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私が行わなければならないことは、自らのことである。それには戦後史を検討することが大事である。私の人生を反省するのに戦後史は不可欠である。私の家庭は占領軍の犯罪を抜きにして語ることは出来ない。占領下の日本において、また天皇制が大きな比重を占めていることも事実なのだ。そこで私は、天皇制の真の姿を極めるために、古代史を紐解いたのである。
そして、母屋をさておき、床下に潜りこんでその基礎工事の点検を始めてしまった。困ったことだが本当のことである。しかし、この基礎工事は思ったより私の興味を誘ったのである。古代の多岐にわたる様々な現象は私の知的欲求を止め処もなく駆り立ててしまう。今や、なにが一番興味あるかと聞かれれば、古代史だと答えざるを得ない。だから、本当は古代史、特に神武東征に特化したいのです。現実の煩わしいことなどは回避したいと思う。そのほうが大変なことなのだが、楽しみが味わえると言うものである。しかし、それのみの行為は自慰行為であり、あまり意味を成さない。やはり大事なのは現実である。
私が敢えて、政治を語るのはそれが何時かは自分に帰ってくるからなのだ。
そこで、私が小澤問題に関わるのは、別に私が、小澤シンパだからではない。本質的には私は小澤の考えていることとは反対の岸にいると思う。(一頃より思想の輪郭は鮮明ではなくなってきているが)
この問題は政治問題ではなく、明らかに個人攻撃だと理解しているかである。
小澤の政治信条を叩くには、直接的だと支援が得られないと思っている邪まや集団がいると言うことである。それなら、小澤の負の部分を俎上に載せて世論を喚起しておいて、その本質部門を隠したまま、小澤を悪として誘導し、世の中から抹殺しようと言うわけです。もし、小澤が政治家としての悪をなしているなら、正否は別として、選挙でそれを選択すれば言い訳で、そのほかの方法が正しいのなら、その根拠を明らかにして、黒白を決めればいいのである。
しかし今の判定の仕方は邪道で、例えば裁判でも証拠や自白なしに判決を決定したり、外堀を埋めるような曖昧な雰囲気を作って闇に葬ろうとするやり方は、本質を捻じ曲げる危険な方向に世論を導いてしまう。
この方法は既得権益を維持しようとする時に遣う陰険な方法である。
考えられることは最高の頭脳を持つと自称している官僚諸氏と、もっと得体の知れない大きな集団・世界的に自分達だけを富ませようとする欲望集団が目立たぬように他人を使って潰しにかかっている仕掛けている。と言うと、
奇想天外の劇画の世界のように思われるが、案外そんなとこが真実なのかもしれないと、私は考えるので、小澤問題はその格好なサンプルなのである。
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