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私は公明党が安倍政権の集団的自衛権の閣議決定に抵抗していたのを見守っていた。
このまま自説を主張すれば平和党としての役割を認めようと考えていた。しかし、内心この党派権力に迎合する傾向にあるのを捨ていれなかった。

矢張り公明党のメッキは剥がれてしまった。
私の父方の親戚はほとんど創価学会の入信者である。(中には会員獲得に成功して幹部になった人の含まれる)父は昭和20年12月に当時日本へ占領してきた米国兵士の強盗に至近距離より短銃で後頭部を射抜かれて、左半身を失った。当時の日本の施政者は、愚かにも国民の個人の請求権をも放棄してしまった。(ドイツもイタリアも個人の権利は守っている)
我が家は父親の治療に物資の少ない日本で全財産を投じて父の命を守った。

しかし、その財産は法に守られる事もなく、失ってしまった。その後、私も父親を背負って賠償請求を法律化する為に運動に奔走したが、結局、米国も日本政府からも見放されて貧困のまま戦後を向かえた。

その過程の中で、創価学会は父の生存の奇蹟に目を着け、学会幹部として向かえ入れようと画策してきたが、父はそれを拒否してはねつけた。彼等は父の奇蹟を当時の報道紙S紙に掲載しようとしたらしい。親類諸氏も積極的に進めてきたが、父は首を振った。
そんな情況で私は彼等公明党の結成にも親類を通じて様々な思惑を見聞している。

彼等は結成時に自分達の利益になるならなんでもすると宣言している。その時私は彼等が国民の党でなく自党の欲望達成の党だと理解した。
だから今回の集団的自衛権の閣議決定論を承認したのにも驚かなかった。彼等は何やかれポ一ズの党で何れは本性を表わすと思っていたからである。決して彼等は庶民の党ではなく、安倍政権の死の商人に近い政策をも飲み込む迎合集団だと推察していたからである。その真意は自党の欲望を優先する、狭い感覚の党に他ならない感情の党の体質はこのポ一ズで明らかになった。政治は過程の大事だが結局は結論が優先されるのである。彼等に離党の決断があってもいいように思うが、私の推測どうり自民党に擦り寄る情けない政党の道を選んでしまった。
これではこの党を信用しろと言っても出来ない相談である。
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千田氏は「三輪山の古代史」で興味ある提案をなされていますが、私が模索している南九州と大和(神武東征)に関わる文章を披瀝し、少々関連ある事項を述べて見たいと思います。

「新撰姓氏録」のなかに、大和国の神様に関係ある氏族の系譜は、「素佐能雄命六世孫大国主之後也」とかいてあります。・・・・大神神社は大物主命をあまつりしているわけですから、大国主命と大物主命はたいへん関係が深い。同一神であるというように読める場合と、やや違った神様と読める場合があります。「古事記」と「日本書紀」とで違いますが、しかし非常に関係が深いといえます。そういうところからみると、大神朝臣はおそらく平安時代に、この三輪山をお祭りしていた一族であると思いますが、その系譜はたしかに納得できるわけです。
ところが、賀茂朝臣についても、「大神朝臣同祖。大国主神後也。」と書かれています。賀茂というと京都の上賀茂・下賀茂神社がすぐに思い出されますが、ここで書かれているのは大和国の賀茂氏のことで(別注)、現在の金剛山の麓、葛城地方に由来する氏族、賀茂朝臣なる大神朝臣とちへん親しい関係にあったと書かれています。この問題は、葛城の山麓と三輪山との関係を説明するのにたいへん都合がよいわけです。

注・大和賀茂氏の氏神は阿遅須高彦根命で高鴨鴨都波神社に祀る。山城国・賀茂別雷神社(上賀茂神社・祭神は別雷神、賀茂御祖神社(下鴨神社・祭神は賀茂建角身命・・・鴨県主の祖)である。

「つぎに河内国の神別として宗形君なる豪族が出てきます。この「宗形」というのは、「宗像」と書いた方がわかりやすいと思います。日本の海洋民族には二つの大きな勢力がありました。一つは宗像氏、もう一つは阿曇氏です。宗形君と言うのは、「大国主命六世孫」とあり、そして「吾田片隅命之後也」と書いてあります。この「吾田」と言うのは地名だと私は解釈します。
それで吾田はどこか。平安時代に編まれた「和名抄」に「薩摩国阿多郡阿多郷」とありますが、現在の鹿児島県にこの地名は残っていません。しかし場所はだいたいわかっており、鹿児島県加世田市、薩摩半島の西南部、むしろ鑑真和上が上陸された坊津付近といったほうが分かりやすいかもしれません。

