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私は以前、ジラァド裁判で前橋地裁の河内雄三裁判長についての判決を書いたことがある。裁判官が裁判官として存在する要素の一つは正義の顕現である。その正義が客観的に正しいと誰でも認める判決でなければならないのは言うまでもありません。
陸山会裁判の東京地裁の登石郁朗裁判官の判決は明らかに政治的な要素を含むことを思慮しながら、裁判官の思惑で決定した最悪な判決である。もし、私が被告の立場に立たされたらと、考えると推定で犯罪を創られたらいたたまれない。裁判を傍聴していて、私はいかに日本の裁判に日本人としての正義が希薄かを嫌と言うほど知らされてきた。その中でも今度の裁判の判決は、時代に逆行するばかりではなく、正義より裁判官の思惑(主観)が先行し、客観性の希薄な最悪な判決だと信じて疑わない。
またぞろ、政治と金の不毛なやり取りが繰り返されるだろう。「政治と金」の問題が必要ないとは言わない。それは政治の問題ではなく正義の問題なら私も耳を傾けるが、ある腹の黒い陰険な勢力のために利することなら、私は声高に反対を叫ばなければならない。
そう言う意味では、この登戸裁判官は偏重な自己保身の裁判官だと言えないだろうか。私としては一言、もの言わなければならないと思った次第である。
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