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敗戦後、私達は何から何もで捨ててしまってしまった。イタリアもドイツも個人の請求権は保持した。ただ、日本だけが無条件降服して個人の請求権を放棄してしまった。

私は最低、日本の基層文化に関する事項は守らなければならない。それは数々あるが、その一つに「鎮守の森」つまり、神社の祭の火は消してはならない一つである。
ここに上田正昭氏の文章があるので載せておく。

鎮守の森は寄り合いの場であり、村の長を中心に自治し、神の前で村の掟などを定めた。鎮守の森の手入れは村の人間で行うのが原則であのった。林産物の活用や森を育て守るための取り決めもここから生まれた。そして、又、同時に芸能の場でもあった。猿楽(お神楽)が演じられ、相撲をもとったり、村人の娯楽やコミュニケ一ションの場ともなっていた。このような意味でも鎮守の森は日本文化の基層を形成し、それ故に守りいかされてきたのである。
各神社の産土神を祭っている森のことを鎮守の森と呼ぶ。

私は子供のころより、井の頭の泉から流れる神田川の源流が清水で池の底まで見渡せた。つまり、鎮守の聖水といわれていた。それが吉祥寺のビル建設で地下水を吸い上げて枯渇してしまい。聖水(泉でお茶の水といわれた)は濁って聖水は濁水になってしまった。
これもまた、鎮守の森の破壊の一つであろう。こういう行為は日本文化の基層を理解しない愚ものの仕業で、地球破壊の序盤であることなのである。哀しい事実として将来に禍根を残す事になるはずだ。
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私は世論が軽薄を容認しすぎる。例えば、都知事と言う職責は経験と実績が重要なのは言うまでもない。それ程の重責が必要とするのではないかと思う。

その行政能力を健全な思想の裏付けで施行するのが理想だろう。
私は現在の安倍政権の強圧、陰険な政治を支持しない。だからこそ、それに太刀打ちできる人材が大事なのだ。
元より、そのためには与党連合が受容であると考える。だからこそ、今回の知事は野党が結束して選挙を勝ち取るのが責務であろうと推察していたのだ。
それが鳥越氏には感じられない。政策も煮詰まっていないし、動機は国政と混合された未熟なそれである。つまり、付け焼刃なのだ。それで重要な都政が行えるのだろうか。言葉では「死ぬ気」を語るが、これも口先だけで、私は嫌う安倍氏の口先政治の類似に他ならない。これでは都政がかわいそうだ。不本意だが、私は野党連合に一票を投じるが、こういう付け焼刃の選任は避けなければならない。主因は民進党の右派の存在が民主主義の政策を阻んでいるのだが、一考をようする事項なのだから、熟慮すべきである。

今は字を固める操作を早く確立すべき時期なのである。遅きに失するかもしれない。日本人の英知に期待する。
私は弟二人を癌で喪っています。だから癌に関しては敏感な方です。

だからこそ、あまり癌を手段に使って欲しくはないのです。鳥越氏は癌で苦労されたことは敬意を称しますが、今回の都知事選に利用して欲しくはないのが願いです。癌は鳥越さんの個人的な問題です。それを一般的に拡大してはならないと思います。こうした配慮
こそ癌患者に対する礼を失している事になると言う一般的な問題になってしまうのです。

私は宇都宮さんの辞退を高く評価するものですが、そのことは宇都宮さんにとっては苦渋の選択で、それを支えたスタッフも悔しさはいかばかりか思いやります。その行為を慮ればもう少し慎重に発言してほしいのです。感情的な提示はよい結果を生みません。置くまで都民の生活に根ざした政策で戦って欲しいのです。

野党連合は我々の願いを熟慮して欲しい。安倍氏の強権的、古いトップダウン政策は時代錯誤を思い知らして欲しい。
2016.07.21 鳥越
一昨日の夜、蝉が入り口のドアに白い幼虫が孵化を始めていました。この場所は烏が多いので部屋に取り込み保護しましたが、昨日は所用で遅くなってしまい、飛べるようになったら放す予定が夜の帰宅になって蝉を所定の位置を見るとそこにはいません。暫らく探すと、あの白く孵化した蝉は茶色の蝉へ変わっていました。多分、成長して自らで飛べるようになって天井に留まっていました。

少々心配でしたが、外の桜の木に止まらせて自然へ帰すことにしたのですが言う事を聞かず、止まらずに地面に降りてしまいます。そこで藪に隠す事にして烏から隠す事にしました。成功したのですが心配で朝、覗きァに行くと潅木の頂にまで昇って身を縮めています。蝉の逞しさを自然の不思議を感じました。
蝉は三年地中で過ごし、数週間で死にます。儚いものの象徴ですが、過酷な自然に生きながらえるのは大変な縁です。
小池百合子氏の印象は三白眼の、意地の悪そうな風貌である。状況を見て豹変する冷たい心を感じる。
増田寛也氏は大樹に寄りかかりそうな姑息な態度が見られる。
鳥越俊太郎氏はひ弱な軽薄さが目に付く。
そこへ行くと辞退して残念だが、宇都宮氏は真面目すぎ融通が利かない直情さが難点となるが今の都政には必要な人材なのではなかったか。返す返すも残念だ。
皇質典範の生前退位については憲法を改正しなければならない。

