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20代だったか、私の青春は虚しく哀しいものだったと思う。

愚鈍と見まごうアホな状態で思考力は鋭敏すぎる感受性で思考停止に直ぐ陥る。
会社で仕事をしていても集中力は分散していて、簡単の誤りを繰り返した。当然、上司からは間抜け呼ばわりをされて、首になったことが度々だった。計算書を要求されて、Aの内容とBの内容を取り違えて、全く説明不明な内容になって、しかも、確認をしないものだから、上司からは怒りを通り越して薄ら笑いを発せられて即、解雇というのが続く。今では考えられない情況なのだが、これは実際にあった出来事なのだ。多分、当時の友人は私を分裂症的な粗雑な人間と映ったと思う。勿論、今はその欠片もないが、古い友人はその印象に引きずられる傾向があって時折、苦笑を禁じえないが、いいわけをしても詮無い事と受け流すが、哀しい事は哀しい。

今日、ラジオで青春の回顧を聞いていて、その人物が詩を作っていたのを知って、私も同じ素人むき出しの詩を作っていたのを思い出して、古いノ一トを探し出して(最近、引っ越して出てきた)、懐かしく思い、眺めたのをここにかき出してみた。
未熟だが、感慨深いので書き出してみた。

紅い黄昏、笛の音に、涙ひとすじ風を呼ぶ、小さな冷たい雨の糸、コロコロコロと風を呼ぶ、コロコロコロと風を呼ぶ。

巧く書けたのか愚作なのか解からないが、懐かしい思いで、載せてみた。
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粗雑を承知で発言したい。
日頃、原則や本質の重要さに固執しながら組織や本質を飛び越えて現象に関わるというのは謀りがあるが、イギリスの国民投票は立憲主義の原理原則を飛び越えてやり直すと言うのは口幅ったいのがイギリスの政治関係者は勇気をもって国民投票のやり直しをすべきである。
軽率な政治戦略で容易周到な議論を無視して実行したのがそもそも誤りで、その実行者キャメロンの責任は重いが事の重要さを思えば彼は政治生命を賭してその修正に奔走すべきである。真の国民の声を今は必要なのだ。事はイギリス、一国の問題ではないのである。
もって軽率な言動は要人として控えることを肝とすべきだ。
イギリスのEU脱退は愚かしい選択だが、その主流は老人と人の感情に訴える右派の謀略である。日本でもそうだが、老人の利己的回顧主義と理性なき保守性が原因なのだ。国民投票の後で、370万人の再投票の署名が集まったと言うが、どうやらその可能性はうすく、時間をかけた脱退になりそうだ。何と愚かな行為だ。それで世界の金融市場やイギリス国内企業の移動などの後ろ向きの影響が出ている。

振り返れば、我が日本人もまた、この政治的判断は同様の想像力や理性が欠如した愚かな利己主義が蔓延している。その主核がまた、老人なのである。
勿論、誰でも自らに襲う痛みは避けたいだろう。しかし、英知とはそれを乗り越えた賢明さが必要なのだ。行く末短い老人にそうした英知など望むべきもない。そう言う悪貨が大多数を占めているのだから諦めざるを得ないのか。何かよい瀬策
三日前、神田川の桜並木で初蝉の音を聞いた。低く、遠くにまた近くでなくような音で儚げな音の声は時空を包含した不思議な音である。
芭蕉が読んだ「静かさや、岩に染み入る、蝉の声」と呼んだのは初蝉であったと言う。

粛々とした冷気に包まれた森林に不思議な音の初蝉の遠くに、又、近くに時空を波打った音が岩に染み入るような情景は幽玄そのものでしょう。私も好きな句の一つです。
最近は、ニイニイ蝉はその虚弱さから少なくなったと聞く。だから、その音を聞くと私は嬉しくなる。夏の到来と言うより、少年の頃の域をつめた蝉の捕獲を思い出して、何とも言えぬ心境になる。

