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2011.12.03 思いつき馬鹿
私は友人と話をしていて「おはよう」といってから、その意味についてに考え込んでしまった。普段、何とはなしに使っていたいるが、状況を考えて理解は出来る。しかし、その本当の意味を考えると、私は今まで無批判的に使っていたから「そう」なのだと思っていたに過ぎないことに気がついた。
谷川健一さんは、歴史を「意識の連続性」と唱えた。日本における縄文文化は一万年以上も続いていて、その文化的影響力は甚大なものだろう。その後、弥生文化が大陸からやって来て、文字を伝えたわけだが、基層となる縄文文化を根底から破壊できわしない。縄文人特有の融和精神が表面的にそれを受け入れたに違いないのだ。日本人の底力は今度の大天災に見るまでもなく、究極的な状況で発揮される。文字の侵食もその根まで侵食は出来ないのです。

私は谷川説「意識の連続性」を思うに付け、ユングの集合的無意識を考えるに付け、民族的DNAは確実に現代に受け継がれていると直感しました。そこでまた、一つの生き甲斐を見つけることになります。

英語やドイツ語にも「おはよう」はあります。しかし、意味は解るにしても、明らかにその表現形態は異なります。日本語の「おはよう」は異なります。これは日本独特の表現です。いや、縄文語ではないかの疑問さえわきます。神武東征がこんな所まで波及するとは思いませんでしたが、私の好奇心はもう一つ生き甲斐を用意したようです。何時になるかは解りませんが、「おはよう」の追求も頭の片隅に入れておこうと思います。

追伸(思いつき)
「おはよう」はもしかすると、弥生以後の農耕会話かもしれない。するとその意味は農業に関わる挨拶用語かもしれないが、その原語(元の意味)は縄文語であろう。
これも今は思いつきに過ぎない。極めたいと思う。
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