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田畑喜作さんの主張は多少、奇抜なところがある。論拠が実証性を欠くところがあるが、まるで的外れともいえない。「古事記」の大久米命の安曇目に触れ、「久米」は「クメ~ル」の日本語化であり、久米島(沖縄の東)の「クメ」も、この地に移住してきたビン越人(クメ~ル人)に由来している。と言う。
クメ~ル人の子孫には、現在のカンボジャ人、広州、香港のアマなどがいる。身長は1・65米、頭髪は波状で斜視眼が多く、モン・クメ~ル語を使用する古代言語帯に属している民族である。
このことは、南九州の隼人の容貌に近く、南方系の民族の特長をよく現している。私は、所謂「倭人」は中国南部・東南アジア・ポリネシアなで含む広範囲の種族だと思っている。そのことは彼等が航海を得てとする「海人族」の証左でもある。野間半島は古来より、漂流や航海・交易、亡命などにより渡来の頻度が多く、阿多の種族もまた、その海人としての性格上、抱擁力に富み柔軟に彼等を受け入れてきたことは容易に考えられる。そう考えると、田畑説も強(あなが)ち、根拠のないものだとは言えない。

東南アジアと言うと、チベットについて面白い伝承がある。
最初の伝説的な王、ニャテイ・ツェンボを初め、初代の王達はいずれも「天孫降臨」として、天から地上へ降り立ち、死後には一本の綱を頼りに昇天したと、伝えている。

チベット山系から金沙江が流れ、それは長江の上流に合流する。チベットの伝承が川の流れと共に、文化が伝承される可能性は残している。勿論、それは可能性に留まるが、その実証が望まれる。
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