私はマスゴミについては魂を捨てたシ一ロックだと思っているので論外なのだが、国民は本意を見抜く賢明さを身につけなければならない。


私は宮内省が公式にその事実を否定しているのにマスゴミがそれを垂れ流すのは明らかにそれを操作している陰険な策謀者がいるからだ。
今、安倍政権は憲法改正を主議題へと突入しようとしている。何が何でも改正したいのだ。そんな時、この話題が出る、その火の出所が推察出来よう。思想操作は安倍政権の得意する戦法である。彼等は愚民が三分の二いる事を熟知している。アホは騙せばそれで足りると計算している。危険な政策だ。そこには人としての誠意が見当たらない。正面きって議論をするより、影で操って大勢が見えてから実行に移す。それは正常な政策とはいえない。安倍政権よ正面きって議論しようではないか。姑息な戦術は捨てよう。
宇都宮氏が都知事候補を取りやめた。
私は宇都宮氏の英断を優れた判断として評価したいと思います。と同時に共産党の野党連合が本物である事を認識する。そして、民進党の遅れた無能力者の存在の猛省を促したい。その先頭は前原氏である。この人は野党連合を阻む癌である。出来れば、自ら離党して欲しい。大袈裟に言えば人民の敵だ。つまり、自民党の腰ぎんちゃくである公明党的議員なのである。こういう議員がいるから日本の民主主義が後退するのである。
宇都宮氏の決断を私は高く評価する。多分、マスゴミは口汚く罵るだろうが、マスゴミは仕組み的には商売人で金儲けが先なのだ。対極的的には判断しないアホどもである。

今、ラジオで宇都宮氏の辞退を個人主義的判断だけで批判まがいの放送をしていたが、こういう脳軟化症もまた、保守勢力を助長させるだけの近視眼的な単純人間なのだ。
私は個人主義的自由をまた異なった次元で論じるべきだと考えているのであってこういう近視眼的な人間とは一線を画したい。願わくばである。祈りに近いのがかなしいが。

難しいだろうが、古賀氏や宇都宮氏は参謀として軽薄な感がある鳥越氏を援助して欲しい。ナが沸く場である
鳥越俊太郎にの都知事選への参戦は軽率で安直な印象だ。
国政と東京都の政策を混同していると思う。ただ、ジャ一ナリストとしての活躍は賛意を表することが出来る。安倍政権下でのひも付き知事の感覚は極力避けたいのは私の見解で、その点での鳥越氏の参戦は括弧付きで支持したい。
お猪口ちょい鳥越氏にはブレ一ンが必要で古賀氏や宇都宮氏がそれを支えれば一票を入れたい。

私は安倍氏の口では甘言を弄し、裏で着々と独裁的政策を操案某作する陰険なやり方は絶対に阻止しなければならない。愚かな東北や沖縄以外の国民が存在する限り、安倍氏の息がかかった操り人間には政治を行って欲しくはない。その上で、私は鳥越氏を支持するほかはない。憂慮するのは、鳥越氏の軽薄な行動である。重要な政策を今度のような熟慮をせずに決める可能性はありえることを自ら示してしまったのだから、私は宇都宮氏のような参謀をつけるべきだ。
私が推測したとおり自民・公明派が圧勝した。目立って民進党の後退が予想どうりであった。

もう一つ予想された愚民の想像力の欠如も露呈した現象も明らかになった。
選挙で右翼保守派が破れたのは東北の生活に密着した問題を抱えた地域は破れた。又、生死を脅かされ、政府が一方的に義務を押し付ける沖縄もまた、惨敗している。
それは真剣に生活と生死の問題を抱えた地域は国民の意思が反映したと言うことだろう。この事実は経済ボケの都市と想像力の欠如した愚民の選挙区が安倍政権の思う壺に嵌まったのである。こういう想像力が、つまり頭の弱い国民が増えると完全に国はかたむく兆しなのを知るべきだ。
現実に身に降りかからなければ現状を理解しないアホどもは自己本位で欲望や感情に流される能無し人間なのだから、野党はこうしたアホな国民を説得しなければならないのである。馬鹿は理解が出来ないのだから苦労は多いだろうが子供を説得するように気長にするしかないだろう。・・・・やれやれですな。私は最早、死期を迎える年である。若者に託するより仕方がないが、その若者も軟弱だときている。やれやれだが、仕方がないか。
どうやら、大天災の予感がする。もしかすると、BC2000年代の大洪水はこんな時にやってきたような気してきた。正しく妄想なのだろう。・・・・アハハのハである。
私は古代・日本の倭(和・わ)族については予てから苗族が関わっていると思っている。
そこでここでは、簡単な苗族の経歴を話してみたいと思った。

