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私は五年前のノ一トを見返していて、土偶を再考していた。

土偶はバラバラにされて地中に埋められている。一説には病災の代替呪術もあるが、通説は地母神信仰の現われだと言われている。
また、この形態はイエンゼンが唱える「ハイヌエレ神話」からの「古栽培民説」との類似が顕著である。

「ハイヌエレ神話」は食料起源神話で、池で死んだ猪の牙から生まれたココナツの種から生まれた女神が殺されて地中に埋められ、その身体からイモ類ができたとの神話である。
土偶は前5000年に最盛期を迎える現象であるので直接に関係はないだろうが、日本において土偶が「古事記」「日本書紀、に見られる「保食神やオオゲツ姫」神話に受け継がれた現象はその繋がりを意味ないものと見過ごすことはできない。
それはこの現象が非常に深い意味を持ち、哲学的な人類の食の根源(生きるための営為)と密接な関係があるからである。

私は少し飛躍しているようだが、伊波普ゆう師の始原的な沖縄の葬礼を述べたいと思う。

沖縄では肉親の葬礼で豚肉料理を会葬者に振舞う。その理由の起源を述べている。
この風習がかつて南島全体にあったことは、最早疑う余地がない。これに就いてはかういふ民間伝承がある。昔は死人があると、親類縁者が集まって、其の見句を食った。後世になって、この風習を改めて、人間の代わりに豚肉を食ふようになったが、今日でも近い親類の事を真肉親類(まししおえか)をいひ、遠い親類のことを脂肪親類(ぶとぶとあおえか)といふのはこういふところから来た。

又、三重・志摩地方にも「マナ箸の神事」があり、「弓祭」で採った「ボラ」を食する。そして、「マナ箸の神事」はかつて、生贄を食べる前に「屠人放の神事」がある。男が女装して、童子の藁人形を入れた桶を海に流す。これは民間伝承では「人身御供」の形と伝えている。「屠」は身体をバラバラにして殺す意味で本来は人であったものが人形に代替されたものである。

更にニュウギニア・キワイ族の伝承があり、これも「ハイヌエレ神話」と同種の伝承である。
ソイドという男は妻を殺し、その死体をバラバラに切断して整地した土地にバラまく。すると、その土地に食料をもたらす。ヤムイモ・タロイモ・ココヤシ・サゴヤシ・バナナが生まれたと言う。

食物起源伝承は、その古層で食人行為が隠されている。
エリア一デは「神話と夢及び神秘・地母と宇宙的聖婚」で、北米原住民ウマティラ族の預言者の土地に対する耕作の拒否。つまり、地母神に対する贖罪をうたった文章を載せ、「大地の自然状態を何らかの仕方で破壊する事で、そこから人為的に食物とかその他のものを発生させたり、獲得する人間の文化的生産営為はそれ故、全てから地母の身体を容赦なく傷つけて刻む殺傷の上になりったていることになる。と述べている。

食人と食物起源神話は深層心理層で深く結びついている。その表現が土偶の祭祀的な処遇であり、その解説が「ハイヌエレ神話」であろう。縄文時代における「土偶」の信仰は単に食物起源伝承に止まらず、日本列島の出産つまり、生命創生の神話でもある。朱や入墨は邪気を祓い、存在の「幸ち」を祈る呪術的な祈りでもある。
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五年前のノ一トを見返していて、柿本人麻呂が和邇氏の出自で春日氏や小野氏も同族で稗田氏とも関わりが深い。
稗田氏は天宇受売命を始祖とする猿女君の子孫で神楽(神遊び)に関わる氏族で、柿本人麻呂はその系譜に属する。

「先代旧事本紀」
その鎮魂の祭の日は、猿女君ら、百歌女を率いて、その言本(こともと)を挙げて神楽歌・舞いと記している。

多氏は古典の「誦習」や「誦読」を継承する職掌を持ち、又、権威があったのだろうと思う。元々、寿詞の貢献と宮廷芸能とは発生的に同意義を有し、「帝紀・旧辞」の誦習や継承も史前の神話的世界を再現する原劇や歌謡の形式を伝え、抑揚・曲サ節を持って行われたものであろう。「古事記」の<神語り>や<天語り>もその古代宮廷的な託宣芸能や史劇を背景にして始めて理解されるのである。(山上伊豆母)

