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ユングの夢・・・突然、牡牛の角を付け、翼を持った一人の老人が現れて、四つの鍵を持ち、その一つで何かの錠をあけようとしている情景が現れた。
その老人の翼は、カワセミのような不思議な色をしていたので、ユングはそのイメ一ジを確りと頭に刻みつけようと、絵に描いてみた。そうしてる内に、湖に面した家の庭で、彼は外傷もないのに死んでいる一羽のカワセミを見つけて驚いた。
チュ一リヒ湖付近でカワセミを見ることは非常に珍しいのだそうだ。ユンゴにとって、こうした偶然の一致は気にかかるものだった。

ユングはグノ一シス神話に詳しく、老人の翼がカワセミのように虹色に輝いていたのだろう。現実の夢にはある連想が描かれる。私はそれが点と点を結びつける夢の効用であると理解している。多分、ユングは老人の夢をきっかけにして、自分では気が付いていない無意識の中から、太古の現象を表出させていたのではないだろうか。集合的無意識とはそれで、それは霊夢となずけてもいいかもしれず、ある特殊な人間・呪術者や巫女などが持つ特殊能力によって導き出す現象となって現れるような気が私にはする。
それは宇宙創生のビッグバンのとき現れた様々な怪奇現象が関わっているように思われる。カオスと言っていい意味不明の現象こそ、こうした集合的無意識の源(みなもと)としたら、果たして科学はこれを解明できるだろうか。神の分野に人はシジフォスのように永遠の挑戦をしなければならないのだろうか。・・・・・。
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もとより、私達の祖先は文字を持たなかった。会話が伝達機関として使われていた。音を聞き分けて意味を知るのである。
だから、日本においては、漢字より「かな」が成立する素地が備わっていたと言える。例えば「ちち」と言えば「父」とか「乳」が思い浮かべます。「父」と「乳」とは漢字の形態は異なり,その意味は異なっているように思います。
しかし、その根源では「血」が基本的に関わっているのが解かります。

「父」は精子を持ち、「卵子」と結合して、子をつくります。その内容から考えると、「父・ちち」は生命を授ける源といっていいでしょう。
「乳・ちち」も又、それは血液と同等の意味を持ち、生きる源であります。生きる源に「血」が介在していることが共通項であります。

それでは「母・はは」はどうでしょう。「はは」は古代語では「蛇・はは」を意味します。
蛇は山容に譬えられ、「甑立て」と云われ、こんもりとした山容は妊婦の腹の膨らみにも譬えられます。

山は、水を作り、川となって流れます。そこには雲が立ちのぼり、森を生み、草木や鹿・猪などを育みます。絶え間ない生産の場こそ、山そのものなのです。それが女性に譬えられるのは、そういった飽くなき生産の営みが山にあるからなのでしょう。

山容はその形を蛇に譬えられ、又、妊婦の形とも共通の形であるとされています。そして、その源は「生む」と言う行為に携わっています。蛇が山に住み、その象徴としての存在を欲しいまま、神秘性が「はは」となずけられた「いわれ」などではないでしょうか。
そういえば、「地」は「ち」であり、「くに」と呼ばれます。それはまた、「霊・ち」でもあるのです。地元の神を氏神と言うのは、「地」と「霊・ち」の根源からとられたと思います。
氏神を産土神と言う。その土地の神であるのだが、私は「古事記」の「黄泉戸喫」はその土地の食物を食した者と言う意味にとっている。土地(とち)を「くに」と言うのは、「血・ち」と関りを持っていると思っている。地産地消の深い意味は、今のように流通が多岐にわたっていて、地産と「食」の関係は希薄になっているのは、哀しくもあり、拡散の時代を感じると共に、何やら得も言えない不安感を覚える。


食物とは生きる糧であり、それは血肉となって、活動の源となる。その土地の食物はその土地の自然環境の中で有機的に関り、自然循環の連鎖を組み込み、大きなうねりとなって、核を形成する。
私は人のDNAはそうした大きなうねりの中で電子的に関り、存在を決めてゆくと考えている。
近来、電子が人のDNAに大きく関わっていることを解明している。
ある土地の自然循環は有機的・総体的にその生きる糧である事と大きく関わっているを証明している。
その土地の性格を決める要因は、そうした自然との営みの中で決められるて行くのであろうと思われる。多分、所属の深い意味はそこにあり、産土や氏神の意味もそこにあると思われる。

産土は嘗て、妊婦が「お産」を行う時、まず、小屋を作り、床に「土」を敷き、「萱」を置いて、その上に「蓆」を敷き詰める。そして、目の前に綱を架け、立って「お産」をする。「お産」が終了すると、小屋は壊されて焼かれると言う。
(縄文時代の土偶は、朱に塗って、矢張り立って「お産」をしている。産土小屋の「お産」はその伝承なのであろう)

産土小屋の「土・つち」に沁み込んだ土を「産土」と言うのだが、その産液は海水の濃度と同じだと言われている。その産液こそ「血・ち」と同質のものであり、「土地・とち」の意味もそこにある。

