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2011.03.23
混沌(カオス)について、古代では不可思議な闇と考えたと思われます。

夜が その源を生むと考え、その夜こそが黄泉との発想に繋がります。
私は縄文文化が日本文化の底流に流れていると言えます。
それにつけても思い出すことは、縄文の出土品~土偶や土器~等の図案がどちらかといえば、天国的なものより地獄的な印象が強いことです。

控えめに見ても、ハレの文化より不条理な、それも醜悪な画想が多いのに驚かされます。
特長的なのは遮光式土偶は宇宙人を思わせますし、飾りたてた呪術師といったほうがあったっています。

そして、火焔式土器などは醜悪でエネルギッシュな暗黒の世界を想い描かせます。
しかも、それが女性~地母神の創造物であることをおもえば、黄泉の国のイザナミを思わせます。
縄文時代には稲があったとは思われませんが、穀物や堅果植物の採取・狩猟などは行はれていたはずで、縄文文化の継続性を思えば、かなりの創意工夫がなされていたはずです。(三内丸山遺跡や鹿児島・上野原遺跡,かかいの原遺跡はかなり高い文化です)

その糧としての生活行為の強敵は自然の猛威でしょう。
時々に縄文人はその対策はあらゆる知恵をつかって対抗したはずです。
しかし、自然の脅威は遥かに強力で、なすことなしに人間が造り上げた成果を破壊し尽くします。
そこに祈りがなされ、呪術が生まれます。(私はその一にマナ行為を見ます、そのことは後で語りたいとおもいます)時には、予知力に優れた、現代人が及びも点かない鋭い感性の呪術者があらわれ、人々の命を救ったことでしょう。
多分、それは女性だったはずです。
土偶や顔面把手付土器の形相はその抽象化した創造者の精神の表現だた言ってもいいと思います。
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