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関裕二の「藤原氏の正体」を読みました。
私は彼の作品は何冊か読みました。その印象はエピソ~ドは面白く、多様性に飛んで考えさせることも多いが、結論は一人よがりで、創作に近いと映りました。
しかし、「藤原氏の正体」は作家と素材に真実性があって、緊張感が感じられた。
藤原氏と先住地方豪族との葛藤は、百済・独裁渡来民族と縄文系多神教民族の戦いの歴史として捕らえる。
藤原鎌足に始まり、不比等、藤原北家(近衛、一条、九条、鷹司家に分家)の官僚制、天皇への外戚から、摂政・関白政治を語り、それが明治の官僚制に繋がったと結論ずける。私は久し振りに「関作品」に快哉を叫んだ。
私は谷川健一の「縄文からの意識の連続性」が日本文化の基低であると考えてきました。そこにアニミズムを見ます。それは島国の偏狭さと言われていますが、私はそれこそ偏狭な見解だと思います。私は縄文人の宇宙観、謂わば仏教感に近い発想であると思います。恵まれた国土(地・つち・くに)から発想される豊かさの思想がと断定してもいいと思います。
それが大陸からやって来た、戦いを背負った民族、多分、その始原は遊牧民族の食料(生命)をかけた戦いを余儀なくされた弱肉強食民族と縄文融和民族との闘争の歴史であったと考えられます。
喧嘩に明け暮れた民族が融和で協調を掟とした民族を征服するのは時間の問題でした。しかし、先住民族は地(くに)を守るために命を懸けますそれは渡来民族が考えた異常な抵抗力であったのです。
藤原氏が百済系渡来民族であったのはほぼ確実でしょう。その藤原氏が武力に限界を感じたのはこれらの先住民族のしぶとい抵抗からの戦略転換であったはずです。
彼等が考えた日本的に対する戦略は、外戚(天皇への閨閥)と謀略です。「日本書紀」にはその謀略の数々が書かれています。
関裕二はそれが日本の官僚制の根底にあると論破します。私は関理論に何時も疑問視をつけていたのですが、この考えには賛成票を一票投じたいと考えます。卓見だと思うからです。

何とはなしに図書館からかりて読んだのですが、手元において読む保存本としたいと思っています。
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