私は当時、蝶の採集に凝っていて、その合間に蝉やクワガタムシも採取していた。蝶はタテハ蝶やヒョウモン蝶は樹木の樹汁によってきる。そこにはクワガタムシやカブトムシが寄ってくる。その樹には初蝉も止まっていた。時には、マムシがトグロを巻いていて驚く事もあった。そうした情景が廻って何となく不思議な気持ちになるのです。
ニイニイ蝉の音を聞くとそうした情景が一機に昔に帰って懐かしいというか不思議な気持ちになるのだ。
初蝉にはそうした不思議な感覚を呼び戻す霊気を感じる。
悪貨が良貨を駆逐する。これは善い意味でも悪い意味でも深く関わる真理である。

ロ一マは一日にしてならず。悪貨の蔓延は短期間でなるわけではない。だからこそ、性質が悪いのだ。悪い要素が複数人の心に進入してきて理性を蝕む。まるで紙魚のように日常化して多くの人々を侵して人々は、気がつかないまま悪を認識しないまま極、当然のようにその情況を受け入れてしまう。

そこで大切なのは、慎重な理性が必要なのである。感情の麻痺を洞察する基点は、絡み合った要素を冷静に分析する客観性と自己本位の捨象と想像力の喚起こそ必要な手段なのである。それは高度の精神性を要求する。
しかし、こういう感情のうねりが優先している情況では一番大事な作業なのだ。

今、日本に求めるのはこうした高い精神性なのだ。

多分、また参議院選挙では与党が勝利するだろう。深い思慮を願うばかりだ。

選挙演説で気がついたことだが、あの「公明党」が野党を野合と叫んでいるが、公明党よ君は自民党とは野合ではないのか。そうした自らを振り替えず、口先だけの政策を公表っする破廉恥な態度は見苦しいといわざるをええない。

私は初期公明党が結党するときの情況を良く知っている。彼等は母体である創価学会の
主張で神道を否定していたはずだ。それが日蓮の根本的な主張であったからなのだが、その基本的な哲学はどこへ捨ててきたのであろうか。
又、私の父は敗戦直後、米兵に偽射され生死の境から脱出したのを聞きつけて入会を求めた。その理由は父が経文を唱えたことにしたかの成果を宣伝の旗印にしたかったということだった
と聞く。私はそれを聞いた時、哀しさで父に抗議した事を記憶している。当時、公明党を支持する取り巻きは「我々は生き残るためには何でもする」と息巻いていたことを今でも思い出す。
日本人の始祖が混血人種であることは間違いないことだと思っている。
現・天皇の人間性は素晴らしく尊敬に値するなのは万人が認める事だろう。
しかし、天皇の始祖は明らかに渡来民族であり、それが先住やまと民族(母性継承)と混血を重ねた結果が現皇族であろう。

私はやまと民族が先住縄文民族がその原点だと考え、その文化は非常に高いものと推定しているが、競争意識が希薄なため中国や朝鮮半島の文化技術とは格差があって、金属や農耕技術は雲泥の差があった。
しかし、その思考形態の内容は優れたのので、考え方の内容は大陸のものとひけを取らない。だから、短期間で技術方法を会得でき、直ぐに他国の文化を取得することが出来るのである。

私は先住やまと民族がその知恵で大陸渡来人との融和を模索した結果が母性継承と言う方法である。その抽象化された方法論は太古の文化を見ると納得がゆく。

例えば、一万年前(縄文草創期)の他国との交流に使用した丸木船の製作にも表れている。

その一部をお知らせしよう。
「南の海の道と交流」には次のような記載がある。

<かこいノ原型石斧は、先に述べたかこいノ原遺跡から二点、鹿児島市掃除山遺跡から一点、志布志町東黒土田遺跡から一点、何れも縄文草創期の遺跡から出土している。鹿児島早期後半にも、鹿屋市前畑遺跡、種子島の西表市立山遺跡などから出土し、縄文草創期から早期にかけて、鹿児島県を中心に分布していることが明らかになっている。>

この記述は最早、一万年前には丸木船が造られ、他国の交流が可能であったことを物語ってる。
因みに、同時期に鹿児島・国分市には上野原遺跡が存在していて、既に竪穴式住居が建てられ、甑式機構や燻製土坑、ドングリ等の加工した粉、整備された舗道や泉など鹿児島は早くから文化は優れた情況にあったのが解かる。

