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私は現在の安倍政権の本質は旧態然とした政治理念と小選挙区制の弊害である恫喝政治にあると思っている。

旧態然なのは選挙区を苦労なくして受け継ぐ世襲制にある。つまり、実体を感知しない観念性が薄い政治理念に反映している。選挙民との血の通った生活意識が欠如し、利権や名誉慾が政治に結びつき、政治を弱体化させている。明らかに世襲制は生活を形骸化させて、ひいては地方をそして国を形骸化させてしまう。
また、小選挙区制は指名を党の一部権力者が握り、それを税金で賄う選挙資金を楯に党員の本来の政治的自由を奪い、恫喝で組織を動かす事になる。
私の哲学から言っても、米国の精神構造とは異なる日本人が本来持っている融和「和」の精神に枷をかぶせる悪法なのである。

今、安倍政権が行う「富国強兵策」と「小選挙区制による恫喝政治」が本質である。それは健全な民主的な議会性民主主義とは言えず、専制的な独裁政治に近い政治となっている。
彼等はそれを見越して我々の教育制度を軟弱な民主主義に向わせて、操作のし易い頭脳に作り変えてしまった。今、教育と家庭に拠る躾の問題を俎上に乗せ、もう少し節度の或る教育を推進すべきである。
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この所、武藤君の無節操な政治行動、安倍夫人の深夜の歌手との常軌を逸した交友。まあ、周囲を押さえきれない安倍氏の力量は限界に達している。

そうした政治家を三分の二の愚民は支持を続ける。
私は今まで、安倍氏の根本的・総合的なテ一マについて悪害があると叫んできた。しかし、それは馬の耳に念仏で変わる事はなかった。
もういい、安倍政権が反知性的であることは確かである。もう多くは語るまい。しかし、私は我々の年金の大本である保険料を流用してギャンブルである株に運用するのはやめて欲しい。もし、株価が下落して損失をこうむった時は年金を減額して切り抜けるつもりの思惑が透けて見える。なにやら、この安易さは川内原発や安保法制の閣議決定の安易さに似ている。それは、悪代官である悪官僚の考えそうな事である。反知性派である安倍氏は唯々諾々として便乗する。結果、安倍氏の腹は痛くないとした無定見からきた発想である。そうした無責任政策は辞めて欲しい。もう、これ以上年金が減額されては生活が出来なくなる。日本は米国の属国ではないのだ。日本国民の宰相であって欲しい。無理かな?
今、ヤマト古代祭祀の謎を読み、大変参考になる。
著者は小川光三氏でこの造詣は大変深い。しかし、まだその視点は大和朝廷のものである。

私は米国を原住民・インデアンの視点で読み解く事を願っている。その視点で書く著者はほとんどいない。
現在の米国は近代人の衣を着た野蛮な金権族と戦争で君臨しようとする武器商人まがいの権力亡者が一部を占め、それが米国を動かしている。
その心の基盤は聖書(新旧)であろう。かつてマヤ族やインカ族が支配した宗教は野蛮と葬り去られている。

それと同様に日本の古代史家もまた、文献主義または実証主義の範疇でしか古代史を捉えない机上論者がいかに多いかが言える。
それは文字と文明が高い古代の朝鮮渡来者、それはとどのつまり漢民族の文化の継承者であるのだが、文字を持たず、伝承と感覚で文化を伝えてきた縄文族を知識と文明の威力(軍事や灌漑技術、金属技術の先進性)を持った漢民族系の種族には稚拙な武器や生活技術しか持たない無文字民族は駆逐されて当然である。
縄文族はアニミズムの多神教的融和主義が哲学なのだが、力の強い漢民族文化にはひとたまりもなく駆逐されたのは歴史の流れが証明している。
しかし、日本列島の「和」の人種、私はこれを「和人」と言うが、これらの先人は種を残す為に苦肉の策として母系で繋げて種族の温存を図ってきた。この知恵を私は優先して学びたいのだが、漢民族の文明を紐解く方が容易である学問の手法は日本古来の人々の心の経過を追及する志向にかけている。私は、敢えてその先住日本族の解明を望んでいる。誤解なきように言っておきますが、渡来民族の文化が悪いと思ってはいません。渡来民族と日本民族が融和したその選択は誇るべき思想を含んでいる事は言うまでもありません。
2015.08.26 oomononusi
私は今、「大物主神」と「物」について興味を持っている。
「物」とは、物質や物の怪などの意味があるが、古代史に即して言えば、精神的な意味合いが濃く、例えば、白川静師の「字通」を引くと<霊的な識らざる領域のこと>とある。「物」の偏は「牛」で、牛は犠牲の最たるもので、神への祭壇に生贄として捧げられる。又、<忽」は弓体に呪飾をつけた形で邪鬼を祓い、禁止の意味があるとする。
そこで「物」とは、神にたいする祈りのために供物を捧げる呪動を意味する。

