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<万葉集巻16の3865>(筑紫国志賀白水郎歌十首序文より)
「荒雄らは妻子(めこ)の産業をば思いは朽年の八歳を待てども来ずの歌」
<右、神亀年中に大宰府、筑紫国宗像部の百姓、宗形部津麻呂を差して、対馬送りょうの船の舵師にあてつ、ここに
津麻呂、滓屋郡志賀村の白水郎荒雄が許に詣りて曰く「僕(われ)小事あり、けだし許じか」といふ。荒雄答えて曰く「われ都(くに)を異にすれど船を同じくすること日久し、志は兄弟より篤し、殉死することもあにまた辞めや」といふ。津麻呂曰く「府の官(つかさ)、僕を差して対馬の送りょうの船の舵師(かじとり)にあてたれど、容姿衰老し、海路に堪へず。故に来り
しこうす。願わくば、荒雄許祐し、遂にその事に従ふ。肥前国の松浦県実禰良久(みねらく)の崎より船を発し、ただ対馬を差して海を渡る。登時(すなわち)、忽ちに天は暗冥(くらく)く、暴風は雨にまじえてついに順風なく海中に沈みぬ。これより妻子とも讀慕(とくぼ)に勝てずして、歌を作る(歌は省く)。或はいわく、筑紫国守、山上憶良臣、妻子がかなしみに悲感し、志を述べてこの歌を作る。(歌は省く)

これは海人同士の出来事です。ここには補足することがあります。次回で詳しく述べようと思います。




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