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神武東征はニニギ命から始まります。私の従来からの論法ですが、ニニギは天孫降臨の祭護衛の軍人・天津久米命を従えます。天津久米命は久米直の祖です。この久米直が曲者で中々文献に現れません。現在、久米氏について中野中央図書館で久米氏関係の文献を特注しています。その延長上に物部氏と蝦夷が現れます。それは神武天皇が大和へ進軍した祭、長脛彦(大和の先住民・連合軍の首長だと思う)と交戦します。
長脛彦は、やはり北九州からやって来たニギハヤヒ命と自分の妹・御炊屋姫(みかしやひめ)を娶らせ融和するのですが、その子が物部氏の祖先の宇摩志麻遅命です。
この長脛彦はその名から推測して、古モンゴロイドでしょう。古モンゴロイドは目がくぼみ鼻が高く髯が濃い、足が長い人種です。腋臭(わきが)なのは鹿や猪・鮭が主食なために生じる結果です。これはまた、蝦夷の風貌でもあります。しかしニギハヤヒは新モンゴロイドです。(その理由は長くなるので後日に譲ります)これは朝鮮渡来系の風貌なのです。多分、物部氏は縄文人と大陸人の混血なのかもしれません。(これもこれからの研究の課題です)
神話では長脛彦は結果、ニギハヤヒ命(又は宇麻志麻遅)の裏切りで滅ぼされます。その時、物部氏は反神武派と神武派に分かれます。反神武派は追われて、北へ逃亡するのです。そして蝦夷と融合して、安倍氏の祖となるのです。(安倍氏は安日彦と融合し安東氏を生みます)
このように、神武東征は結果として、蝦夷と深く関わりながら、日本の歴史の源流を形つくって行きます。(これが谷川健一の史論なのです)

九州の隼人を阿多で象徴して言うのが、阿多はワタであり、海を意味している。野間半島の「かこいヶ原遺跡」はBC8000年より船による文化が存在していたことを証明している。隼人は阿多の地に相応しい種族である。
天孫降臨に現れる「襲」から「笠沙」のニニギの移動は隼人の阿多との関わりを意味している。その子が「火」の命(みこと)であるのは綿積との関係とともに、南九州の地が火山により形成され、焼畑の「火」(畑は火と田の合字である)を生み海人と一件関係ないような海人と焼畑民族の融合した種族を生んだ。
私はこの谷川史論に大変、興味があります。図書館に特注したのは谷川史論を確認するためのもので、高橋富雄さんと直木孝治郎(京都派・近畿大和)さん他数冊を特注したと言うわけです。
神武東征がここまで伸びるとは思わなかったのですが、また勉強です。ワクワクします。
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