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憂鬱な日が遣ってくる。私にとって一番来て欲しくない日である。70歳も近くなって、私の触れたくない欠点や短所が蘇えってくる日でもあるのだ。シジオスのように無為の日々を私は過ごしてきたに違いないのだ。今更、過去を取り戻すことができないのだから、言うことが詮無いのだが、悔やんでいます。
父親が大嫌いまま、30年ばかりの日々を過ごし、気がついた時は、敗戦時に米国占領軍の兵隊による犯罪で父親は戯射され半身不随の身で生きなければならなかった。30半ばでの障害は肉体的な焦りが子供をいたぶることによってその憂さをはらしていた部分があった。それを父親の非道と私は思った。それに間違いではないが、非道とは違っているのだ。そのことが理解できたのは私がやはり30歳を超えてからであった。
父の国会への保障運動を手伝うようになったのはその頃になってしまったのだ。遅い協力であった。それが悲しい。思い出したくない思いなのだ。今は、人にそのことを伝えなければならないのだ。それが本当に悲しい。
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