これらから推定される事は縄文先住民はかなりの文化水準にあった事が知れるであろう。
良くイギリスのEU離脱は感情派で残留は理性派と言われていた。

私は痛みを伴うことを覚悟で残留派が辛うじて勝つと思っていた。しかし、どうやら結果はイギリスはEUを離脱するらしい。
つまり、イギリスもまた、自己中心的な傾向を選んだらしい。残念だ。
私はイギリスの国民投票が予断を許さないと思うが、その予想はEC残留派が優勢だとマスコミは報じている。それに引き換え、日本の参議院選の予想が自公優勢を伝えている。
それは安倍首相の経済政策と共産党と民進党の野合に絞られている。
私は経済政策が重要と言うのは吝かではないが、問題はその内容で安倍氏の経済政策は旧態然とした「富国強兵」策で、日本の根本を考える「地方創生」は口先だけで本腰が入れていない。
これは安倍政権が強者の論理で成り立っているからで、国民の基本的な国力を創生しようとは思っていないからにすぎない。
又、野党協力は野合だとする見解を支持する論鋒に加担する事に他ならない。それは、自民党を有利に導く結果を招く事になるのだ。
つまり、我が国民は本当に自らの立場で政治を考えていないからで、その主体性が欠如しているなのだ。

結論から言えば、矢張り日本国民の他律性が浮き上がり、物事を考える根本が自分の立場で考えているのではなく、「経済ボケ」の皮相な発想から生まれる「アホ」な見解からでているのを知らなければならない。

どこでも自分の主張を持っている人間は認めるべきだが、自分の頭で物事を考える主体的な人間が日本には過半数を割っていると言う哀しむべき現状があるのは哀しむべきだ。
残念ながら、イギリスと日本では矢張り民主制の熟成度には差がある。
何となくラジオ番組の伊集院さんの番組を聴いてしまう。
息咳き込んだような語り口はよく聞くと聞き苦しいのだが、私はそこに古典落語の八さんや与太郎、それにご隠居さんの薀蓄を感じるのである。今、流行の吉本の広める笑いには否定的だが、それは彼等には金儲けの悪臭が感じられるからである。笑いに形や感覚に訴える笑いを否定はしないが、そこに拘る表面的な笑いは人間の一部をしか伝ていないように思える。

多分、伊集院さんが落語を当初、選んだように古典落語の臭いを感じるからなのだろう。一押しの演者であろう。

因みに私の好きな落語家は古今亭志ん生です。当初、三遊亭金馬の歯切れのいい話に興味をもっていましたが、金馬のあの巧さが鼻についてきました。
例えば、志ん生の演じる「女
ん将さん」は志ん生そのもので、金馬は「女将さん」に限りなく近ずける手法なのだが、この巧みさは矢張り一流で他人には真似はできない才能です。
ただ、カフカの「城」ではないが、他者と自己の本質的問題がそこには横たわっている。志ん生は
自己を限りなくめざす演者で金馬は他者に限りなく近ずける落語家である。
落語における手法では私は志ん生に愛着を覚える。何回聞いても飽きないのである。
辞任に伴う退庁の見苦しさ。知事は約束をした事項は果たすべきで、それがなされない場合は議会が追求すべきなのである。しかし、知事は非礼にも無言で都庁を去る。
彼は先日、自分の子供はの悪しき影響について話していたが、その配慮を無視して退庁した映像の様子から判断すると、何
やら自民・公明は辞任を条件に全てを不問に帰すという約束をしたのではないかと邪推してしまう。

