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今日は、K氏のことを報告しようと思います。
K氏のことを思い出すと、私は哀しみが沸き起こって涙を誘います。昭和21年4月です。彼は塩留の国鉄に印刷物を納入に行き、車庫で線路に腰をかけ休息していた時、彼の先方にいた米兵がニ両連結の貨物車を切り離します。当然、一方にブレ~キが掛けられて止まっていたのですから開放された車両は動き出します。Sさんはそれに気ずかずに逃げ遅れ両足切断の重症でした。逃走した米兵は(二人だったそうです)警察の追及も虚しく逮捕されていません。側にいた証人の話によると、彼等は笑いながら車両を切れはなしていたそうです。戯れにしか見えないと証言しています。
Kさんは職を失い、その後、生活保護で暮らしますが、なぜか理由は解らないのですが彼には結婚願望が強く、結婚の望みを諦めませんでした。私には彼の状況を考えると非常に困難なことのように思ったのですが、彼は諦めませんでした。そして彼は漸く伴侶を見つけます。精薄の女性でしたがSさんはその女性を愛して子供までもうけます。子供が出来た時点でSさんは自立をしようと印刷業を思い立ち、嘗ての仲間の協力を得て仕事を始めます。当然、両足が不自由なので特殊の義足を造り、特注の車を買います。勿論全部借金です。段取りをつけた段階で、福祉事務所から呼び出され、保護費の中止を言い渡されたのです。一連の財産があると規則で保護費の支給は出来やいと言われます。Sさんは一年間の猶予を頼みますが、法律を楯に福祉事務所は例外も認めようとしません。
その時、Sさんは「連盟」に加入してその実情を訴えたのです。結論から言うと福祉の例外は認められず、社会党の議員が介入して、別の組織から借り入れをして開業をしました。
しかし、自分の思惑とは違い事業は苦戦します。頼みの得意先も彼が勤めていた会社に気兼ねして注文をくれません。新規開拓しか血路はなかったのです。結果は倒産して再び生活保護の暮らしを余儀なくされてしまったのです。
彼は言います、日本と言う国は本当に弱いものには住みにくい国です。一生懸命働こうとする者にはもう少し助けてくれてもいいもではないかと思う、これでは真剣に働かなくてもいいと言っているようなものだ。と、Sさんは暗い顔をしました。

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