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2011.09.14 マックの野望
敗戦後、様々な事件があったが、マッカァサァ元帥の言葉に私は深く考えさせられた。
彼は私の独断的な印象で言えば、偏執で独裁的な性格だと思っている。「わしは日本人にアングロサクソンの民主主義を教え込む」とのたまった。勿論、敗戦国の日本に選択の余地はないだろう。それに米国は日本人を良く研究しており、日本人の「倭」を深く理解している。本質的に、寄らば大樹の木的な性向と底の底で従順な性格を見抜いている。ただ、もう一枚めくった裸の日本人は縄文時代からの多神教を見くびっている。私から言わせれば、幾らアングロサクソン的民主主義を吹き込もうと、一神教の思考形態は馴染まない。もし、本当に優れた施政者が敗戦の日本に存在していたら、現在の萎えた日本人ばかりではなかっただろう。そう言う意味ではマックの思惑は成功したと言える。黒幕米人支配層は木偶(くぐつ)である日本人は本音では理解していても、その正否に関係なく「お上」に従うことをはっきりと認識しているのである。私はいつも悲しく思うのは、表の潮流に流されて「本当は違うのだ」と考えているのに、決断力が乏しいため気がつくと、相手の思惑に嵌まっている。そう言う優柔不断な性癖が日本人を駄目にしている。敗戦後の教育制度や生活誘導、たとえば三Kや三Sなどの米国の生活モデルや自由さうに見える性や風俗を映画や喧伝に載せられて模倣しているうちに形だけの人間に育って行く。そうしたマックの目論見は多分、ほぼ成功していたといえる。残念ながら、私達はマックにしてやられたのである。
アングロサクソン的民主主義なぞ糞喰らえだ。私達は太古から染み付いている融和の精神こそ大切に主張すべきなのである。過度な競争意識や優越性は超えなければならないのだ。それらを巻き込む曖昧さこそ我々の本願なのではなかろうか。

追伸を書かなくてはならない。
アングロサクソン的民主主義の行く末は金貸し(金融)と人殺し(軍事)の国に成り代わってしまった。もう、マックの言うことを聞くことは出来ないだろう。
もう、一つ我々は唯一の被爆国である。軽々しく核融合に関する事柄については慎重、いな、拒否の態度を貫かなければならないのに、守銭奴や死の商人たちが寄って集(たか)って、利己的で無責任な行為(自分の身に降りかからないのだから、痛くも痒くもない他人が死のうが生きようが関知しないといった非人間的な態度)がそこには視られる。これは心から許すことが出来ないではないか。念を押して言っておきたい。


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