これも来る参議院戦に対する思惑が煤けて見える。我々は底まではっきりと認識できるまで真相を明らかにすべきで、表面的な言葉に流されてはならないのだ。それが国民の知恵なのだと思う。
イギリスの一部調査が離脱派の理由が経済問題だと告げている。これは賢明な判断で、私は個人の利害が全く悪いとは思わないが、理性ある人間は利己を越えた客観性を考慮するのが必要だと思っている。
今の日本人は本質を考慮する客観性が欠如しており、自らが考える能力がなく、他人の見解を熟慮する事なく弛緩した判断で済ませてしまう怠惰な傾向が顕著なのである。
そういう意味ではイギリスの人たちはまだ、健全なのだと言える。
調査が真実なのを望みたい。
私は大手建築業者には批判的である。本質的には文明にとって悪であると考えている。特に日本の哲学的思考には逆流している企業だと思っているほどである。
しかし、大林組の古代建築への研鑽を知ると、その批判も半ばであると感じざるをえない。

大林組の三内丸山遺跡や出雲大社の研究を知るに付け、大林組も捨てたものではないと見直してはいるのだ。

今、私は大林組の三内丸山遺跡の研鑽を見ていると、大林組の縄文時代の認識が並大抵な見識ではないのが知れて興味深い。
特に、考古学者とは異なる想像力推考には新鮮な驚きさえ感じ入る。例えば、竪穴式住居が日本の住居様式では不完全なものと批判的であるが、縄文人の知能知識の深さから、寝室を中二階に設定し、その延長上には高床式住居を推定しながら、その利便性を説明している。又、大集会場を社会的文化の深さを示し、巨大建築を多面的な見地から考察している。祭祀や展望台の役目を説き、安に他国との交易を推考させる優れた見解を述べている。私も縄文時代の交易の広範性を推奨する立場から大林組の見解が優れたものであると思っている。一万年続いた縄文思考は日本人の深層心理に深く根ざしていると思っている。そして、私達が思っている以上に文化的には優秀な内容を示していると考えている。いや、ひょっとすると並みの現代人より思考の深さは上位ではないかと推察さえしているのだ(ただ、文化技術はその時間性から現代のほうが利便性は上位なのは言うまでもない)。

ワニ氏の母体は、「鹿(しし)神・志賀海神社」を奉祭した志賀族と「海神」を奉じた安曇族で、猿田彦命に繋がる氏族で、猿田彦命と市杵島姫との関係から宗像海人のうち大和へ移動した氏族としかワニ族と融合した。(木村博昭)
ワニ氏族は、三世紀から四世紀にかけて、北九州から大和とその周辺に大移動した。天理から奈良に及ぶ盆地東北部に居住した。ワニ氏はその後、本拠地を奈良・春日に移し、春日氏と改名した。一族には「小野氏」「柿本氏」「栗田氏」「真野氏」などがいる。

ワニ氏の母体が南北九州の海人族と朝鮮系の海人族を総括していると言うわけなのだろうが、それは万葉集にものっている同族意識であるのは理解できるが、しかし、本質的にはその性格は異なる。多少の混乱があるようである。
滝川政次郎氏は江南から安曇氏が南北九州に渡来したと記している。明らかに朝鮮半島からやってきた宗像氏とは系列はことなるのである。
私は南九州に渡来した江南人は野間半島で先住民族と混血して久米氏と名乗ったと仮説したい。そうすると、ワニ氏と久米氏は同族と言うことになる。一説には、柿本氏・小野氏は天宇受売命を祖とする猿女君の末裔だと言われる。
大体、松下政経塾出身に多いのだが、民進党の長島昭久なる愚かな子供じみた議員が共産党の提案した「野党共闘」を共産党に利されると言う理由で反対しているらしい。こう言う子供じみた発想に驚くしかないが、こんな議員を選ぶ選挙民の見識をも疑う。大体、党に利さない「政党」なぞ私は政党だとは思わない。「共闘」とはそうした力学をも乗り越え、政情に利する見解を実行してこそ成熟した人間なのであろう。それに気がつかず、のうのうと公表する議員は、表面しか見ない皮相な政治家だと思わざるをえない。
客観的に見ればこういう見解は自民党に利する見解なのだから、某日刊紙が言うように早く自民党に鞍替えするほうがいい。また、余計な事かもしれないが、民進党の前原氏も公明党に移籍を推奨する。
何時から政治が虚言を弄し、国民を欺く事を職業としていったのだろう。
その魁は「公明党」なのだが、彼等が公明党をつくった時の事を私は今でも覚えている。「わが党の利益の為なら何でもする」と言い放ったことである。それが現在の自民の太鼓持党「公明」の出自である。

