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産土神や黄泉戸喫は地産地消の原点でしょう。産土とは生命誕生に関わる創生の象徴であり、黄泉戸喫はその生命を司る地(ち・くに・・・土地)が生み出す要素が関わります。「古事記」には黄泉国でイザナミ神がその地の食べ物を食したために葦原中国へは帰れないと述べます。また、ギリシャ神話でも地下に行ったぺルセポネが地下の国の食物である柘榴を食べた為に地上に帰れなかったと書かれています。これは産地と食物、生活と血になる原動力(生命のもと)の問題で、その土地の食はその土地の人を決定するという事でしょう。

生物が生存する為には、その土地の食物が重要な要素であり、あらゆる要素がそこで決定してしまうと言っても過言ではないでしょう。生活や文化もその土地が長年かけて育む「気」が形造られるのは容易に理解できます。多分、時間をかけてDNAに働きかけ、環境がそれを増長して人を種族を造りあげるのでしょう。

いま、自らの足もとが不安定になり、何ものか解からぬ悪鬼によって崩されようとしているかの妄想を私は持ちます。
家庭の躾、公共の教育、忍び寄る寡占思想それらは着々と人のモラルを切り崩しているような気が私にはしてならないのです。善良で素直な人たちは悪徳に満ちた亡者達によって知らず知らずに泥沼に引きずり込まれて行く妄想を観るのは私だけでしょうか。ある説話では、悪鬼は観音の顔をし、仏の心をまとった夜叉でと言います。甘い言葉は人に受け容れ易い、悪鬼はそれを利用するのです。

嘗て、米国は石油や資源を求めて「世界の警察」などと言う美名に隠れて、力で産地を侵略して来ました。分散複合体などという言葉が蔓延り、貧しい若者を戦地へ駆り立て、資源を略奪してきたのです。それによって貧富の差はひらき、多くの貧困層を生みました。それが現在の米国の勢力低下を生んだのです。人にぎりの富める者がいても彼等は手を汚さずに死にに行く事はないのです。死にに行くのは貧者で生きる為食べる為に戦地と言う高い賃金を求めて行かざるをえない情況に置かれ仕方なく戦地へ赴くのです。その時使われる有効な言葉は「愛国心」です。この美名でどれ程の若者だ信で言ったのでしょうか。

今、私達は素直に自分が益するのはどういう事か真剣に深く考えるべきです。表面的な現状や言葉に左右されず、隠された真実を見抜く知性を養うべきです。それは自らの足もとから考えるを始めるのが得策です。

私は何時も思い浮かべるは、「古事記・日本書紀」の塩土老爺に言う<東(ひんがし)に美き地(よきくに)あり、青山四周(よもをめぐ)らす>と言う名言です。

日本は美しい山や川そして豊穣の海に囲まれた幸の国を持っています。産土神はそれを育むように見守っています。それを大切に地元をめでる人がこの地球を守ることになるのです。

唐突に言います。アフリカには資源を守る援助を某国のようにギラギラした経済侵略をすべきではありません。地産地消の精神こそ、古来から「日本(和)・やまと」が育んだ国の言葉です。
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新聞の基本を今更、声高に言うのも憚るが、現代は自由が蔓延り自由だが一人よがりだか理解できない情況が続いている。新聞は客観報道と社説の自己主張、そして少数意見の尊重の所謂「声」の記載が基本である。
東京新聞は記者クラブに属さないためか、かなり客観的な報道が目立つ。こんな言い方は本当はしてはいけないのだが、謀新聞などは財界や右翼的思想家な代弁者なのではないかと疑う、強者に寄り添う情けない精神の輩の集団と思わざるをえない。

新聞が企業であるので、仕方がないと言えば仕方がないが、しかし新聞が背負う誇りは失しなはないで欲しい。出来るなら、国民という弱者の立場で発言して欲しい。社会正義とは国民の立場で物言う精神だろう。

政治は国民の「鏡」であると言う。その鏡が曇り始め、あらぬ方向へ向っている現状を私も声高に発し個人的には行動してきたつもりである。しかし、糠に釘ではないが、ある程度経済的に安定している都会では正論賛成だが、自分に不利になる行為は回避したいと多寡を括る。そろそろ私も諦め、発言を抑制しようとした時に東京新聞の少数意見の欄である「発言」に載った大村五月さんのような意見を観ると、砂漠に水を得たような安堵感を覚える。

特に下段の・・・現在の政府の経済政策は、国民の格差拡大を助長するものばかり。もしかしたら戦前の日本のように「軍隊にでも行くしかないか」という貧困層を、わざとつくりだそうとしているのでしょうか。・・・・と言う発言を見るに付け、それは戦前ではなく、現在のアメリカがやってきた軍事政策である事を知って欲しい。その結果、アメリカは銃社会がテロを生み、軍産複合体が富を得て、プア一ホワイトやプア一黒人を戦地へ誘い屍を積み上げてきた。しかし、その結果はご存知のとおり、国力を減退させて、死者の魂にそむく結果を顕現してきた。