そしてその「古事記」には、多氏が管理していた「大歌所」が関わり、そこに所属している大歌女(巫女)を指導していたのが、柿本人麻呂なのである。
私は予てより「呉」と南九州の初期王朝を追っていた。
ここに林羅山の「神武天皇論」がある。一部抜粋だが、こういっている。

「東山の僧、円月はかつて日本紀を修す。朝議協(かなわ)ずして果たさず、遂に其の書を焼く。余、ひそかに円月が意におもうに、按ずる諸書、日本を以って呉の太伯の後と為す。それ、太伯荊蛮に逃れ、断髪、文身し、交龍と共に居る。その子孫、筑紫に来る。おもうに必ず時の人を以て神と為せん。これ天孫、日向高千穂の峰に降りるの謂か。当時の国人、疑いてこれを拒(ふせ)ぐ者の或はこれか。これ大己貴神順い服せざるの謂か」

中厳円月(1300~75)、南北朝時代の禅僧。儒教・朱子学の実践的な論者で「日本紀」を編むのに江南のニンボウに七年間、学習に行く。

呉について、この印文土器に関して、貝塚茂樹は次のような興味ある事実を述べている。「1954年、江蘇省丹徒県の揚子江の台地で十数個の青銅器が発見された。その中には、周初期の中原式銅器がまじっており、その器の銘文に<宜江・ソクが周の康王によって、この地に封じられた>と書いてあった。かつて、呉国は周の二王子の太伯と仲擁が弟の季歴に王位を譲って南に奔り、蛮族中に身を投じて建国したと伝承されているが、この呉国の建国物語は事実とは無縁の説話とみなされていたが、しかし、二王子ではないが、ともかく周族の有力な遺族が揚子江に宜という植民地国家を建てたことは紛れもない歴史的事実であったと述べている。

「晋書」「梁書」(七世紀)と中国を訪れた日本の太夫が、自らを呉の太伯の子孫だと述べている。
又、「魏略」(三世紀)にも、「倭は自ら太伯の後なりと述べている

私が「呉」と「倭(和)」の関係を繋ぐ根拠の文献である。

追記
文化的に初期王朝、特にニニギ命から神武天皇まで末子相続や文身・鵜飼の習俗、これは朝鮮民族の儒教による長子相続や文身の皆無などと異なり、あくまで江南の習俗である。これは「越」より「呉」に顕著で、滝川政次郎師の江南人の野間半島上陸がそれを明らかにしている。
末子相続はその系譜が物語っているし、神武東征の際、大久米命の安曇目が入墨の習俗を表現している。
私が南九州王朝を江南渡来説に傾けさせたのは、それらの事実からである。

八世紀の「古事記」「日本書紀」を編ませた<天武天皇>にしろ、<持統天皇・藤原不比等>にしろ、それを編集し資料収集をした太安万侶・稗田阿礼、舎人親王や識者にしろ彼等が朝鮮系の傾向が見られるのは周知の事実で、私の見解では彼等が北九州の朝鮮系の混血皇族である事は確証がある。
では、何故、初期王朝を南九州に設定し、その習俗らしき表現で書き連れたのであろう。理由は一つそれが史実であったからであろう。しかし、考古学が存在しない当時では、それは伝承であって、確証が得られなかったために神話と言う手段をとったと推測されるのである。
なるべく政治についてはこのブログでは語りたくないと思っていた。しかし、安倍と言う人はその根で国を衰退に向わせてしまう愚策を敷き過ぎる。