副大臣は漢字をろくに読めず「未曾有」を新しい読み方に変えた「漫画好き」の政治家である。そして、その党のトップが首相を「この国の立法の長と言って憚らない。悪い事にその後、議事録からその事実を有耶無耶に消し去ってしまう愚行にでるのである。こんな政党を我が国民は「野党に人材がいなから読むを得ない」と嘯き、自分の首を絞めているのにも気がつかず支持するという愚挙にでるのである。
なんと言う「他律思想」だ。自然な志向なら、ダメ野党を自らが「良き野党」に創り上げるというのが自然な発想なのだが、自分を失った国民は他人任せでのうのうとする。こんな世情が「傾国」出なくてなんであろう。
先日、イギリスの国民投票の予想が「EU脱退」と発表されたが、その内容が複雑な要素を持っているにせよ、余にも客観性を排除した内向きな志向なのに、私は「イギリスよお前もか」と嘆かざるをえない。
世界の右傾化は先進国の自己本位の結果であるにしても、我が日本人は古来から培った融和思想で乗り切るしかないのである。

古来、縄文先住民族は押し寄せる先進文化を「知恵」で払拭してきた。つまり、武力で劣る先住民は母方の血でその勢力を阻止してきた。そうした屈辱とも思える行為で乗り切ったのである。今、私達は想像的な知恵が必要なのである。自己回復が必要なのである。自らを痛める勇気や想像力こそこの国を切り開く方法と知るべきである。
正しく世界は自分本位に傾注しすぎてゆく。イギリスのEC脱退はその傾向であろう。
フランス・シリア・イスラエル・アメリカなどはそれが顕著である。我が日本も安倍政権・東京都知事の私的な行為が顕著である。
東北大地震・各国に起こる大災害・狂ったようなアメリカの竜巻や洪水。

人災と天災は何らかの関係がなるとは昔から吹聴されてきた。これは単なる思い付きかもしれないが、それは電磁波が関わっているのではないかと私は思っている。そうした学問が現れることを望む。

個人主義に重要なのは自由なのだが、それには人としての哲学と倫理が伴っていなければならない。自由の概念が形式化してしまい、血肉が伴わない観念的な言い訳に使われるようになってしまっている。
最早、個人主義は爛熟をとおりこし、崩壊の一途を辿っているような気がする。その一歩手前が現在なのだと言う認識もまた、必要なのかも知れないしれない。
漢の高祖の抑商政策(表題)

親のお蔭で任官する者が貴位につくようだと、国内に益々安穏を貪ろうとする気風が強まるであろうし、商人が国内で富を積むようだと、その国は益々貧しくなる。親のお蔭で任官する者に、貴位を与えないわけにはゆかないっとしても、そも貴位による専有は制御すべきであるし、商人に富を積まないようにするようにはゆかないまでも、富による奢侈は奪取せねばならない。

班固(漢書の著者)、漢初の富庶(経済繁栄と人口増大)を論ず。

高祖の整令と班固の評言は、誠にその根本の謀(はかりごと)を知れリと言うべきである。君主が商人の誘惑にのれば、国家の大本がしぼみ、士太夫が商人の誘惑にのれば徳が滅びる。

温故知新とはこのことで、念じて反省すべきことである。



2016.06.11 世界は騒然。
イギリスのEU脱退・アメリカの大統領戦・中近東の騒乱・太平洋周辺の気候異変など異変の大きなうねりが私達を混乱させる。
天災と人災が渦となって世界を覆っている。
嘗て20世紀は絶滅の世紀だと喧伝されていた。もう人々は忘れ去ってしまっただろうが、私は何故か底知れぬ不安を感じるのは考えすぎだろうか。杞憂である事を祈るばかりだ。
2016.06.09 本音と建前。
何なのだろう。明らかに本音では間違っているのに、建前でしか語ることが出来ない。こう
いう現象が罷り通る世の中は正常とはいえない。法は本質的には重要なのだが、大事なのは、現実の生活が滑らかにゆく事なのだ。連日の都知事問題を見聞していると、それが曖昧な情況の連続で、奥歯に物が埋ま
った情況はもどかしい。複雑な世の中になったと言えばそれまでだが、間違っている。本音が生き生きとした世の中が正常なのだ。