私は「父」や「母」を調べていて、行き着く所は「ち」であり、「地・血」に辿り着く。産土と誕生(阿礼)が「古事記」・「日本書紀」の神話の基本にあることに気ずいた。一つは「阿礼」でもう一つは「黄泉」である。極論を言えば、天津国(高御皇産霊神)と国津くに(神皇産霊神)に分けられるのが解かった。
出雲風土記に次ぎの詞章がある。

「八雲立つ、出雲八重垣、妻籠みに、八重垣作る、その八垣を」

この書き出しは重い。雲は「気」の元で、自然の循環が正常に働いている証左で、青々とした山の樹木と清冽な川は温度差を呼び、雲を発生させる。それが雨を降らせ、大地を潤させる。この自然の循環が出雲を豊潤に稲を実らせた。その豊穣な地(くに)に宮殿を立てて、自然を模した生垣を植え、豊かさと幸せの予兆を願う祝婚を歌う。
私は祈りを込めた呪歌であると思っている。

「淮南子」
道の元始たるや虚郭(きょかく・カオスの事だろう)が生まれた。その虚郭に宇宙(時空)が生まれ、そも宇宙には元気が生じ、その元気の重層に境目がたった。澄み輝けるものは、高くたなびいて天空となり、濁りて沈めるものは凝りとどこって大地となった。・・・・天と地との精気は団集して四時(春夏秋冬)を創り、四時はそれぞれのせいきをが散じて万物を創った。
とあり、「気」の元とは「淮南子」の元気のことである。
「虚郭」・郭の本字は「くもかんむりである」は虚空のことで・・・時間のない茫漠たる空間のことである。

「元気」は人間にも備っており、道家はこれを「内気」と呼ぶ。生命の根源はこの「内気」にこそある。
天岩屋戸神話は失われた太陽が回復する話と言うのが通説ですが、それ程単純な話だとは思われない。
「古事記」は天照大神が隠れた原因を次ぎのように記している。

天照大神が忌屋について神御衣を織らしていた時、スサノオウ命が皮を剥いだ天斑馬をそこに投げ入れて、織姫が織機のヒに陰部(ホト)を衝いて死んだ。

そのために、天照大神は岩屋戸に身を隠す。スサノオウはその前には、田を壊したり、糞を撒き散らしたり狼藉を働くが天照大神は我慢をしている。つまり、農耕儀礼に対しては譲歩をしているのに、織物に関しては(養蚕)許していない。
私はここで「蜀」の蚕伝承を思わずにはいない。(この伝承は東北・オシラ伝承にも見られる)

ある時、絹織物を商う男が出かけていったきり三年も帰って来なかった。その娘は心配して、自分の家の飼い馬に「お前が父を見つけてきたら、お前の嫁になる」と約束をする。すると、馬は出かけて、父を連れて帰ってきた。そして、娘から馬との約束を聞いて怒り、馬を殺し、馬の皮を剥いで庭の木に吊るした。すると、娘がそこに通りかかると、馬の皮は娘を包んで天に昇っていった。天で二人は織物を織って暮らしたのだ。

又、「蜀」では次ぎのような話も伝わる。
「太陽樹」信仰である。

太陽が湯谷の扶桑に昇り、その梢から天空へと旅立ち、蒙谷へ沈んで、地下水に潜って、再び湯谷へ帰るという。
「蜀」は、蜀犬、陽に吠える(太陽が顔を出す確率が少ない蜀は陽が照ると犬が驚いて吠えるたとえです)
そのくらい日照時間が少なく、雨量が多い。桑は多分に水分を要求する植物であった。なにやら、出雲の気象と似たような情景だが、大和もまた、同じような環境でもある。

それらの伝承を総合すると、養蚕伝承が「馬の皮剥ぎ」の行為に重なり、そこに呪術的な観念が習合して神話を形成しているような気がしてならない。
山の神、大和、高御皇産霊、山幸、天上、物、神様など。

海の神、出雲、神皇産霊、海幸(隼人)、黄泉、心、鬼(しこ)など。

*ほのかにして、牙(きざし)を含む・・・・牙(兆し)は芽である。

*葦牙(あしかび)の如くと云うのは、「葦には強い生命力つまり、霊力があって、その生命の源が正に顕現する様子である。・・・・神顕(かんだち)は雷顕(かんだち)の顕(た)ち、である。

*葦牙は、混沌の意味で、星が凝縮してブラックホ一ルの陥る寸前の状態、時空が乱れ、凝固の頂点の混乱した状態だろう。星から再生の寸前がカオスだろう。

*天若日子と下照姫はニニギ命と天照大神の対比だろう。それは出雲と大和の対比でもある。
出雲族は鴨族である(ヤタカラスが神武帝を導いたと言うのは、鴨氏は既に、大和朝廷の支配下に入っていたと言うことだろう。
裏切りは「記紀」常套説話で、曾君の多理志佐・長髄彦の親臣宇摩志麻治命などがある。

