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「古事記」の黄泉の国の条(くだり)の意味することは深い。
先ず、その内容を概観する。
<イザナギ・イザナミの二神は様々な神々を生む。そして、最後にイザナミ(女神)ははカグツチにホトを焼かれて黄泉の国へ行く。そこでイザナミは黄泉戸喫(よもつへぐい)を行う。黄泉戸喫とはその地(くに)の食物を食べることである。そのために、イザナミは黄泉の国から出ることが出来ない。イザナギ(男神)はイザナミを連れ出そうとするが掟は黄泉戸喫した者は地(くに)を出ることが出来ないのである。それを許可できるのはその国の大王のみである。イザナミは許可を取るために部屋を出る。その際、イザナギに隣の部屋を決して見てはならないと約束する。イザナギは了解するが、イザナミがあまりにも来るのが遅いので、自分の髪に刺した<櫛>に火を燈し覗くと、イザナミの身体からは蛆が湧き、各所には雷がいかずいている。イザナミは約束を破ったイザナギを詰り怒って襲い掛かる。恐怖感にかられイザナギは<事戸(ことど)を渡す>,事戸とは縁切状である。そしてイザナギは逃げる。そして、黄泉の汚れを流すために、橘の小門(おど)で禊祓を行う。そこで綿積の神(九州)と住吉大神(大和)を生み、最後に三貴人、スサノオウ・アマテラス・ツクヨミを生むのである。

その黄泉戸喫(よもつへぐい)の意味することは深い。「古事記」は、明らかにイザナミの土葬を表現している。太古において、土葬こそ神聖で我々が行う火葬は邪道なのである。土葬は、葬られた肉体は土に返り、、稲を育(はぐく)み、草花をそだてる。そこにやってくる猪や鹿などはその草花を食しに集まる。人間はその肉を食べると言う有機的な連鎖こそ地(くに)を創るのである。
イザナギがイザナミを訪れるのはその地の観念を抜きにして考えられない。それは生きる糧だからである。しかし、イザナギは「事戸の渡り(わたり)を宣言する。これはその連鎖への決別である。
具体的に言えば、移住であろう。ここに、「古事記」が表わす海人族の顕現が見られる。イザナギは、自らの地から他の地へと移住したのである。
その神聖な儀式が禊祓いである。そして、イザナギは東の海神(住吉大神)と西の海神(綿積神)を生み、三貴人を生む。
高天原こそ「たかあまはら」・海であろう。自らの生命(地・くに)を離れ、新しい国へと移住することこそ「古事記」が表現したい主張なのであろう。つまり、天孫移住説こそ、天孫降臨の本当の姿と思う。イザナギはそのさきがけである。
多分、この日本列島はイザナミに変わって、イザナギが居住することの意義を<虚(むな)しくも語られる地(くに)であるといえる。本当は二人の神の地でそれは不可分の関係であったはずである。神産霊神と高産霊神が不可分のようにイザナギとイザナミはニ神で一組なのだ。だから、イザナギは旧来の観念を祓うために禊を行ったといえる。イザナギは最初から国造りをやり直したのである。その物語こそ、「古事記」の真意であり、不条理な人間の行動こそイザナギが負う国譲りの功罪であろう。
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