「ああああ、やんなちゃった。驚いた」牧慎一も冥土で驚いているだろう。
私は大林組の古代の建築様式を研究していることを評価したいと思う。

今、大林組が書いた「三内丸山遺跡」を興味深く読んでいます。
五千五百年前の遺跡で、千五百年は続いた縄文遺跡である。突如、消えてしまった遺跡なのだが、三千から二千年前は世界で大洪水が興り、ノアの箱舟やエジプト・中国<啄鹿の黄帝と三苗族の戦い>の神話の核になった時代である。多分、「三内丸山遺跡」もまたその時期にあたります。消蹟の原因もそんなところにあると私は考えています。

大林組はそこは触れていませんが、二・三、重要な分析をおこなっているので、述べて見たい思います。
一つは高殿の建設であり、生活と遺跡の関わりです。
大林組は日本の建築の悪ない追求は驚嘆にあたります。外に「出雲大社」もありますが、「三内」の高層建築の追求は興味を覚えます。
20米ほどの高い櫓で諸説ありますが、クリ大木で支えられていて根元には輸入したアスファルトが塗られています。素材のクリの木もまた、自家栽培の可能性が考えられていて、明らかに高度な文化の軌跡が表れています。又、二百人を収容する集会所の建設も原始共産制の息吹も感じられ、平等な分業が行われいた形跡も見られるのです。そして、多くの竪穴式住居について「大林組」は興味ある分析をしています。
建築家・川添登さんだと思いますが、竪穴式住居は日本の湿気の多い気候では不適切だとされています。本来、北中国或いはシベリア・バイカル湖付近の狩猟民族の住居形態だとされています。その住居が縄文の長い時期、続いたとされています。確かに、地面には湿気が充満して生活・特に寝床には難点があります。そこで「大林組」は一階は火を使う台所で中二階を作って寝床にしたと仮説します。遺跡は日本では木製部分は残らないのでそう判断したのです。

大林組は生活と遺跡を考察する姿勢は優れた精神だと、私は敬服しています。
平和が大事で
あるのは第一前提なのだが、そういう状態で重要なのは想像力とか意志力だと思う。

情況と意志は相関関係にあって、心の問題は自覚が必要なのは言うまでもない。自覚とは自分を律する事なので内
面の緊張感が働かなくては意味をもたないのだ。
情況は弛緩しきっているのだから、余程の自覚が必要なのは言うまでもない。ここまで考えて何時も私は立ち止まってしまう。何時も空回りして諦めの境地に立ちいって、沈黙するのだが、数日たって自らを奮い起こして隣人に語りかける。そこでぶち当たるのは個人主義の厚い防御壁である。多分、多面的に行動を起こさなければならないのだろうが、ここで自問してしまう。
「まあいいか。諦めよう」そして、興味のある古代史へと回帰してしまうのである。つまり、自己満足に没頭すると言う悪循環に終始する。この頃、集中心がなくなって、良く物忘れする。自己嫌悪に落ちいっている証拠なのだが、仕方ないか。

都議会の報道を見て、また、自民党の金太郎飴の同色性を感じ気味が悪くなる。

同じ会派が統一見解を披瀝するのは解からないではない。しかし、その前に議論は尽くすべきなのだ。それが今の自民党はまるで同じ人間が話すように同色である。

都議会の討議を聞いていると明らかに自民党は猿芝居を演じて役割分担をしているのが透けて見える。蝙蝠党・公明党はその太鼓持ちを演じ、恥も外聞もなく、庶民の本音を裏切り続ける。こんな政治状況は国を衰退させるのを理解できない都民や国民が支えるのだから変わりようがない。
「まあ、いいか」病が蔓延していて止めようがないのだから、仕方がないか。精々、真綿で首を絞められるがいい。
何時ごろからだろう。本音が語られなくなって、巧言を逞しくして、令色を表わす。それが特に言葉が大切な政治の世界に顕著である。