「大物主神・おおものぬしのみこと」はその「物」が基本的な意味を表わす。つまり、霊的領域に関する呪術者が起源であろうと推察する。又、一説にはその末裔である物部氏は縄文時代からの土器製作者との説もあり、仮説ではあるが、縄文時代の地母神である「土偶」はこの首長である大物主が製作した可能性は濃厚である。

元来、物部氏は北九州の先住民族だと思われ、それが大和へ東遷した際に大和の氏神「大物主神」と通じる精神的領域があり、融合したのではないかと私は推察している。大物主神は一説には、饒速日命と同一だという見方があるが、それは両神の資質が同様な構造なのがその一端であろう。つまり、両神は縄文の呪術的な存在を表わしており、霊の領域で語られる存在ののである。

その現実的な姿が物部氏で、史実には物部氏が霊の領域を司る職掌であり、その延長上に軍事的な役目を付加された考えるのが妥当であろう。物部氏が刑事的な殺傷や巫女などの刑罰による殺傷が許されるのは、物部氏が神の領域にまで踏み込むことを許される種族であるからであろう。
「天災は人災が呼ぶ」とはよく言われることだが、その科学的根拠はないとする。
最近、安倍政権下では、沖縄・辺野古基地に絡み米軍特殊訓練ヘリの墜落、川内原発再稼動では桜島大噴火の予兆。何故か「諺」を予感させるような現象が興っている。
果たして、これは偶然の産物なのであろうか。残念ながら、私は電磁波を研究する専門家ではないので、電磁波の人と物の電磁波の関連を明らかにすることは出来ない。宇宙の始について理論物理学はまだ、仮説に止まり、完全に解明できたとは言い難い。古代史を齧る私は、道教や中国神秘学に現れた「カオス」の観念を軽視する事は出来ない。日本でも「渦」についての研究は少ないが、「渦」が宇宙創生の「カオス」の観念と関係がありそうに推測するのは、荒唐無稽とは言えないような気がする。

数千年単位で南九州では超大噴火が記録されてはいる。その噴火は九州はおろか、その粉塵は東北にも及んでいるのだ。
私は、唯一の「核」の悪害を経験している日本人として、「核」に関する事象には慎重に慎重な対応が取られなければならないと考えている。その意味でも川内原発再稼動は「愚行ちゅうの愚行」だと思わざるをえない。大体、経済を持ち出し、究極の哲学も持ち合わせない軽率な政治家に国を率いる資格などない。

余談だが、安倍氏が真の保守派だとしたら、ニニギ命を祀る川内市(旧・高城郡)は皇孫の端緒であることを考えてみたらいい。もし、大天災でニニギ命の祀る新田神社や陵墓をも傷つける事になるのだ。真の?愛国者なら、究極の不敬をも頭の片隅にとどめおくべきだろう。
何故か哀しい。気力が失せる思いがしてならない。

私にとって8月15日は重要な意味を持つ。なのに何故か心が沈む。敗戦記念日は周囲はその催しやコメントが飛び交う。それは喜ばしい事なのに、私の心は活性化してこない。
現実に川内原発は再稼動した。私達はあの野蛮な原爆の唯一の被爆者ではないのか。それを再開するのは犯罪に等しい。更に敷衍すれば、神話とは言われてはいるが、川内は古代では高城郡といわれニニギ命が陵墓を立てられた地でもある。金の亡者とそれにへばりつく少々頭の悪い政治家等は知っているのだろうか。

私は、所謂愛国者ではない。しかし、歴史の本質は理解している積りだ。川内市を語るにはもう少し話し合いが必要なのである。

沖縄・辺野古の基地建設や自衛隊の米軍との特殊訓練参加や規制の事実として自衛隊幹部は安保法制化での訓練を実施している。あの百田君や若手議員の知性が欠如した暴言はどこへ行ったのであろうか。
決定閣議言う暴挙は民主主義の中で許されるのだろうか。
次ぎから次ぎへと不安がよぎり、敗戦記念日の重要性をかき消してしまう現実に私は哀しんでいるのである。だから、敢えて私は記念日を避けて自分の思いを書きたくなったのである。
思いを続けることこそ大事である事を痛感する。
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