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「黄色い葉の精霊」の著者・ベルナツィクはピ一・トング・ルアングを追ってインドシナ半島まで取材に出かけている。

そこで彼はルアング族の唯一の援助者・ミャオ族の首長・チン・ツァイに遭う。
チン・ツァイは勤勉で有能、災難にも辛抱強く耐え、心気活発であった。文字を持たないミャオ族は驚くほどの記憶力で、特に首長の資格として、太古の記憶を語れなければ、首長になれないと言う。

彼等の口碑伝説は、彼等が蒙古やシベリアの遙かなる高地に住んでいた遠い過去を語っている。
と、ベルナツィク記している。

当時は私も知識が浅かったので、読み過ごしてしまったのだが、嘗て、ミャオ族は黄河流域に定住していて、夏族に侵略されて長江流域や南方山岳地帯に逃げ延びたという故事が現実性を感じていなかったのである。
しかし、夏族と三苗族の確執は史実で「琢鹿の争い」の神話は史実に基ずいて創られてものであろうと思われる。
また、苗族の放浪の軌跡は数多くの少数民族を生み出し、「呉・越・楚」などの種族にその痕跡を残していると思われる。漢人が「倭」と称する、「江南」や「朝鮮南部」そして、日本列島の九州地方の種族にまでその痕跡を残していると思われるのは単なる仮説ではないような気がする。

林羅山の「神武天皇記」に述べられた中厳円月の神武、太白(呉の建国者)説や「晋書」や「梁書」に書かれた「倭人太白説」も強ち根拠のない空想とはいえなのではないかと言える。
黒潮の流れを勘案に入れれば、江南からの漂着は滝川政次郎師の南北九州漂流説も可能性は大いにあると考えられる。
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物部氏は古代史、大和朝廷の成立(神武東征)には大いなる存在であろう。私はそう考えている。そのためには、物部氏の出自は確定捨て置く必要であると、かねがね考えていた。しかし、通説でも物部氏の先住民か渡来民かの確定はされていない。

神武東征以前には北九州からニギハヤヒ命が物部氏を率いて大和へ東遷している、と古代史は語っている。それは神話とされる。この伝承は皇孫の史実にとって非常に重要な伝承である。北九州の地名と大和周辺の地名は酷似しているものが多いのは自明の事実である。そこには物部氏の動向が顕著で、大化の改新以後の大和朝廷確立には重要な要になっている。

谷川健一師は「白鳥伝説」でかなり詳細に物部氏の動向には触れていますが、まだその輪郭は鮮明になっていないように思われます。先代旧事本紀が文献の主要な源泉ではあるが、その補完は完全とは言えず、考古学や神社の縁起、地名の由来など多くの検証が必要なのは言うまでもない。

遅れてきた老人である私には、悲しいことにその追求は頼りない考察だと言わざるを言えず、余生が尽きるまで頑張るつもりだが、困難なのは言うまでもない。
「古事記」の熊會や日向の高千穂の會には意味の深さを感じる。

「會」とは<甑>のことで、蒸し器、蓋のある食器を言い、「苫」の意味を含んでいる。又、蓋は「苫」事を言い、屋根を覆う「茅ちがや」のことである。
「茅」は呪術性の強い言葉で成長力に富み、風雨を防ぐ覆いに用いる。

驚くべきことは、會の地・霧島山山麓には(現・国分市)、縄文草創期遺跡の上野原遺跡があり、そこからは、集石遺構・連穴土坑・大壺・土偶・石皿・敲き石・竪穴式住居などが発掘されていて、明らかに集石遺構は「蒸し器」状態にある。「會」には<昔>の意味もあり、何故か「天孫降臨」の地と符合する。
「古事記」には太安万侶や稗田阿礼が関わり、そこに大歌女が介在し、太古の記憶を引き出している可能性を含んでいる。大いなる想像力を駆使すれば「上野原遺跡」に類する伝承を知悉していたと思うのは可能であると信じる。

