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私は安倍政権は年金・福祉の減額に手を付けると主張してきた。

今日労働省が若者と高齢者の格差を発表知した。これは高齢者の年金額を減らすのが目標である。
出生率と財源不足の問題と年金制度の政府の見通しの甘さ・将来の軍事費の増額などが原因である。自からの内省を棚に上げて外からの費用を獲得をすると言った努力を回避し他に原因を押し付ける偏った政策なのである。

安倍政権の怠け者政策を確実に露呈している。多数政権の弊害である。嘗て私は安倍政権を狡猾な国民に負担を押し付ける政権であると主張してきた。それも狡猾な策略で自己の努力を回避する狡猾な政権なのだ。その上、古い「富国強兵政策」を堅持しようとするから無理を重ねる。その場主義だから暫らくは安泰に見えるが、根本的な対策を後ろに回すので結局は先々破綻が顕在化してくるのだ。

見ていなさい。確実に国民に負担を押し付けてくる。官僚や政府の負担を回避しながら他に負担を押し付けるから。三分の二派は事が押し詰まってアタフタするから、つまり愚民とはそうしてものなのだ。私はもう、諦めている。馬鹿につける薬はない。強制が一番なのだが、民主主義のテ一ゼがそれを許さない。最早、矛盾が予定してきているのだ。
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もうお気ずきでしょうが、安倍氏の戦法は官僚的な騙し戦略です。自分の目的を隠し、当面は国民が望みそうな政策を吊る
下げて真の目標隠して、強行採決する。

そう考えれば、答えはすぐ出る。次ぎは出来もしない「絵に描いた餅」の所得倍増を掲げて、憲法改正を狙う。それには難しい問題が山積しているので、必ず外堀を埋めにかかる。今、取り巻き・官僚が騙しの条件を真剣に考え中と言うところでしょう。
ただ、これまで決めた経済政策は大企業に有利な案件ばかりです。その点を良くお考えになって、国民は判断されるべきです。(愚民は深く考えるのが苦手だからコロリと騙されるだろう)

私が常々主張しているように、問題は三分の二族です。この人たちが安倍政権を支えているのですが、表面しか見ない人種なのでコロリと騙されます。ご用心、ご用心。
2015.09.25 前原君へ。
見事に公明党・自民党の露払いを演じる姿には感心します。

あなたは民主党が衰退したのは、幼児性の原理主義と自民党回帰の愚作が原因なのが判っているのに更に追い討ちをかけるような幼児性原理主義を掲げる勇気に感服して、この際、好きな公明党と非民主主義を掲げる自民党に鞍替えする事を薦めます。あまたは庶民の味方ではありません。どちらかと言うと、金持ちの太鼓持ちです。自民党・安倍氏とよく似た姿勢です。民主党に席を置くと嫌な事が多いでしょう。精神衛生上、自民党があっています。是非、自民党に行かれる事を勧めます。
安倍氏は本当に国民を愚弄している。奴等は甘い言葉さえ吐いておけばすがりついてくる。と思っていて、その通り実行する。思うに、三分の二族は、その通り安倍氏の思惑通りにのり、ほいほいと付いてゆく。
今回の三本の経済の矢とは何なのだ。実行できない「絵に描いた餅」でしかないのに、恥も外聞もなく掲げてくる。少々頭が使える人は実行不可能な政策のなが解かる。彼の常套政策の「出来もしない政策を行いましたがダメでした」と言う名目だけの騙し政治である。
その位にしか国民のメンタルティを観ていない。いや、見切っている。愚民はそれを見抜けない腑抜けなのだから、簡単に騙しの技術に引っかかる。情けない国民である。いや、そう国民を教育してきた成果なのだから、仕方がないか。

こうした「鎧の下に刃を隠した不誠実な人間」を国民が厳しく観察しなければ、この国は格差が広がり、弱者は野垂れ死にするより仕方がないのである。
私が予想した通り、悪評の分散政策で辺野古攻撃である。陰険な安倍政府は金のばら撒きに拠る分断政策を取るのは自明の方策だ。マスゴミは大きく取り上げないが、辺野古で資金を欲しい地域を探してそこに資金を投下して地域を分断する。当然、反対派の同じ地域には規制の政治的な援助を取り消し、資金を枯渇するな兵糧攻めを目論む。何と姑息な手段だ。一ヶ月前の猫なで声はなんだったか、休戦協定は単なる戦略に過ぎない。
その根元は明らかに、米国の軍事費縮小の肩代わりである。声を高く言いたい米国は世界に対して何をしてきたのだろうか。「世界の警察」と称して利権獲得戦争を行ったに過ぎないと言える。アフガンにしてもイランにしても、あのスパイの強化国でかなりの税金を使用している国防省が粗雑な情報を把握しているはずはない。正確な情報は掴んでいたはずである。敢えて、見切り発車をしたのである。これは一例に過ぎないが、一事が万事、米国は世界に戦争をばら撒き、利権と武器消費経済を推進してきたに過ぎない。その肩代わりを日本がしようと言うのである。私はこの安倍政権の目論見を諸手を挙げて反対する。本当は米国との安保条約破棄を叫びたいが日本国にその煙さえもたっていないので、敢えて、その一つの枝である辺野古基地反対に挙げざるを得ない。

