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民間伝承にこのようなものがある。

ドウロクジン(道祖神)は、オン馬鹿でひとのカミさん盗んで、柴ン中へ隠して、さすりさすり抱いて寝る・・・。
それを柴を積んだ火中へ放り投げて、火刑に処す。こうしてやけ焦がれた石像は翌日まで残り火の中で燻ぶり続ける。村人はこの火に霊力を感じていたから水をかけて消す事もせずにいた。時にはこの火は三日も燃え続けた。

道祖神は古くは、行路神として悪霊を塞ぎる神であり、性神・縁結びの神であった。

道祖神は猿田彦に擬され、火具土神とも関わる。猿田彦の嫁は天宇受売神であり、性神の象徴像であろう。これは石棒と石臼に結びつき、、性交の火の象徴を生む。火継ぎの儀式の原型であろう。又、「日本書紀」にあるように、火具土はイザナミ神の「ホト」を焼いてイザナギ神に斬られる。その時、雷神・大山祇神・高おかみ(龍神)を生む。
さらに言及すれば、加茂別雷じんj

神と言う字は、雷光が屈折して走る形と「字通」にある。(神は申<しん>である。そう言えば、神は示すと申の会意である。「示す」は神への供物を載せる台であるから、雷と神の台との関わりはここに表現される)
私の類推によれば、雷は稲妻となって天から地に降り、神木(巨木)へ落ちる。これは天と地を繋ぐ霊力でその後、黄泉をも貫く。玉串こそ、その象徴形であろう。・・・神木は様々なヴァリエションを生む。柱、櫛、人形などだが、出雲や伊勢神宮の「心御柱」はその最上である。

道祖神の伝承2・・・・道祖神を祀る場所は村の入り口・村境・三叉路また、村人の集まる高札場などで、そこは年貢を免除された「徐地」であった。
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童謡「カゴメ」は非常に呪術的な唄である。

<かごめ、かごめ、籠の中の鳥は、何時何時でやる、夜明けの晩に、鶴と亀が滑った、後ろの正面、誰あれ>

子供の頃、私達は何気なく唄っていた童謡である。
今、私はこの無気味な唄に身震いをしている。これは明らかに生贄の人選の唄である。

籠目(かごめ)は目無勝間のことであろう。
「目無」は籠の目を密に編んだ籠の事で「勝間」は竹の籠で、神霊の依り代である。「かごめ」は形あるものとしては、爬虫類の鱗・甲羅で蛇・蜥蜴・亀・鰐に当てはまる。

特に蛇は再生・不死の象徴として表わされ、大和の大物主神はその化身として顕れる。

「籠目」はそれらの総称としての呪術的な物具である。何となく、無気味な書き出しではないだろうか。
そして、「籠の中の鳥は」と続く。「何時何時でやる」と繋げると、何やら精霊が兆す気配を感じる。私の想像では、閉じ込められた「悪霊」が災害や無残な殺戮を引き起こす予兆を想像してしまう。神話的に言えば、イザナミ神の呪いが出現しそうな気配である。
「夜明けの晩に」とは何と矛盾した文章だろう。夜明けは「朝」であり、晩は「日没」である。ここでは時間の概念が破壊されている。黄泉や桃源郷また「邯鄲の夢」のように時間が混沌とする。言ってみれば、宇宙の始の印象を持つ。
「鶴と亀が滑った」とはどういう意味だろう。鶴も亀も長寿の象徴である。そこには不老不死の精神が崩れ去ったかの印象である。時間が破壊され、「籠目」の枠がなくなって、むき出しのオブジェがそこにはある。それが神への生贄ではあかろうか。

この唄は、神への生贄を探す、非常に残酷な詩ではなかろうか。
私は志摩半島の「屠放人」の神事を思い出す。子供を海へ流し、ボラを供食する人質の神事なのだ。多分、海神が子供をたべた神事なのであろう。非常に残酷な行事である。
2014.11.25 火と道祖神。
私は今、「火」についての本質を追求しています。

或る作者は道祖神と火祭りは本質的なかかわりはないと言い切る。しかし、それは皮相的な考察であると思う。

縄文時代に発掘される、石棒や石臼。そして、出雲の「火継ぎの神事」の火切り杵と火切り臼の神火の作成、大神神社のにょう道祭の神火にも杵と臼が使用される。しかも、年末の秘事である。
これは、明らかに性儀の象徴化であろう。元々、性儀は火切りに象徴される。例えば、火を熾すには、板をこする作成方があるが、単なる儀式であれば、この作成法で十分であろう。それが杵と臼を使用する根拠は男と女の象徴としての儀式が祀り化されたと言って言いと思います。

