱用すれば、文字の逆襲を受ける事になる。そんなことは古代の識者は百も承知で文字を選んでいただろう。
そこで私は「ソ」についてどれが一番「ソ」の意味に近いか考え続けて、素直に意味を表現しているは、「古事記」の「曾」であると思った。日本書紀の「襲」は明らかに本来の「ソ」を選者が翻訳している。「ソ」は「空」や「背」や「北」に付託して、意味を引き出すが、「襲」には<おそう、かさねる、死者に着せる衣>と言った意味がある。日向の高千穂の襲を考えると、どれも当てはまりそうにない。「風土記」の「曽於」は明らかに当て字である。
そこへ行くと、「古事記」の「曾」には<昔、とか甑>と言った意味が通じる表現なような気がする。<昔>が判り易いが、私は<甑>も捨て難いと思っている。
所謂、「襲」の地は大隅(現在の国分市)に比肩されるが、ここには「上野原遺跡」があり、竪穴式住居ともに「集石遺構」があり、これらは「蒸し器乃至は蒸し設備」と言われている。つまり、「曾」に比肩しても可笑しくはない。

私がもう一つ不思議に思うのは、「天孫降臨」との関連である。ニニギ命は「曾」に居り、笠沙に行き着く。笠沙には「かこいノ原遺跡」が存在し、ここには「丸ノミ式石斧」が出土している。それは丸木舟製造の器具に辺り、大隅諸島から沖縄まで「かこいノ原石斧文化圏」を形成している。この海人族は相互に交流をしいるのである。

勿論、八世紀、「日本書紀」制作の時期に考古学は存在してはいない。しかし、大隅には曾族が薩摩半島には阿多族(隼人、薩摩族)は先住していた。「続日本紀」や「薩摩正税帳」などに見られるように、八世紀には肥後国から肥君・大伴氏・五百木部氏などが出水郡と高城郡に侵入しており、大隅には備前国から200戸の移住をして「曾族」の平定に当たっている。
これも「曾」と「薩摩・野間半島以北」が拠点なのである。これはまた、「上野原」と「かこいノ原」に一致するのだ。この事実は、「古事記」や「日本書紀」の選者が両地に何らかの情報を掴んで比定したと思われる。それが古老の伝聞なのか巫女の「歌物語り」なのかは判然とはしないが、何らかの根拠や伝聞が存在したと考えるのが自然であろう。

こう考えると、「ソ」でもこれほどの深い意味が存在するのである。日本語の「音・会話」には限りない「意味」の深遠が潜んでいるような気がしてならない。
2014.02.09 濁り
答え有りの恐ろしい状況が淡々として進行しているのが恐ろしい。一部国民は自民党の政策を絶対多数を認めて選任した。その上で、彼等は政策を実行しても文句はいえない。彼等が哲学・良識があるとしてだ。

彼等・安倍晋三氏が望む偏った政治は彼の胸さき一存で全部通ってしまう。党内で自由な討議が行われるのが本来の正当だが、沖縄党員の恫喝に見られるように今の自民党には「正義」はない。ただ、職業としての議員の存在しか感じられない。(多分、小選挙区制の弊害だろう。党の意向が優先されている)安倍氏は高を括り尊大で衣のしたというより(そんな謙虚さは微塵もない)選挙多数を楯に持論をごり押ししてしまう。
それも一部国民は甘んじて受ける覚悟で選んだのだから仕方がないのだが、まあ、眉に唾を付けて甘んじるしかないでしょう。
悠紀殿は手前の「堂」を奥に「室」を備える。(主基殿も構造は同じである)「堂」は采女の控え室で「室」は天皇の御部屋である。「堂」の意味は<字通>によると、向(まど)の近くに神を迎えて祀り、そこに神気の現れる形と言う。なた、土壇のある祀所を堂というとある。「室」は祖霊の安ずる所とある。また、板屋で「もがり」をする所とする。

私はこの仕切られた二つの部屋に采女と天皇の部屋があることに興味がある。何故、采女がここに介在するのか。
当然、「奥の室」では<神座>と天皇の座があり、共食が行われる。しかし、御崩された天皇がそこに介在するのであり、采女が単なる補助を行う職席だとは考えられない。私は儀式としての交合乃至は「演技」が行われたのではないかと推察している。すると、共食は儀式としてのマナ行為であり、その演技が行われたと推察せざるを得ない。

神との聖婚は神話にとって重要な意味を持つが、その反映がこの二室で行われた<儀式・演技>なのではないかと推察する。
年々私のささやかな年金額が減少して歯止めがかからない。多数の議員達の強行採決と勝手な年金からの税金引き後会いや保険の天引き。官僚と政府は数の多い国民からその所得を吸い上げているのは目に見えている。

企業には法人税の軽減、税制の優遇、社内留保への黙認はするが、多数を占める団塊の世代が溜め込んだ貯蓄を吐き出す方策に余念がない。強いものより、弱い連帯感の少ない人達から、少しずつ解らないように数多くの金を引き出す、これは「おれおれ詐欺」と同じ手口で財産を盗み取るのと大差がない。
気がついた時には手元の預金通帳には何割かの預金が無くなっていると解るのだ。平和時には多少の災難には眼を瞑る日本国民性をよく知った狡猾な手口である。

日本人は白黒をはっきりつけがちだと言われる。私はそうは思わない。日本人こそ「曖昧さ」が特質で、実は心の中で迷う種族なのである。それを平和時には特別な困難でなければ、お上に託してしまう習性があるだけなのである。切羽綱ってことの重大さが解り、慌てて行動すると言う愚行に走るだけなのである。
だから、3・11のように急場の災難には国民がいっせいに救援に走る。それを平生から担保使用とする資質にかけるだけである。
もうその癖を返上してもいい時代になっていると私は思う。
先日、「環東シナ海の古代儀式(鈴木満雄著)」を読み、南方熊楠が神樹信仰と関わりがあると「樹神論」に述べられているのを知って、和歌山の巨人もまた江南の苗族との繋がりを思う。

