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2011.10.24 昨日の続き
私は神武天皇を探っていて、縄文時代に興味を抱いたわけですが、とりわけ土偶と三内丸山遺跡に惹かれました。昨日の話題で蝦夷は縄文からの継続した文化と関わっていたのは自明なことです。三内丸山遺跡はBC5000年から1000年続いた文化で(これは上野原遺跡と熊襲<曽於族>の関係を思わせます)、大林組の調査班によると近代の建設精神と同様な思考形態であると言います。かなり計画された道路設備や建設様式は驚異的だと語ります。それに他地域との交易も顕著で、黒曜石、新潟の翡翠、アスファルト(防腐剤や接着剤に使用されていたようです)などが出土して文化的は驚くべき高さであると言います。食料は冬に海から帰ってくる鮭や小動物の捕獲、栗の栽培による堅果食物の貯蔵などで他にも様々な食生活を混合させて生活していた形跡がみられます。
当然、先住民である蝦夷はこの文化遺産を継承続行して発展させていたのは十分に想像させられることで、私達が蝦夷と言うと野蛮な印象を抱きがちですが、これこそ、「日本書紀」や「古事記」などが喧伝した弊害でしょう、私達が考える以上にその文化の水準は高かったのだと思います。
現在は神武東征に精力を注いでいますので、東北と蝦夷については深く探することを控えていますが、いずれの機会にはこのテ~マは本格的に取り組みたいと思っています。
今日もまた、新宿区の文化施設を訪問しようと思っています。いざ出陣です。
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