又、「古事記」で見られる、火具土神とイザナミ神の出産の「死」は、やはりそれが創生神話、つまり「生と死」の神話と取っていいと思います。
但し、この神話は縄文から伝わる直接的な行為と比べれば、抽象的な神話形態で後発の付会であろうが、性の神儀の裏付けが見られる神話である事が重要であろう。

出雲の「火継ぎ神事」に見られる、火切り杵と火切り臼の神儀は性交の象徴と見て誤りはないだろう。
ここに私は「火祭り」と「道祖神の性儀」との関わりを見ます。
太古の人間は我々が考えているより、直感に対する感覚は鋭く直裁をえている。彼等は性行為に火を見て、そのそこで出産の神秘的な力(エネルギ一)に霊力を見ていて、その爆発的な力を感じていたに違いない。さらに、我々が永年かかって編み出した「ビッグバン理論」つまり、宇宙創生の爆発的なエネルギ一を呪術者や巫女は「視て」いたのではないかと推察します。
宇宙は古代史的にいえば、「カオス・混沌」であり、具象的な表現は「渦・うず」であろう。珍彦(うずひこ)を思い出します。これは瀬戸内海の激しい渦を表現したのでしょうが、「うず」には混沌の意味があり、「籠目」の神秘的な呪術的な事象を感じます。又、「かごめ」は「目無籠」を言い、元来は神霊の依り代を言います。その形は鱗であり、「蛇」を連想させます。ご存知のように、蛇は再生の象徴で「渦」の事象に譬えられて、宇宙の「カオス」に通じると私は考えています。

そうして深い感覚から性交と火の関連を「道祖神の火祭り」に表わしたと考えるのは、単なる推測の域を超えていると私は考えます。
火について興味があり、柳田国男全集を読んでいるうち、精霊流しの項目で火を船に積み川に流す文章に出会う。

そして、何故精霊を船で流すのだろうという疑問が湧く。船・川・火という意味は何だろう。
日本人の心の深層に船にまつわる心理が働いて、それが死者の魂を乗せるのに船を使ったのだろうか。又、蛭子を船で流すが、それとの関連も又、日本人の心に海人族の記憶が甦ってきたのだろうか。

「常世」は海の彼方にあると言う。それとも、我々がよく故郷に思いを馳せる心理は太古の遠い地からやってきた深層が表出したのだろうか。私達の深層に沈積していて、その懐かしい「船」を媒介にして、船の中の「火」を思い出したといえる。
それとも、川の印象は太古の洪水の記憶が心の底にあって、「船」が心の中で動き出したともいえないだろうか。

「生と死」の意識もまた、私の心を左右していた結果が「精霊流し」と船と火と水を総体として映像化したのだろうか。
まず、具象がありきで始まり、代償・比喩と発展して、美化されてゆく。

正月「ご神火まつり」の前日は我々は拝観できない、秘事である。
縄文時代には、石棒・石臼は邪気を祓うとして祀られている。それは明らかに「性」が呪事として行なわれていた。性交は太古から「火を熾す行為」に譬えられ、性交から出産までの神儀、つまり「霊力」が「産霊(むすび)」へと発展して、創生の象徴として崇められたのは言うまでもない。「火」は「霊(ひ)」であり、「血」に通じてゆくのは古代人の基本的な考え方で、火切り杵は石棒で、火切り臼を象徴しているのは自明の理であろう。それは生命誕生の「気」つまり、宇宙創生の「カオス」に通じ、その具体的表現が「宇受(うず)・渦」となって表わされたことも肯なるべきである。

私はこの大神神社の「ご神火まつり」は性の神事だと推察する。松明に移された火は「霊火」であり、私は大嘗祭の伝承の日嗣を思い出す。天照大神の鏡(霊・ひ)が代々皇孫へ伝えらる「霊」は聖なる「火」であり、「火」は俗としての「霊」であるのは言うまでもない。
2014.11.17 聖と穢。
古いノ一トを見返していて、「聖と穢、産と厠」についての文章を再考してみたい。