「辺野古基地建設、大反対」「姑息な政治資金の分配は私的流用に近い、安倍政権だけに利する財政資金は不当である」

と、叫びたい。
確実に、イスラム国のテロ集団が日本人に対するテロを行う確率が強くなった。私は決してイスラム国を評価などしない。どこかの首相に似て、理性の欠如した「思い込み」集団だからである。安保法制は、イスラム国との対決の可能性を強めたのは事実である。嘘を平気でつく安倍政権がイスラム国の後方支援はありえないと報じているが、そんな事はありえない。

米国の世界強制戦争が破綻して、米国の暴力で自国に逆らう国を叩き潰す政策に国費が間に合わず、後退を余儀なくさせたのが安倍氏(嘗て吉田氏が安保条約の批准を単独で行ったように)が肩代わりを買って出たのが本音なのだから、米国に変わって肩代わり行為を行うのは確実でしょう。安倍氏が日本人より他国の人間が(特に米国)好きなのだから、イスラム国との交戦はいやいや引き受ける「振り」をするだろう。
しかし、安倍氏は確実に交戦を引き受けるはずだ。嘘つきは真理を読むことに長けている。安倍氏のこれまでの数々の嘘を見れば解かるはずである。あの母親と子供の救助の論理は少し理性と解釈力があれば子供の戯れだとわかるが、安倍氏は三分の二派の頭脳程度を理解していて、それ程の物語りを示せば事足りると読んでいるからにほかならない。
その思い込みは、イスラム国の幹部の精神構造と同じ程度だと思うので、私は確実に安倍政権はイスラム国との交戦が日本国内のテロ事件に発展する可能性は極めて強くなったのを心配する。

私は、実は、本当に驚いている。今度の安倍政権の政治的暴挙は確実に民主主義や議会制度の破壊であるのに関わらず、しじりつの低下が1%に程なのが信じられない。共産党が多党との選挙協力に踏み込んだ政策は共産党の善き変革と評価するが、またぞろ民主党の「松下政経塾派」がその連帯を拒んでいるらしいが、あの連中こそ影で自民党を支える安倍氏に似たまやかし集団なのだと知れるのだ。

こうした日本の情況は自ら泥沼に足を踏み込んでいるような気がしてならない。
「事が興ってから」では遅いのである。最悪の事態が予想されるなら最善の対策は採るべきが常道なのに多くのこの国の国民は楽観を決め込んでいる。
その情況は、傾国の始まりなのである。最早、我々は鹿集団の崖への突進と同じように破滅に暴走しているような気がするのは私だけなのだろうか。
... 続きを読む
マスコミも一部識者はこの非民主主義的、反理性的な法案を叫び次ぎの選挙にそうした反民衆的な議員を落選させようと喧伝している。それは容易い事だ。言うだけでその成果が達成できなければ、何もしない事と同じなのである。

第一、安倍氏が見抜いている通り、問題なのはデモに参加するような認識力がある人々は問題ではないのだ。私が比喩的に日本人の三分の一は信用できるが、三分の二が問題だと言う根拠は戦後の保守勢力の思想統制のウイルスに犯された経済ボケの安楽主義者が問題なのだ。彼等は深く物事を考えようとしない。日常生活がある程度、安楽なら物事の本質の追求などは面倒なのである。聞きかじりのマスゴミ解説が表面的な解説を提示していればそれを鵜呑みにするだけである。
これから安倍政権が経済的な施策をうちたまたまそれが成功すれば、そのことに拘泥して安倍政権が行った専制政治を忘れてしまうのである。
言ってみればかなり刹那的である。そういう陣営の人々が本質を見抜き先々の現象を認識できるように目覚めるのは、鋭い想像力や認識力を必要とするのである。過去、保守主義者はそれを教育や思想統制でやんわりと規制してきた。つまり、物事を深く考える人間を排除し、単なるパズル解きのできる人間を育成してきたのである。頭はいいが心のない、謂わばロボットに近い人間を育成してきた。IT企業なるものはその典型育成である。
私は日本の民主主義を守るのは、こうした頭でっかちの人間達を三分の一派に取り込むことこそ大事な任務なのだと思う。三分の一派はその器の中をかき混ぜてはならないのだ。器の外こそ器の中に取り込む方策が必要と推察する次第である。

