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私はこのブログを通じて、様々なことを語ってきた。書くことにも挑戦しようと言う意欲も湧いてきた。だが、もう一つ封印して話さなかったことがある。今、私はそのことを話してみようという気になっている。
それは母のことです。母は49歳で鬼籍に入っている。くも膜下出血である。この病気は一週間ごとに症状が重くなる。幸い母は一週間で症状が回復したのです。主治医の判断は一周間での意識の回復は予断は許さないが、軽い右半身の麻痺と言語障害が残るが命に別状はないと話してくれた。ただし、絶体安静と頭部を動かすことは、遣ってはならない必須条件だと付け足した。
私は意識の回復した母を見舞い、右半身に麻痺のある右手を動かす母が「動かないの」と呟くのを聞き、母が父親の左半身に続いて、自分も身体に障害を持つことを苦にしているのが解っているので、「二人で一人前、似たもの夫婦」と冗談を言って慰めると、幽かに笑顔を見せ目を閉じた。
私は映画会社に勤めていたので、仲間との約束があったから、三男の宣興(のぶおき)に看病を頼み、会社へ行き友人達と酒を飲んでいた。夜の11時ごろだっただろうか。店へ三男から電話がかかった。宣興は泣き避けんで声にならない。勿論、直ぐに母のいる病院へ駆けつけた。
弟は泣くばかりでものが言えない。側にいた看護婦に尋ねると、母は亡くなられて、地下室の霊暗室に安置してあるという。
私は地下へ行き、母に会った。安らかな落ち着いた顔つきであった。取り乱したり、苦痛に歪んだ顔出なかったのが私を安堵させたが、この急変は腑に落ちなかった。なにがあったのだろう。私は宣興を慰め、すかして漸く母の最期を聞きだした。
宣興が言うのには、彼が水を飲ませ、母が「すまない」と話し、目を閉じると、底にうっすらと涙が滲んだと思うまま、急に首を動かしたというのである。それは自殺行為なのである。弟は震えて何も出来ずに母の右手をさすっていたという。医者が来た時はくも膜が出血して、応急処置も及ばず息を引き取ったそうである。
後で弟が語るところによると、母は自分の右半身不随を嘆いていたと言う。母は父親との苦しい日々を繰り返し弟に話したという。私も彼も、母は私達を思いやって自殺したと思ったのである。その日から弟は酒びたりになって、それが原因で命を落とした。
これで心がすさまなかったら、おかしい。我々の家族は何かに呪われているのだと本気で私も思った。数年は私も酒に逃げ込んだのは今も私は後悔していないが、恨み辛みは深く私の胸の底に沈殿して言ったのはやむ終えない、と私は自負している。
時が流れれば、本当に絵巻物のようで、なんだか奇妙な気持ちになってくる。母にも、父にも弟にさえも鎮魂の祈りを捧げたい。今は、私も落ち着いた心境でこのことを話せるようになっている。

母の名は菊池みな子です。父の名は堀本稲夫です。
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