今、国民は消費税が「福祉」のために使われるのではなく、企業家や軍事政策のために使われるのを知っている。しかし、それを批判するする識者も報道機関も国民の声の霞む。いや、諦めたのであろう。日本人の悪しき習性であろう。長いものには巻かれてはならないのです。

官邸主導などは危険きわまりない発想なのであり、許してはならない独断なのです。
先の選挙では、民主党・松下政経塾一派の稚拙な政治論のかまけて自民党に絶対多数をとらせたのが稚拙な政治家に主導権を取らせた原因なのだが(もう一つ、似非弱者擁護を唱える不信政党・公明党の存在を忘れてはならない)、原発を他国に売り込むなどは死の商人さながらの蛮行である。私達が誇れるのは平和憲法であって(米国のお仕着せは残念だが、その精神は堅持しなければならない)、兵器に変わる可能性や放射能をばらまくを
可能性もつ原発ではない。本当は、青山、四周(よもをめぐ)らす日本の国土を開発するとこから始めて欲しい。
稲吉角田遺跡の壺型土器線刻画には、左隅には、一対の紡錘状のものが吊り下げられ、その隣に二棟の高床式建物が建っている。その間には鹿がいて、右側の建物は地表からかなり離れていて、長い梯子が掛けられている。その建物へ向けて、数人の櫂を手にした漕ぎ手を乗せた一艘の舟が描かれ、又太陽が冬至から春分、夏至にかけて、次第に大きくなるように同心円状に刻まれている。

思うに、紡錘上とは銅鐸であろう。梯子を掛けた高い櫓は、三内丸山遺跡の櫓や出雲の高殿を思わせる。舟には鳥毛の冠を付けた漁師の側には鳥がいる。鳥は古代インドの航海士は必ず鳥を乗せる。それは舟から鳥を放ち、帰ってこなければ陸が近いことを知ると言う。又、中国壁画には、西王母が描かれ、三本足の青い鳥は食物を運ぶと言う。鳥は穀神であり航海の霊鳥である。

稲吉角田遺跡は祭祀・農耕・狩猟・漁労などが示され、高床式の南島型の建物を示してもいる。ここには多数の文化の混合が描かれて非常に興味深い遺跡である。
2014.05.23 tori
私達は子供の頃、掃除をする時かなり丁寧に掃除をしたような気がする。
今は、合理的にとか掃除機を使って容易く掃除が出来る。掃除を工夫したり、考えながら掃除をした幼少時の工夫はしていないのはすべての諸事にいえるのではないかと思う。今は少し想像力を働かしたり、考えを廻らしたりする余地を省いてしまっているような気がする。

今朝の朝刊を見ると、「集団的自衛権」についての反対意見が賛成を上回っていると報じている。私は少し驚いている。それ程持論が周囲の意見に動かされるものなのか疑問を持ったのである。この事案は行き着けば自分の親族にまで及ぼすかもしれない事です。これまで熟慮を要求する事案です。多少の外圧にも動かない事案です。しかし、数字がこれほど動く事に日本人の多くが真剣に考えていなかったことを意味します。
日頃、専門的に考えることは出来ないにしても、重要な事案に関してはある程度の思慮が必要なのは言うまでもないでしょう。日頃から考えることを回避する習慣に馴らされてしまったのではないでしょうか。そうした習慣は非常に危険です。少々の毒を体内に入れる重要性は必要だと言いたい。
元正天皇(養老四年)の時、大隅国守・陽侯史麻呂が隼人に殺害されたと通説は記している。

私はこの記述に何か物足りなさを感じていた。ニュアンスから言えば、隼人の悪を記述する感じが伝わる。
そこで私はもう一歩踏み込んで調べる事にした。

陽侯氏の職掌は文書を管理し、記録を司るとしている。どちらかと言うと事務職的な職種である。
一方、続日本紀を細部にわたり読むと、この年は波乱の年で、地震が頻繁に起こり、旱魃や洪水が頻繁に起こっている。当時の大物管理者・藤原不比等が死去している。

