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独りよがりの老人は身包み剥がれると、何か見えないものがおぼろげながら見えてくる。

私は政治家で嫌いな政治家に、小澤一郎や鈴木宗雄さん達だった。ひも付きの政治屋壕腕・壊しやすく小澤だったし、鬼の顔した薄情な政治家(中川一郎を殺したのは鈴木さんだと思っていました。マスゴミへの傾注の弊害の一つです)と私には映りました。
しかし、今、二人は罪人になってマスゴミはあることない事を書き立てる。何か袖の下の何がしかを感じるが、私も毎日まいにち、ありそうな悪徳を語られると、そうかなと思い始めたことを思い出す。

今、民主党の執行部・野田首相や仙石・前原・枝野の各氏は我々ではなく、あらぬ方向に顔を向けているような気がする。まだ、小澤・鈴木の両氏のほうが真実を感じるのです。勿論、鈴木さんもかつては犯罪まがいのことは行っただろうし、小澤さんだって金にまつわる犯罪まがいの行為はしたはずである。そんなことを言えば、自民党の連中や今、のうのうと省庁で指揮を執っている偉い官僚さまでさえ脛に傷の十や二十はあるはずであるう。

私自体、過去を振り返れば、悪い行いは数限りない忸怩たる思いがする。現在、状況は困難な極致であると思う、過去の悪徳はひとまず括弧に入れて、今この時に最善を尽くすことに視野を持つことが大切なのではないかと考えます。(法は一つの抽象であり、その施行は「人」が使行するもので「人」が決めるものである)

3月11日の震災は、我々国民は太古から沁みこんだ融和精神を発揮したと私は思っていますが、外国人はそれを脅威の賞賛を持って語っています。それは我々を本当に理解していないのです。この行為はごく自然な綿々と続く意識の堆積、歴史の集積なのです。我々日本人が持ち続けたごく当たり前の深層意識なのです。(戦前はそれをうまくされただけです。そうならないために<意識の連続性を我々は強く認識すべきなのです>
国難(あまり善い言葉とも思いませんが、やはり内外ともに国難でしょう)に先駆けて私達はこの先人が残した融和の精神を行使して正悪あわせ飲んで機を一(いつ)にすることが大事なのであると思うのです。

それには自分の尺度で考えるべきなのです。決して、マスゴミやひも付きの邪まな人間の甘言を見抜くことです。自分にやって欲しくはない事は他人に及ぼさない。至極簡単な事から始めることです。融和こそ我々日本人が誇れる性格です。
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