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神田川の清流の両岸には、黄金の絨毯が敷き詰められ、風のそよぎは心地よい。
川の堤の頂上は八幡神社が顕現し、そこから眺められる光景は田園そのもので、なぜか遠い昔思い出されて、懐かしさがこみ上げてくる。優しい気持ちになりながら、そこに佇むと祭囃子の笛や太鼓が聞こえてくよような感じになって、無性に涙が流れてとめどもない。
神田川の源は井の頭公園の池で、今、水は濁り、ブラックバスが繁殖して異様だが、かつては澄水(せいすい)にウグイやハヤが泳ぎ、夏には蛍が怪しげな光りを振りまいていた。
その頃、私は(13歳)新聞配達をしていて、日曜には神田川で遊びまくり、小川の畦を壊して百姓さんに追い掛け回されたものです。夏はフルチン(全裸)で神社のしたの溜まり(川が大きく蛇行する曲がり角)に唇を紫にして泳ぎまくったものです。秋、稲の収穫祭である祭りの笛や太鼓に誘われて、神社の境内まで走っていったことをはっきりと思い出します。
境内の両側には、夜店の屋台が林立し、香具師のだみ声が響き渡ります。烏賊や甘酸っぱい杏の香りが立ち込める屋台はなぜか心を浮き立たせて駆け出したくなったのを思い出します。拝殿の横にしつけられた舞台には神楽や演芸が華やかに興じられ、あの雑踏は日本人の血を沸きたてます。
今、祭りは去勢されてしまい、大人しいと言おうか、形式的な振る舞いといおうか真に味気ない。祭りはもっと荒あらしく友いいのではないか、と思う.

浜田山は私の生まれ故郷です。歌の文句ではないですが、「良いことのなかった町です」
しかし、大変懐かしい故郷であることには違いありません。私の思い出の中の浜田山は美しい町でした。特に、神社の高台から神田川を眺める景観は素晴らしいものです。
今度、小説を書こうと思ったのにはニ三のきっかけがありましたが、その一つは浜田山の美しさを消し去った何者かへの怨念があったと思います。多分、創作のテ~マのそこにはそうした深層意識が働いたのではないでしょうか。勿論、この推理小説は書くことの練習のために思いついたのですが、書き始めると、これを書き終わったら、もう一度、推敲して本格的に書き直そうとは考え始めました。
浜田山の八幡神社はその意味で「氷川神社」に変えて見たのは「怨念」が主題にあるからです。出雲の大和に対する「怨念」は国津神の天津神に対する「怨念」でしょう。その象徴がスサノウ命なのですが、スサノウは中途半端な神で宿命を背負った神でもあります。苦悩の神とも言え、「氷川神社」がスサノウを祭神にしているのは神々への「根源的な恨み」シジオスのように永久に到達にない目的を背負わされているのかもしれません。
スサノウが天から最初に地へ降りたところが出雲の川上で、そこが「簸の川(氷の川)」です。八俣のオロチ退治はここで行われたのです。氷川神社の由来はその出雲から出ています。
「簸の川」は砂鉄が取れる川で水の色は赤い。多分、そこにはタタラ場があるはずです。

出雲は先住民族の源郷かもしれません。大和が渡来民族の開拓地であるとしたら、産土神の集まる出雲は「怨念」の霊気が充満して出雲大社に集約多分、気がつかないうちに私はスサノウの苦悩に触れていたのでしょう。今、書き始めてからそのことに気がついて、一度書き終えてから、もう一度そのテ~マを考え直して見ようと思っています。それには失われた神田川の美しさをこの小説できちんと書かなければならない。そのための習作でもあります。

世の中とは面白い物で、水道橋へ行かなければ、これまで思い到らなかったでしょうし、パソコンも一度放棄して使用することもなく、歳を重ねたでありましょう。少し生きがいも出来、多分、長生きが少し出来るでしょう。

一期一会、良い言葉です。



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