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2011.11.20 官僚制の続編
「扶桑略記」「日本書紀」(斎明紀より)
<空中に竜を乗るものがいた。その姿は「唐人」に似て青い笠をかぶり、葛城山から生駒山に飛び、さらに住吉の松の木の上から西へ向かって去っていった。人々はこれを見て蘇我豊浦大臣だと噂した>

乙巳の変で古人大兄皇子が蘇我入鹿の暗殺を見て「韓人が入鹿を殺した」と言った。「日本書紀」

この二つの記述から、蘇我入鹿は「唐人」と述べられ、巳乙の変の暗殺者は「韓人」と表現されている。
「韓人」はそこには中大兄皇子と中臣鎌足しかいない。概ね、鎌足は百済系渡来人とされる。しかし、入鹿の首をはねたのは中大兄と言われているから、「韓人」は皇子を指していると思われる。と、すると皇子もまた、百済系の渡来人と言えるだろう。
問題は入鹿が「唐人」と記されていることである。蘇我氏は従来から、先住民族ではないかといわれているのだが、これによると、入鹿は中国人との疑いも出てきた。(私は江南族だと思う)
これらの説を正しいと仮定すると、大化の改新が「韓」と「唐」の勢力争いで百済系が江南系に打ち勝ったと言う説も成り立つ。これは考えようによっては、思想争いであると言える。極端に言えば儒教精神が道鏡精神を駆逐したと言う仮説も成り立つ。神武天皇が江南族でその中国思想が大化の改新で韓国思想に改宗されたとして、その頂点が天智天皇であると言うのも、強(あなが)ち穿(うが)った説とも言えないであろう。

江南思想とは、末子相続、文身、鵜飼の習俗、近親相姦の受容など。朝鮮思想は、長子相続、文身・鵜飼は少ない、近親相姦は禁忌。、であり考え方に相当の隔たりがある。
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