例えば小選挙区制を排除し、世襲制を解体させる運動に彼等を引き込むとか、地域交流で彼等を説得するとか、色々方法はあるだあろうが、そうした方法を協議する会議も必要だろう。問題は山積しているのだ。
私は古代史を始めてから、「古事記」の熊會に興味を持っている。熊は本居宣長が言うように意味を強める言葉であろうと思う。

問題は「會」である。
「會」は、蓋(ふた)のある食器を下から甑で蒸す形とあり、蓋をする事から「会う」の意になるとする。
白川静師は、この食器は祝寿や盟誓を収める器(うつわ)としています。
私はその言葉には非常に畏(おそろ)しい意味を含んでいるような気がしてなりません。つまり、それは神と人の約束、<生贄いけにえ>であるような気がします。何を神に捧げるかと言えば、太古の伝承でよく見られる<人を生贄にする>事ではないかと思われます。
食の起源神話では「食人」が語られます。日本の古くからの神事である「直会なおらい」もその始原は、神と人の誓約の証(あかし)、生贄を仲介とする神事、具体的に言えば「食人」が儀式であったと思われます。

「食人」は元来、マナ行為で「命の意味」が謎な為に、その総体を飲み込むことによって「神の領域・命の始原」を自らのものにする神聖な行為(神事)が根本にあると思っています。
「神」に近ずく神事が直会の本来の意味だと解釈していて、「會」にはそう言う呪術的な意味が込められていると思います。
報道のデモに集まってきた人たちの意見は、安倍氏の偏った政治を忘れないと言う反論はその通なので、彼等は安倍批判を持続すると思う。しかし大事なのは、愚民である大多数の事で彼等は直ぐ忘れる。問題は、これらの愚民が真剣に自らの問題として想像力を想起できるかである。現代の保守派の思想対策は成功しており、多くの愚民を敢えて創ってきた。

それは保守派の狡知が国民を凌駕したと言うわけです。もう一歩踏み込めば、その対策が日本の総体としての国民性を低下させたのである。つまり、国力を落としたのは取りも直さず彼等の愚かな政策だったのです。
ただ、自らの短絡な領域だけで思考する施政者を選ぶ愚民はも愚民だが、愚かな施政者もまた傾国の徒としての狭量さである。デモに参加した人達を私は諸手を挙げて支持をするがそれは力だと思う。
だが、大事な事は彼等ではなく、多くを占めている愚民をいかにデモ派の中に取り入れる事なので、それには時間と費用、また組織量が必要なのである。そこまで考えると、自覚の薄い愚民を変えるエネルギ一は期待しがたい。
私が懐疑的なのは安倍政権がそこまで見通している、いや官僚達が入れ知恵がしている影の部分を読みきるどう対処するかの高等戦術いかに構築するかなのだが、そう考えて行くと、結局は挫折が明白でデモに言った人々の思いは単発になり、後は施政者が想像した情況が再現されるだけなのです。
とどのつまり、そういう国民を彼等は予想して狡猾な思想統制を持続させてきたのです。
今、私は偏屈な変わり者として言うだけ言って世を去ろうと思っています。諦めているのです。
各地で災害が頻発し、火山の噴火があい続き(次ぎは霧島山か)、思慮の浅い殺人事件が勃発する。なにやら、私の胸に不安が沸き起こる。

母親が自らの幼児の頭を殴打し昏睡させる。私は男であるが、身の毛がよだつ重いを禁じえない。母親である。自らの腹を痛めた子なのだ。鬼畜と言うより悪魔である。この母親にその時、何が去来したのだろう。再三泣く子が憎かったのだろうか、常識的には誰もが母親なら経験する育児であろう。それを乗り越えて子を育てて行くのが通常である。
が、この母親は自分の感情を抑制できず、ただ、子供を黙らせるために頭部を殴ったのか。
私は日頃、あらゆる所で日本人がモラルを押さえきれず、いや、その事を意識せずにだらだらと或いは自分のことのみを考えて行動する光景を見てきた。・・・・家庭の躾や公的機関の教育、そしてそれを伴う環境が劣悪なのを観ている。教師はい自他共に職業人に成り下がっていて、PTAと称するモンスタ一は考えることなく権利主義を振りかざして教育に口を挟む。私は教育の場はある意味の聖域であると思っている。過度の暴力は戒めるべきではあるが、そこに教育の志が見られれば、黙認すべきであると思っている。
しかし、日本の戦後教育は欧米の西欧主義とも思える権利主義を取り入れてしまい、私達が元来持っていた緩やかだが、お節介に近い干渉主義をも排除してしまった。私はその国々には風土があって、それが精神文化を志向してきたと思っている。

