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劉備玄徳が夷陵の争いで死して、諸葛孔明が遺志を受け継ぎ、魏との交戦を決意する。先ず、南の蛮族を制圧して魏と向かい合う。
講習はそこで終わった。あまり興味の湧かない講習であった。しかし、講習とは関係はないが、「呉・蜀・魏」の文字を見ていて、文字の意味が日本と関係があることに気がついた。
「呉」は、祝寿器を戴いて、神を祝して踊る様。私はこれを安曇磯良の呪術性に比している。そして、日本の太夫が中国に朝献した際、自らを「呉」の太伯の末を述べている。

「蜀」は蚕叢(さんそう)が始祖なように、養蚕が主たる産業である。そして、「扶桑(ふそう)」の始原でもある。ご存知のように、日本のことの別称は「扶桑」とも言う。<因みに、蜀は蚕を形にした文字である>

ここで薀蓄を一つ。日本にオシラ信仰と言うものがある。馬と娘が通婚して養蚕を生むという逸話である。これは「蜀」が発祥です。<蚕はよく見ると、蚕の頭が馬に似ていることから起きた話です>
そして、養蚕を可能にする桑の木ですが、「蜀」にはニ三の伝承があります。・・・蜀犬、陽に吠える。これは「蜀」は日照時間が短く、太陽が出ると、驚いて犬が吠えると言う諺からきます。
朝日が昇る時、蜀では霧がかかってまるで太陽の樹のように見れることから、それを「太陽樹」と言います。それは見事で美しいものだそうです。その「太陽樹」信仰が「扶桑」になったと言われています。その底には豊穣の願いがこっもているに違いがありません。
異獣聖婚神話と「扶桑(ふそう)」伝承は日本でも語られている説話です。精神的に何らかの共通性がなければ語り継がれることはないはずです。私は黒潮文化圏と呼ばせてもらっていますが、「蜀」と「倭」は同じ種族にDNAが流れているような気がしてならないのです。

「魏」は委へんに鬼である。私も気がつかなかったのだが、「倭」と関わりが出来ている。そういえば、「魏」は黄河と長江の間に位置している。麦か稲かどちらかの精霊と言う意味がそこにはあるのではないかと思われる。「倭族」の多くが稲や呪術との関係が深いことを思うと、「魏」もまた「倭(か、とも読む)」との関係が現れる。

講習を受けながらこんなことを考えながら、聴講していた。それなりに収穫があった講習でした。(講師に「魏」の意味や文字と「倭」の関わりを質問しましたが、回答はえられませんでした)
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