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予てから、蛇と火のかかわりが強い事に納得ゆく説明が出来なかった。

私の焦点は三輪の神が大物主でそして蛇が正体であることであった。そして、大神神社の正月の大祭が「ご神火祀り」から始まることである。それは出雲・千家の家主継承儀礼にも「火継ぎの神事」があることである。

私は神武天皇に至る皇孫の系譜が「火」を継ぐ皇孫であると理解している。そして、縄文からの「石棒信仰」は性が関わり、創生信仰であったと考えている。
性は「火を生ずる行為」であるとも言う。石棒は男根で縄文土器に現われる「火炎式土器」に視るまでもなく火を象徴していると思われる。その志向が蛇を「火」に譬える伝承を形造って言ったと思われる。
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いつも8月15日が近ずくと憂鬱になる。私の父は昭和20年12月25日に占領軍の米兵に建築業者社長であった。浜田山の駅付近で米兵に襲われ近距離から戯射された。犯人は軍法会議で本国送還になった。勿論、治外法権であった当時では日本警察は無力で何も出来なかった。本人は近距離であったため、弾丸が回転しなかったため後頭部より首筋へ貫通して脳に当たらず運動神経を失った。しかも、不幸中の幸いで資金力があったため、ペニシリンを射つことが出来て、一命を取り留めた。

しかし、個人的には不運のどん底に落とされることになる。勿論、治外法権で米国に民法は通用せず補償はない。日本政府は犯罪が米兵の勤務時間外と言うことで補償はない。
一家の働き手を失い、しかも脳の治療費は自己負担である。財政的には極度の貧困に陥る。半身不随の父は数年後には、仕方なく占領軍被害者遺族連合を立ち上げるが全国で四万人ほどで、政治的には少数派で結局、法案は給付金でお茶を濁された。

家庭は父が後天的な癲癇と30歳からの不随からくる苛立ちから家庭は極度に暗く。夫婦はいつもケンカに明け暮れる。母は労働と家事の二本立てで常に苛立っている。息子の新聞配達のアルバイトで家庭を支えている為、父の自由にはならない。

これで家庭のバランスがとれるわけがない。暗い日常であった。
だからと言うわけでもないが、私には米国を好意的に見るわけはなかった。現在の、軍産複合体と金融資本が国の財源である米国の本質は表面紳士、裏面、如夜叉である。私は米国の本質を「野蛮人」と捉えている。
そして、イスラエルとの裏面提携は軍事的には「人殺し集団」に近いと思っている。

嘗て、あの共産党でさえ、占領軍を救世軍と錯覚していた。私達が始めから彼等を「野蛮人」と認識して行動してきた。
安保・地位協定は、あのジラ一ド事件を視るまでもなく、植民地的関係で日本の施政者の鼓子持ち性格と倫理観を無視
のした米国の横暴な体質がもたらした結果だろう。

今、敗戦記念日につけて思うことは、自民党・安倍政権と公明党(蝙蝠党・名誉慾に長けて池田党)の米国よりの政権の危険な政策である。
特に、知性がいちぎるしく欠如した阿倍政権は単純な「戦後からの脱却」は危険極まりない。それは小選挙区制(これも米国物まね)が党員から候補権と政治資金の使用を奪った結果の党利であろう。その最たるものは沖縄議員の辺野古基地建設の自由権の剥奪に現れている。

なにやら、今回の国会の延長は強制的に法案を通す思惑が見えてくる。この安保法案はあの愚かな中国覇権主義を楯に取った危険な道筋であるような気がしてならない。最早、経済ボケの日本人には命を張ってそれを阻止する集団は皆無であろう。(個人では、最早無意味な情況にまで来ている)
何度でもいいたい。日本の風土に米国の物まねである、小選挙区制は不要である。

今の安倍氏の硬直した強気の姿勢の一端は、民主党の愚かな政治手腕にもあるが、安倍氏自身の政治に向かない性癖とそれを増長する選挙制度のある。

私はかつてマスゴミが支援した小選挙区制度に反対したが、今、現実にその弊害が顕著に現れている。
それが極端に出たのは、沖縄自民党員の基地建設賛成に全員が選挙公約を破ったことにある。
なるで人の判断と言うよりロボットのような機械的な行為であった。察するに自民党内部で恫喝にあったとしか思われない現象である。多分、私が推察するに、沖縄自民党員は、選挙推薦を剥奪される事と選挙資金を支給されない苦境を提示されたに違いないと思われる。

小選挙区制は選挙区に一人しか立候補できず、資格と金をもぎ取られれば選挙運動は縮小され、敗戦の憂き目に遭う。かつての政治家はそれでも、孤軍奮闘して信念を貫いたが、昨今の人たちは根性が欠落して安易に流れてしまう。安倍氏達はそれを逆手にとって、党内を一本化してしまう。