少し話題は逸れるが、今、私は遅ればせながら古代史学んでいる。古代はその土地を非常大切にする。氏神思想は詰まれば土地神思想と入れる。地産地消、その土地のものが血となり肉となって文化を形成するとされてきた。「古事記」にある、イザナミ女神が黄泉の国から出るのはその黄泉の食べ物を食べてしまったので黄泉の国からは出る事が出来ない。所謂「黄泉戸喫よもつへぐい」である。この神話にもあるように土地と文化には切っても切れない関係があると教えている。

長くなってしまったが、風土とはそういう意味を孕んでいてそう簡単に消し去る事が出来ないものなのである。それを敗戦で米国の強制的なアングロサクソンの民主主義とやらを押し付けられ(マッカァサ一発言)、いとも簡単に日本の太古より培ってきた文化を譲ってしまう。その着せ替え的無理が薄っぺらい民主主義を根ずかせ、本来の日本の心を失われるはめになってしまったと言える。

私は今、思うに私達は今こそ我々が綿々として培ってきた日本の独自の文化を取り戻さなければならないと思う。
端的に言えば「融和精神」平たく言えば平等主義・思いやりの精神の復活だと思う。
私は出来うるだけ、物事を根本から考えるようにしている。それには限界はあるのだが、その積み重ねは後日に必ず生きてくる。
若い頃、「時間」について追求して不眠症に陥り、登校拒否をした。

例えば、小選挙区制を施行しようとした時、私は日本人の始原まで遡り、私達の究極の思考法から言って「一つ」に限定する事をしない。多分に選択を残して事を選ぶ。だから、米国の物まねである小選挙区制には反対した記憶がある。
又、「世襲制」は日本人の群がる悪癖や経験を積まない当事者は本当の苦しみを理解しない、観念的理解力で物事を決めようとするので必ず、齟齬を生じる。

政治を語るとき、その総合を意識すれば、教育や躾、立法時の国民の情況やそれへの影響を立体的に考えをめぐらす、それが想像力に繋がるのだが、そうした過程を考えてみる事から始める。今の世相は時の施政者から巧く操られて、物事を深く考える人より、個人の利害や経済的傾向を優先するような思考法を植えつけるように縦横斜めとあらゆる視点から規制をされてきた。その
一つ一つが立法なのだが、私達は「象」を観るのに「部分」しか観ないように訓練されてきたと言える。
大事なのは、「もの」が始まる時、そこで立ち止まって、想像力を働かして十分に考える習慣を養う習慣つけるよう実行すべきなあのである。
「考える・弱き葦」は慎重に考えて(想像力を働かせ)、行動すべきなのである。あらゆる取り決めは時の権力者が握るのは世のたとえなのだから、「弱き葦」は熟慮と言う武器で対抗するしかないのである。
2015.09.15
私は5年前、古代史に興味を持ってから日本がより理解しているように思う。現在、物部氏に関わっているが、調べてゆくうちに物部氏は日本人の原点ではなかったかともうようになりました。物部氏の呪術性は明らかに融和的であり、アニミズム的である。もう発言するのも飽きてきたが、元来、原日本人は融和的である。安倍氏は明らかに欧米人気質で日本的発想には程遠い。短絡で感情的これは狩猟民族の発想である。
私は以前もブログしたと思いますが、神武東征の発端で塩土老爺が「東(ひんがし)に美(よ)き国あり、青山四周らす」と言います。これは日本列島が山と川、平野の多い国であり、古代に於いては食料の豊富な国情である。猪や鹿、川には鮭、海には様々な魚介類が取れる。それに稲耕作が加わり砂漠の多い中近東の狩猟民族とは雲泥の差である。何故私が、ここで中近東を持ち出したかと言うと、現代の思考原点であるキリスト教思想が生まれた国土であり、論理の原点であるからです。
砂漠で獲物を見つけたとき、それは生死を賭けた奪い合いになるのは必然でしょう。その歴史の所産が旧約聖書であり、分派の新約聖書である。当然、掟は厳しく、「あれか、これか」の選択を要求される。そうした論理と生きる選択が多様化している日本の論理とは合いいれない。いや、日本人の融和主義はそれだからこそ、世界を「和」する仲介役になれると思う。
それが安倍氏のように西欧的な発想の指導者では混乱した世界紛争に巻きこなれるだけである。外交と正確な情報の把握が日本人の基本的な姿勢だと考えるが、今の安倍政権とは真逆の発想なので残念です。
嘗ての自民党のように少しの理性を持ち合わせていれば対話の可能性もあるが、幼児のような知性で思い込まれたら、為すすべもない。
私は衆議院で会期を延長した時から強行採決を決めていると思っていたから、愚民が三分の二の国民がいてはどうにもならない。沖縄の辺野古休戦も単なるポ一ズと見抜いていたから(時間稼ぎの戦力でしょう)、今のごり押しは理解できる。
最早、これは妄想に近いが、革命でしか安倍氏を黙らせる方法はないの思う。ある識者は次ぎの選挙で政権交代を画策するのが議会制民主主義だというが、愚民が過半数を超えているのだから、その可能性は低い。現在の経済状態では死を意識して戦ういは程遠い、こんな時代で要求される姿勢は高度の創造性ですが、創造力にはその本質的なところで「毒や牙」を持つ、これまでの保守勢力が施した教育制度の改革や施政は国民の「毒や牙」を奪ってきた。国が栄える要素の一つは「毒や牙」が必要で、それを操る有能な施政者が必要なのだが、それを理解できる論客も皆無である。残念だ。
常総市の洪水被害については言うまでもないが、今朝、阿蘇山が噴火した。そして、あれ程原発を縮小を宣言していた自民党政府が原発を再開し、私が警告をしていた川内原発が稼動を始めた。
その矢先である。阿蘇が怒った。自然は確実に地殻変動を始めているのである。南九州・薩摩は嘗て大噴火を周期的に起こしている。最近の自然現象を観察していると、阿蘇・桜島そして霧島山は明らかに火山活動を活発化させている。その原発のお膝元が危うい情況にあるのだ。
それなのに、安倍政権は経済優先の志向を崩さず、原発を猛進する。天はそれを怒っているのである。