*天若日子に似た阿遅志貴高日子根神は葛城の高鴨神社の祭神である。
三輪の神・大物主神は、加茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)である。
私は国会での中山教授の答弁を聞き、小保方氏がやはりトップとしての資格に疑問を持った。何故、理研が小保方氏を毛責任者に任命したのかが解からない。スタップ細胞の研究に最適であったと判断したからではなかったかかれはないだろうか。それなら、そこに至る過程に齟齬があったとしか考えられない。例えば、研究の過程で各々の部門の研究者は想定としての過程を検証しないのだろうか。役人のようなセクト主義で自分の所だけを調べれば任務を遂行すればいいとでも思って研究していたのだとしたら、その研究者は科学者として失格である。
スタップ細胞の素晴らしさは、大袈裟にいえば人類をも救う画期的な成果である。その自覚があれば、もし、小保方氏が誤った研究に向っていることが判明した時点でそれを指摘する義務があるだろう。それを見抜けなかったか、怠っていたとしたら、それもまた、研究者としての責任を免れないと思う。
さらに、それを統括できなかった理研側の怠慢はこれもまた、無責任と言われても仕方がない。
それより、今度の理研の発表を見ていて、自己弁護に終始して政治的な発言が主で、科学者としての本質的テ一マを回避しているような気がする。自らは高みにいて、蜥蜴の尻尾きりにうつつをぬかす政治家のよくやる手段を使っている。本当は、科学技術を高めて行くための気概を持って、自己批判をする事が初めにあるべきではなかろうか。

この所の独立法人やらNHKでもそうだが、ある一点に集約されていて、人事はそこに焦点があっているような気がしてならない。我々は組織のトップにこそ監視の眼を厳しくしなくてはならないのではないかと、深く思う。
2014.04.05 産土私考。
私は去年の夏、眼の障碍で失明寸前の状況に陥った。その直後、読書意欲が減退して古いノ一トを見返していて、そろそろ、それらの素材を元に私考を行ってもいいだろうと考え始めた。それは一つの喜びである。

私は「産土」の始まりを調べていた。産土は多分、海辺の習俗である。

その要約は次のような記述である。
「産小屋の一番下に砂を敷き、そこに「藁しべ」を置く、その上に茣蓙や蓆(むしろ)を重ね、妊婦の腰の周りに「藁の束」を巻いて、ボロ布団に凭れながら蹲踞する。力綱を握りながら「子を産む」、そして、産婦が入れ替わるたびにその藁を変えた。その砂を「産土」と言う。元々、産小屋は一回終われば、その小屋を焼いた」

これは、明らかに海人族の習俗であろう。産褥の体液と血の問題がそこに語られている。しかし、私はこれと同様の生態を「土偶」の蹲踞の姿勢に視る。それもまた、「お産」の形であった。

この土で出来た「土偶」は明らかに「山の民」の産物であろう。土偶は粘土で造られ、それを焼く。私はそこに「山の民」の習俗を視ます。そして、その行程は海人族のそれと同質のものだと思われる。そこの違いは「産小屋」を焼くか焼かないかの違いであろう。
産小屋を焼く習俗は「山幸・海幸」の物語に書かれているが、元々、そこには縄文から続く「土偶」の精神が息ずいている。「氏神」の精神は、そこに依拠していると私は考えています。
そこには、「血」の問題が流れています。「黄泉戸喫い(よもつへぐい)」の問題は根源的にそこに現れています。地産地消は哲学的な命題で、地元に出来た食物が「血」になり、人を形成します。そこには自然環境がその人の思考を形態を創り、人の性格を創ります。その作用の繰り返しがDNAに刻み込まれる神秘が産まれるのではないでしょうか。谷川健一師の命題(縄文からの意識の連続性)が私には、慧眼と言わざるを言えません。流石に「地名学者」の本領を納得しました。
細胞は、はく血球から成り立つ。そして、それを活動させる源は酸素を運ぶ赤血球である。

はく血球の核がDNAを造り、その性質を形成する。そして、それを生かすのは赤血球である。
私が其の事に興味を惹かれたのは、我が教師・谷川健一師の「縄文からの連続説」やユングの「集合的無意識説」「古事記にある「霊夢」が念頭にあったからである。

DNAが太古の記憶が伝達する可能性は考えられる事であり、無意識がそれに関わるのはありえる事である。古文献には「霊夢」が見られるが、それは太古の記憶が遺伝子が記憶し表象化する仮説を生み出す源であろう。
それを生かす赤血球には以前から興味を持っていた。そしてそれが「赤」であるのは「古文献」の挿話が強ち空想だと見逃すことは出来ないと思った。

赤は鉄の色だろうが、それは「天の香具山」に関係がないだろうか。そう考えると、「古事記」や「日本書紀」にみられる「血」の物語り、ヤマタノオロチ神話が「鉄」の神話であり、「大蛇・おろち」の「ち」が関わリ、「足名椎・あしなずち」であり、その母が「野椎神・蛇の神」で父が大山祇神であるのも解かるような気がします。
興味ある話であると思います。
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