IR推進法案は非常に短絡で国政を施行する指導者としては本質も理解出来ていないし、哲学もない。ただ、口の端に昇る言葉は経済を活性化するの馬鹿の一つ覚えの言葉しか発っしない。
大体、グロ一バル経済や投資経済はアメリカ発なのだが、その本質は大量生産のとその消費の捌け口を目的としているに過ぎない。その結果、低開発国に生産工場と市場開発を行い環境を破壊や貧富の差を増長されるウィルスをばら撒く暴挙行為の蛮行でしかないのだ。マクロに考えれば(この思考が今、等閑になっている)、浅はかな急ぎすぎ、慾ぼけが蔓延して、国や地球の環境の劣悪化を度外視した愚かな蛮行なのである。その独りよがりのアメリカ産経済の尻馬に載って、安倍氏は自らが推奨した「美しい日本」を汚す自家撞着に陥っているのである。言えば簡単でこの羊頭狗肉政治家は言葉に責任を持たない口先だけの巧言令色政治家なのであるからだ。
私は了見が狭い人間なので、日本は小さく堅実に歩んで欲しいと思う人間で、美しい日本列島の青山、清らかな渓流、肥沃な平野、豊穣な海の有様を望むささやかな期待を政治家に望む性質である。
昔、確か岡本太郎がブラジルで遅々とした歩みを「それでは進歩がない」と批判したら、古老が「進歩とは何だ。急いでも明日は明日だ」と言われたとして、自らの愚かさを悟った。そう、雑誌の対談で述べたのを見て、私は自分の生き方を再び考え直すきっかけとなったのを思い出していた。

今、アメリカのグロ一バル経済はアジアを席捲し中国を食いつぶし、アフリカに魔手を伸ばそうとしている。他国の地球環境も経済発展のためには将来どうなろうとお構いなしの哲学を安倍氏はいとも簡単に便乗し、経済優先を口走る愚かな瀬策に私は危うさを感じ、小さいながら抗議の文章を書き続ける覚悟をしている次第です。
私の研究目的は「天皇制の起源」でそのために「古事記」・神武東征を探求する過程でニニギ命の「天孫降臨」に行き着く。そこで谷川健一師の「滝川政次郎教授の甘飼猪部考」の南九州・隼人族渡来説(これは誤りで安曇系隼人族でしょう)に出会い、晋書や梁書の「和人太夫(官人)の太伯始祖説」を見るに付け、ニニギ命の呉からの渡来説を仮説として提案したいと思っていた。

その軌跡上に「倭族」がいて、倭族を追い求めると百越にたどり着き、「倭」が三苗族が百越の旧称なのを知った。
元々、苗族は黄河流域に先住していたが、移住してきた「夏族(黄帝)」に滅ばされて、山岳へと更に南の山岳地帯へと退く。一方、他の苗族は長江中流域・洞庭湖近辺に居住して三苗族を形成する。後に、それが「倭族」へ、又、百越へと繋がり「呉」や「越」を生む事となる。
BC300年・春秋時代に「呉」が滅び、朝鮮南部へ九州の北へ南へと渡来したと思われる。安曇氏の北南九州への渡来はその史実であったと思う。その記憶がニニギ神話を作ったと私は仮説している。

その検証の為の苗族民話集「洪水滔天」の点検なのである。
昔、苗族の地にアペ・コぺン(始祖)と言う豪傑がいて、雷を捕らえる。アペは雷を塩漬けにするため町に塩を買いに出かけて、息子と娘(バロン・ダロン)にくれぐれも、雷に火を与えないように忠告して行く。しかし狡猾な雷を消し炭を要求してその僅かな火種から火を熾して逃げてしまう。そして、雨を長期にわたって降らせ、洪水をして人間を全滅させたが、温情によって雷は「南瓜(瓜)」にバロン・ダロン(兄・妹)を乗せて助ける。しかし、この地には人間は全滅したので、兄妹しか存在せず、難問を解決するあかつきに、近親相姦によって兄妹は子孫を産むことになった。その氏族が「呉(後の呉八月と言う英雄)「竜氏」「石氏」などである。

ここに苗氏と「呉」の関係が現れ、その関係が明らかになった。私が考える「呉」の渡来説の一考になっていると自負する民話であると思う。
エボラ出血熱の世界への蔓延はグロ一バル企業のアフリカ進出と期を一にしている。これは明らかに歪んだ世界経済の弊害、つまり人災である。
大量生産のはけ口がアジアを駆逐してしまい、アフリカがその目標とされた結果だろう。