私は今、古代史に興味があり、天皇制の端初である「天孫降臨」に取り組んでいる。私は、所謂、国粋主義派ではないが、日本のル
一ツを知るべく、足を踏み入れたのであるが、あの川内市は古代史にとっても、重要な地域なのである。古代に於いて、川内市は高城郡といい、ホノニニギ命を祀る「新田神社」があり、ホノニニギ命の陵墓な存在する。これは日本にとって重要な歴史遺産である。私はそれが汚される事を恐れる。何も妄信しようと言うのではない。確実に積み上げてきた遺産は尊重すべきだと言っているのである。安倍政権はそこまで考えを及ぼして川内原発を再開したのだろうか。非理性主義の安倍氏はそこの浅い論理で、多分官僚の老獪な提言に乗ったに過ぎないだろう。セクト主義の官僚を総合的に判断する英知は安倍政権にはない。

私は今回の阿蘇山の噴火が日本凋落の兆しでないことを望む。崇神天皇の代理(みことのり)で物申す。
2015.09.13 ある不安。
安倍氏や公明党のように、民主主義を逸脱した、歴史的にも汚名を残す政治的行為は最早、理性を超えて暴力に近い愚行だと思います。
信念といえば聞こえがいいが、実は単なる理性を伴わない思い込みで、その果てにはやはり、愚行が対抗力として横行しそうな雰囲気が出てきた。あの岸氏が暴漢の襲われ「助けてくれ」と叫んだのを思い出す。「声なき声」の結末はあの醜態であったのだが、歴史は繰り返すと言う、またあの現象の再現がなければいいと思っている。
人は誰でも、会話が無意味だと解かれば、それを越えてしまうものである。私は、この愚かな国情を憂える。私の思い込みである事を願う。
私はこの分野を忘備録として書いているつもりでいる。

物部氏は幾つかの面があるが、延喜式に次ぎの記載がある。

処刑の手続きは、先ず刑部省の「録」が犯罪名を読み上げ、会衆に示し、「極」(木偏はない。罪によって人を殺すの意味がある)が刑を執行する旨を宣し、市獄両司に伝える。両司はさらに物部に転告した後、物部は<唯おう>(神意によってその行為を許されるの意味がある)と称し、剣に乗じて囚人を殺戮する。
と書かれている。