日本では、産の神は山の神、厠神、箒神とも考えられている。便所にがいて、落ちた魂をとり戻してくれたり、子が生まれて7日目に「雪隠参り」をするのは、便所と井戸と同じように地下の霊界につながる聖なる穴であるからである。

三島溝クイ神は丹塗矢となって、便所で娘を犯す。又、倭都姫も大物主神が便所で「ホト」を突く。

最後(いやはて)にその娘・イザナミ命、身自(みずか)ら追い来たりき、ここに千引き(ちびき)の石(いわ)をその黄泉比良坂に引き塞へて、その石を中に置き、各対(むか)ひて「事戸を度(わた)す」とき、イザナミ命言(もう)さく「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、汝(いまし)の国の人草、一日に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とまおしき、汝(いまし)然せば、吾一日に千五百(ちいほ)の産屋立てむ」とのりたまいき。是をもちて一日に必ず千五百人(ちいほたり)生まるるなり。
(この説話は「黄泉と産」の関係が「古事記」に語られている。)

日本人は物事を連鎖と関係で進める。決して、一面で捉えようとしない。一神教は自己の側面から捉え、例えば極端に論理を進めれば、窮地に他人が直面していても、個人が大切でそれを。回避しても神は許したもうと言う。そのための教戒師との告白を用意され、心の合理化をする。しかし、多神教の日本人は複雑である。友倒れも又、無理心中をもまたゆるされる。一方、他人を自己とみなす複雑な論理は融和の哲学をも生み出す。環境問題も物と人を一体として、九十九の神をも生み出し、環境の砂漠化は避けて通るという西欧人には理解不可能な行為を実行する。
私はこの弁証法的な日本流哲学を誇りに思っている。

神武東征の周辺は、薩摩の地理情況に似ている。狩猟と採取に富んだ地形で南九州王朝はこの地を故郷に似た地域を選んだのではないだろうか。
そう推測すると、神武一族は海人系で各地の情報に長けていて、その先導役は塩土老爺ではなかったかと思う。そう推察すると、「日本書紀」に述べられている皇孫と塩土老爺の合議は非常に現実的な会話だと思われる。
ニニギ命は曾から笠沙に行き、神吾田津姫と出会い血縁する。そこで吾田津姫はニニギの言いがかりを占う為に室に入り、火をつけて占いによって「火に打ち勝てば正婚を実証する」とそれを克服する。

一体に南九州は火山の噴火が多い地域で「火」が生活を左右している。住民は「火」に打ち勝つ事が試練であった。その象徴がこの神話の根底にある。又、サクヤ姫は岩長姫と表裏の関係にあり、この岩長姫こそが縄文以来の「土偶」の延長上にある不死身の女性像の象徴であろう。サクヤ姫にはそんな強靭性と呪術性をその底に秘めている。
サクヤ姫つまり神吾田津姫は、「火」に打ち勝った巫女であった。神吾田津姫は、大山津見神の娘で、大山津見こそ、雷神、高オカミと共に「火具土神」の子たちであり、サクヤ姫も「火」族の系譜に属したのである。

その底流には火山の脅威が潜在していて、「火具土神」と彦火々出見命神話が生まれる土壌にあった。
政治が劣悪なのは国民の多数が劣悪であるというのが私の持論である。この国の国民の多数は戦前の思考構造を反省していない。それは表面的には、生きてゆける程の余裕がそうさせているのだが、その内実は崩壊を内包しているのを緩んだ頭脳は理解できていない。

今、財政は劣悪です。それは間違いなく世界一です。その情報をマスゴミも識者も真実伝えない。

財政の倹約と構造の検討が責務であるのに、国会議員には表面的な安定を主張するだけで、その内実の誠実な検討をさけて通る。これこそ職務怠慢で、心が緩みきっていて楽観だけが先行している。

またぞろ、解散風が噴出している。それは国民の生活や志向のためではなく、党利党略の税金無駄使いなのである(聞く所の試算は600億円の費用を要すると言う)。
現在日本の財政は国民一人当たりの赤字は800万円超えるという。それを楽観てきな理屈ずけで素通りしようとしている。今、大事なのは議員一人一人がその事実を真に把握して、財政縮小を真剣に考える時である。それを浮かれて水ららの理屈だけで国民の生活などはそっちのけの一人よがり。それを国民は危機意識をほったらかしでかぽれ、かぽれである。何と言う楽天状態。ここは実を引き締めて、一歩実を置いて(客観的になって)、自らの未来を創造的に考えるべきではないでしょうか。