その原因の一つに政治が仕事に成り下がって、そこに真摯な姿が消えたことに起因する。
私はそれが立候補者の世襲化にあると思う。選挙地盤が硬直化して、努力なくして票を得られる。そうした安易な力学が政治の力を脆弱にしている。それに小選挙区制と政治資金の投入が拍車をかけている。

私は難しいだろうが、初心に戻って中選挙区制に戻って、やり直すべきだと思う。
元々、縄文時代から我々の思考法は多神教的アニミズムが礎(いしず)いていて、単純な国・米国の二大政党制は合わない。「あっれかこれか」ではなく、「あれもこれも」の思考法が国民性にマッチするのである。
私が20歳代の頃、針生一郎さんの美術評論をお聞きした事があった。
先日、「ヤポネシア古代学の魅力」で書かれた内容が私の思考と合致しているので、ここに披瀝しておこうと思う。
・・・・・つまり、内側では閉鎖的に支配機構を守りながら、外側に対しては柔軟で開放的だ、と言う矛盾した形になります・・・・
と針生氏は書かれていた。

これは古代に於ける先住日本民族の神話にも現れていて、例えば、「天孫降臨」でニニギ命が「日向の高千穂の曾(そ)」から野間半島の笠沙(現・加世田市)に移動して、神吾田津姫(コノハナヤサクヤ姫)と会い通婚して彦火火出見命ら三名を産む。しかし、ニニギ命は一夜にして妊娠するわけがない、それは他の国津神の子だと、言いがかりをつける。
そこで姫は占って、室で出産するが火をつけ無事出産できれば、それはニニギ命の子だと呪術する。

結果、無事出産するのだが、その事は姫の呪術が勝っていたと言う故事である。その後の古代の育児の方法は、母方に養育県があり、母方の思想が子に伝えられて行く。

当時の文化は、圧倒的に中国や朝鮮半島の方が進んでいた。日本先住民族は金属文化や農耕文化はもたらされていず、比較的裕福な自然資源に恵まれていて、多神教の恩恵の為、棲み分けが出来ており、大きな争いが起きなかったのである。
そこへ行くと大陸は民族の坩堝で競いあって文化は高まっていたのである。

木製や骨性の弓での争いでは勝敗は目に見えている。そこで先住民族の取った方法は力による制圧を避け、母系で繋ぐことによって、民族の血を繋ぐ方法を選ぶ事によって継承して行ったのである。

それが神吾田津姫の呪術の勝利と言う形で神話されたのである。
多分、針生さんもその事を評論したのであろう。私も又、それには賛意を表したいと思う。
私は原発が平気に応用できる事を理解しているし、自分本位の中華民国が横暴なのも知っている。
その上で私は、日本人が平和国民(和人・融和民族)と言う立場で語ると、天皇制の起源が薩摩にあって、更にその始まりが川内市(旧・高城郡)あることを述べてみたい。「天孫降臨」の後、ニニギ命は野間半島(笠沙)にいどうします。そこで皇孫の聖地である、現川内市の新田神社に祀られることになるのです。勿論、ニニギ命のお墓もまた、薩摩にあります。その聖地を原発で穢そうとする安倍氏の脳の構造が理解でいないのです。あの人は単なる国粋主義者で「国を大事にする日本人」ではありません。明治以来の「富国強兵」を正しいと妄想している浅知恵の政治屋でしか過ぎないのです。
憲法改正も確かに一面、米国産ではありますが、しかし、こめられた精神は確かなものです。頭の悪い政治家に汚されたくはありません。
2016.06.06 巧言令色
安倍氏は巧言令色を吐き、心のない事項で国民をつる。国民はアホで真意をはかることなく空疎な言葉酔
う。恐しいことだ。そうして国政が進んでゆく。酔えば酔うほど安倍氏の思う壺である。
今、私達は想像力と英知で自分自身を振るい興して、自らを律し続けることだ。それには少しの痛みを伴うが突き進むべきだ。
今や実行すべきなのだ。
2016.06.06
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