上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
友人の名人(宮部)の内務を手伝い帰宅してから、「歴史のミステリ~」を何となく目を通していたら、大化の改新をテ~マに掲げていた。(面白いのは、「日本書紀」と「藤氏家伝」では蘇我入鹿の評価が正反対である)
読み進むうち、蘇我氏についての疑問が湧いてきた。後の課題が出来たと考えつつ一夜明けると、なぜか解らないが、ふと、日本人の原点はモンゴロイドだと言う思いがちらつき、飛躍しているが、私は白人になれないと、考えていた。日本人には、モンゴロイドは古モンゴロイドと新モンゴロイドが混在している。
ありていに言えば、「古」は氷河期以前の中国渡来の縄文先住民で「新」は弥生時代にやって来た朝鮮民族と少数の江南族、南海人の混血である。その混血が今の日本人を形成しているといえる。
私の仮説ではあるが、日本人には元々、豊かな環境に恵まれた縄文族が一万数宣千年かけて育んだ融和の精神が築き上げられ、後に弥生族がそこに混入してきて、紆余曲折はあるが「和」の精神を築き上げた。
日本列島は「東に美き地(くに)あり、青山四周(せいざんよもをめぐ)らす」と塩土老爺が示唆したと、あるように日本列島は贅沢者が言う戯言(たわごと)を無視すれば、豊かな地(くに)なのである。
よく考えて欲しい。縄文時代は一万年以上続いたのである。我々はそのことを絵空ごとと真面目に考えたことはないだろう。しかし、立ち止まって考えてみると、その持続の思想は自然に(物心とも)逆らわずに融和したからである。隣人との真摯な対話と思いやりが一つの集団を豊かにしている。男と女、老人と成人・子供、健康な人と脆弱な人などあらゆる階層が融和して、緑の山、そこから染み出す濫觴(物事の始まり・一滴の泉の源)の水系、そこには鮭・鱒・鯉・鮒が集まり、その周囲には猪や鹿、栗や椎の実、堅果植物が取り囲む、日本列島とは原則的にはそういう国なのです。そこで融和の精神が培われるのは当然の帰結でしょう。それはまた、DNAとして受け継がれた来たのです。胸に手を当てて考えてください。無意識に相手を考えながら行動する癖に気がつくはずです。
それが日本人のお人よし日本人の姿なのです。それは誇るべき姿ではないでしょうか。
今こそ、隣人と心ある会話を始めようではないでしょううか。緩やかな干渉主義、言ってみれば、嘗て日本人がやっていた。下町精神、隣との親しげな会話、他人の子供にも叱り付ける他人愛、法律でなく、先ずは当事者同士で話し合い、仲介者がしゃしゃり出る。そうした気楽な日常生活を取り戻そうではありませんか。それこそ、日本に内需が喚起され、小さくはあるが柔らかな以前のある国が出来上がるのではないでしょうか。
他人が押し付けた甘いケ~キはその人にお返ししましょう。我々は地道に蕎麦でも稗でも米でも食して痩せようではないでしょうか。
地道な主体性こそ今、必要なのです。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/223-6302a065
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。