苗族は元々、黄河流域に住み着いた狩猟民族で漢族に滅ぼされて、一部は南方山岳地帯に逃れ、他は長江・洞庭湖流域に移住させられた。後に、世界的大洪水(BC2200年頃)でその災害から逃れ、再び黄河流域に戻ったが、矢張り漢族に敗れ去った。

それは中国の故事に記された「琢鹿の戦い」の黄帝とシユウ(三苗族)の争いに描かれている。
当初、シユウは雨師・風師と81人の兄弟(金属を扱う邪神)の奮闘で劣勢に陥り、困惑した黄帝は天の西王母に助力を得る。西王母は魃女神を天下らせ、煙幕を張ったシユウの術を破って黄帝を勝利させる。
この神話は漢建国神話である。その後、苗族は再び、山岳地帯と洞庭湖に退散する。洞庭湖地帯に移住したのが「倭族」と呼ばれ、春秋時代には「百越族」と名付けられ、「呉や越」を建国し「楚」を生む。

「猪甘部考」の滝川政次郎師によれば、その呉は越との戦いに敗れ、朝鮮南部や南北九州に移住する。北九州に着いたのは安曇族で南九州に着いたのは隼人族だと記述している。
しかし、隼人は通説では渡来民族とは思われず、隼人の命名は八世紀に大和朝廷に服属した會族(熊襲族)の事で、私の仮説では大隅地方に先住していて「會族」でそれを後の「山の隼人」と呼ばれ、野間半島の隼人は「海の隼人」と名付けられたと考えている。
神話的には、「山の隼人」は大山祇神で「海の隼人」は吾田津姫を擁する吾田族だと考えている。神話で言う「吾田津姫」が称する<大山祇命の娘>は會族の傍流と考えると得心がゆく。
多分、野間半島に漂着したのも、又、安曇族であろう。その後に南九州には安曇族の名は見られないが、ニニギ命に付き従ったのが久米氏だったのを思うと、安曇氏は隼人と混血して「久米」に改名したのだろう。
その理由は二つ考えられる。一つは、渡来民族が漢族の追求を恐れて、先住民族の計略・母性継承の政略に乗って「久米」を名乗ったの戸言う説と、縄文後期に「加世田市」に出土した<久を印した土器片>はその証左だと思われる。

「黄色葉の精霊」(ベルツナ一ク著)は<ピ・トング・ルアング族>について書れたものだが、そこに苗族ついての記述がある。
インドシナにまで追い詰められた苗族は文字を持たず、狩猟を主に生活していて、その族長(その名はチン・ツァイ)は動物の習性に長けていて、水飲み場や鳴き声、樹木にこする臭いの研究などを知っていて簡単にそれらを捕獲してしまう。又・族長の資格をして、祖先の記憶を頭の中に入れておかなければならない。その驚くべき記憶力と数は驚嘆に値する書いている。
その神話にいは「スサノオスセリ姫の黄泉談話」「洪水神話と国産神話」や「天女の逸話」など「古事記」に類似するものが多い。

私はここにかなり希薄になった苗族の「血」を感じるのは考えすぎだろうか。

イギリスの国民投票の結果はEU離脱は若年層の投票不参加と地方の老人層の保守派の得票が決め手になったと言われている。
その結果は若年層のリコ一ルで国民投票のやり直しと言う意思表示が沸き起こった。そして、離脱派の張本人は立候補を取りやめて、俄然、残留派が頭角を現し、メイ氏が首相になる様相を呈してきた。すると、EU離脱の撤回の可能性が出てきた。
私はそれを望む見解であるが、振り返ればイギリスの若年層の安易な思い込みや想像力の欠如そして、物事を突き詰めて考える習慣や選択の欠如、軽薄な思考に流れる習慣が原因だと思われる。それはイギリスだけではない。日本においても同様で、悪いことに日本の施政者はそうした軽薄な若者を作る仕組みを着々と仕組んでいることにも気がたかなければならない。

世界は一体に精神が弛緩した傾向に流れていて、感情が優先され、根本的な思考を回避する方向に流されている。それは多くの原因があるが、長くなるので次ぎ機会に譲る。

余談だが、その一つに電車の中での携帯電話でのゲ一ムや優先席に平気で座る若者が多いことだ。
嘗て私がそれを注意すると、「お前にそれを言う権利はない」と口論になったが、周囲の人間達はそ知らぬふりをして無視を決め付けていた。これも安易な騒動回避の愚かさの結果であろう。

今、私は個人主義が崩壊する寸前だと思っている。個人主義の土台である自由には責任や倫理観があるのを全く放棄した末の現象なのだが、最早その重要性を話題にする賢人の存在も見られない。仕方がないか。
2016.07.01 イギリス
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