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今日、永六輔のラジオ番組で松田明美との対談で「ボルトの失格」について話してたのが大変、面白かった。
私も陸上競技の選手だったことがある。しかし、私の家は貧乏だったので、陸上に所属したかとがないから、全部独学なのだが(但し、新聞配達が走る事の訓練になっていたかもしれない)、走ることは得意であった。運動会では百米からマラソンまであまねく選手だった。成績が好かったのはマラソンだった。
永の話題は短距離のスタァトのことであった。何故ボルトがスタァトに失敗したかの原因は彼の心理的な部分と感覚的な反応に絞られていた。永ははボルトの感覚的な欠陥をあげ、相撲の立会いを参考にすべきだと言う。私もそれには異論がないが、永は立会いは肌で感じるべきだと説く。大相撲の立会いをまじかに見ていると、肌は緊張して総毛だっている。その「間」こそ大事だと言う。そのとうりだが、私はそれは肌で感じているというよりか、「気(き)」を感じて、行司は軍配を上げるのではないかと思っている。理屈をいえば、行司は双方の「気」が無傷の空間を作って、お互いの「ゼロ」からの出発点を演出するのだと思っている。
私は百米競争を代々木の国立競技場で経験したことがある。大体、短距離はスタァトでほぼ、勝敗が決まる。だから、スタァトは大切なのだ。あの瞬間は結論から言うと、一か八かの「賭け」なのだ。その「賭け」を左右するのは、やはり「気」を感じることだろう。私は競技が始まる前、暫らくスタァタァの「くせ」を掴んでおく。そして、心の中で「ヨォイ」から「ドン」の間を掴んでおく。そして、勘で飛び出すのだ。その時、無心でいられれば、スタァトは無難に切れる。しかし、迷いがあって何かを考えていると、やはり「間」は汚れてしまい、失敗する。
ボルトは隣の選手をよく知っており、出遅れが勝敗を決めると考えていたと言う。だから、相手の膝が少し揺れていたのが目に入り、一瞬の判断に迷いが興ってスタァトに失敗したと言うのだ。
私は競技を経験しているだけに大変面白い話であった。
ただ、一言いわせてもらうと、スタァトは一到するまで行うのが原則だと思う。(これについてはまた、長くなるので止めます)一どや二度の失敗で失格は基本的に理不尽である。大袈裟に言えば、死ぬまでスタァとが成功するまで続けるべきである。競技とはそういうもので、そこまで来た過程に敬意を表すべきなのである。
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