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私は気になっていたのだが、6月29日に新宿で、安倍氏の集団的自衛権の閣議決定を抗議して焼身自殺を行った人をある若手アナウンサ一が「あれは民主主義者として取るべき方法ではない」と批判した。私はその批判が気になっていたのだが、周囲があまりにも静なのでブログも躊躇していた。

今日、ラジオで小沢遼子さんがそれを取り上げていたのを聞き、少々ものを言いたいと思う。

テレビの若手アナがヌクヌクと安全な位置にいて、命を賭けて抗議した人を批判するおこがましさに私は恐怖を覚える。
何と卑小で危険なマスメデアなのだろう。この抑制は市民にとって何の意味をも持たず、施政者にとって安堵するコメントだと言う事をこのアナウンサ一は客観的に考えたのだろうか。こう言う情況が、NHKの会長の言う施政者への追従なのである木鐸の者が拡声器の役を演じてはならないのに、こういった情況が一過するこの方が不健全で危険な精神状況なのである。

私はあの時直ぐに反応すべきを、大変に恥ている。自殺された人のご回復を祈るのみである。今は、大変申し訳がないと頭を垂れるより方法がありません。
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千田氏の神武天皇の南九州からの東征論を読み、千田氏はそれを三輪山と結びつける。
先ず、三輪氏と賀茂氏を出自を紹介する。

大神朝臣は「素佐能雄六世の孫、大国主之後也」とし、
賀茂朝臣は「大神朝臣と同祖、大国主神之後也」と説く。
さらに、宗形君を「大国主六世の孫、吾田片隅命之後也」と記述する。

その共通点を、三輪山の頂上に鎮座する「高宮神社」、またの名を神坐日向神社に結びつける。

大神や賀茂氏が三輪神との関連を指摘して、宗形氏を日向と三輪の接点を示す。・・・・吾田と日向を同様に扱うのは多少の混乱を呼ぶが、薩摩と日向が南九州を代表する神話の聖地であることは事実ではある。又、宗形氏の「吾田片隅命」については北九州と南九州を繋ぐ事柄に解明を必要とするが、大神氏や賀茂氏が三輪と関わり、その三輪山に「神坐日向」との関係を指摘したのは慧眼である。

私は三輪氏と賀茂氏が大国主命と同祖であると示し、九州が関係ある事実を神武東征との糸口とするのは斬新な視点といえる。

この大国主命に関連して、興味ある説話を紹介しよう。

それは、田中卓氏の取り上げた「住吉大社史」である。
<元来、大己貴神の本拠地は大和の三輪山であり、奉祭者は三輪氏であろう。天菩比命が大己貴神に媚びたと言うのは、出雲氏が三輪氏と結合し、婚姻関係に入ったことを示すのであろうが、かくして大己貴を奉じるに至った出雲氏は、中央に志をえないままに大和を去り、恐らくは山城国の出雲郡、丹波国の出雲神社へと進出したものと思われる。崇神天皇以後に、大和より氏族移住は行われていた>

さらにもう一つ、島根県岩国の「物部神社」(祭神・宇摩志麻遅命、配社・ニギハヤヒ命・布都霊命、天御中主命・五神・鎮座八柱<合祀>大御神)の社伝・由緒。

神武天皇御東征のとき、忠誠を尽くしたので、天皇より御剣・フツノミタマ剣を賜る。又、神武天皇御即位の時、御祭神は五十串を樹て、フツミタマ剣・十種神宝を奉斎して、天皇のために鎮魂宝寿を祈願された。その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を率いて、尾張、美濃、越を平定され、天香具山命は「弥彦神社」に鎮座された。御祭神はさらに、播磨・丹波を経て岩見国に入り、都留夫、怒原、オニ、曾保利の凶族を平定され、厳瓦(いつへ)を据え、天神を奉斎され、安の国とされた。次いで、御祭神は鶴に乗り、鶴降山に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山に似ていろことから、この八百山の麓に宮居を建てられた。

この説話の興味あることは大己貴命も宇摩志麻遅命も同じ経路を辿って、出雲に辿り着いていることです。
私は物部氏と出雲氏の接点を見たような気がします。その基点は大国主命(大物主命)でしょう。出雲の国譲りは、九州を巻き込んで(出雲古根は筑紫に出向いています)、深遠な物語りとなっています。
ニギハヤヒ命とアメノホヒ命、物部氏と大国主命、いやはや古代の知識人たちの視点は広く深いと言えます。

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