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「日本書紀」では久米氏は大伴氏の配下となっているが、「古事記」では同格となっている。「日本書紀」の記述は明らかに、政治的な意図がある。八世紀に大和朝廷は肥後国から薩摩の出水郡と高城郡に肥君と大伴氏、五木部氏を熊襲征伐に200戸に分けて、派遣して薩摩国と阿多国に分割している(702年)。
ここから、明らかなのは大伴氏が大和朝廷の権力内の氏族であると言うである。「日本書紀」の記述はその反映なのは論理的に辻褄があう。「古事記」は同格とするのは、事実を反映していると考えていいだろう。
私は古事記の見解が正しいと思う。
ここで、もう一つ天忍穂耳命の子供が二人いて、一人は天火明命である。もう一人はニニギ命である。天火明命は一説にはニギハヤヒ命であると言うことである。ここに私が仮説する初期王朝の北九州説と南九州説が現れていると言える。ニギハヤヒ命はその出自は高良山にあり、ニニギ命は鹿児島・新田神社に祭られています。と言うことはその根拠地は南九州にあると言える。
八世紀には天皇制の勢力は北九州系王朝が優位を占めたと言える。当然、「古事記」と「日本書紀」は北九州勢に有利に描かれるのは仕方がない結果であろう。
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