その粗暴な先走りが、予防としてのエボラ、つまり利益を生まない薬品の開発以前に動き出してしまったからに他ならない。肥満や頭髪の研究は大量な利益を産むために開発は進む、考えようによっては意味が薄い行為ともいえるが儲かるからやくをえないのであろう。本当はここで世界保健機構が正常に働いていれば先行医療行為も稼動するのだろうが、如何せん世界はグロ一バル経済先行で動いている。開発国の投資は後回しである。ここにエボラ蔓延の主因がある。

最早、世界経済のシステムは行き詰まっている。改革か改善が必要なのがだ、所謂、自由思想がそれを阻んでいる。自由経済は最早、行き詰まりの危機に来ている。個別の行為はその責任も予定調和の思し召しも失い、個の欲望が重んじられる歪んだ精神で進んでいる。改革・改善が必要なのだ。
今日、10月17日のラジオ放送で小笠原(東京都)の海に棲息する赤珊瑚を50隻の舟を使い密漁しているのが発覚した。
当然、この動向は中国政府は知らないわけが無く、ひょとしたら、黙認していたかもしれない。(東・南シナ海の行動を見ていると国策と思われてもやむおえない)
先ず、この密漁が国際法違反なのは明らかであると共に中国政府の危険な冒険行為に反省を求めざるをえない。
それはここに非常な危険な火種が存在していることがあるからである。
安倍政権の形振り構わぬ旧態然とした富国強兵策が鏡の反映としてあることを顧ても、この中国の危険な日本への力の挑戦を見るに付け、中国が環境問題(これは先々全地球問題に発展する可能性を秘めている)を軽視して、自国の力の政策を推し進める強硬な一環政策の弊害だと思われる。
それは自国の少数民族の抑制する思考方向と同じエリアの政策にあり、内外ともに危険な戦争への道を開く火種を含んでいる。

環境問題は、今や、貧富の差・大量消費と偏った富の集積と密接な関係がある。濁った富の集中は大量利潤を生み、競れに呼応する購買力を必要とする。その為には開発の遅れた地域の文化的・経済的な向上が必要で、大幅な環境破壊が前提にある。自然環境を切り捨て、生産の場を構築し、自然の中で融和しながら対話を続ける人々を便利すぎる生活や希薄にならざるをえない人間関係を引き換えに知らず知らずに地球を蝕んで行く蛮行に人々を落とし込んでゆく。
私は環境破壊の底で何時でも人は愚かな権力に取り付かれて、人と人との愚かで醜い争いに引きずりこまれて行く。
それは何時も些細な蛮行を見逃して行く事から始まる。

私は現在行われている、小笠原の赤珊瑚密漁を日本人として国際人として見過ごしてはいけないと思う。広く報道して中国の危険な行いに猛省を促すべきだと考える。現在の血肉を失ったマスゴミは期待できないのでささやかな抗議をしたいと思います。
古代の文化・宗教には三つの勢力がある。
一つは南九州で二つ目は北九州そしてもう一つは大和・出雲の大物主信仰である。
北九州のニギハヤヒ命は十種瑞宝をその宗教的文化として駆使している。大和は大物主・三輪信仰そしてそれに繋がる出雲は大物主・八束水臣津野命信仰がある。しかし、南九州の勢力にはそれらが見合たらない。
多分、渡来勢力には宗教的基盤が無かったと思われる。又、先住民族である曾族にもはっきりとした宗教が見当たらず初期南九州王朝の神武東征に見られる東遷は北九州の弥生以後の人口増加を脅威として受け取り、南九州のシラス台地の性質上稲作には適していない事が大和進行を決意させたと思われる。
その際、彼等は自らの宗教を作るため天照大神の信仰を普及させる努力を重ねたのだと推察する。多分、現代の新興宗教に当たる高天原進行を構築した。
2014.10.12 気軽な空想。
私は所謂「魏志倭人伝」にそれ程の興味が湧かない。重要な文献だとは認めるのだが、現代の歴史学、民俗学、考古学をしても古代の、例えば「邪馬台国」さえも定説として確定できない。中国とは文化的・地理的にも遙か隔たった日本列島(倭国<和国>)を本当に認識は不可能であると言う真理が働いているからであろう。
だから「魏志倭人伝」の専門書は敢えて、避けてきた。浅学も浅学、浅い知識しかもたない。その上での空想なので、気楽な遊び感覚でしかないのである。