私はかねてから、物部氏は縄文時代から土器の製作者であって、土偶の作成に従事していたと考えている。つまり、土偶製作には呪術的要素があり、物事の創生にある神意を感じるからである。確か、宮中の巫女の処刑にも関わり、その生死の及ぶ聖域に踏み込む地位を有している職制をまかされていた特殊な氏族である。
物部氏がニギハヤヒ命を祖とする根拠はニギハヤヒ命が呪術的特権を有し、神との交流を許された階級なのに属している事と無関係ではあるまい。その延長上に警察権や軍事職務がある。
多分、と言うのは未だ実証されていないので仮説でしかないが、先住民としての呪術者が渡来の呪術(ニギハヤヒ)を受け入れ、集合した結果が古代の物部氏なのだろうと、私は推測している。

その後、「古事記」や「日本書紀」の物部氏の記載、出雲の「物部神社の由緒」に表れる、物部の祖・宇摩志麻遅命の流ざんなどで朝廷を追われる根拠は「天照大神」と「大物主神」の信仰が絡み、呪術者として霊意のある物部氏は排斥されたこと、又、「大化の改新」の一つにある宗教改革の一政策もその要素であると私は考えている。
あんなもの、決して無投票ではない。野田氏の立候補の過程を見ていると、明らかに安倍側の懸命な抑圧行為が煤けて見える。

私は嘗て、沖縄の自民党議員団があれほど辺野古の基地反対を唱えていた沖縄の議員が手のひらを返したように安倍氏に同調して経緯がある。マスゴミはそれに対し何の解説や過程の真実を報道しないが、私はそこに執行部の恫喝があったと推測している。今度の総裁選もまた、自民党議員に対して抑圧が、いや恫喝が働いたと思う。最早、この構造は民主的ではなく、専制主義の発露をかんじる。

集団が人並びに同じ意見で統一されるのは不自然だ。党内議論が戦わせて、討議拘束で統一するのは、まあ認めざるを得ないが、その形跡は見当たらない。明らかに、専制の力学が働いたと考えるのが順当であろう。これも愚民の選挙結果と党内議員規則、立法議員が行政の執行をするという矛盾がなせる業である。
私は今の反知性派が主力を占める危険な自民党政治には諸手を挙げて反対する。思い込みや感情で政治をする政治は危険きわまりない。嘗て安保条約を改定する時、戦争犯罪人でもある、或る政治家は奇妙な自家発電の宣言をしている「声なき声」何と身勝手な論理ではないか。情況は現在より保守政党に甘かった時代であった。
しかし、現在はその政党に対する志向は緩い。だからこそ、選挙における選択は厳しくなければならない。ただ、保守党は先遣の目があって、国民の教育を巧くコントロ一ルしてきた。軟弱な人間を育成してきたのである。教育とは恐ろしいもので、その地点ではなく、後に効果を表わすのである。それに愚民はころりと騙される。後悔後にたたず、である。

ある識者はそれを次ぎの選挙で報復しようと語っている。現在の情況では仕方がないとは思うが、その本質は危険な情況をはらんでいる。情況が窮しているときには、それでは遅いのである。
私はあくまで、賢明に選挙時で厳密な選択をすべきである。雰囲気に流されることなく、想像力を働かせて、本質を見ることである。
私は無知と思い込みほど始末に悪いものはないと思っている。

安倍政権の自惚れに近い思い込みは始末に悪いと思っている。無知や知性が欠如した思い込みは苦悩が伴わないので判断は早い。まあ、彼等も哺乳類なので、考える振りをする特性は有しているのでそれなりに時間稼ぎをする狡知はあるが、本質的には悩んでいないので、判断は早く、強硬突破をも辞さない行動力を見せる。都合にいい時には時間稼ぎをして優柔不断の無責任回避を得意とする官僚に見習う特技は芸術的なのだが、惜しい素質を内蔵している。

その典型は安倍氏なのだが、その横で苦虫を噛み尽くしたお洒落、伊達男・麻生財務大臣様や何の病原体だか解からないが、病的な顔色で痩せた体を鞭打って、病院から駆けつけた高村氏などを従え、まあニコニコと揉み手をする党幹事長など安倍政権は人材に事欠かないと思われる。

安保法制は米国を喜ばすだろう。何せ、嘗ての軍事費用を果てしなく使い、自らの意にそぐわない国は爆弾で従えてきた王様としましてはお金が懐に不如意であって、誰か肩代わりを探していた所、従順無比の日本様が名乗りを上げてきたのに乗らない手はないと裏で話し合って、握手と言うわけです。勿論、国内では軍需産業が利益をもたらすと嗅ぎつけた金の亡者達が後押しを怠らない。国民の福祉や年金を取り崩せば事は足りると無責任な官僚の入れ知恵も怠りはない。
何せここの国の国民は従順で愚かと踏めば事は速い。万事万々歳である。

