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大化の改新を雑誌で読み、「日本書紀・皇極紀」を読み直した。

何と奇妙なことに気象状況が現在と酷似しているのに驚いている。五世紀半ばには地震が頻発し、寒い日が続いくと思えば、暖かい日がやってくる。頻りに、雷が鳴り、雹(ひょう)が降る。天候がくるくると変わるのです。
人心も怪しく、政情も不安定で(蘇我氏と中大兄皇子との確執・つまり大化の改新の前夜)、新興宗教が蔓延り(はびこり)人民から財産を巻き上げている。<橘の木につく幼虫・アゲハチョウの幼虫を神とする再生の象徴>世の中が爛熟して、崩壊に向かっている。

なにやら現在の日本の状況をみているようで、気持ちが悪い。しかし、歴史は繰り返すではないが、私は今、「久米氏」に取り掛かり、佳境にあるが、小休止で「日本書紀」の皇極紀の周辺を読み返してみようと思う。

「皇極紀」では蘇我入鹿が大兄王皇子と中臣鎌足に打たれた時、古人大兄皇子が「韓人が入鹿を殺した」と言い、結局は仏門に入ってしまう。
この叫びは非常に興味が沸き起こる。「韓人」とはその場の首謀者は二人なのだから、中大兄皇子か鎌足であろう。直接、刃を振るったのは中大兄皇子であるから「韓人」は皇子とも言える。しかし、古人大兄が見たのは鎌足かも知れないのだ。いずれにせよ、韓国系の皇族が蘇我入鹿を誅殺したのは間違えない。鎌足は百済系の渡来人とされているから、「韓人」は鎌足だったかもしれない。すると、中兄王皇子はどうであったのか興味のあるところである。私も皇子は百済系の皇族のような気がする。

ある小説家は、天智天皇は百済系の皇族であると述べている。しかし、小説家は学者のように考証をしっかりとするより想像力に頼る嫌いがある。だからといって空想とはいえない。私は小説家の直感力もすてたもんでもないと、思っている。その伝で行くと、天武天皇は新羅系だという説も論拠が、もう少し欲しいような気もしないわけでもないが、面白い説だと思う。
私は前から、大化の改新は思想改革だと考えているのだが、それには論拠が乏しい。もう少し考慮が必要だと思う。
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