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昨日は感傷的になっていて、少し落ち込んでいたと言える。そうなると、世の中は闇に向かっているように思えてくるのだが、一晩寝ると、多少落ち着きを取り戻して、自己嫌悪は少し後退したような気がする。今日はしこりは残っているようだが、自暴自棄になって暴れてやると言った感情は冷やされて、反省点が過去に私を向かわしたと言える。
あまり私は自分の過去の恥部を語るのが苦手であったのだが、今日はなぜか普段あまり話さなかった父親の亡くなった時のことを話すような気になったのはどういう吹き回しだろう。
父は晩年、脳の障害が進んで奇行が目立つようになって、近所に迷惑をかけ始めた。そのときは、調布に住んでいたのですが、住民が福祉事務所に連絡したのだろう、係員がやって来て週に一度は訪問を受けるようになった。数ヶ月経ると係員も父の交情が解るようになって、私達に父親を養護施設に入れることを勧めてきた。しかし、父親の異常なほどのわがままは他人には手に負えないのはわかっていたので、私達兄弟はそれを断ってきた。しかし、熱心な福祉事務所の方々の説得に甘えて、立川市の奥の拝島という所の養護施設に厄介になるようにお願いした。
私は週に一度は施設に顔を出し父を見舞っていたが、そこで父は息を引きとったのです。午後2時ごろだったと思います。その日は雲が低く垂れ込め、今にも雨が落ちてくるような天候であった。私は立川の駅に解くとバスに乗り換えて20分程行くと拝島に着くわけだった。普段は何も考えることもなくバスを待つことになるのだが、不思議なことにその時はバスに乗ることが恐ろしくて、足が進まない。バス停までは行けるのだが、バスが来てもどうしても乗ることが出来ない。仕方がなく私は町を一周してから元のバス停に戻ってくると言ったことを数回繰り返していた。すると、バス停の先で消防車のサイレンの音がした。私は妙にほっとしたことを思い出していた。「これでひょっとすると行かないで済む」と馬鹿な感情に捉われ落ち着いたのが妙に鮮明に記憶されている。今、考えると愚かなことなのだが、当時は本気でうろうろしていたのだ。
施設に着くと、園長自ら出向いてくれて、元気ずけてくれたのだが、その時はきちんと挨拶したような記憶がある。本当は親父に会うのが嫌だったのである。苦労に苦労を重ねた楽しい思いはほとんどなかった日々で、いつも父を恨みに思っていたのに、父親の死に顔は見たくなっかたのである。今後、永久に会えなくなるのが恐ろしかったと言える。本当は心の髄まで父親の存在を認めていたのかもしれない。私達にとってよくも悪しくも時代を背負った父親を愛していたのかもしれないと、思うと涙がこぼれて仕方がなかった。
葬式はごく少ない人数の園内葬儀であったが、最後に園長が「こんないい葬式は初めて」とスピイチしてくれたのが本当に嬉しかった。園長の思いやりの篭った言葉は今も忘れられない。
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