そう無知性、思い込み派は高を括る。「強硬突破は国のため、何れこの快挙は歴史が証明する」と嘯く。「まあ、この国の国民は忍耐強く、忘れっぽい。そこが国民のいいところ」と見越している。それで「しゃんしゃん」適当に経済を良くするのが政治家の務めともくを引く。まあ、飢えも極限状況を回避すれば、国民はどんな悪法でも結果として受け入れる。これが今の日本の現状である。
小川氏のヤマト論を興味深く読ませてもらった。小川氏は特に、ヤマトを弥生時代・古墳時代を中心に論じられるのだが、この時期は中国江南や朝鮮半島からの渡来民族がヤマトの地へ先進文化を持ち込んだ時期である。金属文化や
水稲灌漑文化そして文字文化をもたらした画期的な時期でもある。
しかし、日本列島は縄文以前からの所謂、原和人(げんやまとじん)が先住しており、この種族は多神教で文字を持たない伝承文化を有した原和人が特殊な文化を形成していた。文字を持たない為、無言の表情は史実として語りにくいのは当然だが、しかし日本文化を語るにはこの無表情な文化を解明しなくては真の日本文化を語ったことにならないであると思う。


小川氏はヤマトと出雲の関係をその弥生時代の文化を捉えて語られている。梅原猛氏も大和から出雲へ流された神々について言及されているが、私は各地域にはその土地に居つく先住民族が居住しており、所謂「黄泉戸喫」の確固たる原住意識で生活していた人々がいたに違いないと確信しており、その土地に対する強固な先住意識はかなりのエネルギ一を有しており簡単には脱ぎいされない命の元があると考えている。
その地に侵攻するには並大抵の力では侵攻できないのは言うまでもないであろう。
「古事記」の神話?で言えば、ヤマトには先ず、物部氏を率いて饒速日命がヤマトへ侵攻しており、何故か(これは重要な要素なのだが)長髄彦と融和しており、妹の御炊屋姫を娶り、宇摩志麻始命を生んでいる。その後、南九州から神武天皇が侵攻してきて、ヤマトを謀略をこめて征服する。そしてその謀略者の宇摩志麻始命を出雲の岩見へ流している。その岩見の物部神社こそ、その軌跡である。
多分、この物部神社の由緒が出雲の本願・熊野神社や出雲神社ではなく、岩見である事が焦点である。それは宇摩志摩始命が渡来の種族であったからに外ならない。私はそこに先住種族の土地に対する強固な意識を感じる。
少々、前置きが長くなってしまったが、私はヤマトの地には「大物主神」信仰が強固に定着しており、それは縄文時代かなの信仰ではなかったかと思う。永年の信仰は生活に根を張っていたはずで、それを壊すには驚異的なエネルギ一を必要とする。その気球つが崇神天皇紀の「祟り」の神話であろう。私はそのくだりは宗教戦争の記述と捉えている。「大物主神」信仰と「天照御神」信仰の葛藤があの表現になったと考える。
小川氏のヤマト論の前段階、ヤマトの縄文記述を知りたいものである。
9月4日の日刊ゲンダイで小沢一郎は来る参議院の安保法案は採決されにくいだろうと述べている。

私は小沢氏の復権を願う者だが、予てより小沢氏は政治家と言うより、政治思想家に近いと思っている。政治の力学は個人の思想と言うより、集団の力学が重要であるのだと思う。パ一ティとは集団であり、その組織が権力を握らなければ意味を成さない。
その指導力が組織を強固なものにする事は言うまでもない。
私は小沢氏の政治哲学や理念、地方創生、教育論はそれなりに理解しているつもりである。ただ、理解することは賛意を一方的に示す事ではない。
私には、世間が小沢氏を政治の場から引きずり降ろした情況に何の援助も出来なかった事への悔恨の念がある。それは罪の意識に近いものといえる。あんな理不尽な形で政治生命を奪う事は法治国家としての一人としてすまない事だと思う。
だから、もう一度小沢氏に政治の場で活躍してもらう事を願っている。
だが、今度の日刊ゲンダイの記事は甘すぎる。安倍政権は強硬採決をする事は容易に理解できるからだ。公明党は庶民への裏切り者だから、折込済みの加担者とするのは自明な事だが、私は橋下君の感情的政治家、理念より政治パズルを得とする線香花火のような頭脳の持ち主の存在を軽視してはならない。愚民はあの手の人物を好むのである。彼が安倍氏の支持者であり、政治家を辞めるという「免罪符」をかざし、安保法案の賛成票を取り求める力を貸すに違いないのである。その邪票が安保法案を成立させる原動力になるのである。
私は、公明党の良心派(いるとすればだが)と大阪元維新派を切り崩さずには安保法案の成立は規制のものとなるはずだ。
幾ら東京コンプレックスが或る大阪人といえども、日本自身を揺るがす原動力になっていいとはいえないだろう。大阪人よ目覚めよである。
南九州の皇孫は有力な情報通である安曇族を配下に持っている。その首長が塩土老爺である。長兄・五瀬命との協議で塩土老爺の助言を受け入れ、東征を決めるのだが、その根拠は北九州の国力増強、つまり稲作の伝承により貯蔵が出来ることが人口の増加を支えることが兵力増強に繋がり、確かな情報を把握している南九州王朝を震え揚がらせる結果となって(南九州はシラス台地で水稲の栽培には適していない)、新天地を模索していたといえる。海人族・安曇氏がもたらす情報が神武天皇等を動かすことになるのだが、それより先に饒速日命が物部氏を率いて大和へ東遷していたと言う伝承はもしそれが史実であれば(私は史実だと確信しているが)、非常に意味の深い記述である。(後に明らかにしようとは思うが、今は差し置く事にする)

