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政治の流れが少し変わりつつあるのと、この暑さで主題である「神武東征」に集中することが出来ないでいる。そして、もう一つ古代史の生涯学習の教室を開拓しようと走れ回っていることもあって、自宅に着くと複雑な思考にスイッチが入らないでいる。
そこで何故、私はこんなに神話に付いて興味が沸き起こるのか考えてみた。それの方が楽に思考回路が回るようにおもえたからである。
元から、映画を志向していた時からブニュエルやベルイマン(特に、野いちごの冒頭の場面_イサクが棺おけに入れられて無人の町に投げ出されるところ)アラン・レネ、河辺和夫の冒頭部分_不良少年達がビルの屋上で戯れている場面を望遠で俯瞰する非常に不安定な場面。勅使河原宏(特に、砂の女)や安倍公房の作品が好きであったこともある。勿論、カフカや島尾敏雄も加えなければならない。新劇ではピランデルロウ、イヨネスコ、オウルビイそしてベケット_ゴドゥを待ちながらは、さながら、カフカの「城」を思わせます_。絵画もムンクの少女期や叫び、ダリの諸作品、ゴウガン、レンブラントなどを好んで見ていたから、シュゥルレアリスムに興味があったことも原因の一つであったのでしょう。だから、フロイドの夢判断なんかも読んだような気がする。その延長でユングに出会い、ユングの神話漁りに影響を受けていたようにも思う。同時に、何でか解らないが、シュリィマンの「神話は史実が根底にある」と言う革命的な証言を読んで、何処か心の片隅に仕舞い込んでいたのだと思う。
それが友達の助言で戦後史から古代史に移行する段階で嵌まったと言える。そう考えてみると、強ち(あながち)、私が古代神話に傾注するのは理由のないことではないのかもしれない。だからこそ、集中できるのだとしたら、今までやって来たこともそれ程無駄ではなかったのだろうとも思う。
今更、自己分析もないだろうが、余興に少し考えてみた。
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