大隅地方でも天災の影響が考えられる。人心は苦境に置かれ、農耕はその収穫を減退させていただろう。そこでその制作は柔軟な人心を安定させる政策が必要であったように思われる。しかし、陽侯氏は事務職で人を懐柔する技術的なノウハウが欠如していた可能性が考えられる。政令(みことのり)が徴税推進であっても、情況が悪い方向にあれば、臨機応変に政令を解釈すべきであったのに、政令を優先した政策を挙行しようとした官僚的発想が陽侯氏にあったのではないかと考えられる。
そこで大和朝廷(女帝・元正天皇)の結論は武力による制圧であった。(大伴旅人将軍の派遣)ここにも元正天皇の決断の過誤があったように思われる。老獪な藤原不比等が健在なら又違った方策を考えたであろう。(私は好みから言えば不比等の人間性を好まないが、その能力は評価する)
そうした劣悪な情況が大隅地方の混乱を増強させてはいなかったか。結果として、740年の藤原広嗣の乱まで情況は悪化してしまい、曽君多理志佐の寝がいりで終局する。
私は陽侯史麻呂の殺害は大和朝廷の人事の誤りが不測の混乱を引き興したように思う。
藤原不比等は一説には、太安麻呂の管理能力をかい、民部長官に抜擢したと言う。太氏は多品治が湯浴令(ゆのうながし9のように天武天皇の壬生役だったように、養育技術に堪能だった才覚を見抜き、当時、地方豪族をまとめる人材として有効なのがはっきりと認識していたように適材適所を不比等は心得ていたような気がする。その判断機関を失ったことも哀しい結果を増長してしまったと言える。
茨城県勝田市・虎塚古墳の石室の壁画は朱色に塗られている。その中央には、0印が二つ、△印が二つ重ねられ、その文様は蛇を象徴していると解説されていた。(日本の古代2)

朱は邪気を排すと言われ、蛇もまた神聖な動物である。それは墓の守り神だと考えて間違いはないだろう。O印は蛇の目を△印は蛇身を記号化したものである。私は、蛇が△を重ね表わしていることに嘱目する。それは普遍性はないだろうが、三角を重ね合わせる記号が蛇の象徴である事は記憶に留めたい。

日本には文字がなかったと言われている。しかし、古代の文化の高さは文化の蓄積なしでは語れないであろう。通常は文字がその役目を果たすのだが、文字を持たない種族は記号がその代替であろうと思えてならない。一つの記号に多くの生活の重要事項を凝縮させている事が古代文化を伝承させ、語り継がれた子孫は記号の意味をも伝承されて、文化を継承させる行為を繰り返して、生活や祭り・政治(まつりごと)を語り伝える。だからこそ、古代文化は豊かで高い文化が作られていると私は考える。

現在、記号と文化の解明が遅れているように思うが、銅鐸などの絵文字の解明はもう少し広範な視野にたって解明されればと思う。
残念ながら、60歳で古代史に取り組んだ私には時間的余裕がなく他人任せではあるが、無文字文化の豊かな創造性を学者先生が取り組んでくれる事を望みます。
2014.05.06 夢雑感。
夢は忘れ易く、時間と空間を超えて何の脈絡もなく物語りを創る。

かつて、私はユングの夢の著作を読んでいた時に夢が忘れ易い事もあって、夢を見ると起きると直ぐにノ一トに書きとめていた時期があった。

その夢はこうである。

ある夏の蒸し暑い頃、ウトウトとしていてふと眼を覚ました。暗闇に蚊の低く唸るような羽音が煩わしくヤキモキしている自分がいた。蚊は羽音をかき鳴らしながら、私の腕に止まり、血を吸った。反射的に私はそれを叩き潰す。腕に生暖かい、ぬめりとした感覚が伝わり、気持ちが悪きなった私は、慌てて台所に走り、流しの水道の栓を捻ろうとすると、そこには、薄い褐色のはまだら蚊がびっしりと流し台にこびり付き、無気味な閃緑色の仄かな光りを発していた。
私はえもいえぬ吐き気を覚えて、咄嗟に表へ飛び出そうと近くのドアに手を掛け扉を開けた。
そこは暗闇の洞窟にも似た回廊で先へ先へと回廊は続いていたように見えた。私はなにも考えずに、回廊に飛び出し走り出していた。取れ程走ったろうか、回廊は左へ曲がっているように思えた。私はそこを曲がり走りを続ける。すると、曲がった先で回廊は突然、消えてなくなり、私は暗闇へ落下していた。
空中に放りだされた私は落下を続ける。しかし、幾ら時間が過ぎても、私は底にたどりつかず、落ち続けるのだった。それは恐怖以外の何ものでもなかった。宙に浮いたまま、落ちて行く感覚は麻痺して恐怖そのものになり、私は頭の中が空洞になり、渇ききって嘔吐を催しているが、今や嘔吐さえ出来ない極限状態なのを知っている。それは恐怖を超えて虚無と言っていい。私は目的を失った旅人のように、シジフォスの無意味な行為の繰り返しを無為を感じながら落ちて行くのだろうか思った時、眼を覚ました。

その頃、私は冷房もない部屋にいて、ユングやカフカの小説を読み漁っていた。夢は、多分、その影響が反映したのだろうが、しかし、落下の感覚は身に覚えがない。それは未知の感覚なのであった。ユング風に言えば、集合的無意識で嘗て私の祖先が経験した感覚が突如、何らかの契機で顕現したと、言えなくもない。
柳田国男の作品を読んでいて、ふと思いついて書きつずってみようと考えたのである。
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