例えば、卑弥呼の記述で卑弥呼は大巫女で祭祀で諸国を治めていたとして、そこに男の政治家がいて卑弥呼に政治の方向を願い出てそれに従い多くの豪族を求めていたとする。なにやら、八世紀の持統天皇と藤原不比等との関係を思わせ、神話の天照大神とタカムスビ神又は、スサノウ命の関係を思わせる。そして、卑弥呼が亡くなり、国が乱れる諸国が騒然として暗黒の情況を創り出したという記述は、正に、天岩戸神話を彷彿させ、それから台与の出現は天照大神の顕現を映したような気がした。

勿論空想には違いないが、八世紀の知識人はそのくらいの想像力はあったであろうし、過去の史実的伝承を現実に投影するぐらいの知恵は持っていたに違いない。そんなことを「魏志倭人伝」から想像していた。
2014.10.11 再読。
私は予てから、相撲は国技として日本国籍の者だけで構成するべきだと主張してきた。

古代史を学んで確かに、日本人のル一ツは混血種族だと思うが、相撲の起源は古式を備えていて、呪術的儀式の様相を呈している。私はその状態を理解して上で、古代の神事を大切にする精神もまた、重要だと考えている。

地方巡業で大相撲は呼び出しによって、土俵を作られるわけだが、その時土俵の造り方に古代の呪術的精神を見た。
土俵は必ず硬めに作るそうである。そのほうが怪我が少ないと言う理由らしい。それ以外に私の興味を覚える作業が必ず、地元の土で固めると言うことである。私はそこに「氏神信仰」の起源をみる。「氏神」を産土神ともいい、そこには生命の誕生の神事の精神が横たわっている。又、これは仮説ではあるが、「黄泉戸喫」の神話が根底にあると思っている。生命誕生の根源は地中にあり、そこに「生命を司どる精霊」が宿り、そこの食物を食べると、そこから出ることはできないとあり、穀物が一端死に春に再生して新たな生命活動が始まると言う信仰があるに違いない。
そういった信仰が相撲に反映している事実はもっと我々は大事にしたいと思う。
出雲・大物主神はこそが、物部氏の始祖でヤマトを建国した饒速日命その人であると原田常治は説くと言う。
饒速日命は北九州から物部氏と伴に大和に東遷したと言うのが通説である。私の知るところでは、新羅からの渡来人であるとするのが通説だと知る。また、高良大社の祭神で物部氏の氏神だと言う。

「日本書紀・崇神天皇紀」には出雲の神宝のくだりで、出雲振根は筑紫に出向していたと記す。この文章は重要で、何故出雲振根は筑紫に行っていたのだろうか、しかも神宝のくだりなのだから呪術的な交流なのだと推察できる。筑紫は物部氏の本願地であり、物部氏はその名称が表わすように呪術的な氏族であるのは明らかである。私は以前から物部氏と出雲は祭祀を通じて交流があるのではないかと疑問を持ってはいた。しかし、それを証左する文献はないので類推するより無かった。
又、出雲には物部神社が岩見に存在し、その由来は、宇摩志麻遅命が大和から美濃、播磨から出雲に行き着きそこで居住したと言う。多分、命(みこと)がくる以前に物部氏が居住していたのかもしれない。そうしたうけ入り状態が存在したからこそ宇摩志麻遅命が祀られたとも言える。

だからこそ、原田説は考えられなくは無かった。しかし、大物主と饒速日命の関係は飛躍に過ぎる。もう少し検証が欲しいと思う。
饒速日命はニニギ命との対照での神話であろうとの推測が私にはあって、北と南の対比や八世紀の王朝の布石であるような読みもあって、出雲と筑紫との交流は興味があるが、原田説まで踏み込めない。
「古事記・日本書紀」には幾つかの単純な類型がある。一つは山の民と海の民の争いである。(山の民が優位にたつ)そして兄弟では兄が悪く、弟が善であるように語られるのである。