今、選挙をすれば政権を維持できると言う独りよがり、傲慢な態度。野党の怠慢を逆取りした火事場泥棒のような姑息な態度。私達はこれを見越して、バランスのいい状態を選挙で提示すべきである。

何時までも、愚かな国民で愚かな政治屋に操られていてはならない。大事なのは、我々一人一人の想像力の喚起であり、自己改革の実行であろう。
出雲の国造が死ぬと、新国造は熊野大社に赴き、火切りの儀式を行い、火切り臼と杵で神飯を炊いて食し、杵築に帰還して旧国造を赤牛に乗せて菱根池に投げ込む。

私はそれを何回も読んでいたので知ってはいた。しかし、本当に理解はしていなかったのだ。
何故、赤牛に旧国造を乗せて、菱根の池に投げ込むと書かれていたのか解ったようになっていた。しかし、それはただ、丸のみをしていたに過ぎなかったのである。

昨日、「阿吽の呼吸」を調べていて、「阿」は始めで「吽」は終りの意味だと見てから、ハッと閃いたのである。
終りの意味に、口偏と牛を会意した文字の印象が、口は池に象徴されその中に牛を投げいえる風景を想像して、火切りの儀式が閃いたのである。
「火」と「水」の問題もあるが(これも根源的な要素だが)、火に水をかけて物事を終わらせる、つまり終結をさせる意味だと考えると、「阿吽」の吽と菱根の池に赤牛との想像図が重なってくる。それは生贄の聖牛と関わると思われるが、あらゆる生命の根源や創生がテ一マになっていて、標記されたと思う。

少しこじつけに過ぎないかと気がかりだが、皇孫の初期・南九州のシラス台地は火山と関わり「火」の神話が皇孫の出自が「海人族」をすれば、「火と水」の神話との関連もでてくる。例えば、神武天皇が大和に往き、紀州を迂回して大和を制覇する熊野に伝わるエピソ一ドは「火」に関わるものが多い。その熊野は出雲の熊野との関連を説く説のあるので、「火と水」の神話は、かなりのスケ一ルで語られることになる。少し腰を入れて追求する事になると思う。
中国政府は赤珊瑚密猟については、禁止を宣言し、モラルに基ずいて行動するよう日本政府に忠告する。何と手前勝手の言葉ではないか。・・・泥棒が「銭・ぜに」を語るようなものだ。

私は政治が清濁合わせ持つのを理解できないわけではないが、不快だ。どうも腐臭の臭いがするからだ。
第一、あの数百隻の密漁船は経済的に見れば採算が取れていないことは子供でも解る。するとその資金がどこから出ているのだが、そこに嫌な臭いがするのである。自由主義国では考えられない無生産的な暴挙である。そこに政治的で邪まな戦略が見えるのは誰がみても理解が出来る。
このような単純な「からくり」を許してはならない。それは一般的な衰退の兆候なのだ。ある勢力が衰退する、いや滅亡する兆候なのである。衰退は暴挙から始まるのである。他を理解できない横暴さは共通の罪悪であるのだ。それは排除するしかないのである。
日本(和国)はあらゆる言葉と政策でそれを排除すべきである。他国との連帯と外交政策による対話を複合的に抗議をするべきである。
「古事記・日本書紀」には数々の訝しい点がある。例えば、海幸彦の主張、市乾鹿文の処罰などであるが、大きな説話ではイザナギ命の禊祓いがある。これは天孫の原点であり、三貴子の誕生の始原である。

イザナギ命は黄泉の穢れを禊をするわけだが、これを「記・紀」研究者は再生の神話と説く。そして、ここから様々な貴人の派生が語られる。しかし、イザナギ命は黄泉からの帰還の原因を追究した識者は見当たらない。
イザナギ命は地上の国を建設する為の援助をイザナミ命に依頼するべく黄泉を尋ねたはずである。そのため、イザナギ命はイザナミ命に帰還を願う。しかし、イザナミは黄泉戸喫をしたため、その国の大王にその許しを願う為に奥へ行く。それにはイザナミ命の消息を追わないで欲しいと要求する。イザナギはそれに同意するが、あまりにも遅い行動に約束を破ってイザナミを見てしまう。そこにはイザナミ命の死体が横たわり、蛆が湧き、雷が輝いているのを見てしまう。
それはイザナギ命の「掟破り」の結果である。