宇佐・岡水門(この地は物部氏の本貫地である)・安芸・吉備と渡って、大和へ行く行程は又、私には興味を引く。

かつて万世一系といわれ純粋民族のように喧伝されたが、神話や伝承を通じても天孫の系譜は先住民や渡来民との混血を繰り返しており、特に私の注目するのは後進性のある先住民がその生き残りをかけて、彼等の優れた知恵を絞って母系で血を繋ぐ快挙に出ている事である。歴史家は「古事記」や「日本書紀」を創作の産物と侮っている為だろう、父系には深く触れる事はない。
私は初期皇孫は「あま」からの移住者、つまり渡来種族だと推測しているので、それらの種族は女性を伴わない情況にあって、郡然にも先住民の女性を娶らなければならない情況にあったと考えている。

何れにせよ混血種族の南九州王朝は中国・江南の文化を認識しており、その兵法や戦略戦略、また灌漑技術や農耕技術にも精通していたに違いない。それなのに、大和での長髄彦に苦戦したのは、先遣隊の饒速日命もまた先進技術を体得しており、長髄彦に伝わっていたからだろう。その上、長髄彦は大和の先住民族・戸畔族、猾族(うかしぞく・蝦夷の系譜か)、磯城族、国巣族、土蜘蛛等の首長として偉大であり、統率力にも優れていたからではないだろうか。

私が古代史に興味を持ってから5年が経過している。まあ、知識としては目に留まり、ユングの心理学を通して神話には興味を持っていた。旧約聖書やギリシャ神話それに南方特に、ニュウギニアあたりの神話は読み漁ってはいた。しかし、それは好事家としての読書で実になってはいなかったと思う。

とりわけ、川内丸山遺跡は縄文遺跡として深く記憶はされていた。私が興味を引いたのは建築業社の「大林組」の調査であった。その後、思うことがあって、初代・神武天皇に興味があって、調べて行くうちに、鹿児島・「上野原遺跡」や「かこいの原遺跡」に触れる事になり、多くの古代遺跡を知るようになった。

私は和人(倭人)の軌跡が知りたくて、そこに注目して古代史を読み取ろうと努めてきた。しかし、我が和人たちは文字を持たない習性から無口な種族でその真の姿を中々現そうとしない。ただ、縄文の遺跡を探ってその高度な文化は文字なくとも、伝承で語り伝わり、文化として成り立っていたのは理解できる。つまり、知識水準としては確かな水準にあったであろう事は解かる。
古代の和人は、特に南九州を基点として、南海・沖縄に至る海を丸木船で通行していたのが解かる。
弥生時代は中国や朝鮮半島の金属、農耕文化は技術的には上位にあった事がわかる。特に、北九州は先住民族や中国、朝鮮民族が散在して、多くの国を造り、群雄割拠していたであろう。それを支えていたのが、金属文化であり、農耕文化である。とくに水稲文化は、米を貯蔵する事が出来、増える人口を支えて国力を増大する礎になったであろう。北九州には水耕農耕を行う地理的条件が揃っていた思われる。

しかし、南九州はシラス台地で農耕に適していたとは思われない。ただ、黒潮の関係で中国・江南や南方との交流はあったと思われ、それなりの情報は収集できていたであろう事は容易に理解できる。
神話といわれる「神武東征」は情報通の南九州の豪族が現状分析をした上でこのままでは勢力争いに敗れる予測を持って、自らの勢力を保持できる土地を探っていたに違いないのだ。「神武東征」はその顕れであろう。「古事記」が記した記述はその事実を神話風につずったのが「神武東征」である。
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