大和には神武天皇が東征するとき塩土老爺が重要な要になっています。「日本書紀」の<東に美き国あり、青山四周らす>に触発されて神武天皇は薩摩から大和へ向います。
その塩土老爺が「吾田」の安曇氏だという説は注目に値します。ただ、安曇氏は文献に「吾田」の痕跡を残していないの気がかりです。千田氏は「吾田」を加世田市と述べられていますが、この地には遺跡があります。一つは「久米氏」の土器片だ残っている。もう一つは縄文草創期に「かこいノ原遺跡」に「吾田」を象徴とする<丸ノミ式石斧>が出土していることです。

久米氏と隼人そして安曇氏は同族だと思われるのですが、現在ではそれを確定する資料はありません。仮説として提示するのみです。
ただ、「吾田」の海人族としての行動は古代は目覚しく、広範囲にその影響を及ぼしています。「かこいノ原文化圏」は大隅諸島から沖縄まで広がっていますし、種子島の遺跡を見るとそれは対馬海流に乗って東北まで影響は伝わっているといって過言ではないでしょう。それは出雲にも波及していたに違いありません。

出雲で気になることは、崇神天皇の代で、出雲振根が筑紫にまで出向いていることです。古代において出雲から筑紫(これは広義には九州を意味します)には生命をとしていかなければならないでしょう。それ程重大な航行なのです。政治でしょうか、それとも経済でしょうか、祭祀だとも思われます。出雲振根の具体的行動は詳らかではありませんが、相当重要なことで南上したに違いないのです。

ここで薩摩、大和、出雲の関係が「舟」による交流が考えられることが解かります。様々な遺跡を調べていて、古代の海人の行動は多岐に渉り、様々な影響を与えているのが解かってきました。私は「神武東征」をそうした海人族の軌跡に考え合わせて行こうと思っています。その点で千田氏の仮説は大変勉強になります。
出雲の三大神は、熊野櫛御気野命と天の下所造らしし神・大穴持命そして国引き坐しし八束水臣津野命である。

櫛は奇しであり、単なる食料の神ではなく、穀霊神であろう。大穴持命はその名から言えばと「おおなもち」で「な」は土地の意であり地神であろう。最後の八束水臣津野命は水神であるが、八束は古来から縄文人を象徴する名称である。つまり、先住の水神である。

私は三神のうち、八束水臣津野命に深い興味を覚える。
国引きの神であるが、新羅の三崎や北門の佐伎の国(隠伎島か)、高志の都都の三崎を国引きしたように日本海・対馬海流を利用して出雲の傘下に引き入れている。

ご存知のように、フィリッピン沖で発祥した黒潮は東シナ海で黒潮分流と対馬海流に分かれる。出雲はこの南島から東北地方までの海域を丸木船で通行していたに違いない。私は、八束水臣津野命は出雲の海人族としてその影響を広範囲に及ぼしていたに違いないと思っている。
縄文晩期には、種子島の大薗遺跡は、青森の亀ヶ岡・大洞(おおぼら)式土器が出土しているのを知っている。当然、その運搬航路は対馬海流に違いなく、私達が想像する以上に古代海人族は舟を駆使して他国との交流をしている。出雲もまた南方のセグロウミヘビを祭祀に使用しているように海流に於ける知識は深かったであろうことは類推できる。
出雲風土記に見るように、八束水臣津野命は、朝鮮・隠伎・高志と日本海の海流を知っていなければ国引き出来ないであろう。出雲の海神として、陸の大穴持命と海の八束水臣津野命は双璧であったと思われる。
私はそれを統括していた霊神が「熊野櫛御気野命」ではなかったかと推測している。
だからこそ、この三神の威力のために各国の神々が集結したのであろう。
予てから大物主神が大己貴神の幸魂・奇魂について疑問を持っていた。
それは大物主神が海の彼方からやってきたと言う点である。その意味は大物主が渡来の神を意味している事になる。しかし、大物主が三輪の土着の神であり、その名称からも神霊を表わし、巫神であることは明らかである。それは地元の神霊にほかならず、大田田根子がその末裔なのを考えれば、なお、意味が明確になる。

