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古代史を学ぶグルゥプ創りに二週間ほど奔走していて、気持ちを入れて「古代史関係」の本を読めなっかた。
昨日、久さし振リに大林太良・「海の道、海の民」を読ませてもらった。
そこで書かれていたことで興味のあることがあった。
それは野間半島の海人の道についてである。<鑑真和上が上陸したのは、薩摩国阿多郡秋妻屋浦(さつまのくにあたぐんあきめやのうら)であったし、フランシスコ・ザビエルの上陸地は鹿児島であった。又、鑑真も秋妻屋浦から坊津(ぼうのつ)に回ったがこの坊津は中世に於ける代表的な貿易港の一つである。そして、薩摩半島の野間岬(鹿児島・川辺郡笠沙町)には中国の女神・馬祖(まそ)、つまり天后が祀られている。さらに、この野間岬において伝えられっていた高麗島型の伝説は唐土から由来したものと言われている。

馬祖伝承は中国・江南の漁師の伝承で、<ある日、漁場に行った父と兄が遭難する。家で機織(このことは重要である)のさいちゅう、疲れて寝入り、神託を受ける。それは遭難中、父は助かり、兄は死ぬだろう>と言うことだった。娘はそのことを苦に思い海に身を投げて死ぬ。その時娘は<大時化の時には私が霊となって、それを救いたいと思う>と述べた。
漁師は娘を哀れみ、祀って神としたのが「馬祖神話」である。
この話は黒潮の塩の流れによる漂着と漁師の祈りの物語である。

少し、私の独断で補足すると、馬祖の馬は本当は、「女」偏が付く。このことは重要なのである。と言うのは「蜀」に於ける「養蚕神話」と関係があるからである。
「蚕神話」は遅い旅(三年)に出た父親を帰宅させることが出来れば彼の嫁になると、娘は馬と約束をする。しかし、約束を守って帰宅した馬を父親は殺してしまい、家の前の木に革にして吊るす。馬は木の前に娘が来ると、娘をさらい天に昇ると言うものである。
それが蚕の神話である。蚕はよく視ると馬の顔に似ているので「馬祖」と言われたと私は解釈している。

蜀について一言、蜀には「扶桑」伝承や「蜀」の三星堆遺跡によるとその第一の大王は「蚕叢(さんそう)」といい養蚕を推奨したと言われている。「馬祖」との関わりはこの辺にもある。蜀は養蚕の祖と言われている。「扶桑」は日本の象徴でもある。そして、蜀の養蚕神話とほとんど同じ神話が東北地方にある「オシラ信仰」にもあるように、「蜀」と日本・倭の繋がりは深い。長江・黒潮文化の流れはもう少し研究の余地があるように思う。
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