例えば、景行天皇の条で、熊襲(曾)征伐で熊曾を撃つ為にその娘を謀略に使う。この事さえ、人倫にもとる行為である。しかし、朝廷側は、姉の市乾鹿文(いちふかや)と市鹿文(いちかや)を騙して利用いようと実行する。姉は父・熊曾梟帥を酔わせて弓の弦を切り謀殺させる。だが、景行天皇はその方法は人倫にもとるといい刑罰に処してしまう。

考えてみれば、可笑しな話でこの謀略こそ人倫に外れているのだ。謀略に汚いきれいはない。用は結果なのであろう。それを奇麗事で済ませる話したとは矛盾も甚だしい。両者の間のモラルは五十歩百歩なのだ。

そして、兄・姉より弟・妹は必ず弟が朝廷に服し、兄は征伐される。海幸・山幸、兄磯城・弟磯城、兄猾・弟狡等である。

山の民の優位性のトップは彦火火出見命(山幸・火折命)であり、兄の火照命(海幸・隼人の祖)は弟に服従させられる。私は神武天皇は山の民(火に関わる山の民・大山祇神の末裔)だと考えている。この天皇も椎根津彦(海の民を従えている)

そもそも、八世紀の皇孫の系譜は渡来系の混血種族(先住民族と渡来民族の混血)であり、海の民の要素の方が濃い。その種族が何故、山の民の優位性を語るのか疑問でならない。神武天皇の系譜はニニギ命以降、山と海の融和で成り立っているように思える。どちらかと言うと、海人族的要素が濃いと思われるのに山の民が優位に立つのは何となくいぶかしく思えてならない。
もう一歩踏み込むと、ニニギ命は吾田津姫(大山祇神の娘)を服従させて、つまり海人族に嫁いだ母系の娘を政略結婚させたのである。ここでは、海の民が山の民を征服しているように思えるのに神話の情況は、明らかに火の民(火山を背に負う山の民)の系譜である。この複雑さは矢張り、古代の日本民族の複雑さを表現したかったのだろうか。未だ私には理解が届かない。
常日頃、ニニギ命は何故日向の高千穂の曾(襲)に天降ったのかが疑問の焦点であった。
持論で言えば、笠沙こそニニギ命の出発点であるのが自然だと思っていた。ふと、最近、吾田津姫(コノハナノサクヤ姫)が語った自らの父は大山祇命が重要なヒントなのではないかと考えるようになった。

高千穂の曾は桑原郡(現・国分市)であり、大隅地方である。そこに居住していたのが大山祇命でニニギ命と大山祇命を関係ずける為の発言なのではないだろうかと言う考えに到達したからである。
大山祇命は火具土の分身である。そして山の神でもある。つまり、それは火山と密接な関係を持つ。高千穂の曾は大山祇の勢力範囲内なのだ。多分、巫女である吾田津姫は野間半島の曾族(後の薩摩隼人)に派遣された曾族の分家にあたると考えられる。実際の天孫降臨の地は「笠沙」なのだ。「笠沙」と「高千穂の曾」を結びつける為に「笠沙」の神話は語られたのであろう。

この原点は、ニギハヤヒ命が北九州から物部氏を引き連れて、大和へ東遷した伝承と重なります。ニギハヤヒ命は長髄彦の妹である御炊屋姫を娶ります。この構図はニニギと大山祇、ニギハヤヒと長髄彦、吾田津姫と御炊屋姫に
類似が示しているように二つの現象が詳細が不明な為同じ構図で締めくくったと思われます。
「古事記」にも「日本書紀」にもそこに先住民と皇孫族の大きな戦いを記述しないのは、双方の融和があったからでしょう。日本古代史には世紀の決戦が語られません。私は日本先住民族の大いなる妥協がその原因なのだと思います。縄文時代からのアニミズムの思想が先住民族をして母系で血縁を繋ぐ融和策を考え出した結果が「天孫降臨」の神話を形成していると仮説します。
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