大和朝廷の始原を北九州ではなく、南九州から始める慧眼は「古事記」の知識人には見られ、底知れぬ知識力の深さを思い知らされる。考古学上の遺跡は知らなくても、驚異的な記憶の伝承は語り次がれたとしても不思議ではない。そう思わせるほど「古事記」の編者は優秀である。

嘗て「黄色い葉の精霊」を読み、苗族の首長は驚異的な記憶力で祖先の伝承を語り伝えていることを知り、文字を持たない民族の記憶の伝承は驚異的なのを知った。

2015.04.17 お詫び。
宇摩志麻遅命(尊・旧事本紀)の子孫さんにはお侘びしなければなりません。私は60歳後半からパソコンを始めたものですから、返信の仕方を知りません。一方通行になってしまいました。まあ、グログを残せれば良いと始めた安易な気持ちでしたので何か失礼な気がしています。

私は物部氏については大いなる興味がありますので、少々、浅学ですが調べてはみましたが完全に理解したとはいえないようです。

私は物部氏を北九州の縄文時代からの呪術者と推察していますが、これとて確証があるものではありません。
私は一万年以上続いた縄文思想が我々に(又はDNAに刻まれた遺伝子のよる潜在意識)大きな影響があったと考え、物部氏はその一端を担っていると思います。谷川健一師は教えられる事が多いのですが、それでも不完全です。
私は佐藤氏の見解について、全面的に意見を一にする者ではない。特に、民主党議員前原氏については反対の意見を持つ。前原氏はいや、松下政経塾の議員については日本の民主主義制度を改悪した張本人であると考えているので評価しない。

しかし、佐藤氏の風貌については何か感じるところがあった。それは彼が西郷隆盛と同様、南方性の風貌であるからだった。
実は私の名・隆興は西郷隆盛と関わりがある。父親が隆盛の信奉者で隆盛を興すというので隆興なのだ。
その感覚が今日、判明した。彼はそのル一ツを沖縄にあったと公言したからである。

彼の沖縄・辺野古基地についての見解はかなり詳細に渡っている。それは彼がいかに沖縄について関心が深いかをもの物語っている。

私は佐藤氏の辺野古基地(原潜の停泊を可能にする)を本質的な問題だとし、国際法へ一グの陸戦条約違反であるとする見解(占領国は15年後には占領地へ返還する)にも違反しているからであるとする意見は賛意をていする。
更に、又吉氏の外務省参与の異常な人事は不自然だという見解(私はこの人事は又吉氏の沖縄に対する裏切り行為だと思う)、キャラウエイ高等弁務官の上から目線の横暴な見解をも沖縄人の心を逆なでしているする見解は納得がゆく。
敗戦後70年に当たり、昭和20年12月に米軍兵士の無謀な偽射によって半身不随の父は日米の両政府から何の補償もなく鬼籍に入った。その思いは無念の一事である。

そんな時、天皇陛下がサイパンに慰霊訪問にお出かけになられ、そのメッセ一ジの中の全ての御霊に捧げられた慰霊のお言葉に新たな感激を受けた。

それは辺野古米軍基地建設と基を一にするものと思われる。また、平和の裏表にある憲法遵守の裏表にもあると思います。
平和的手段は大変難しい問題であり、あの慈悲を謳う仏教でさえ軍神を必要としている。真の平和は無防御へ果たせるのかと言う問題が残るにしても、力による無謀な暴力に打ち勝つ平和論が構築されるのはどの様な方法論があるのかは一つの課題ではある。

しかし、天皇陛下の平和を思われる心には、私は心から賛同を惜しまない。
嘗て、おの無謀な戦争に引きずり込んだ原動力の一つとなったのは、一部愚かな陸軍であったと思われる。(勿論もっと複合的に原因はあるが)そして、その手段の一つに、迎合を煽る姦計と陰険に背後で操る恫喝にあった。
今、私達はこの目に見えぬ恫喝の恐ろしさをはっきり認識し、見抜き、排除するのが大切だと考えます。一面的な浅知恵を見抜くのは過去を内省する知恵と想像力、洞察力なのです。
私は天皇陛下がそれを暗に諭しておられるような気がしてならないのです。その平安お望みになるお心は大震災の東北を訪問される振る舞いやお言葉、そして東京で開催される慰霊祭に於けるお言葉にの表れているような心がします。
テレ朝の古舘氏との論争について、日刊ゲンダイでテレ朝会長早河洋氏と安倍首相とは山口県出身で意が通じていると報じる。古賀茂明元経済産業省官僚が推察するのはこれらの要件も考慮に入って言うのだろう。