黄泉を追われたイザナギ命は禊をするのだが、その原因を辿れば、イザナギ命の「罪落し」なのである。
現代に還元すれば、イザナギ命でその禊は「掟破り」の背景を考えると、罪を負うのはイザナギ命でその深層を考慮せずには片手落ちのような気がする。
その視点はこれからの課題のような気がする。一考を要する。
小笠原流では結婚式では、角隠しといって男が女(鬼)を退治し、服従させる古事に倣っている。倉本四郎は、鬼退治は根源的に男の女に対する脅威に根ざしていると説く。

また、女装は女の霊力を身に帯びる為の行為であると言う。これはマナ行為で超自然的な行為の反映である。

さらに、尾張のある地域では「屠人放」の神事、男が女装して、童子の藁人形を入れた桶を頭に載せて浜に出て、「今年の屠人は目出度き屠人よ」と言い、藁人形の入った桶を海に流す神事がある。
これは女装と言う憑依行為であり、この神事の後、「弓祭り」の神事では<ボラ・魚>を共食する。

縄文時代には、土偶と言う女性の像を殺し、それを食すると言う神事がある。「土器を焼き砕く、土地と火と死と再生」の顕現で、土地を傷つけ、生き延びる人間の根源的な営為である。


「土偶」とは、大地の精霊と女性の持つ、生殖力を結びつける地母神である。土偶の大半が腹が膨れ、故意に破壊された形で出土する(生と死の輪廻)。

「顔面把手付き深鉢土器」とは、土器の中で食物を煮炊きし、土器と言う女神の体内でご馳走が作られ、人に食される象徴である。

これらの事項は女性を神に近い存在として認識し、人にマナ行為を興させるものとして捉えている。
マナとは超自然的な「物・もの」(もののけ)を自らの中に入れる事で、その霊力になることを意味する。多少の飛躍はあるがそれはカオスであり、宇宙の「気」に通じ、存在の「霊気」と一体になる「魂降ろし」の行為であろう。

人類は未だ、その発祥を解き明かしてはおらず、ビッグバンの仮説さえ仮説に止まり、なおも「生命の起源」さえも解らないまま、現象でしか捉えられないでいる。真実は認識と認識の狭間にあり、その暗黒は未だ謎である。科学は生きる為の「幻想」と言う生活手段である。それ自体、大切な功利であるが、過信してはならない「寄生虫」である。







アメタはハイヌエレを殺したことで仲間の人間達を呪い、サテネ(村の守り女神)も彼等に立腹した。彼女はタメネ・シワの広場の一つに大きな門を建てた。その門はマロ踊りの輪の形と同じように九重の螺旋形をしていた。それから彼女は自分は門の片側の大きな木の幹の上にハイヌエレの腕を夫々の手に一本ずつ持って立ち、人間達を皆、門の反対側に集めておいて彼等に告げた。

「私はもう、ここには住まない。何故ならば、お前達はハイヌエレを殺したからだ。私は今日、その前に、今、お前達は皆、この門を通り抜けて私の所に来なければならない。うまく通れた者は人間でいる事が出来るが、通れなかった者は他の姿になるだろう」

人間達はそこで皆、螺旋形の門を通り抜けようと試みたが、全員が通るのに成功したわけではなかった。門を通って、サテネのもとに行き着くことが出来た者のうち、ある者は彼女のいる幹の右側を通り、ある者は左側を通った。サテネは両側を通過する者達を全てハイヌエレの腕で打った。左側を通った者は、五本の竹を飛び越えさせられて、パタリマ(五人間)と呼ばれるセラム島の東部に住む諸族の祖先になり、右側を通った者は、九本の竹を飛び越えさせられて、島の西部に住むパタリマ(九人間)と呼ばれる諸族(ウエマ一レ族もその一族)の祖先となった。

それからサテネは人間達に言った。
「私は今日のうちにお前達の所を去る。お前達は地上では、もう二度と私の姿を見ることはないだろう。お前達は死んで初めて、また、私と再会するだろう、だが、その時には、私の所に来るまでは辛い旅をせねばならないだろう」
こう言うとサテネは地上から姿消し、それ以来彼女は精霊・二トウとなって、死者の山であるサラファ山の上に住んでいる。死んだ人間が彼女のもとに行く為には、八つの山越えをしなければならなず、これらの山にはそれぞれ別の二トウが住んでいる。
少々長いが、ハイヌエレ神話は食物起源神話の基本であろうと思うので詳細を記することにした。

