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今回のテロ事件で危惧をする事は、イスラムテロ集団が本来の宗教を理解した者たちではなく、偏向した原理主義者たちであるため考えられる事は目的の為には手段を選ばない卑劣な人間達であるからだ。

事件の結果厳重な警備をしなければならない米国や欧州大国にはテロを行えないと認識すると、彼等はこじつけ理論で拡大解釈するだろう。どこかの首相と同じく目的に沿った理由を考え関係の薄い国を狙う可能性を残したのである。これは米国を主にした行為の復讐のとばっちりでしかないのだが、日本国内でもテロが発生する可能性を生んでしまった。
私は後藤氏が殺害された時、あのテロ集団は野蛮な原理主義者でしかないと実感した。我が施政者は無力・無責任でそれを傍観してきた。私達はテロ集団の先を越して、可能性を考えることは無駄ではないと思う。今は先取りをした供えが必要な時代に入ってしまったのである。
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イスラムテロ集団を私は許す事が出来ない。彼等は明らかに、偏向的な危険集団である。しかし、もう一歩踏み込めば、この奇形児を作った深因は欧米諸国の力による暴力主義にも原因がある。我々日本人はあらゆる手段を模索して対話主義を徹底すべきではないか。太古より日本人(和人)は、より母系を駆して存在を示したように力で解決するより搦め手手段を引き出した。徳川幕府は、判断の良し悪しは別にすると、綿密な情報集収で他国を掌握した。こうした日本人(和人)の知恵を参考にすべきだ。
評価は別として、藤原不比等は謀略的な政策で平和裡に政権を推進した。彼は水面下で狡猾な話し合いを続行している。不比等はどうやら女性を取り込んで政策を推進して行ったようだが、マキュァベリや孫氏も主張しているように謀略も、多数の死者を出す戦争より正確な情報を利する謀略を薦めている。私もこれらの先人の知恵を活用すべきだと考える。
力による大国主義は最早限界に来ていると思う。
2015.11.17 不安である。
報道では二歳の子供にタバコを吸わせる記事を見た。
私は常日頃、日本人のモラルが衰退しているのを嘆いていた。勿論、過度のモラルの押し付けは危険なのだが、家庭によるモラルの育成は、大人がエリを糺さなければ意味を成さない。それは社会全体の問題なのだと思う。

現在の安倍政権は皮相な見解と独断的な政略で政治を行なっている。
例えば、一つの問題を提案する時、頂点だけで論争する皮相な発想では問題を成立させる事のどでいないのは言うまでもない。
一つの決め事には様々の段階を経て頂点で締めくくる。と言う、広がりと深度がないと確かな組織は軽いものとなってしまう。
それにはかなりの人脈とそれをまとめる力量と思考の寛容さがなければ成り立たないのである。今の安倍氏の恫喝と思い込み政策では皮相的な政策しか出てこない。このままでいけば、日本は表面的な国になり、気がついた時には絶望的な衰退が露呈して破壊に剥く可能性が出てくる。

賢明な国民は皮相な個人主義を捨て、総合的な社会環境をつくる志向を目指すべきである。それはかなりの力量と知性を必要とする。私はそれを各家庭の賢い躾から始まると思っている。
本当は教育の重要な要素なのだが、今の安倍政権では教育制度を悪化させるだけで、良好な情況で改革するのは望めない。民衆の底辺から始めるというのは情けない世の中になったものだが、それしか方法がないのだ。遅々とした進展しか望めないが仕方がない情況なのである。
2015.11.15 テロ事件が。
私達は今度のフランスで起こったテロ事件を他国の事と受け取っていやしないだろうか。後藤さんのテロによる殺害は許せるものではない。しかし、そこには幾つかの問題を残している。

安倍政権は国民を無視して安保法制を強行した。その裏では明らかに米国の意志が動いている。それは我々を無益な宗教戦争に引き入れる魂胆なのではないだろうか。
米国が中近東でやってきた犯罪の付けを我々に押し付ける陰険な行為を我々はもう少し真剣に考えなければならないのではないかと思う。最早、この事は他岸の問題ではないのだ。その発端が「後藤事件」なのだ。テロに遭遇する事が現実見を帯びてきたのである。その標的は我々である可能性が大きくなっている。日本国土でのテロが起きてもおかしくない情況に置かれ始てきたといえる。

私達はその誤った争いに巻き込まれてはいけないのである。かと言って、それをただ指をくわえて待っている無責任な行為もまた許される事でもない。私達はこのテロの背景になる関係を正確に把握して、正論ばかりではなく、話し合いの糸口を模索すべきなのである。その方法を今語らなくて我々は自らを救う道はないのだと思う。
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