私は最近、安倍首相の一方的な思考法にアングロサクソン的、ユダヤ的な思考法に偏っていいるのが気になる。

元々、日本人は相対的に物事を考えるDNAを持っている。それは一万年続いた縄文民族の融和思想と無関係ではない。日本人は物事の始を混沌(カオス)に置き、そこから善と悪の存在を認める所から出発する。

私は古代史を学ぶ者だが、神話の神の心を直霊(なおひ)に統括し、その構成を荒魂(あらたま)と和魂(にぎたま)をおく。つまり、物事に善悪の存在を視て、そのバランスを魂とする。魂は全ての思考の根本で、良薬に毒薬を少量入れることによりより優れた薬を作り出す。

安倍氏はこの善と悪のバランスを理解していない。つまり、日本人というより欧米人に近いということなのである。。
2015.04.08 物部氏素描。
古代において、重要な氏族は、安曇氏・久米氏・蘇我氏・物部氏であろうと思う。
その内で物部氏は「もののふ」と称され、軍事・警察を職掌としたとされている。しかし、私は物部氏の地位は更に深いところで存在していたと考えている。

物部氏の「物」は<物の怪>の「物」であり、霊魂の領域にまで踏み込んでいる。物部氏の始祖はニギハヤヒ神と言われ、「高天原に神留り坐す皇親・神漏伎神漏美の命以ちて、皇神等の顕わし給う十種の瑞宝を饒速日尊に授け給う、天つ御祖神の言おしへ詔り給う」と先代旧事本紀にある。十種瑞宝とは、おきつ鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・足玉・死反玉・道反玉・蛇比礼・蜂比礼・品品物比礼を言い「一二三四五六七八九十と唱えつつ布留部由良由良と布留部かく為しては死人も生反らんと言い給いし、随に」とあり、呪術的な領域まで踏み込んでいる。

また、物部氏が処刑の手続きは先ず、刑部省の「録」が犯罪名を読み上げ会衆に示し、「極」が刑を執行する旨を宣し、市獄両司に伝える。両司は更に物部に転告した後、物部は「唯」と称し、剣に乗じて囚人を殺戮すると、「延喜式刑部条」にある。

そこには、物部氏が人を人が殺すと言う聖域に踏み込む立場として、特殊な役割を演じている。それは「人の生き死に」に関わる聖域で、その領域は「神」の資格で為されなければならないのだが、物部氏はその代替者として行う役割を有していたと言える。そこに私は、ニギハヤヒ神の系譜を感じる。

「日本書紀」によれば、「天の磐舟に乗ってとび降った者がある。思うにその土地(大和)は大業を天下を治めるに良いであろう。きっとこの国の中心地だ。そのとび降りた者は饒速日と言う者であろう」と述べられている。そして、饒速日尊は大和で長髄彦の妹。御炊屋姫と婚姻し、宇摩志麻治命を出生させる。その命は物部氏の祖と言われている。

この時、饒速日命と長髄彦の間で神武天皇(神日本磐余彦天皇)とのように争いが起こっていない。それは武力以外の方法で解決がなされたと考えるのが自然であろう。古代において呪術の優れた人間が優位に立っていた。例えば、この両師に重病人を回復させる呪術合戦をしたとして、その病人を治した者、また日照りで降雨の術に長けていた者が優位を占めたと思われる。それに勝ったのが饒速日でさらに、金属の製造、農業技術の巧拙が饒速彦にあったため長髄彦が
首長を譲歩したと私は思っている。