大田田根子は、「大」は崇高とか大きいを意味し、「田田」は肥沃な田を、「根子」は先住豪族を表わしている。大田田根子が県主であり、大和朝廷の直轄地の長官である。その経緯は大田田根子が元来、大和の先住民でその土地の所有者であったのが、大和朝廷に服属して奪略された後、任命されたと想像する。

崇神天皇の代で、人災・天災が続き、国が疲弊したのが、大物主の祟りとされる。それは朝廷にその罪の意識があったからで、その報いを想定した結果が「祟り」の表現となって「日本書紀」に記述されたのだろう。

土地(くに)は、黄泉戸喫に見られるように、産土であり、創生を沁み込ませた霊地である。そこで生産された食べ物はその土地の精神をも形造る。土地(とちのチは血でもある)には霊魂が存在するのである。
産土とは、古来、出産の時、土を敷き、萱をはり、蓆を張って出産して産液(血の表わす)の沁みこませた土のことを言い、そこに生命の霊験を伝えていると云える。少々飛躍して言うと、宇宙創生のカオスまでも包含している。その神秘的な霊域が産土であり、そこに存在するのが氏神そして氏子なのである。

つまり、大物主の祟りは氏神・氏子の地底(黄泉)からの叫びでもあるのです。
英語を義務教育に取り入れると巷間喧しいが、もとより外来語を表現に取り入れるのに私は吝かではないと思っている。
私達は縄文時代から現代まで綿々として対話を基に文化を築き上げてきた。そこには優れた多神教を根本に置く融和思想があった。言葉を対話によって意思疎通行うには、外国語と自国語の言葉の咀嚼する能力を必要する。その能力を縦横に使用してきた我々の柔軟性こそ誇るべきである。
古来より続行してきた日本語(和語)を基本にした言葉の想像力は世界に伍して優れた我々の文化力である。その底にある融和思想こそ誇るべきである。今、敵対を隠す対抗思想(一神教より発想する)は日本の文化に逆らう愚行なのを悟るべきである。
私は鴨氏を調べて行くうちに、大和へ奈良へと誘われて行きます。
事実、奈良についてはその語源さえも知りませんでした。奈良は楢の木との由来が地名を決めたと思っていました。しかし、「草木を踏み平(なら)した所を意味すると言った説話が本貫でしょう。

崇神紀は、武埴安彦が反乱を起こすと、精兵を率いて「那羅山」に登ったが、官軍が集結し、草木を踏み馴らしたので、その山を「那羅山」としたと記し、地名起源説話とした。
これは、明らかに付会であって、古来先住地にあった原話を取り込んだのでしょう。

大和(おおわ)の地・奈良の氏神は大神(大物主神)であって、その神を祀るのが大神神社です。その祭神は、三輪山の神・「み」さんで白蛇」です。<・・・・池田源太氏は、蛇を神と仰ぐ信仰は日本列島に普遍的にある信仰だと説いています>
崇神天皇の「祟り説話」を持ち出すまでもなく、この祟りの根源は氏神の怒りです。それは
エリア一デを引き合いに出さないでも、蛇・大地の精霊の怒りである事が理解できます。
侵略は罪です。しかし、愚者・人間にとっては必要悪なのでしょう。歴史はその血で築かれて来ました。それが現在です。

大和は明らかに、先住民・大神である大物主の率いる「和人」の居住地でした。その血を穢して奪った災いが皇孫に及ぼした数々の祟りです。

「三輪山は日の出る山、二上山は日に入る山」と言います。
私は、何故か、日の没する二上山が気がかりになっています。其処には、当麻氏(葬送を司どる伴部)がいるのです。
ご存知のように、当麻氏は野見氏に祭祀事で破れます。野見宿禰が祭祀権をえて、当麻蹴速が失う構図は、高魂神と神魂神に比し、天照大神と大国主神の国譲りに譬えられます。
ここまで行き着くと、二上山(サヌカイトの火山岩の山)がまるで黄泉の入り口のような気がしてきます。大国主は長髄彦で天照大神は神武天皇なのではないのでしょうか。

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