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2011.04.14 呉と南九州
私はこれまで、江南、朝鮮南部、東南アジアそして九州を倭の領域と考え、模索してきました。
特に、呉越(江南)と南九州の関わりを明らかにしようと、その伝承・神話を主に考えてきました。(考古学や現地検証に触手を伸ばしたいのですが、遅れてきた老人にはそこまで手がまわりません)
越は自らを僕來(ぼくらい)と言うように、その先祖は北部中国の畑作・遊牧民族の血を残しているように思えます(僕來とは神に仕える遊牧民という意味です)呉もまた、建国の祖、太伯は周の古公壇父の直系で、句呉の地に定住した伝承にあるように、同じような傾向ですが、現住民と漢人の混血(これは江南人と隼人との混血である彦火火出見に似ています)が作り上げた国と言う点では少し異なっている気がします。勿論、わたしが南九州と江南と通じているとしたのは、後に述べますように呉越の地は九州から近いと言う点にあると言う事です。
黒潮の流れは、対馬海流と黒潮海流となって江南人を南北九州へと運びます。その点では、呉越が縄文時代より(その時は倭人と言っていいかも知れません)少しずつ漂着や政治的亡命で渡海して来た可能性は大きいでしょう。初期には、先住民との確執があり、殺戮も行われたに違いありません。空舟や手杵祭り伝承にそれが窺えます。しかし、阿多隼人らの海人族がその柔軟な気質から徐じょに彼らを受け入れ、混血してニニギ神話に行き着いたものと思われます。
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