戸矢学氏によれば、長髄彦の陵墓は三輪山にあり、その鎮魂名は大物主と述べている。大和先住民は猾族(うかしぞく)や磯城族(しきぞく)、名草戸畔(なぐさとべ)、土蜘蛛、国巣族などが先住しており、長髄彦はその首長であった可能性は濃い。それは長髄彦が戸矢氏の言うように鎮魂名が「大物主」であったことから類推できる。大和民族の氏神が大物主(大神<みわ>神)であったからである。
先に述べたように、長髄彦は妹を饒速日命に嫁がせている。それは血族を意味し、物部氏の始祖である事になる。

その後、物部氏は大和の神武勢力の主要部署から外される。「岩見・物部神社の由緒」によれば、宇摩志麻遅命は、天香語山命とともに遠征をしている。尾張、美濃・越を平定して、天香語山命は越の弥彦神社に祀られ、宇摩志麻遅命は更に摂津、丹波を経て、出雲の岩見へ辿り着く、そこに安住の地を求め永住している。
これはとりもなおさず神武勢力による先住民族の排除の説話であろう。もう一歩踏み込めば、先住民族の信仰する「大物主信仰」を排除するために、神武勢力はその根本思想である「大物主信仰」を抑圧し、「天照信仰」を定着させる布石として行われたと思われる。

物部氏はその後、内物部氏と外物部氏に分断され、外物部氏は東北や出雲に追放される。これは大和勢力の巧妙な統治政策と言える。また、その後、内物部氏は蘇我氏によって滅ぼされ、また蘇我氏は中臣鎌足と中大兄皇子によって排除される。所謂、大化の改新であるが、私は律令制の制定による戸籍の整備にはこの宗教改革が大きく左右していると思っている。大和朝廷はこの巧みな統治方法によって、大和を中心に律令制度を確かなものとして行し、地方豪族をも取り込み、政治形態を確固たるものにしてゆく。物部氏はその政策に破れ、氏神を追放されて、「天照大神信仰」に変えられていった。
文化放送の「野村国丸」の番組で河合かおるの「空気論」を聞き、興味が津々であった。

あの「古館・古賀論争」である。テレビ・ラジオは放送法によって規制されている。その権利を持つ国は謙虚であるべきだと言うのは野村論で、空気を読み、そのバランスで放送の濃度を決めるべきだという論調であった。

しかしその「空気」が難しい。古賀氏はあの放送で自らの番組放送の領域を狭くしたのは優秀な官僚だった古賀氏が理解していないわけがなく、古賀氏はその事より今の隠蔽された政治形態のほうが日本にとって危険であると判断した結果であろう。

放送局と古舘プロジェクトの責任者への「圧力らしき空気」を古賀氏は把握し推測したからこそあの発言になったのだろう。
私もNHK局長への裏の了解談話の可能性は推察出来るし、沖縄自民党議員の手のひらを返したような政権よりの行動は明らか恫喝が意識できる。教育委員への抑圧の日常茶飯事であり、古くは「裸足のゲン」事件はその顕著な現われである。私は以前からこの政権のご都合主義的な雰囲気を持つ隠蔽政治を危険だと思っている。その流れで、私は古賀氏を擁護したいと思っている。

確かに文化放送の野村国丸さんに言われる「空気論」は頷けるが、用は本質の部分に関わった時の態度である。勇気を持って正論・本音を発言できるかどうかである。
元沖縄県知事の秘書又吉氏が外務省の参与に任命された。この職席は元来、知事経験者がなっており、外交権特権を持ち、外務省の秘密費用が使用できる。また、内部に精通している為に人事交流の機微が手に取るように解り、謀略にも関わる重要な任務を兼ねている。

この時期に異例の人事はまたぞろ、安倍内閣とお得意の陰険な裏事情の把握と隠密行動を実施しようとする意図が見えみえである。
このような陰謀は当然、沖縄の人々の伝わり(愚鈍な大和ンチュウとは違い、この手の動きには沖縄人は敏感である)直のこと沖縄の人々を疑心暗鬼にさせてしまう。私はこの手の謀略は辞めた方が賢明だと助言したい。「都合の悪い事には口を噤み、都合の良いことを声高に喧伝する陰険な手法」はもう、辞めにして欲しい。「巧言令色少なし仁と」はもうバレバレなのだ。
少なくとも正攻法で国民を導いて欲しい。
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