これは誠に危険な兆候である。又、悪知恵の働く取り巻きは、マスゴミが取り上げにくい内面の教育問題を陰険に着々と進入して真綿で首を絞めにかかる。「裸足のゲン」事件はその初期進行であろう。最近の教職員削減法案はその延長上にある。反抗心を力で押さえ込もうという狭量な精神がかいま視られ、偏狭政治に関わる端緒を窺わせる。

私は能天気な、経済ボケの国民の大多数が「まあいいか」の精神的緩みの間隙を縫って、政治的統制を奨めようとする現状を深く憂えるものの一人である。
気がついた時には身動きが取れないでは遅い。最早、慧眼を駆使して「ものの本質」を見抜く知恵を磨くべきである。マスゴミはその志向に逆行している。私達はその事実を見抜かなければならない。
大神神社へ6月7日に参拝した。水田となだらかな山並みに囲まれた大神神社は日本の源郷である凛とした趣があった。
三輪山とその山並みはまるで大蛇(おろち)が横たわる如く、釈迦が横たわる如く山並みから何かが生まれそうな雰囲気がある。そして、清らかな湧き水が染み出る山道は冷厳としてそれが裾野の水田に注ぐ。そこには秋に収穫される稲束が想像される。
その摂社・狭井神社の祭壇には卵が置かれていて、三輪の神である蛇への供物が置かれているのが特異である。

蛇は「日本書紀」によれば、迦具土がイザナギ命によって斬られた身体の三つ・雷神、大山祇神、高オカミつまり高オカミの蛇にまつわる。
私は大神神社・にょうどう祭の「ご神火まつり」を思い起こし、その祭神である大物主神(本字は雷の心を持った神霊、それは蛇の姿に顕現する)は火の神に一族を思わせる。

この大和の地は蛇に抱かれた大地と言う神話の真髄が私にはひしひしと伝わってくる。

「日本書紀」では崇神紀で、国が衰退した原因が宮中に「大物主神」と「天照大神」を一緒に祀った祟りであったとして、三輪の檜原神社に祀ったとする聖域をも私は感じることが出来た。

そこは明らかに日本(和)の源郷であろう。宗教は現住民の心と生活の基盤となる。それは生きる民族の身体の隅々まで支配する。黄泉喫(へ)ぐいを習うまでもなく、土地は生きる原動力であり、血肉であるのだ。それを変革するには相当な年月を必要とする。崇神紀の国の衰退は「大物主神」信仰から「天照大神」信仰の変革がもたらした弊害と私は理解しており、そこには日本民族の長所と欠点が明らかに顕現した大事件だと思っている。そうした日本の原点を実感した気がして、今度の「大神神社」訪問は人生後半の重要な経験でした。
私はかつて、日本人の習性の地点から、小選挙制に反対をしてきた。相対的に物事を捉える志向性から考えると多党性が日本人には必要であると考えたからで今でもその考え方に変更はない。

現在の安倍一人よがり政権を考える(独裁ほど重くない軽い)と、小選挙制は小人には危険な制度である。

かつての自民党は様々な党人としての考え方があり、良くも悪くも議論が白熱していた。それが現在の自民党はどうだ。議論が白熱している事は皆無である。陰口さえ聞こえてこない。
それは簡単な理由である。

恫喝の所作である。選挙資金や党内推薦を楯に取り、選挙に出られない体制が党内に出来ており、脅かされれば尻込みする不甲斐ない(二世議員の根性なし、つまり、困難を克服してじ自力で勝ち取る苦労が省かれた薄ぺらい議員が増えたからだろう)。
この小選挙制の弊害をかつてのマスゴミや所謂、識者は論議したのだろうか、提灯持ちの議論ではなかったろうか。
いかに真の議論が大切か、痛感する。

私は沖縄の「辺野古問題」は重要な政治問題であると思う。「辺野古の基地設営」を反対した地元議員が揃って賛成に廻ったのは議会制民主主義の危機を感じ、怖ろしささえ感じた。そして、マスゴミも世の識者と言われる頭の良い諸君も何の評論をしない事にも驚きを禁じえない。
小選挙制を法律化した時もそうだが、何と想像性のない愚かな判断であったと思うのだが、そうした情況が現在の現れているというのに、またぞろ、悪法が隠然と行われようとしている事の警鐘や行動は非常に希薄で、恐怖感さえ覚える。

「裸のケン」事件はもう忘れかけているが、最近の「教職員の削減」にも続き、施政者は刻々と既存路線を踏襲している。「古賀問題」「NHK問題」「首相の品格のない野次問題」など思想的横暴は限がない。明らかに「教育・マスコミ」に規制や抑制が強化されているのがひしひしと感じられるのに、世の中は平和である。
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