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2011.04.11 円月の話
南北朝の禅僧・円月(1300~75)は日本紀<または日本書>(以後日本紀)に「神武天皇は呉の太伯の末」だと述べられたといわれる。

円月は商船で九州から江南へ行き、そこで7年間修行したといわれる。円月はその地で呉や越の習俗などを学んだ。
林羅山は円月について「神武天皇論」で書き記している。

「東山の僧・円月かつて、日本紀を修す。朝議、協(かなわ)ずして果さず、遂にその書を焼く。余、ひそかに円月が意をおもうに、按(あん)ずるに諸書、日本をもって呉の太伯の後と為す。それ、太伯荊蛮に逃れ、断髪・文身し交竜と共に居る。その子孫、筑紫にくる。おもうに必ず時の人、以て神とせん。これ天孫、日向高千穂の峰に降りるの謂(いい)か。当時の国人、疑いてこれを拒(ふせぐ)者のあるはこれ有るか。これ大己貴神、順(まつろ)い服さざるか」「おもうに大己貴、長髄彦はわが国の古の酋長であり、神武はそれにとって代わった人間」と述べている。

私は、円月や林羅山が記したように、呉越と南九州の関係はかなり強いとおもう。特に、
先に述べたようにそれは倭族の圏内にある。
末子相続、鵜飼いの習俗、文身の風俗など南九州には様々な風習が伝わっている。

円月の日本紀は偽書とされているけども、私は円月の本が焚書されたのは、むしろ政治的な問題からで、その真偽からではないと思う。当時の神国思想は神武天皇は神であり、異郷の呉の太伯など不敬なことなのだ。(もっとも、呉の太伯もまた伝承であって、史実はその裏に隠されている)
円月は江南にまで行き、それら諸々の疑惑を彼なりに解きほぐしたのが日本紀なのである。机の上で創り上げた文章や伝承の膠着した思想などより数段価値があると思う。
私は円月の説く「神武天皇は太伯の末」を支持します。


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