江南のシャ族は「山越」の後裔としている。「山越」は百越の一部族でその前は「倭」と名ずけられている。「倭」は三苗族は元々、黄河系先住民族として居住しており、「夏族」の黄帝に退けられて長江中流域に後退し、
他の一派は山岳に逃げ延び、山岳少数民族としてさらに南下します。その一派がシャ族でしょう。

そのシャ族に、楠木を姓名の中に一字取り入れ伝承すると言う習俗があります。鈴木満雄氏はこの江南の習俗と和歌山の熊楠の「楠」に注目します。(南方家は名に楠を一字挿入したと言います)
私もこの鈴木説は非常に面白い仮説だと思います。
やはり、台湾にもこの種の習俗があり、黒潮文化圏にはそれに類する伝承が知られ、それが「御柱」の神事に結びついたと思われます。

私はこの江南・台湾(東シナ海)沖縄・大隅諸島など、と黒潮と海人族の伝承文化を「倭族」の形成と関連あると仮説して、一つの人種論を構築できないかと考えており、鈴木論はそのきっかけを与えてくれたような気がします。これもまた、私の直感の域にあるだけで、その検証は遙か先ではありますが、一つの光明を燈せないかとは思っています。
予期した通り徐々に民意が政治屋の思惑の中に取り込まれているような気がする。

私は基本的には、今の世の中に必要なのは、独自性と中立性であると思っている。
中立はどちらにも属さないと言うことではない。自らの立ち居地を自覚することです。氏神信仰に似た構造で自らの生きる場所を優先すると言うことです。

昨今、国会中継を聞いていると、私は今の日本があらぬ方向に向っているようで不安でならない。
例えば、NHK会長の籾井勝人氏の個人的発言と言う暴言である。

「従軍慰安婦はどこでのある現象だ」「特定秘密保護法は通ってしまったのだから仕方ない」「NHKは政府が右と言う事を左と言うわけにはいかない」
公共放送は国民の視聴料を徴収している以上国民の視点でものを見なければならないのに、この人は政府側に立って放送を制作しようとしている。穿っていえば、この人と安倍氏はお友達の関係にあり、安倍氏の意向に耳傾けてくれる人を選んだと言われても仕方ない。安倍氏はまだ、彼が野党時代にNHKに圧力をかける政治家で有名であった。
安倍氏は判り易い人間と言えばいい人で単純な頭脳の持ち主である。自分の思ったとおりに物事を運ぼうとする人間である。まあ、独裁者といえるほどの才覚と度胸を持ち合わせてはいませんが、危険な一方的に物事を考えがちな人です。その名人間だからこそ、公共放送の長はそれを批判的に諌める頭脳が必要なのですが、籾井氏のような従順な人は不適任だと思わざるを得ない。また、経営委員会が開催されたが、そんな無能な経営者を「個人的な暴言を慎め」だけの軽い意見に留めたのはやはりお友達の軽い会議だからだろう。

2月2日の「東京新聞」で銀座の<じゅじゅ>でその常連から「籾井氏は乱暴な男なので店に入れないように」と忠告をうけたが<じゅじゅ>のママは客として扱ったが常連の言われるように泥酔して暴言を吐きたたき出された経験があった。と報じている。この弱気をくじき、強気に従う放送会のトップには相応しくない人材と言える。

私は名護市市長選挙の周辺で、安倍内閣の圧力政治を思わざるを得ない。公約で基地設置反対派の党員を強引に賛成派に転向させ、沖縄市長にも公約を翻させた。このような政治を許してはならない。

安倍氏は近隣諸国の状況を見直すと言い、教科書に道徳を奨励すると提案する。また、現在教育委員会は民間で組織されているが、それを地方組長に権限移行するように改悪しようとしている。彼の目指している状況は見えすぎるほど見えるではないか。こんな見え透いた政治を許してはならない。
大政翼賛会と言うほど露骨に言うつもりはないが、安倍氏の政治は「日本人がその底で持っている。和の精神」に反しているばかりか、集団自衛権の先にある憲法改正そして軍備の正当化と戦争の可能性の実現などを考えると、この網の目のような多方面を締め付け、自らの権力を扱い易くする方策を容易く通してはいけない。

最後に安倍氏の諸外国への「原発」売り込みは経済界へのゴマスリだろうが、ここでも政治と経済は分離されるべきで、一歩譲って政策は許すとしても、経済行動に等しい売り込みは職権乱用である。経済行為は経済界に任すべきである。

ふと思いついて、神宝について調べてみた。

まず、天羽羽矢・歩ユキそして三種の神宝(ヤタノ鏡・八尺瓊の勾玉・草薙剣、ここで対応するウズヒコ・鏡は天照大神、玉は月読命、剣は素佐鳴命)、天日槍(あめのひぼこ)の八種の神鏡、ニギハヤヒ命の十種の神宝(オキツ鏡・辺津鏡・八束剣・生玉・死反玉・道反玉・足玉・蛇比礼・蜂比礼・品物比礼)である。最後に出雲の神宝であろう。
ここで気がつく事は多くは新羅が関わっていることである。出雲は八束水臣津野命の国引きには、新羅がある。
そして、鏡と玉と剣が基本なっていることである。

こうした基礎資料を基にさらにこの事を調べてみたいと思う。
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