アメタ(黒い・闇の意)が犬を連れて狩りに出た。犬は森林で猪を嗅ぎつけて、追い詰める。猪は池に逃げ、溺死する。アメタが死んだ猪を引き上げると、猪の牙にココヤシの実が付いていた。アメタはココヤシの実をサロング・パトラ(蛇の模様のついた布)に包んで台の上に置いた。このヤシの実を地上に植えると、三日後にはヤシは成長し、また三日後には花が咲いた。その花を切ろうとして、アメタは指を傷つけてしまい、その血が花の液に混ざると、一人の女になった。その少女はたちまち成長する。アメタは少女をサロング・パトラに包んで家に持ち帰りハイヌエレ(ココヤシの枝の意味)と名ずけた。娘は正常な人ではなかった。三日後には成長した。そして、彼女が用便すると、それは皆、貴重な品物になる。
アメタはたちまち金持ちになった。

其の頃、祭儀の舞踏の庭では盛大なマロの舞踏会がもようされ、それは九日続いた。九の家族が参加するマロの祭りで女達は中央の位置を占め、踊る男達にシリ一の葉とビナングの実を渡す役目をするのが慣わしだった。ハイヌエレも中央に立って、男達にそれらを渡した。

しかし、翌晩には、男達に二夜日には珊瑚を与えた。三夜日には美しい皿を四日には大皿、五日は
山刀、六日は美しい銅のシリ一箱、七日は黄金の耳飾、八日美しい銅鑼を与えた。が、男達はハイヌエレを訝しく思い、彼女を疑い、彼女を殺すことに決める。九日の夜、男達は踊りの広場に深い穴を掘り、舞踏が始まり、ゆっくりと螺旋状に廻る踊りの輪の中で、男達はハイヌエレを穴の中へ落とした。マロの唱歌が少女の叫びを消す。人々はあ彼女に土をかぶせ、穴の土を踏み固めた。夜明けにマロ舞踏は終わり、人々は家へ帰る。

祭りが終わってもハイヌエレが家に戻らないので、アメタは殺されたのを察知し、アメタはココヤシの葉脈を九本取って広場へ行き、九本を次々に地中に刺した。九本目の葉脈を抜き取ってみると、ハイヌエレの頭髪と血が付いていた。アメタは彼女の死を知り、死体を掘り出して、彼女の両腕を残して、他は細かに切断して、舞踏の庭のあちこちに埋めた。

すると、埋められた身体の各部分は、当時、地上になかったものに変わった。先ず、少女の胃から大きな壺が生じた。その壺は今日でも聖なるものとして保存され、少女の胃と呼ばれ、酋長の財産となっている。

ハイヌエレの肺からイモが生まれ、胸からは女の乳房の形をしたイモが、少女の眼からはイモの塊になる新芽が生じた。恥部からは明るい紫の良い香りのイモが生じた。尻からは乾いた皮を持ったイモが、耳からは上に向いて成長する耳のようなイモ、太腿からは大きなイモ、頭からはイモの塊になった。
これによって、以後、人類はイモを得ることが出来るようになりそれを食べて生活をしている。
2014.11.01 物部氏再考。
「物部氏古事」
夫れ葦原中国は本より荒芒(あらひ)たり、磐名草木に到るまでことごとく能く強(あしか)れる。
然も彼の地(くに)に多(さわ)に蛍火の光く神、及び蝿声(さばえ)なす邪(あ)しき神有り。復た草木ことごとく能く言語(ものいう)有り。

「物部氏」
大昔、森羅万象の中に霊魂を見出した時代に植物も岩石も良く言葉を話し、夜は炎のようにざわめき立ち昼にはまるで蝿声(さばえ)なす沸騰する世界があった。この「物」を鎮める技術を持っていたのが物部氏である。
物部氏は金属の利器を用いて、他者を害する邪霊を祓い、麻糸を輪に結び、遊離魂を体内の中府に鎮める呪いの儀式を行った。「古事記」崇神紀によると、疫病の流行による災害を逃れる為に三輪山に大物主神を祀ったと言う。これは「モノ」を畏れて神に祈った例である。

物部氏の氏神を祀る神社は「石上神社」が主力だが、岩見の一の宮・「物部神社」もまた、重要な要素である。
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